日韓関係を考える、「三一独立宣言」一〇〇周年
現在、日韓関係は最悪の状態に陥っている。この20年近く「慰安婦」問題に取り組んでいる私はこの状態を大変に憂いている。こうした中今年は「3.1独立宣言」が1919年2月8日に発せられて百年を迎え、様々な民間団体が日韓の歴史について考える会を催している。私はこの間三人の専門家の講演から朝鮮と日本の近現代史について学び、今何をなすべきかの示唆を得た
朝鮮独立宣言が発せられた日に
2月8日、文京区民センターで、「『日本人の明治観をただす』(中塚明・著)刊行記念 韓国三・一独立運動100年―東京での2.8宣言の日に」が行われ、歴史家 奈良女子大学名誉教授・中塚明先生が講演した。大変寒い、ウイークデイの昼間の時間帯であったが101人(主催者発表)が集まった。百年前も東京は雪が降ったという。
1910年に韓国併合条約が締結され日本の植民地政策が始まる。そして1919年2月8日に日本にいた朝鮮人400人~600人が集まり独立宣言は発せられた。
冒頭に曰く「2千万の民を代表し正義と自由の勝利を得た世界万国の前にわが独立を宣言する」と。また、「ここにわが民族は日本および世界各国に対して自決の機会を与えることを要求する。もしその要求が入れられないならば、わが民族はその生存のために自由な行動をとり、わが民族の独立を期成せんことをここに宣言する」と結ばれている。彼らはその後過酷な日本の植民地支配と闘うべく朝鮮、各地に散って行った。
輝かしい明治、昭和…坂の上の雲の歴史認識
~日本人の明治観を質す~
中塚先生の講演は、鋭く、深く興味深い内容だった。日本史が専門の先生は1993年、奈良女子大教授退官後も含め日本の朝鮮侵略戦争の歴史を明らかにする研究・執筆を60年間続けてきた。
中塚先生は当時の外務大臣・陸奥宗光の著「蹇蹇録(けんけんろく)」を引用して、日本が朝鮮に対し何をしたのかを日清戦争(1894~95年)に迄さかのぼり説明。
歴史を記憶してそこから学ぶ事が韓国・朝鮮との和解の道である。しかしマスコミ、文筆家、学者が偏見はあっても事実は知らないと、ズバリ批判する。赤旗にも登場する半藤一利氏は「赤い夕陽の満州から始まった…明治は素晴らしい時代』について3ページにわたり書いているが、なぜ、朝鮮で何が起きたのかを書かないのか。立派な半藤さんにしてこうだ、と関川夏生央、川上操六の各氏も批判する。
また、朝鮮への偏見=侵略の隠ぺい・忘却と表裏の関係にある日本の近代現代について司馬遼太郎の坂の上の雲に表れている「明治栄光論」がまかり通ってきたことを批判した。
先生は国会図書館で公開されている「陸奥宗光関係文書」を研究する。日清戦争翌年に書かれた外相自身の手になる、日清戦争は誰がやったのかを陸奥自身が書いた「蹇蹇録(けんけんろく)」が明らかにしている。彼は明治の代に和歌山出身で長州閥でなく不遇の時代がある。5年間獄中にもいた、「外相は陸奥で大丈夫か?」と明治天皇の覚えもよくない。そうした評価の中で「蹇蹇録(けんけんろく)」は「日清戦争は自分が担った」と外相が初めて書いた本名著である。
中塚先生は軍事書物を収集している福島県立図書館「佐藤文庫」にも再々足を運んだ。参謀本部の168冊中40冊がある。
先生は研究を重ねて「輝かしい」明治、ではなく、退廃する明治、歴史の偽造、偏見の増幅、歴史の推移を客観的に見られなくなった日本帝国の姿をとらえる。
朝日新聞が「東学農民戦争の旅」を連載
私が先生を尊敬しているもう一つの李通は、研究室から飛び出して現場に足を運び、朝鮮の人々と直接触れ合うことにある。先生は1929年生まれで88歳にもかかわらず、13年間韓国への研究の旅を続けている。
私は2014年の第9回の旅など2回参加して、教科書で学んだ「東学党の乱」とは全く違う事実を目の当たりにした。バスで4~5日掛けて東学農民党の歴史が刻まれている慰霊碑、資料館を巡る旅である。中塚先生がリーダー、朴孟沫・円光大学教授が説明役である。日本からの旅行者だけでなく韓国の活動家が数名同乗し日韓共同のフィールドワークである。
学者・研究者の「朝鮮人が独立を言ったことはない」とか、「東学農民党は民間人が勝手にやった事で戦時法規は適用されない。殺されても仕方がない」等の言説がまかり通る。教科書の誤りも訂正されていない。
しかし、今年1月朝日新聞夕刊に「東学農民戦争を訪ねる旅」の記事が5回連載された。記者が旅に同行し書いたのだという。地道な努力にメディアも注目し多くの国民に知らせたことは素晴らしい。
和田春樹・教授の声明に見る日韓関係打開の道
この集会の冒頭に和田春樹・東大名誉教授が「2019年日本市民知識人の声明『村山談話、韓談話に基づき、植民地支配を反省謝罪することこそ日刊・日朝関係を続け発展させる鍵である』 2019年2月」について訴えた。
