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2018年9月

2018年9月16日 (日)

#Me Too(タッグハッシュ・ミーツ―)、埼玉東部でも

埼玉県草加(そうか)市と、加須(かぞ)市で「『慰安婦』問題の講演会が開かれた。夏の暑さにも負けぬ人々が企画し、集い、性暴力被害の歴史を次世代に受け継ぐ、ハリウッド女優から始まった、さしずめ“埼玉東部版” Me Tooが行われた。

酷暑、そして酷暑の疲れが残る時期、会場はどこも満員だった。それには企画、取り組みに対する実行委員の並々ならぬ奮闘があった。

 

私は1976年に埼玉第4区から衆議院選挙に立候補した。加須は埼玉4区の北の拠点だった。また、草加(埼玉1区)は私の政治家としてスタートを切った八潮市に隣接する。どちらの講演にも知人友人が多数かけつけて下さった。

2018

(写真・パネル展に見入る人々)

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(写真・草加で講演する吉川)

 

<草加の講演会>

 

パネル展「軍隊は女性を守らない~沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」

820日(月)~26日(日)

2次大戦中無数に作られた沖縄の「慰安所」や、今日も米軍基地で多発する女性への性暴力が数十枚のパネルにまとめられている(wam「女たちの戦争と平和資料館」制作)。

江戸時代大名行列が通った有名な松並木沿いにある「草加文化会館」の、1Fフリースペースギャラリーに展示されているので誰でもふらりと立ち寄る場所。市民が食い入るようにパネルを読んでいる姿が印象的。「日本軍『慰安婦』問題早期解決を求める会」が2013年から展示会を開く。「自分たち自身の学びの深まりと来場者の真摯な感想に励まされ」今年で5年目(山内かづ子事務局長)だという。

 

DVD「蘆葦(あし)の歌」~台湾元「慰安婦」阿まの人生の調べ~上映

822日(水)草加市民会館2階和室

 

講演会「憲法から『慰安婦』問題を考える~#Me TooそしてWith Youの世界へ~ 講師・吉川春子

825日(土)1Fレセプションルーム

 

 この夏特有の、うだるような午後だったが91人が参加し会場は満員だった。しかもその中29名の方から感想文が寄せられた。日本人「慰安婦」についての感想が最も多かった。一部を以下に掲げる

 日本人「慰安婦」が名乗り出ないのが疑問だったが、その背景を考えることができた

 日本人はお金をもらい仕事としていったというような感覚でいた。今日の学習でそうでない事実、そうであっても差別につながる考え方に反省した

 「遊郭」について息子とも話してゆかなければと思う

 日本人の「慰安婦」が被害者が名乗り出ても誹謗・中傷をさせない社会をつくる

 バスケットボール選手がインドネシア女性を「買春」したニュースは、日本軍性奴隷制度の問題と地続きではないか

 女性は戦争で被害を受ける側なのに女性の投票率が減っていることが大変心配

 ソ連兵に日本女性が性の奉仕を強制させられた番組を見たが戦争と性犯罪は切り離せない。今日の会場に男性の参加が多くて嬉しかった

 2001年の野党3党法案に日本人「慰安婦」を含めることに何故、民主、社民が反対したのか疑問

 「慰安婦」問題を人権問題として勉強したが、憲法とのつながりは初めての学習でよくわかった

いろいろな感想が寄せられ私もとても勇気づけられた講演会であった

 

<加須の講演会>

 

2018年9月8日(土)、2018「連帯のつどいin加須(かぞ)」は、埼玉県加須市の「市民プラザかぞ」でおこなわれた。参加人数は170名。近年、当ゼミナールの企画する講演会としてはかなりの参加者の多さであった。

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(写真上・会場全景、写真下・慰安婦の肖像に見守られ講演する吉川)

 

    素晴らしい会場、実行委員の活躍

 

北千住駅から東武線で約60分、加須駅で降りると駅前には今日の講演会のビラをプラカードに張り付け案内の人が立っていた。十数メートル歩くと、もう一人案内の人がいて、参加者が全く道に迷わない配慮がされていた。

 

私が会場「市民プラザかぞ」3Fでエレベーターを降りると多目的ホール、入口には9人ほどの受付の人がズラリと並びまた、少し離れた書籍売り場には3人が配置されていてお客様を迎える体制が充実していて度肝を抜かれた。

 

講演会場は階段式で、前面は広い舞台と大きなスクリーンでパワーポイントの文字も大写しになる。スクリーンが天井より降りてきて、しかも下が床面より1メートル以上高いので、後ろの席の人にも良く読める。

 

美しい朝鮮民族踊りから連想すること

 

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オープニングは広い舞台を縦横に使って朝鮮女性同盟会員による「舞」が披露された。私に聞き覚えのある曲「トラジ」等にのって美しいチマ・チョゴリの裾を翻して、笑顔を振りまきところせましと踊る。AALAの新年会ではいつも見ているが、この日は会場が広く豪華なので一層踊りが映えた。

