アニメ映画『この世界の片隅に』の描いた,広島県呉市(くれし)の、いま
「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」のフィールドワーク その3 軍港・呉市
私達のフィールドワークの3日目は広島県呉市である。呉市を描いて大ヒットした映画『この世界の片隅に』(片瀬須直監督)は主人公・北条すず(旧姓・浦野)を通じて戦争が打ちのめした庶民の暮らしを描く。この映画の舞台になった広島県呉(くれ)は原爆投下の広島市とは20Kの距離。アジア太平洋戦争当時の軍港、軍事産業の街・呉は戦災でさんざんな目に遭った。それから74年後、これに懲りて平和都市になっているかと思いきや、今も自衛隊の護衛艦、潜水艦がどっかりと居座り、「活気」に満ち、また戦争ミュージアムに多くの旅行者が訪れて新たな“活況”を呈していた。
1933(昭和8)年広島市に住む絵を描くことが好きな少女すずは18才で20キロ離れた軍港・呉市の海軍の文官・北条周作に嫁ぐ。結婚式の翌朝から、足の不自由な姑に仕え家事全般を任せられる。夫を亡くした周作の姉がすずにつらく当たる。戦前のお嫁さんはこんな立場だったのだろうな、とうなずく。呉市郊外の自然は豊かさ、中流家庭の日々の営みが懐かしく描かれている。しかし戦争がはげしくなり日常生活が日々圧迫され、出征した男性の死が次々に伝えられる。
1945(昭和20)年6月入院中の舅を病院に見舞った帰り空襲で連れていた兄嫁の娘は爆死、すずは右手を失い、絵を描くことはおろか家事もできなくなる。軍港のある呉は連日激しい空襲に晒され、また障害者となったすずは家庭内で居場所を失う。この時期広島はまったく空襲がない。原爆投下を計画していた米は温存していたのだろう。婚家の辛さにすずは実家の広島に帰る決心をする。その時まさに広島に原爆が投下される。すずの実家の人々も大きな被害を受ける。この映画は市井の人が戦争でどんな被害を受けるか淡々と描き、見た人の心に反戦を深く刻み付ける。(写真・アニメ映画『この世界の片隅に」の主人公・すず)
私は呉市がこんなに激しい空襲に晒され人も物も大きな被害を出したことは『世界の片隅に』で初めて知った。
呉には海軍鎮守府、海軍工廠があり江田島に海軍兵学校があり、戦艦大和が建造された海軍の拠点・呉であれば徹底的に米軍の空襲にあったのも当然であろう。
いま、原爆投下の広島が平和都市として世界に反核を訴える象徴的都市となっている一方で、壊滅的な戦争の被害を受けた呉市民は何を学び、社会(世界)に何を発信しているのだろうか?
『戦艦大和』という映画が私の小学生の頃信州の田舎町の映画館にもかかり私は父にせがんで映画を見に行った。映画の大和沈没の悲劇的な最後が心に焼き付いている。
11月20日午前は呉市立・海軍歴史科学館「大和ミュージアム」に行く。1Fには「戦艦大和」の10分の1の模型が威容を誇って展示されている。「大和」建設の日本の技術が如何に素晴らしかったかが強調されている。
技術の粋を尽くした戦艦がなぜ簡単に撃沈されたのか。「既に制空権を失い、大和を守るべき航空機が1機もないまま沖縄特攻という無謀な作戦で出撃し徳之島西方20マイルの洋上で轟沈させられた」と説明された。
特攻という言葉どおり敵艦に艦もろとも突っ込んで体当たり=玉砕である。国民の多額の血税を注ぎ込み建設した戦艦と多くの人命(3000人―奥田和夫氏)を犠牲にして、撃沈されるための出撃である。こんなバカげた作戦について責任を問われた軍人、政治家はいなかった。70年以上を経て展示するのだからその事への言及(批判)はあってしかるべきだろう。しかしこのミュージアムの展示には見当たらなかった。何のためのミュージアムか。回顧?今度は失敗しない決意?まさか!命を落とした一般兵士、その家族こそあわれである。(写真上・「大和ミュージアム」の建物、下・戦艦大和の模型)
非人間的兵器の極み、「回転」
また同ミュージアムには呉で建造された人間魚雷「回転」の実物大模型も展示されている。狭いハッチに兵士が入って蓋をすると蓋は中からは絶対に開かないという。ハッチのふたを閉められると後は自分で敵艦の方向を目指して突っ込む他ない仕掛けであるとのこと。航空機による特攻はエンジン不調等で引き返すこともあったが、回転は乗り込んでハッチを閉めれば敵に体当たりするほかないという悲惨極まる兵器である。
「『大和ミュージアム』は靖国神社の遊就館ほど露骨ではないけれど、大東亜戦争史観に基づく展示がなされており遊就館に次ぐものである」と案内の呉市会議員の奥田和夫氏の説明があった。
たしかに、「こんなにも素晴らしい戦艦があった」という点に来館者の目が奪われるような展示であることも確かだ。かの戦争についての批判的視点を養える内容にはなっていない。
『戦艦大和』建造、軍事産業の拠点であったため徹底的に無残な空襲被害を被った呉市として、ここからどんな教訓を汲むべきか、あるいは汲んだのかという観点の資料の展示は皆無だ。税金を投入して建てる市立のミュージアムなら、なおさらこの点の配慮があってしかるべきではないか。(写真下・人間魚雷「回天」の実物大模型)
