フォト

最近のトラックバック

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »

2019年7月

2019年7月14日 (日)

映画『新聞記者』~官邸権力の闇を描く

      ディズニー映画と並ぶ人気!

Photo_20190714202801

 

711日、東京・新宿の上映館へ私は3度目に足を運んで前から2列目の席を確保してやっと見た。それほどの人気映画である。この映画がかくも大勢の人に見られていることに、日本もまだ捨てたものではないかもしれない、と思った。

 

 

正義感溢れる女性記者と外務省から「内調」(内閣調査室=アメリカのCIAに比較される諜報機関)へ出向しているエリート官僚という2人の架空の人物が登場する。安倍内閣の下で起きた重大事件が映画を見る観客にはわかりやすく説明される。

松坂桃李が外務省から「内調」に出向しているエリート官僚を演じている。NHKの朝ドラ出演以後急激に売れ出した俳優が、恐らくは有形無形の圧力を排しての決断だったのではないか。この映画に出演する心意気を私は買う。また韓国人の女優・シム・ウンギョンが吉岡エリカという新聞記者も演じるが、日本語も達者。やぼったくもなく、洗練され過ぎてもいない女性新聞記者を演じている。 

 

    総理の”お友達”ならレイプ犯も逮捕されない国   

 

映画の冒頭は実際にあった事件で、被害者の伊藤詩織さんがTBSのワシントン支局長に強姦されたと告発する勇気ある記者会見の場面。加害者には裁判所から逮捕状が出ていたのにもかかわらず、警察は執行せずもみ消した。同記者が安倍総理の“お友達”だったからだと指摘されている。

 

映画の物語は「東都新聞」記者の吉岡エリカがこのニュースに対して自社の紙面がべた記事扱いなのに対して、「被害者本人が顔を出しているのに」と、このニュースの扱いの小さい事に強い疑問を呈するシーンから始まる。

 

実際伊藤詩織さんの事件は「東都新聞」に限らず各紙とも扱いは小さかった。(検察の不当な不起訴に対しては「起訴相当」を突きつける検察審査会まで“不起訴相当”の結論を出したのだ)。

 

当時、イギリスのBBCが彼女の特集を組んだことに比較して、日本のメディアの腰抜けぶりに私も怒りを感じていた。安倍内閣、とメディアの対応に伊藤さんは日本での生活は身の危険を感じる程だったと伝えられている。冒頭のこのような衝撃的シーンに、この映画への期待が高まる。

 

   映画「 スノーデン」さながら、日本も情報収集と活用

 

圧巻は日本のCIA(アメリカ中央情報局)とも言われる「内調」(=「内閣情報調査室」)の活動ぶりが暴かれてゆくところだ。

私は映画『スノーデン』(2013年)のいくつかのシーンを思い出した。若きCIA職員のスノーデンは正義感に駆られて、CIAの機密資料を持ち出した。そしてアメリカの諜報活動が市民のプライバシーを脅かしている事を世界に暴露した。権力に刃向う者には政府が収集している膨大な個人情報から彼のスキャンダルを白日の下に晒して反対者の声を押さえつけ、或は失脚させる。

この市民監視データのシステムは「日本にも渡されていて活用されている」とスノーデンは指摘する。彼はその結果アメリカ国家のお尋ね者となりロシアに亡命している。

この映画は、私たちの記憶に新しい加計学園問題をほうふつさせる。新聞社社会部に送られてきた、「医療系大学新設」に関する極秘公文書。内部リークか、誤報を誘発させる罠か?上司の命で真相を突き止めるべく吉岡は取材を開始する。

 

    生まれたわが子を抱きしめ号泣~信念を捨てないと守れない家族

 

これに、エリート官僚、松坂桃李の扮する杉原拓海がからむ。国民に尽くすという自分の信念とは裏腹に、現政権を維持する世論のコントロールという実際の任務に悩む。彼の妻は子どもを出産ししあわせの絶頂にあるはずだが、家庭を守らんとすれば国民に尽くすという信念を捨てなければならない。彼はかつての上司の自殺を機に自らの心の声に従う決意をするが、家庭を守れないという苦しさに、生まれたばかりの我が子を抱きしめて号泣する。