 彼女たちが「慰安婦」にさせられたのね…と誰かがつぶやいた。あの当時若い朝鮮半島の女性達が挺身隊の名で「慰安婦」に連れ去られた忌まわしい歴史と、目の前で踊る女性達が二重写しになる・・・

 

   「慰安婦」達に見つめられて

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(写真上・広々した会場、写真下・吉川背後の「看板」は柴田広子さんの書)

 

 舞台の横には、埼玉の元教師が書いた「慰安婦」の肖像画が数十枚壁面いっぱいに張り出されていた。いつも来日すると、あるいは韓国でお会いすると近寄ってきてハグをするイヨンスさん、2000年国際女性戦犯法廷で証言中にPTSDの症状が出て、卒倒した・万愛花さん、インドネシアで親しくお目にかかった・マルディエムさん、後藤ひろみさんが紙芝居に仕立てた・コウコウレンさん…説明すれば私の頭に次々に浮かんでくる彼女たちの過酷な人生…彼女たちに見守られて私は講演をした。

 

   共催という形

 

この集いは、埼玉県アジア、アフリカ、ラテンアメリカ連帯委員会(埼玉AALA)と、「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールの共催である。

実行委員会は3回持たれ、私自身も3回目は出席した。リストアップしたチケット販売協力者30名超、また約20の民主団体への集会後案内等の協力要請で参加状況を予めつかんだ。参加者は170名で、内容的にも大成功だった。


その背景にはAALAの組織と、30年近く「慰安婦」問題に取り組んできた実績~金学順さんを韓国から呼んで証言を聞く会を持ち、「ナヌムの家」という初期の映画会開催、毎年1万人前後の署名を国会に届け続けたその他、その他…すべての事がこの集会に結集されているのだ。


「慰安婦」問題は終わってはいない。終らせてはならない。私はこの集会から改めて勇気をもらった。(吉川春子記)

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(写真提供―草加は山内和子さん、加須は佐藤龍雄さん)

 

 

2018年9月 2日 (日)

『ゲッペルスと私』そして、『ヒトラーを欺いた黄色い星』

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(映画・『ゲッベルスと私』のプログラム) 

 

この夏私は、『ゲッべルスと私』(2016年・オーストリア映画)と『ヒトラーを欺いた黄色い星』(2017年ドイツ)の2本のドキュメンタリー映画を相次いでみた。

 

ポーランドがドイツに6兆円の賠償請求か

 

201891日付の朝日によると、ドイツに対して、ナチス占領の損害「6兆円」の賠償請求をポーランド議会が検討しているという。1939年~45年、ユダヤ人を含む510万人のポーランド国民が殺され、ワルシャワを中心に都市のインフラ破壊での損害が発生したという。ポーランドは1953年に賠償請求を放棄し現ドイツ政府は賠償問題は「決着済み」との立場だが、ポーランド現政権は「賠償放棄は冷戦時代にソ連に強要されたもので国際法的には無効」と主張している。

ひるがえって、「慰安婦」問題に対して日韓請求権協定で決着済みとする日本政府と、「慰安婦」個人に対する請求権はあるという韓国の被害者、政府の主張とダブる。過去の戦争は未来に向かって影を落とし続けるのだ。

日本と違い、ナチスの犯罪行為と向き合い戦後政治からナチスを一掃して隣国との友好関係を築きEU結成の指導的役割を果たしたドイツが、ポーランドの請求にどうこたえるのか注目したい。

 

     映画『ゲッベルスと私』

 

「ゲッベルスと私」はナチ宣伝相ゲッベルスの女性秘書だったブルン・ポムゼルの独白をカメラが追う。ヨーゼフ・ゲッベルスという人物は、国民社会主義ドイツ労働党(ナチス)の国民啓蒙・担当大臣としてプロパガンダを管轄し、大衆をナチス支持へと扇動した。

彼はユダヤ人にとっては身の毛もよだつ恐怖の人物だった。1943619日、ゲッべルスはドイツの首府ベルリンからユダヤ人を一掃したと発表した。ユダヤ人とわかると逮捕して強制労働所や絶滅収容所に送られ虐殺された結果である。195451日、第2次世界大戦終結間際、ヒトラーの自殺を追って相当地下壕で家族とともに自殺する(映画『ゲッべルスと私』、プログラム)

 

    ナチス党員だったが、自分は何も知らなかった

 

タイプライターが得意な彼女、ブルン・ポムゼルは、ナチ党員のユダヤ人の事務所で働き、ナチスが政権をとった後、勧められて10ライヒスマルクを投じてナチスに入党する。いつの間にかとか、知らないうちに協力したのではなく、自分の意思で積極的にナチスに協力した。彼女はこの映画公開の翌年2017127日に106歳で生涯を終えるが、撮影は今からわずか数年前の2013年に2回に分けて行われたのだという。101才にしては驚くべき迫力で自分の体験を語っている。

 

