アメリカ映画・「RBG(アール・ビー・ジー) 最強の85才」
「RBG(アール・ビー・ジー) 最強の85才」は、(監督・プロデューサー:ジューリー・コーエン、ベッツイ・ウエスト、2018年アメリカ
原題:RBG 配給:ファインフィルムズ)第91回アカデミー賞、長編ドキュメンタリー賞/歌曲賞ノミネート
ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)は、現在アメリカ合衆国最高裁判所判事である。
2017年、女性差別者と非難されるトランプ大統領が就任し、そして「# Me Too 」が広がる米国で今大人気が沸騰している女性裁判官である。
人生をかけて、女性の差別やマイノリティのために戦ってきた。ギンズバーグ判事の人形や、キーホルダー、バッジ、ステッカーなどRBGグッズが次々発売され、若者たちが彼女との写真撮影に群がるほほえましいシーンを映画は映し出す。
最高裁判事というお堅い職業の高齢女性が、なぜこのような人気者になったのか?アメリカという国は面白い。そして民主主義が息づいていることを映画は映し出している。
トランプを大統領に選ぶ国民に失望していた私も、アメリカの奥深さをこの映画から感じ取った次第。
ロースクールをトップの成績で卒業、しかし職に就けなかった
1933年ユダヤの家系に生まれる。コーネル大学入学、ハーバード・ロースクールに進学、1954年、コロンビア・ロースクールをトップで卒業、にもかかわらず就職先がなかったアメリカも女性差別の歴史はある。
しかし彼女の才能は埋もれなかった。30歳の若さでラトガーズ・ロースクールの教授になる。弁護士としての実績を積み、1980年、ジミー・カーター大統領からÐ・C巡回区控訴裁判所の裁判官に指名される。
1970年代若き弁護士として
最高裁で依頼人の代理を務めたドラマティックな事件の数々…。見事な法廷戦術によって法の下での男女を対等な立場に置くための大きな1歩を踏み出す画期的な数々の判決が下された。
○1973年、最高裁で初めて口頭弁論。空軍で働く既婚女性のために男性と同等の住宅手当を勝ち取る
○1975年、妻と死別した幼い子のいる依頼人に、夫と死別した女性と同様の給付金が支払われるべきだと主張し勝訴する
最高裁判事として
1993年、ビル・クリントン大統領に指名されアメリカ合衆国最高裁判手判事に就任した。
女性裁判官としては史上2人目である。
○1996年、最高裁はヴァージニア州立軍事学校が男性にだけ入学許可を与える方針を無効とし、性差別を認める政策を違憲とみなすように結論づけた
○2006年、グッドイヤー社の従業員リリーレッドベターは女性であるとの理由で男性より低い賃金で働いてきたが、告訴までに時間がかかりすぎたために補償を受ける資格はないと最高裁は判断した。これに対し、ギンズバーグは「女性が被害者となりうる、賃金差別の狡猾な手法を理解していないか無関心であると、最高裁に間違いを正せと要求した。
議会はリリーレッドベター公正賃金回復法を可決し、同判事の意見に沿った連邦法が改正される
トランプ大統領の入国制限措置は合衆国憲法違反と指摘
「ギンズバーグ判事は男女の平等だけではなく、すべての市民の権利を守るために今も力を尽くしている」(「監督の言葉」)
最高裁はドナルト・トランプ政権が導入したイスラム圏5カ国を含む8カ国からの入国制限措置の支持を示した。一方で、ギンズバーグはソビア・ソトマヨル判事の反対意見に賛同し、両判事は、最高裁は憲法修正第1条に定められた宗教の自由を侵害していると主張した。ソトマヨル判事は「冷静な観察者であれば、入国制限措置は反イスラム教的な動機付けがされていると結論付けるはずだ」「法廷意見は合衆国憲法にも我々の洗礼にも反する」と述べた。(同映画プログラム RBG07)
オペラ、ジム、トレーニング
彼女自身仕事人間を貫く。家事そして育児も夫マーティンがかなりの部分をサポートしていて、彼女は裁判官、弁護士の仕事に没頭してきた。
だが、大腸がん、すい臓がん等様々な病気にかかり克服している。映画の冒頭のシーンではジムでトレーニングを受ける彼女が映し出される。器具を使い、かなりハードなトレーニングである。
また、オペラが趣味で、プリマの唄う美しい曲,オーケストラの奏でる音楽が紡ぐ、オペラのストーリイに身を沈めると全てを忘れるという。
実際に彼女は美しい貴婦人に扮してオペラ「連隊の娘」に登場する。セリフだけであるが得意満面である。
米国の裁判官は終身制なので自らが引退しなければ何時までも続けられる。そして彼女は引退をせず今も裁判官のハードな仕事を継続している。# Me Tooが広まっている米国では彼女に「もっと頑張れ」との声援も多い事だろう。
「夫との出会いは人生で一番の幸運」
彼女の今日あるを切り開いたのは夫の存在ではなかろうか。夫マーティンは妻の才能を誰よりも信じ、業界筋に売り込みをかけたマーティンの手腕なくしてはクリントン大統領からの最高裁判事の指名は実現しなかったかもしれない。
自身も税務部門の弁護士としてはトップの手腕を持ちながら当時としては(現代でも)非常に珍しい、妻の仕事を献身的にサポートする男性だった。
ルースにとって最初で最後の恋人であり、夫だったマーティン・D・ギンズバーク。
「いとしいルースへ。愛と尊敬の念は56年前初めて会った時からずっと変わらない。君が法曹界の頂点に登って行く姿を見られて満足だ」という言葉を残し、2人の娘と息子、そして孫にも恵まれ78歳でこの世を去った(「プログラム」RBG03)
癌で最悪の体調の中、こんなにも美しい言葉を妻に残した男性。このシーンは非常に感激的だ。マーティンは人間的に、また男性としても最高だ。(吉川春子記)
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