海自の宣伝・鉄のクジラ館
潜水艦とクジラの「鳴き声」が似ている。かつてソ連の潜水艦を題材にした『レットオクトーバーを追え』という小説や映画があった。クジラと敵の潜水艦の音を聞き分けて判別する事が重要な仕事だった時代があった。
「鉄のクジラ館」には海上自衛隊の潜水艦の内部の展示がされている。説明員は自衛隊のOBが当たっているという。私は興味深く潜水艦内部を見た。
かつて海上自衛隊(海自)の潜水艦「なだしお」が、船舶入り乱れるラッシュの東京湾入り口で釣り船に衝突した。海難審判でも回避義務は海自側にあった。潜水艦と釣り船では、月とスッポン、釣舩の乗船者が海に投げ出されたが潜水艦乗組員はブイも投げず救助しなかったため多くの犠牲者が出た。
その時、内閣委員だった私は国会で自衛隊の責任を追及した。当時の瓦防衛大臣は責任を取って辞職した。最近麻生財務大臣が個人的興味からか潜水艦に乗船し非番の自衛隊員に案内させて批判されて事件が起きた。
当時自衛隊基地の視察はずいぶん行き護衛艦にも乗ったが、潜水艦に乗った事のない私は興味を惹かれ丁寧に見た。
所々に立っている説明員に「なだしお」事件の事を質問したが「そんなことはありません」の防戦一点張りだった。ミュージアムには海自の潜水艦について客観的に説明できる人物を配置すべきだと思った。全部税金で運営されている以上、海上自衛隊の宣伝用のミュージアムであってはならないのだから。
港の見える丘、日米安保のわかる丘
11月20日午後は日本共産党呉市議会議員の奥田和夫さんから呉市を案内していただいた。初めに港が見える丘に登る。ここからは市内が一望できる。港にはガントリークレーンが林立し、戦艦大和建造工場の屋根、米軍秋月弾薬庫、海軍兵学校のあった江田島、自衛隊と共に大きくなった火薬製造、中国化薬、米軍と一体の貯油所等々が見える。(写真・港の見える丘から、呉港をバックに記念撮影)
呉基地の中心は海上自衛隊で艦艇保有数は全国の海上自衛隊中最大で護衛艦、潜水艦、掃海艇を保有している。私たち一行は護衛艦と共に潜水艦が浮上している姿をすぐ傍で確認できた。私は内閣委員を長く務めた関係で各地で自衛隊艦船を見てきたが、浮上している潜水艦を見たのはここ呉が初めてだった。潜水艦はめったに浮上しないものと思っていた。呉市民は日常的にこのように護衛艦、潜水艦を目の当たりにして生活しているのだ。
そして、奥田市議の説明で、岩国市の米海兵隊基地、広島市の八本松川上弾薬庫、等々米軍基地とも一体化して存在している事も改めて目の当りにした。(写真上・浮上停泊する海上自衛隊の潜水艦)
「核と人類は共存できない」「核戦争阻止」のメッセージを世界に向けた発信し続けて平和のイメージが強い広島県で、「これに挑戦するようにヒロシマを取り囲む日米の軍事基地軍が存在しアジア太平洋地域はもとより世界に槍を向けているのです」(「呉基地ガイドブック」奥田和夫)
呉市の「大和ミュージアム」「鉄のクジラ館」は、広島市の原爆投下の悲惨さを訴える「原爆資料館」とは相対立するかのようだ。戦争当時の日本の造船技術がいかに優れていたか、今もそれを受け継いで発展させている、また「大和」の乗組員たちは如何に勇敢に死んでいったか」日常的に市民を教育しかねない「社会教育施設」ではある。加えて今回は行かなかったが江田島の旧海軍士官学校もかなり密度の濃いミュージアムとなっている。それはそれとして興味深い展示であっても、こうした情報に日常的にさらされて呉市民及び国民に対して、これらが何を引き起こしたか、将来の国民に何をくみ取り何を受け継いでほしいか、日本国憲法を理念とする展示であってほしい。
遊郭と『この世界の片隅で』
~遊郭の街から女性の人権を守る街に
呉市の見学の最後に遊郭のあった街を観光バスで通った。『この世界の片隅で』には主人公すずと遊女の出会いがワンシーンだが描かれている。現在2019年年末から上映されている『この世界の片隅で』の続編(新作)はすずと遊郭の女性リンとの交流が挿入されているという(朝日・夕刊)
明治時代以降、軍隊は遊郭と共にあった。あいまって発展した。従って大本営の昔から海軍鎮守府の呉はまた、多くの女性の悲惨な人生も数限りなくあった街である。現在は遊郭の跡形もないが、戦争というもの、軍隊というものは女性の敵であることは否めない。
激しい空襲を受け隣の広島市とはまた別の意味で、壊滅的な戦争被害を受けた呉市がここから何を学んだのか。
それが今回つかめなかった私は、74年後の呉市、平和都市広島と対照的…戦争放棄の憲法がないがしろにされているただならぬ危険を感じた。(文責・吉川春子)(写真下・呉市を襲う米軍航空隊―「この世界の片隅に」プログラムから)
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