ポムゼルは31歳の時地元の放送局で秘書として高給で働くようになり、さらに1942年知人の紹介でナチ党の宣伝省に入る。ここではさらに高級をもって遇される。多くの国民が経済的にも困難な時代彼女の生活はかなり豊かで、仕事はナチスの犯罪行為に協力していた、のだ。忠誠心をもって上司に信頼されることに誇りをもって仕事をした。

 

そのゲッべルスについて「彼は見た目のいい人だった。やたらと洗練されていたわ」「最高級の布地で作った上等の服を着肌は少し日に焼けていて爪もとてもよく手入れされていたわ」と目を閉じて恋人を回想するように語る。

 

衝撃的なのは、ナチスの犯罪についての彼女の発言だ。「ゲッペルス宣伝相の身近にいて彼女はいろんな情報に接していたに違いない」と私でなくとも思うだろう。しかし彼女は「自分は何も知らなかった、「強制収容所は、政府に逆らった人や喧嘩をした人が矯正のためにはいる施設だと思っていた」「情報が制限されていた状態の人々は強制収容所の実態を知る由もなかった“みんな私たちは知っていたと思っている“」と。そうだろう、私もポムゼルが何も知らなかったなんて信じないし言わせない、という思いだ。

また、ポムゼルは「頻繁に、”もし自分があの時代に居たら、虐殺されていたユダヤ人を助けられたはずだ、”と言われるという。しかし彼らも私達と同じことをしていたと思う”という。

彼女は自己弁護に終始という印象である。アンナハーレントの言う“凡庸の悪”の1つか?

 

   良心を麻痺させ、目を背け…ドイツ大統領の演説

 

ワイツゼッカー大統領は1985年国会で演説した。

「目を閉ざさず、耳をふさがずにいた人々、調べる気のある人々なら(ユダヤ人を強制的に)移動する列車に気付かないはずはありませんでした。…犯罪そのものに加え、あまりにも多くの人たちが実際に起こった事を知らないでおこうと努めていたのが現実であります」「「良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし目を背け沈黙するには多くの形があります」「戦いが終わり、筆舌に尽くしがたい大虐殺の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人はあまりにも多かったのであります」と。

私はこの老婦人の自己弁護を聞いてこの言葉を思い出した。   

 

彼女のアップにされた顔も首筋も深いしわに刻まれていて、この映画を見た友人は「あの皺だけで嫌悪感を持ち、映画を見たことを後悔した」と語った。

私の父は105歳で一昨年亡くなったが、人種の違いはあるとしても肌はずっときれいでしわは深くも多くもなかった。ほぼ同じ時代を100歳を超えて生きた2人だが、彼女の顔には生涯に体験した苦しみが刻まれているように思えてならない。

 

         『ヒトラーを欺いた黄色い星

~「善き人」に匿われ地獄を生き抜いた人の記録~

Photo_2(映画・ 『ヒトラーを欺いた黄色い星』プログラム 

19432月、強制労働のためにベルリンに残されたユダヤ人が逮捕されユダヤ人がいなくなったとゲッペルスが宣言する。しかし実際には約7000人のユダヤ人が潜伏し、最終的には1500人が戦争と迫害を生き延びた。これはそのうち4人の物語である」(「『ヒトラーを欺いた黄色い星』プログラムより」)

ナチスのユダヤ人迫害を見て見ぬふりをしなかったベルリン市民が大勢いた。映画は、彼らをかくまえば自分の命が危ないことを承知しながら、いろんな方法でユダヤ人をかくまった「善き人」の記録でもある。

 

〇 ツイオマ・シェーンハウス~20歳で潜伏開始。親切な家主の女性に巡り合う。あまりにもだらしない性格で命の危機にも直面するが、手先の器用さを生かしユダヤ人向けの偽造身分証を大量に作成し多くのユダヤ人の命を救う。

 

〇 ルート・アルント~医師だった彼女の父親を娘の命の恩人と慕うクリスチャンの婦人に匿われ、その後はドイツ国防軍の大佐の邸宅のメイドに雇われる。ナチスの高官を集めて毎晩宴会を繰り返す大佐だが、彼女をユダヤ人と気づきながら掃除やメイドの仕事を与え匿う

 

〇 オイゲン・フリーデ~家族の中で一人黄色い星のバッジ(ユダヤ人識別用)を付けさせられる。共産主義者の家族に受け入れられ娘と淡い恋をする。ある時、収容所から脱走してきた男から「ユダヤ人を全員ガスで殺す」実態を告げられ、反ナチビラ作成の手助けをするようになる

 

〇ハンニ・レヴィ~両親を亡くし孤児で知人のユダヤ人と同居していたが一人収容所行きを免れる。美容院で髪を金髪に染め別人となる。出征真近の映画館主の息子に好意を持たれ母の話し相手を頼まれる。その母親に「自分はユダヤ人で逃げ場がない」ことを打ち明けると匿ってくれ本当の親子のような絆をはぐくむが…。

 

 この映画は、ナチスの蛮行を目や耳を塞ぎ、見て見ぬふりをしなかったドイツ人(「善き人」)も多数いたという記録である。(吉川春子)

 

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