映画「存在のない子どもたち」、日本の子どもは幸せか?
映画『存在のない子供たち』(監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキー 2018年、レバノン・フランス)は、レバノン内戦を知らない人にもおすすめである。この映画の主人公は12歳のけなげな少年である。主人公ゼインはかなりまともな思考力、行動力、たくましさを備え極限状態を生き抜く。貧困というより極貧、両親の無教養・特に父親は無気力で子どもに暴力は振るうが彼らを守ろうとしない。むしろ子供を自分の生き延びるための手段に使う。途中で見るのをやめようかとさえ思った。しかし最後にこの映画には救いがあり希望があった。
<ストーリー>
映画は裁判所の公判廷のシーンと、その供述を裏付ける物語が並行して描き出される。
冒頭、少年ゼインは両親を訴え、裁判長から「何の罪で」と問われると「僕を生んだこと」と答える。彼の隣には代理人の女性弁護士がいる。
ゼインは何度も大人に向かって、「育てられないなら子どもを産むな」と絶叫する。男女とりわけ男は欲望のまま性交し女性は妊娠し結果として子は産まれるが、まともに育てようとしないし社会も混乱している。
妹の初潮
ゼインには小さい弟妹がたくさんいる。家計を助けるために四六時中働く。両親は金がかかるからとゼインの出生届を出していないので彼は学校に行けない。おそらく12歳くらいだろうと裁判所が推定する。
ある日、妹サハルの服に血液が付着していることを発見する。彼はすぐに血液を洗い落としナプキン代わりに使うように自分のシャツを脱いでわたす。妹には、両親にこの事を知らせると結婚させられるから秘密にするように言い渡す。彼は店で生理用ナプキンを万引きして妹に渡そうと帰宅すると、父親が妹を男に花嫁として売り渡そうとしている。父親は、それを止めようとするゼインを殴り倒して妹を男の処に連れて行ってしまう。
難民の母親の赤ん坊の子守り
この日からゼインは家を飛び出す。町で会ったエチオピアの不法難民の女・ラヒルに子守として雇われる。彼女は乳飲み子をキャスターに入れ職場に連れてゆき人目を忍んで授乳しながら仕事をしていたのだ。ゼインは子守をしながら子の母親の帰りを待つ生活。ある日母親が帰宅しない。赤ん坊は飢えて泣く。「子供を2日も放っておいて心配ではないのか」。ゼインはつぶやく。女は不法就労で逮捕されてしまうのだ。
母親なき乳飲み子・ヨナスを連れた少年ゼインのたくましき生きる姿が見ものだ。赤ん坊を引きずるように抱っこして母親を探して街を歩く.子どもは重い。外で遊んでいる子どもからキャスターのついた遊び道具を奪いその上にたらいを乗せヨナスを入れて乳母車のように引っ張り何処へでも連れてゆく。彼はヨナスを置き去りにしたりはしない。難民の救護所で嘘をついてミルクをもらい、薬局で嘘をついて手に入れた薬を売り金儲けをする。
万策尽き…
しかし、頑張ったところで12歳の少年が乳飲み子を養うには限界がある。知り合いの滞在許可証の偽造屋に説得されて赤ん坊のヨナスを渡す。その金で国外にわたる決意をするゼイン。出国には身分証明書が必要なので久しぶりに自宅に帰る。
そこで妹のサハルが結婚後2,3か月で妊娠しそれが原因で命を落としたことを知る。激怒したゼインは男の家に乗り込みナイフで刺す。ゼインは禁固5年の刑を言い渡され服役する。
裁判長がサハルの夫になった男に「11歳の幼い子供に妊娠が耐えられると思ったのか」と質問する。男は「自分の母親も11歳で結婚したが今も元気でこの裁判を聞きに来ている」と平然と答える。幼い子供も性の対象として取引されるイスラムの女性蔑視の一面を映画は鋭くとらえる。
服役中にゼインはテレビの生番組に出演し「育てられないなら子供を産むな」と世の大人たちに訴える。ゼインの訴えは大反響を呼び、弁護士の支援で両親を裁判に訴えることになった。これが冒頭のシーンのセリフ、「両親を訴える。自分を生んだ罪で」である。
映画の最後でヨナスは母親に再会し抱かれる。そしてゼインには身分証明書が発行される。証明書の写真撮影で初めてにっこり笑う。2人の幼い子の笑顔が映画を締めくくる。
これが数十年以上戦火の絶えなかったレバノンの将来を暗示していれば幸いである。
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映画『亀も空を飛ぶ』を超えて
私は10年ほど前にイスラム系社会クルド人の子供の生活を描く映画『亀も空を飛ぶ』の衝撃を忘れえない。少女がいつも盲目の弟を連れ歩く。しかし姉とも思えない、とても邪険に扱う。最後に彼は弟ではなくレイプされて産んだ子であることがわかる。二人は断崖から飛び込む。イスラムの少女と子供のこれ以上ない残酷なシーンで終わる映画である。
人権という言葉が機能しない上に、女性の人権など全く顧みられない社会が存在する今の世界。しかし希望は女性監督の手になる、ジェンダーの視点もしっかり押さえられている映画『存在のない子供たち』が各地で上映され高い評価を得ていることである。第71回カンヌ国際映画祭や、第91回アカデミー賞外国映画賞ノミネート、第76回ゴールデングローブ賞外国映画賞ノミネート等々である。
日本の場合~是枝監督の映画『誰も知らない』
日本の子どもたちはレバノンの子どもより幸せなのか。私はかつて是枝監督の映画『誰も知らない』に衝撃を受けた。私は、彼がきっと将来名前を挙げる作品を世に出すであろうとおもった。そして今日そうなった。8月29日の報道によると、是枝監督の『真実』(日仏合作)がベネチア国際映画祭の冒頭を飾り、かの大女優・カトリ―ヌドヌーブと腕を組んで赤い絨毯の上を歩いている。
『誰も知らない』はシングルマザーが、おそらくは男性のもとに走るのだろう、3人の幼い子どもを徐々に置き去りにして、ついには全く連絡を絶ってしまう映画である。親から捨てられ社会から断絶する3人の子どもたち。そして、幼い妹が病気になり死ぬ。兄は友達の協力を得て東京湾辺りだったか、妹の死体を埋めて、電車で帰ってくる。これらの事を誰も知らない…という映画である。
日本で児童虐待が過去最高の数字となり、明日9月1日は子どもの自殺が1年で最も多い日だと統計が示している。「子どもの権利条約」が日本でも批准されて久しい。条約の趣旨が日本でもレバノンでも生かされることを。子どもが幸せに生きられる社会が実現する日が近い事を願わずにはいられない。
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