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2019年8月

2019年8月31日 (土)

映画「存在のない子どもたち」、日本の子どもは幸せか?

 

映画『存在のない子供たち』(監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキー 2018年、レバノン・フランス)は、レバノン内戦を知らない人にもおすすめである。この映画の主人公は12歳のけなげな少年である。主人公ゼインはかなりまともな思考力、行動力、たくましさを備え極限状態を生き抜く。貧困というより極貧、両親の無教養・特に父親は無気力で子どもに暴力は振るうが彼らを守ろうとしない。むしろ子供を自分の生き延びるための手段に使う。途中で見るのをやめようかとさえ思った。しかし最後にこの映画には救いがあり希望があった。

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<ストーリー>

 

映画は裁判所の公判廷のシーンと、その供述を裏付ける物語が並行して描き出される。

冒頭、少年ゼインは両親を訴え、裁判長から「何の罪で」と問われると「僕を生んだこと」と答える。彼の隣には代理人の女性弁護士がいる。

ゼインは何度も大人に向かって、「育てられないなら子どもを産むな」と絶叫する。男女とりわけ男は欲望のまま性交し女性は妊娠し結果として子は産まれるが、まともに育てようとしないし社会も混乱している。

 

       妹の初潮

 

ゼインには小さい弟妹がたくさんいる。家計を助けるために四六時中働く。両親は金がかかるからとゼインの出生届を出していないので彼は学校に行けない。おそらく12歳くらいだろうと裁判所が推定する。

ある日、妹サハルの服に血液が付着していることを発見する。彼はすぐに血液を洗い落としナプキン代わりに使うように自分のシャツを脱いでわたす。妹には、両親にこの事を知らせると結婚させられるから秘密にするように言い渡す。彼は店で生理用ナプキンを万引きして妹に渡そうと帰宅すると、父親が妹を男に花嫁として売り渡そうとしている。父親は、それを止めようとするゼインを殴り倒して妹を男の処に連れて行ってしまう。

 

        難民の母親の赤ん坊の子守り

 

この日からゼインは家を飛び出す。町で会ったエチオピアの不法難民の女・ラヒルに子守として雇われる。彼女は乳飲み子をキャスターに入れ職場に連れてゆき人目を忍んで授乳しながら仕事をしていたのだ。ゼインは子守をしながら子の母親の帰りを待つ生活。ある日母親が帰宅しない。赤ん坊は飢えて泣く。「子供を2日も放っておいて心配ではないのか」。ゼインはつぶやく。女は不法就労で逮捕されてしまうのだ。

母親なき乳飲み子・ヨナスを連れた少年ゼインのたくましき生きる姿が見ものだ。赤ん坊を引きずるように抱っこして母親を探して街を歩く.子どもは重い。外で遊んでいる子どもからキャスターのついた遊び道具を奪いその上にたらいを乗せヨナスを入れて乳母車のように引っ張り何処へでも連れてゆく。彼はヨナスを置き去りにしたりはしない。難民の救護所で嘘をついてミルクをもらい、薬局で嘘をついて手に入れた薬を売り金儲けをする。

 

         万策尽き…

 

しかし、頑張ったところで12歳の少年が乳飲み子を養うには限界がある。知り合いの滞在許可証の偽造屋に説得されて赤ん坊のヨナスを渡す。その金で国外にわたる決意をするゼイン。出国には身分証明書が必要なので久しぶりに自宅に帰る。

そこで妹のサハルが結婚後2,3か月で妊娠しそれが原因で命を落としたことを知る。激怒したゼインは男の家に乗り込みナイフで刺す。ゼインは禁固5年の刑を言い渡され服役する。

 

裁判長がサハルの夫になった男に「11歳の幼い子供に妊娠が耐えられると思ったのか」と質問する。男は「自分の母親も11歳で結婚したが今も元気でこの裁判を聞きに来ている」と平然と答える。幼い子供も性の対象として取引されるイスラムの女性蔑視の一面を映画は鋭くとらえる。

服役中にゼインはテレビの生番組に出演し「育てられないなら子供を産むな」と世の大人たちに訴える。ゼインの訴えは大反響を呼び、弁護士の支援で両親を裁判に訴えることになった。これが冒頭のシーンのセリフ、「両親を訴える。自分を生んだ罪で」である。

 

映画の最後でヨナスは母親に再会し抱かれる。そしてゼインには身分証明書が発行される。証明書の写真撮影で初めてにっこり笑う。2人の幼い子の笑顔が映画を締めくくる。

これが数十年以上戦火の絶えなかったレバノンの将来を暗示していれば幸いである。

 