この文書は私にも二月二日に送られて来て署名した。声明は「日本と韓国は隣国で、協力しなければ両国に暮らす者は人間らしく生きていけない間柄である」という文言で始まる。そして「1904年以来41年間の軍事占領、19010年以来の35年間の植民地支配が日本帝国によって加えられた。日本人はこれに対して人間的に対処することから逃れることはできない」としている。
1965年に結ばれた日韓条約は「韓国側の日韓併合条約が当初より無効であった」という韓国側の主張をうけいれず、「完全かつ最終的に解決された」として請求権協定が結ばれた。根本的認識の分裂は克服されず放置されたまま今日に至っている。
この条約の下で日韓関係は維持されてきた。1995年村山談話で初めて植民地支配について反省謝罪した。
2010年8月民主党菅直人総理は閣議決定で総理談話を発表した。「3・1独立運動などの激しい抵抗にも示された通り政治的、軍事的背景の下韓国の人々は国と文化を奪われ民族の誇りを深く傷つけられた…この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対しここに改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明致します」として、同じ年のうちに「朝鮮王朝儀軌」を韓国政府に引き渡した。
朝鮮民族はなおあの日、日本人に朝鮮の独立を求めることが日本のためだと説得しようとしたとして和田先生は「宣言」の以下の部分を引用した。
「三.一朝鮮独立宣言」は「今日われわれが朝鮮独立を図るのは、朝鮮人に対しては、民族の正当なる正栄を獲得させるものであると同時に、日本に対しては邪悪なる路より出でて、東洋の支持者たるの重責を全うさせるものである」
この宣言は朝鮮民族の独立のためばかりではなく、日本人が正しい道を歩むように、そして国際社会で日本が負っている責任を果たすように促しているものである。
日本はどのように過去の植民地支配に向き合ってきたか
2月9日に浦和で、埼玉AALA連帯委員会の新年会があり、日本共産党中央委員会・国際委員会事務局長の田川実氏が講演した。田川氏は日本政府の植民地支配への反省とそれに対する現段階の反動的動きに言及した。
サンフランシスコ条約で「日本国は朝鮮の独立を承認して済州島…朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と宣言した。この時点で植民地支配は終わっている。1965年日韓基本条約を締結し、大日本帝国と大韓帝国との間の全ての条約は無効とされたが、日本が植民地支配をしたことは認めていない。
それから30年以上経た1998年、小渕総理大臣と金大中大統領の間の『日韓共同声明―21世紀に向けた新たなパートナーシップ』において、日本は「過去の一時期韓国国民に対して植民地支配により多大な損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」。これは村山談話の流れと同一である。
また、2002年9月17日の『日朝平壌宣言』では「2.日本側は過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明した」としているがそれも同様である。
1990年代に出てきた首脳間、或は両国間の歴史に向き合う動きが、今は途切れかけていることが重大だと私は思う
日韓、日朝の人民の意思で
日本は1990年代以降、従軍慰安婦に関する「河野官房長官談話」(1993年)を初め、「村山談話」(1995年)、『日韓共同声明―21世紀に向けた新たなパートナーシップ』(1998年)、『日朝平壌宣言』(2002年)で「慰安婦」、「植民地支配」への謝罪と反省を表明して、若い世代への認識を深める事等についての必要を認めている。こうした政府の方針を前に進めてゆく事が求められている。
日本は過去の反省を何もしてこなかった、のではなく不十分ながら何度か謝罪も行っている。それは日韓、日朝人民の願いの反映でもある。この声明に基づき時の政権がさらに発展させる義務を負っているが不十分だった。
こともあろうに、こうした積み上げを、悉く崩そうとしているのが現安倍内閣である。これは日本にとっても朝鮮半島にとっても危険な存在以外の何物でもない。3.1宣言に見る朝鮮人民の高い希望を実現させるためにも日韓、日朝の友好関係に取り組む日本の政府に交替させる必要がある。(吉川春子)
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