映画「リンドングレー」~北欧・スエーデンのシングルマザー描く
「長くつ下のピッピ」のように強い女の子
(写真・アストリット・リンドングレーン著「長靴下のピッピ」岩波少年文庫)
三省堂等の書店の児童書コーナーで必ず目にする「長くつ下のピッピ」。しかし私は1度も手に取らなかったし子どもに買い与える事もなかった。今回の映画「リンドグレーン」(ペアニレ・フィシャー・クリステンセン監督 2018年スエーデン=デンマーク)が一気に私とこの本の距離を縮め私は初めてこの本を買って読んでみた。そして「ピッピ・ナガクツシタ」こそリンドグレーその人ではないか、と私は思う。
ジェンダー先進国スエーデン…百年前の女性
(写真・映画「リンドングレーン」のジャケット 東京の岩波ホールで上映中)
アストリッド・リンドグレーは1907年(明治40年)にスエーデンに生まれた。家族総出で農場の仕事をする映画のシーンでは豊かな自然と家族の愛情に囲まれて、無邪気で自由奔放に育つ様が描かれる。しかし恋をして妊娠、出産、19歳でシングルマザーになった途端、彼女の環境は激変する。幸せな子ども時代とはあまりにもちがう女性、母としての環境は北欧のスエーデンも例外ではなかった。その萌芽は子ども時代に体験する。兄と町のダンスパーティに行き帰宅し門限を破ったが彼女だけが両親から叱られる。抗議しても「男と女は違う」との反応が両親から帰ってくる。聖書には「男も女も同じ」と書いてあると、彼女は納得しなかったが。
私自身小学生時代は信州の自然の中で遊びまわり、中学・高校は東京で図書館、映画館他文化施設をめぐり「勉強せよ」とは言われず、思う存分羽を伸ばした幸せな時代だった。
しかし、敗戦後日本国憲法も施行されて十余年というのになお成人後の女子には親・社会が準備した道があり、進路について自分の意思を表示した途端幸せな子ども時代は終わりを告げた。そんな自分の来し方と重ねながらこの映画を見た。
幸せな少女時代、自立する女性へ…環境は激変
映画の舞台はおよそ百年前、今やジェンダー平等の国として知られるスエーデンでも自立しようとすれば、女性なるが故の困難がふりかかる。中学を卒業したアストリッドは地方の新聞社の助手に就職するチャンスに恵まれ、編集長に知性と文才を見込まれ秘書兼助手になる。編集長と恋に落ち妊娠し19才で未婚の母になってしまう。相手の男は彼女よりかなり年長で子沢山、妻とは離婚協議中ですぐには結婚できない。信心深いアストリットの両親は彼と結ばれることに反対する。
妊娠中のアストリッドは自立するために故郷を離れて首都ストックホルムに行き秘書学校に通う。相手の男性は「妻から不逞を訴えられて姦通罪で刑務所に入れられるかもしれない」とアストリッドに伝え彼女の心痛は高まる。
この時代、日本では姦通罪は女子のみ罰せられ男子が罰せられることはなかった。スエーデンは男性にも姦通罪が適用されている。当たり前のことに私は新鮮な驚きを感じた。日本が如何に徹底した男性優位の家父長制社会の国だったか痛感させられる。
晴れて整う結婚の条件ーしかし男性と別れたリンドングレーの心理
アストリッドは敬虔なクリスチャンの両親の意向で彼女の妊娠は徹底的に周囲に隠す。結果、出産に際して父親を明かさずに済む隣国デンマークのコペンハーゲンに行く。ここで里親マリーに見守られて男の子ラッセを出産する。ラッセを里親のマリーに預け実家に帰宅するが両親から「男と結婚せず、子どもの事も忘れろ」といわれアストリットは実家を飛び出す。
子どもを引き取りたいが父親の離婚調停は進まず、加えて密会を目撃され裁判も窮地に立たされる。我が子に会うためコペンハーゲンに通う苦しい日々、1年後ようやく離婚調停は解決した。「姦通罪で有罪になったが罰金を払うだけで済んだ」と晴れ晴れとした顔で夫となるべき人が指輪をもってアストリッドに正式に求婚する。しかし彼への怒りがこみ上げ指輪を返し立ち去る。
映画ではこの時のアストリットの心理が私に理解できない。編集長の男に、両親にそむいてまで、未婚の母になって愛を貫こうとしたアストリッドではなかったのか。両親から彼と別れるように言われ実家も飛び出した。ようやく子どもを引き取り結婚できる条件が整ったにもかかわらず、何故それを拒否して立ち去るのか。結婚しない事で新たな経済的困難が襲ってくる、祖国への帰還旅費もないというのに。
里親になついた息子に”ママ”と呼ばれるまで
もしかし、出産を経験し子どもへの愛情が芽生え生活の困難に立ち向かい切り抜けてきた自信…そうしたものが男性を見る目を肥やし初恋の人物の本質を見抜きともに人生を築く相手ではないとの評価に至ったのか?
明確に言えることは、この決断が後に彼女をして児童文学の巨匠に押し上げる分岐点になったという事である。
一方、里親になついた息子ラッセは、容易にアストリットを“ママ”とは呼ばない。一緒に連れて帰ることも拒否されてアストリットは失意に沈む。ようやくわが手に息子を取り戻したのは里親が病気でラッセを育てられなくなったからである。
息子と心通うまでに要した才月、苦しみの日々…これが彼女をして「子どもの心がよくわかる」児童文学者と評価される作品を生み出す土壌となったのではないか。才能が元々あったとして、この苦しみの歳月がさらに磨きをかけた、と評価されている。私も同感する。
樋口一葉、リンドグレーン…同時代作家の育ち方
このストーリーの舞台がもし日本だったら、アストリットは偉大な作家にはなれなかったであろう。アンデルセン、グリム兄弟に次ぐ多くの作品が翻訳された児童文学作家、との評価も得られなかったであろう。もし日本なら彼女は、封建性の残滓と家父長制に押しつぶされていたかもしれない。
日本にも明治時代に樋口一葉という女性の文学者がいた。彼女は当時の社会を鋭く描き女性の苦しみにも寄り添った。男性文学者に勝りこそすれ劣らない堂々とした女性の作家であった。国際的に比較しても見劣りしない優れた作品を残している。
同時に彼女は当時の日本では珍しい女性の戸主であった。母や妹の生活を支える義務を負っていた。女性ながら社会的に認められる地位にあった。彼女が一介の女性(妻・母)であれば、或はシングルマザー的立場であれば明治初期において作家という仕事には成し遂げられなかったであろう、と私は考える。
その点でアストリット・リンドングレーはまさにスエーデンが生み育てた文学者である。スエーデンは日本とは女性に対する社会的条件が違っていた。当時のスエーデンも女性は経済的、社会的に低い地位におかれていたが、彼女の延びる目を奪ってしまうことはなかった。彼我の差を感じた映画であった。(吉川春子)
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