   ~~~~~~  ☆  ~~~~~

 

      映画『亀も空を飛ぶ』を超えて

 

私は10年ほど前にイスラム系社会クルド人の子供の生活を描く映画『亀も空を飛ぶ』の衝撃を忘れえない。少女がいつも盲目の弟を連れ歩く。しかし姉とも思えない、とても邪険に扱う。最後に彼は弟ではなくレイプされて産んだ子であることがわかる。二人は断崖から飛び込む。イスラムの少女と子供のこれ以上ない残酷なシーンで終わる映画である。

人権という言葉が機能しない上に、女性の人権など全く顧みられない社会が存在する今の世界。しかし希望は女性監督の手になる、ジェンダーの視点もしっかり押さえられている映画『存在のない子供たち』が各地で上映され高い評価を得ていることである。第71回カンヌ国際映画祭や、第91回アカデミー賞外国映画賞ノミネート、第76回ゴールデングローブ賞外国映画賞ノミネート等々である。

 

日本の場合~是枝監督の映画『誰も知らない』

 

日本の子どもたちはレバノンの子どもより幸せなのか。私はかつて是枝監督の映画『誰も知らない』に衝撃を受けた。私は、彼がきっと将来名前を挙げる作品を世に出すであろうとおもった。そして今日そうなった。8月29日の報道によると、是枝監督の『真実』(日仏合作)がベネチア国際映画祭の冒頭を飾り、かの大女優・カトリ―ヌドヌーブと腕を組んで赤い絨毯の上を歩いている。

 

『誰も知らない』はシングルマザーが、おそらくは男性のもとに走るのだろう、3人の幼い子どもを徐々に置き去りにして、ついには全く連絡を絶ってしまう映画である。親から捨てられ社会から断絶する3人の子どもたち。そして、幼い妹が病気になり死ぬ。兄は友達の協力を得て東京湾辺りだったか、妹の死体を埋めて、電車で帰ってくる。これらの事を誰も知らない…という映画である。

日本で児童虐待が過去最高の数字となり、明日9月1日は子どもの自殺が1年で最も多い日だと統計が示している。「子どもの権利条約」が日本でも批准されて久しい。条約の趣旨が日本でもレバノンでも生かされることを。子どもが幸せに生きられる社会が実現する日が近い事を願わずにはいられない。

2019年8月23日 (金)

最悪の日韓関係の打開めざして、韓国元国会議員24名来日

 

 8月20日午後1時30分~3時、国会・参議院会館で日韓合同セミナーが開かれた。出席は「参議院協会」側が11名(自民、公明、共産)、憲政会(韓国元国会議員の組織)が24名でその中女性議員が2人である。司会の永野慎一郎大東文化大名誉教授(憲政会代理人)が「日韓関係が非常に悪い.。何とかしたい思いで来日した」とあいさつした。

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写真・来日した韓国元国会議員24名を代表して挨拶するユ・ギョン・ヒョン憲政会会長

  未来志向で日韓関係の改善願う「参議院協会」と韓国元国会議員の懇談

 

宮崎・参議院協会会長が「参議院協会」と「憲政会」とは長いお付き合いである。2012年に憲政会を訪問しご馳走になった。お酒もいただいた関係で、今のような日韓関係になるとは思わなかった。道が瓦礫、土砂で埋まっている。人災なのでみんなで取り除く。隣国として兄弟付き合いできるようにしなくてはならない」と挨拶。

ユ・ギョンヒョン憲政会会長あいさつ

「憲政会」は1千人の元国会議員を組織している。今日、日韓関係が非常に難しい。先日文大統領は「日韓は対話を続けるべきだ」と表明した。難しい問題ではあるが同胞としての関係築きたい。ドイツの大統領もかつて日韓が上手くいってほしいと表明したことがある。2002年にはサッカーのワールドカップを共同開催した。2020年東京オリンピックに世界の注目が集まる。韓国でも政治とスポーツを分けるという意見多い。両国国民の努力でいい関係を作りたい。

続いて参議院協会メンバーからの発言が相次いだ、

野沢副会長

日韓関係は未来志向で考えたい。日本では民間で日韓に海底トンネルを実現する運動を行っている。ルートは唐津と釜山を結ぶ。工期は着工後約10年、10兆円の予算があればできる。自分たちの目の黒いうちに実現させたい。

戸塚信也・理事

自分は中国も韓国も100回行っている、北朝鮮は4回、来月5回目の訪問をする。過去に日本が犯した様々な事の償いをしたいと思っている。しかしこのように考えている日本人はごく少数派である。先に名古屋のトリエンナーレで「慰安婦」の少女像の展示が撤去、中止されたがとんでもない事だ。

保坂・会員(東京都選出)

東京はソウルと姉妹都市だった。今の日韓関係に心を痛めている。自分はサムスンのスマホ、モバイルコンピューターを使っている。サムスン10を発表した。科学は嘘を言わない。来日の26人の皆さんはいろいろ言い分があると思うが我々の話を聞いてくれた、ありがとう。政治とメディアが熱っぽいが、国民は冷静だ。