いわゆる「モリ・カケ事件」で保身のために「忖度する」官僚を多く見せつけられてきた観客は、杉原の姿に強い共感を抱くだろう。

「東都新聞」は真実を報道できるのか。そのため権力の妨害に対してどこまで戦えるのか、映画はサスペンスタッチで展開する。杉原の人生をかけての決断に新聞社(編集局)も秘密公文書の暴露に踏み切る(=読者に真実を知らせる)を選ぶ。

自分の良心に従うか、保身を選ぶか。杉原のようなエリート官僚が実際にも一人いた。前川前文部科学事務次官である。「あった事をなかったことにはできない」との名セリフで国民に真実を語る彼に、権力はスキャンダルをぶつけて彼の失脚を狙うが、その醜い企みは失敗に終わる。この映画にも登場する前川氏は今も全国で講演を続けている。 

日本のCIAともいわれる「内調」が日本で起きる様々な事件の背後にあることが映画でも描かれる。活動資金も潤沢である。国会でも領収証のいらない何億という金(国民の税金)が毎日金庫に補充される事が暴露された事がある。

こうして高度の情報収集能力と国家予算を駆使して集め、国民のために使われる情報が時の政権の維持に利用される事を暴いている映画である。安倍政権が国民に説明しなかった加計学園の背景をこの映画はフィクションとして語るが、かえって真実が浮かび上がる。

 

     メディアにも厳しい注文   

 

今年の通常国会では、予算委員会を衆議院は今年の3月の初めから、参議院は3月末から全く開かず国民への説明責任を果たすことなく、疑問に口を閉ざしている安倍内閣。また党首討論も1年ぶりに開催されたが討論にもならない短時間開いてお茶を濁した。政権にとって都合の悪い事は国民に説明すらせずだんまりを決め込んで、今の選挙に臨んでいる。

メディアも例外ではないのか。私の下に今朝届いた1通のメール。

「水島朝穂さんの「直言」から――参議院選挙の投票日までわずかになりました。しかし、この静けさは何でしょうか。選挙がスルーされています。713()夕方のTBS「報道特集」がお休みでした。この番組は、これまでの国政選挙ではずっと1週間前の状況を全国の注目選挙区などから伝えてきたように思いますが、今回は何とジャニーズ系の長時間番組にとってかわられています。報道のTBSも日テレ・フジ化してしまったのか」

確かに、今週日曜(714日)のTBSサンデイ・モーニングの「風を読む」コーナーはジャーニーズ喜夛川さんの死去についてだった。日ごろは政治・経済・世相を鋭くえぐるコーナーが国政選挙中、内外とも問題山積の中である。私は肩透かしを食った思いである。

他方、朝日新聞『日曜に想う』欄の「民主主義の靴磨きの時だ」(福島申二・編集委員)は安倍首相に対する厳しい視点で書かれており選挙戦中盤にふさわしい主張である。

 

映画『新聞起者』は政権の暴走に切り込みかつ、日本のメディアに対しても警鐘を鳴らす映画である。(吉川春子)

 

 

 

 

2019年7月 7日 (日)

遊女の苦しみを飲み込んで、大河は流れる~ 仙台で日本人『慰安婦』の講演

Photo_20190707113403

(写真は広瀬川、市民会館横から撮影)

 

 広瀬川 流れる岸辺 想い出は かえらず♪

 早瀬 おどる光に ゆれていた 君の瞳

♪ 時はめぐり また夏が来て あの日と同じ 流れの岸

  瀬音ゆかしき 杜の都 あの人はもういない♪

(『青葉城恋歌』星間船一作詞 さとう宗幸作曲)

 

広瀬川の流れは女性達の苦しみの歴史をずっと見つめていたのかもしれない。

私はそんな思いで仙台のけやき通りを行き来し東北地方随一と言われたかつての遊郭の街の跡を「仙台市観光マップ」を片手に歩いた。

 江戸時代初期に仙台藩は寛文事件(1660年~71年・伊達のお家騒動)が起き、その後、自粛のため遊女屋(貸座敷)を禁止した。政権が代わった明治からは遊郭が解禁され多い時は三十数軒の貸座敷と三百数十人の娼妓がいた。近隣の農村の娘たちが親に遊女屋に売り飛ばされて、前借金を背負い、奴隷の生活を送った。

広瀬川の流れは彼女達の涙ではないか。私は『青葉城恋歌』に遊女たちを重ねていた。

 

   『宮城の会』の地道な活動に敬意

 

Photo_20190707113501  Photo_20190707113404

(写真左・講演する吉川 写真右・仙台市福祉プラザ第1研修室の会場風景)

 

 その前の日、即ち2019年6月30日(日)私は,仙台市福祉プラザで「女性の人権と『慰安婦』問題~日本人「慰安婦」から考える」と題して講演した。雨の中参加者は約50名だった。

主催団体の「日本軍『慰安婦』問題の早期解決を目指す宮城の会」は、2011年6月に結成された。2010年12月、宮城革新懇主催で『慰安婦』問題の講演会を行った(講師は私・吉川)時の参加者と、その前の福島県日本母親大会の「慰安婦」問題分科会(助言者は吉川)参加の女性たちで、宮城県でも『慰安婦』の会を作ろうとの機運が盛り上がり結成された由。

同会は、2011年から2018年の間、大森典子弁護士や川上詩朗弁護士等を講師に招いて毎年講演を8回行う。また、『終わらない戦争』、『太陽がほしい』等映画の上映、パネル展を各7回行い、またニュースを31号まで発行している。『慰安婦』問題解決のための草の根の取り組みを着実に行っている。

(ちなみに私たちの「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」の創設が2010年5月で、その1年後にこの会は結成されている)

『慰安婦』問題最初の大きな山場が1990年代とすれば、その後、第二次安倍内閣の反撃・開き直りに対し被害女性たちが激しく追及した時期に「宮城の会」は結成されている。私は同じ時期の同じ問題意識で取り組んできた同会にたいして親近感を覚えた。

 

初めて、日本人「慰安婦」問題をテーマに

私が2007年に参議院議員をリタイアしてから求められるままに各地で行った「慰安婦」の講演数は百回を超えるか超えないか…という程度であろう。その中で、日本人「慰安婦」に焦点を当てた講演は今回の仙台が初めてである。

私の講演内容は、最初の頃は韓国人「慰安婦」問題が中心で、強制連行、日本の加害責任、歴史認識、3野党の『戦時性的強制問題解決促進法案』であった。

徐々に講演の内容も女性の人権へ変化し国連の動き、女性への暴力、日本人『慰安婦』へ重点が移っていった。

2010年代、ビルマ従軍軍医から入手した日本人「慰安婦」名簿に基づき九州と関西、山形を訪ね歩いた。1996年に警察庁が私の下に提出した内務省文書もじっくり読んだ。

一人も名乗り出ない日本人「慰安婦」問題を大きな課題として私は認識した。それは自省も込めて、あまりにも遅い対応である。

折しも、「# Me Too」(ハッシュタグ・ミー・ツー)の運動がアメリカ・ハリウッドから起こり、性暴力被害者が声を上げ始めた。これと日本人「慰安婦」はテーマとしても重なり合う。

というわけで、仙台では私は初めて、日本人「慰安婦」問題を中心に据えた講演を行った次第である。今後、この講演を各地で行い『慰安婦』問題と女性の人権問題をきちんと結び付けた運動を展開したいと思っている。

 

明治以降隆盛を極めた仙台の遊郭

Photo_20190707113401  Photo_20190707113801

(写真左-かつての花街・常盤町あたり,今は市民会館が建つ 写真右-市民会館の通りの向かい側に一軒だけ日本家屋・一帯がビルに囲まれて、街に遊郭の面影はない)

 

 仙台では明治になって政権が変わったので、遊女屋の御法度も打ち破られた。それ以後第2次世界大戦敗戦迄、仙台の遊郭は(新常磐町遊郭=小田原遊郭)業者三十数軒、娼妓三百人で、東北地方随一と言われるほど隆盛を極めた。帝国陸軍と帝国大学の存在が遊郭の利用を支えたからだという。

戦前から女子の入学を受け入れる等リベラルで知られる東北大学であるが、最高学府に学ぶ男性が遊郭の“常連“という事が私の頭の中では一致しにくい。女性の人権など国民全体の意識にも上がらない時代なので大学も例外ではないということかもしれないが…

   敗戦後、米軍の「慰安施設」&RAA(特殊慰安協会)