その他、自民党等与党の出席者からは、徴用工問題は韓国の国内問題だ。来年の韓国の総選挙への思惑で日韓関係をゆがめないでほしい。「ホワイト国除外」は決して報復措置ではない等の発言もあった。概ね何とか関係改善を、未来志向でという内容であった。

 

    私の発言

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写真左・発言する吉川とその右列は参議院協会メンバー、写真右・右列は参議院協会のメンバー、左は韓国元国会議員

 

私は「慰安婦」問題に付いて数分間発言した。「金学順が名乗り出た1991年から『慰安婦』問題に関心を持って取り組み、参議院議員引退後は「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」を組織して解決のため現在も運動を進めている。

かつて、韓国のハルモニが来日し集会で「あなたのお父さん、あなたのお祖父さんが私をこのような目に合わせましたと」号泣した。その言葉が私のこの問題に取り組む原点だ」と。

「参議院協会」は圧倒的に自民党のメンバーが多い。日頃の会議でこの問題が議論になることはない。従って私は自民党元参議院議員の前で「慰安婦」問題を語る事はどんな反応が出るかと思うといささか勇気が要った。しかし話し終えると日韓双方から拍手が起きた。

元自民党議員は、「吉川さん、『従軍慰安婦』の事をよく言ったね。日本にもいろんな考えがあるという事を相手(韓国)にわかってもらうためによかった」と評価してくれた。

懇談会の終了後、韓国の元議員の一人は私に「あなたの発言はよかった」と名刺を所望された。

 

    韓国前国会議員と衆議院議員との懇談

 

 4時から衆議院第1議員会館の国際会議場で『日韓友好促進合同セミナー』が開かれた。日本側からは韓国元議員と同数の24名の衆議院議員(自民党)が参加した。衆議院には「参議院協会」に匹敵する法人格を持つ前代議士達の組織がないので現職議員による懇談になったのだろうか。私は「参議院協会」理事長の野沢太三元参議院議員と一緒にマスコミの退席後もセミナーを傍聴した。

 翌日(8月21日付)の東京新聞は「主催した江藤征四郎・元衆議院副議長は『政府の関係が厳しい状況でも、国民が友好的な感情を持つことが重要だ』と指摘。下村博文・元文部科学相は元徴用工や慰安婦問題に関する韓国の対応について『理解、納得はできない』と述べた」と報じた。

 私の心に沁みたのは、次の元韓国国会議員の発言である。「『慰安婦』問題はお金ではない。河野談話、菅首相は謝罪したが被害者個人はこれを心のこもった謝罪ではないと感じている。ドイツの首相がポーランドに行き大衆の前でナチスの罪を詫びて許しを乞うた。(ポーランドの人々は)ブラント首相の心からの謝罪を受け入れた。日本もそれを参考にして欲しい」と。

 日韓の国会関係者の対話は多方面にわたり真摯に冷静に熱心に行われた。しかし謝罪について言及した日本側議員はほとんどいなかった。

 

   日韓の未来

 

 8月22日、韓国元国会議員が帰国したタイミングで韓国政府は日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジーソミア)を破棄すると発表した。安倍首相は「信頼損なう」、他の閣僚も「きわめて遺憾」「受け入れられない」等々韓国政府の決定を批判した。対韓国に強硬姿勢を取り続けている日本政府にとっては、「かくすればかくなるもの」と予想された韓国政府の対応ではないのかとの指摘もある。

 ヨーロッパではドイツ、フランス再び戦わず、の理念で第2次大戦後一貫して努力してEU結成にこぎつけた。確かにEUも様々な問題を孕んではいるが、アジアにおける日本はこの70数年間、そうした努力に欠けていたのではないか。結果、(平和憲法という「宝物」を持ちながら)アジア情勢に関して不安定要素の元凶になってしまった。その事への真摯な反省が日本に求められていると思う。(吉川記)

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写真・韓国国花・ムクゲの花(春日部市吉川自宅庭で)

 

2019年8月 4日 (日)

南京事件、「慰安婦」村瀬守康写真展

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(写真左・写真展ポスター、写真右・村瀬さんが転戦した中国地図)

『平和を願う文京・戦争展 文京真砂生れの村瀬守康写真展』が、文京シビック(文京市役所)アートサロンで8月8日~8月10日迄開かれる。主催は日中友好協会文京支部(小竹弘子支部長)である。都心の便利な場所なので多くの参加者が見込まれる。

 村瀬さんは1937年7月に召集され中国大陸を2年半にわたった転戦した。上海~南京~徐州~漢口~山西省~ノモンハンと従軍し戦場での貴重な写真を3000枚撮影しそのうちの50点を今回展示する。揚子江の岸におびただしい死体が積み上げられている南京事件やトラックで運ばれる『慰安婦』の写真なども含まれている。逃げ遅れた子どもと老婆の恐怖におののく姿、この80才の老婆は2人の日本兵に犯された、と。便衣隊のスパイとして捉えられ縄をかけられた不敵な少年の姿に村瀬さんは「おそらくこの若者が生きて還ることはなかったでありましょう」とキャプションを記している。

村瀬さんは、「当時、私は戦争反対の意見を持っておりましたが、そのことを他人に漏らすことはできませんでした」と記している(初めに)。その思想は写真に表れている。写真はとてもクリアーでみんな心に沁みる傑作である。

 

     不可解な、文京区教育委員会の写真展の後援拒否

 

私も写真展実行委員会の一員(文京革新懇のメンバー)であるが実行委員会では文京区教育委員会に会場使用と共催、後援を申し入れていた。しかし8月2日付東京新聞の報道によると6月14日、7月11日の区教委の定例会で審議の結果、委員4人が承認しないとの意見を表明した結果後援しない事となった。

反対意見の一は「公平中立な立場の教育委員会が(写真展の後援を)承認するのは如何か」というもの。「公平中立」なら戦場の写真の展示を後援できないという理由が全く分からない。南京事件や「慰安所」の写真が、教育委員会の中立公平の立場にそぐわないという事なのか?

また、「反対の立場の申請があれば後援しないといけなくなる」という事も反対理由だという。反対の立場とは何を指すのか不明である。

2015年埼玉県川越市での写真展は川越市が後援している事を見ても文京区の対応は不可解、不当である。

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(写真・村瀬さんが出版した『写真集』の表紙)

      村瀬さんと私

 

 村瀬さんは1987年12月『村瀬守康写真集~一兵士が写した戦場の記録 私の従軍中国戦線』(日本機関誌出版センター)を出版した。私は国政選挙に何度か出馬し、村瀬さんは商工団体の役員で選挙のたびに応援していただいていたのでお宅に何度かご挨拶にお邪魔し奥様とも親しくして頂いていた。

その縁で写真集をいただいた。ご自宅には写真集に載らない写真が段ボールにぎっしり詰まって保存されていたのにはびっくりした。機密保護法があり写真などめったに取れなかった戦中に、自由に戦地で撮影できたのは、村瀬さんの写真の腕を軍が信用し、戦友たちからも家族への写真の便りで重宝されていたからであろう。

 

    『慰安婦』、『慰安所』、『列をなす兵士たち』

 

私がこの『写真集』が大変貴重なものだと気が付いたのは、「慰安婦」問題が白日の下に晒された出版5年後である。私は1992年4月に参議院内閣委員会で加藤官房長官に「慰安婦」問題の初質問の準備の過程で、村瀬さんの『写真集』を思い出し、「慰安婦」関係の写真を抜き出して2枚をパネルにして使用した。軍隊と政府が「慰安所」を設置していたという動かぬ証拠が残されているのだ。

その後村瀬さんの写真は今日まで私のみならず、「慰安婦」問題に取り組む人々によって数多く(回数、人々とも)使われている。それを見た国民も多い事だろう。(1992年の)この時、私が使用したのが最初であると思う。

私は参議院議員を引退した後、「慰安婦」問題の講演を各地で行っている。その際パワーポイントに『村瀬守康写真集』の「慰安婦」の写真を使用し、また、参加者に本そのものをお見せしてので、本の綴じ目がすっかり痛み、セロテープで何度補修してもバラバラになってしまう。

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(写真左・トラックで運ばれる「慰安婦」、写真右、「慰安所」の看板)

    国会で使えなかった1枚の写真

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(写真左・「慰安所」の前で順番を待つ兵士、写真右・村瀬さんの写真を掲げて政府を追及する吉川、1992年4月、参議院予算委員会) 

 私が国会質問ではどうしてもパネルにして使えなかった写真がある。「慰安所」の前で列を作って順番待ちしている数人の兵士。腰に手ぬぐいや、短剣を下げている兵士の後ろ姿、その中で一人だけ振り向いてにやにやしている。「そろそろ俺の番が来るぞと、胸ときめかせて待ちあぐんでいる兵士たち」(村瀬)とキャプションがついている。

 醜いものから目を背けてはならないので現在はこの写真もパワーポイントに使用している。村瀬さんが上海~南京、~徐州~漢口~山西省~ノモンハンと従軍し貴重な写真を残してくださったことに感謝している。戦争反対の村瀬さん、本人亡き後も写真は貢献し続けている。(吉川春子)

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