      敗戦直後にRAA協会発足

 どのようにして米軍兵士の「慰安所」は作られたのか?政府の命令で中心的役割を果たしたRAAの設立趣意書は以下のように記している。

「1億国民が(敗戦で)茫然自失していた昭和20年8月18日、進駐してくる連合軍の将兵を慰安するための各種施設をつくることを閣議で決定し都道府県警察に無電で指示した。8月21日、都下の接客業者の代表が警視庁から進駐軍将兵の施設を至急作るようにとの指令を受けた」

「つどい来る女性は戦火で家を焼かれ肉親と別れたいとしい女性たちであった。その服装のなんとみすぼらしい事よ。これらの女性を急遽慰安所に送り込み、将兵慰安の実務に就かせることにした」

「八月二八日、宮城(きゅうじょう=皇居)前に集合し宣誓式を行い新日本発足と全日本女性の純潔を守るための礎石事業を自覚し滅私奉公の決意を固めた」云々。

 

RAAオフリミット~仙台の場合

  仙台にも米兵の「慰安所」があった

RAAは東京周辺の「慰安所」設置に関わったが仙台ではどうだったのか?

「各地で「特殊慰安施設」の設置を急ぐ余り・・・従業婦の獲得に狂奔し、女給、ダンサー、慰安婦等の求人広告を新聞紙上に掲載・社会風致上考慮すべきもの・・・を集めにわか仕立てでスタートした。

日本の「贈り物」に対してマッカーサーなど占領軍の幹部が一番神経をとがらせたのは米兵への性病の蔓延だった。彼らは「慰安婦」として動員された日本女性に対して徹底的に性病検査を行った。

「仙台では、市当局のバック・アップで市内の進駐軍兵舎の真向かいに127人のダンサーを置くダンスホールが、『性病のため』数日でオフリミットとなった。米軍の憂慮が性病にあったのは言を俟たない。」(ドウス昌子著『敗者の贈り物 特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』P111)

ダンスホールは「性的慰安施設」ではないので、ダンサーたちの性病検査は行っていないはずである。何故ダンサーが性病に感染していることが分かったのか?

私は次の証言に注目する。

「進駐軍が来てすぐだと思うけど、常磐町にはアメリカ兵がわっと押し寄せてきた。ところがどういう問題があったのか、何カ月もしないうちに『OFF LIMITS』(オフリミット・立ち入り禁止)って立札が立った。進駐軍の兵士たちは出入り禁止になったのさ。‥常磐町にアメリカ兵は来なくなった。(常磐町で生まれ育った宮島信子さんの話)」

「小田原遊郭全体が米兵立ち入り禁止に区域になったという事はここがその時期RAAによって管理された特殊慰安施設であったことを物語っている(千葉由香著「みちのくの仙台常盤町 小田原遊郭随想録」平成30年1月1日・カストリ出版)

 仙台にも米兵の「慰安所」は設置されて、東北地方の女性たちが敗戦後もなお「慰安婦」として提供されていたことは確実である。

 

   <コメント>

東北地方随一の遊郭「小田原遊郭」の女性たちは戦争中は貸座敷が閉鎖されてどんな生活をしたのか。ここから『従軍慰安婦』として送られた女性は皆無だったのか。また、戦後進駐軍が来てダンスホールがにぎわったことまでの記録はあるが、しかしすぐに「オフリミットになった」ことから「慰安所」があったことが確認できる。

1946年2月20日、三百年以上続いた日本の公娼制度は正式に廃止された。仙台小田原遊郭という名もこの時点で消えた。戦後の混乱の中で、多くの国民が生活苦にあえいだが、性産業で働いた女性たちは世間の蔑視の中、どうなったのか?

戦争中も、敗戦直後も国家の政策で性奴隷とされた女性達。仙台も、一人の女性も名乗りを上げていない事は他の地域と同じだが、仙台の場合はオフリミットの記録がものの本に残されている(ドウス昌子著『敗者の贈り物 特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』、『県警史』他)。彼女たちの戦後を知る“よすが”は他にもないか。あれば、それは現代の「女性への暴力撤廃」の課題にも「# Me Too」も繋がる。

「『慰安婦』問題の解決を目指す宮城の会」がこれらの問題に取り組まれることを期待したい。(吉川春子記)

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »