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2018年7月

2018年7月31日 (火)

オウム事件死刑囚全員の刑の執行と死刑制度

   7月6日、上川法相の命令でオウム事件死刑確定者13名中7名が、そして7月26日6名の死刑が執行された。心神喪失の状態にあるのではないかと疑われる者(死刑が何たるかを理解できない精神状態とでもいうべきか?)、再審請求中の者も例外なく処刑された。死刑廃止の方向に向かっている国際社会からは、当然、驚きと強い批判の声が上がった。

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(写真・ー春日部の家のゴーヤの棚と実ったゴーヤ)3


 死刑廃止議連」

 

私は参議院議員在職中「死刑廃止議員連盟(死刑廃止議連)」に所属して活動していた。日本は死刑賛成の世論が強く、この議連は選挙の票を考えるとプラスになりにくいので、加入者はそんなに多くはなかったように思う。しかし、自民、公明、社会、共産党等全会派が参加し、死刑が廃止できないとしても執行停止は可能か…などの制度論も議論した。世界の潮流も死刑廃止、或は死刑制度は残しつつも執行停止に多くの国が傾き始めていた時期である。

 

 議連の会長が亀井静香議員だった時、私は「先生は何故、死刑廃止議連なのですか」と質問したことがある。それ以前亀井議員は建設大臣だった(現在は国土交通省)。建設問題で私は何度か亀井大臣に質問をぶつけたが、強面の答弁で辟易していた。なので死刑廃止という究極の価値観、人生観が私と同じとは不思議だった。

先生は「自分は警察畑を歩いてきたが、必ず犯人の誤認逮捕は生じる。その結果、誤って死刑判決が出れば取り返しがつかないから、死刑廃止論なのだ」との事であった。亀井議員の死刑廃止は筋金入りで、著書『死刑廃止論―死刑廃止は世界の流れ 死刑は何故廃止すべきか、国民的議論を呼びかける』(20027月花伝社)もいただいた。国会答弁の強面だけで人は評価できない。

 

ある時秘書から「吉川さんはオウムの麻原彰晃も死刑にすべきではないと考えるのですか?」と質問された。私は「麻原は死刑でいいけれど他の人の死刑はダメ、なんていう死刑廃止論はないわよ」と答えたが、オウム事件は、死刑制度存続の世論をさらに掻き立てるだろうとその時も思った。

これが契機かは判断できない。しかし日本は死刑制度の廃止に進む世界の逆をゆき、例えば少年にも死刑を適用すべしとか死刑肯定の世論が強まっていると危機感を持つ。


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(写真・春日部の家の庭を行く、セミの成虫) 

団藤先生の死刑廃止論の根拠

 

  ある時(1985年~90年代頃)死刑廃止議連で、高名な刑法学者・元東大教授

の団藤重光(だんどう・しげみつ)先生を講師として招き講演会を行った。先生の刑法理論を勉強した議員、官僚は多い。私も団藤先生の「刑法綱要」を繰り返し読んだ組だ。何をさておいても講演に駆けつけたが会議室はすでにいっぱいだった。 

 

先生は死刑廃止論を明確に述べられ、理由として裁判では誤審が絶対に防げない事を挙げられた。「後で真犯人が別にいた事が分かっても、処刑してしまえば取り返しがつかないのだ。(遺族への刑事補償が何の救済になろう)」。私はこの日の講演を深く心に刻んだ。

 

「思うに、残虐な殺人の現行犯を目撃した直後の者は、恐らく死刑を否定する気持ちにはならないであろうし、死刑の確定後既に完全に改悛して執行台に上がる前に祈りを捧げている犯人に接する者は、恐らく死刑を肯定する気持ちにならないであろう。…刑罰の裏付けとなっている事態には、変化がありうる。刑罰は根本的に動的な性格を持つものである。このような動的な性格に最も適切なのは自由形であり、最も不適切なのは死刑だと言わなければならない。かようにしてくわたしは、根本的に、死刑廃止論に傾かざるを得ない」(団藤重光著『刑法綱要総論』昭和37年・創文社第13刷発行)

 

  ドストエフスキー『白痴』

 

私・吉川は20歳代前半の時に、ドストエフスキーの『白痴』を読んで強い影響を受けて死刑反対になった。これは文庫本何冊かに及ぶ長編でストーリーはわかりにくい小説であったが、死刑囚の感じる死への恐怖が生々しく私の心に残っている。団藤先生は『白痴』にも触れている。私を死刑廃止論者にしたのは団藤先生の影響だったのかもしれない。

団藤先生は言う。「…死刑廃止論には人道的見地と刑事政策的見地がある。…前者(人道的な見地)には人間が人間を裁いてその生命を奪う権利を有するか、人間に生命を与える事の出来ない国家がいったいこれを奪うことを許されるのか、死刑は反文化的なものではないか、といった議論が追加される。

死刑への直面を身を持って体験したドストエフスキーが『白痴』で示している見解は、人道的見地からする死刑反対論に最大の文学的表現を与えたものといってよい、云々」

 

  マスメディアと死刑報道

 

オウムの13人の死刑執行について処刑の時期は天皇の代替わり前にとか、総裁選日程を考慮に、処刑の日程を決るなど論外で、絶対にあってはならない。

 

各紙ともオウム死刑囚の刑執行については大きな活字で、かなりの紙面を割いて報道はしている。処刑人数の多さの異常性、なぜこの時期の執行か?オウム事件はなぜ起きたか?について教訓が残されていない事への批判も共通している。

しかし国民世論の影響か、オウムについて死刑は当然、という雰囲気が各紙から漂い、死刑制度そのものについての深い言及はない。メディアと国民は相互に影響を与え合う。凶悪犯罪について死刑判決が出されないと遺族の「これでは故人が浮かばれない」という怒りのコメントをマスメディアはことさらに報道する傾向にある。現代の日本にも「目には目、歯には歯」は生きているのか。

その点でいうと、729日(日曜日)のTBS「サンデーモーニング」において死刑廃止について世界の潮流と日本の差について青木理氏が詳しくコメントしていたことは救われた。


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写真・長野県立科町蟹窪の農家の庭のオレンジの花。ムラサキツユクサ

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 朝日歌壇から(2018年7月29日)

 

 大きな事件があると必ず朝日歌壇にも反映され、時には本質を突き、或は感動的な歌が何首か投稿される。今回のオウム事件について死刑執行に関し3首が載っていた。内容が、肯定はしないが軽微な批判に留まるのは、て日本国民の間に「死刑制度」に関し必ずしも深刻な議論がされていない事の反映であろうか。

 

〇国中に大雨降る日選ぶごとオウム7名刑執行される(千葉市 鈴木 一成)

〇五輪前平成の中にの声あり人を死なすはタイミングらし(朝霞市 青垣 進)

以上、永田和宏・選

〇担任が卒業名簿をよむやうに法相は処刑されし名を告ぐ(春日井市 新海宏之)               以上、高野公彦・選

 

 死刑執行に抗議する集会―上川陽子法務大臣の13人の死刑執行を糾弾する

 

2018727日、東京都文京区民センターで処刑に対し抗議集会が開かれた。集会に参加した方から頂いた資料を見て感動し、心強く思った。6人の死刑執行のすぐ翌日、このような集会を即開く、関係者の機敏な取り組みは、死刑という野蛮な制度をいつの日か日本から追放するエネルギーとなると確信する。

 

「私たちはオウム関係者が引き起こした事件に強く反対するのと同じく、今回の一連の死刑執行についても強く反対します。私達は広く社会に向けて改めてこの様な殺戮の繰り返しや命を奪うことによっては何一つ問題は解決はしないこと、そして終身刑の導入など死刑を執行しなくともよい施策を真剣に検討することを呼びかけます」(同集会「抗議声明」部分)

2018年7月26日 (木)

安倍三選を許すな!

 この秋、自民党総裁選がある。安倍氏は三選に向けて意欲満々である。しかし、これほどひどい総理大臣が過去にいただろうか?私は第2次中曽根内閣の時に参議院議員となり、第1次安倍内閣まで24年間参議院議員を務めた。

その間総理大臣は13人変わった。①中曽根康弘、②竹下登、➂宇野宗佑、④海部俊樹、➄宮澤喜一、⑥細川護熙、⑦羽田孜、⑧村山富市、⑨橋本龍太郎、⑩小渕恵三、⑪森喜朗、⑫小泉純一郎、⑬安倍晋三、である。

野党共産党の立場で、一人の総理大臣に各々数回の質問をしているので、人柄や政治家としての力量、或は学力まで質問のやり取りを通じてたちどころに!わかる。もちろん相手も、吉川春子とは如何なる議員かを掴むだろう。国会質問はそうした意味で怖い。

 

私が安倍総理(在職2006926日~2007926日)に最後に質問したのは2007326日の参議院予算委員会総括質問。テーマは、「慰安婦」問題である。参議院予算員会での議員の持ち時間は、相手の答弁時間を含まないので、当弁者は自己主張を長々と展開できる。

しかしこの時は安倍総理は何を質問しても「吉川議員の言うことは、河野官房長官談話に記してある」「私は河野談話を継承している」と小さな声で答弁してすぐ席に座ってしまい、持論を全く展開しなかった。

右翼議員のリーダーとして教科書から「慰安婦」問題の記述を削除させ、2000年国際戦犯女性法廷のNHKのドキュメント番組を、官房副長官として干渉してつくりかえさせた迫力は、この時は全くなかった。総理になりたてで緊張していたのか(まさか!)。そして、この後半年後に安倍氏は総理を辞任している。

 

“ありえない!安倍三選”

 

2007年当時の安倍総理のおどおどとした態度は、今日の国会中継で見る彼のふてぶてしさとは隔世の観がある。

『週刊金曜日』(2018720日号)の特集“ありえない!安倍三選”、安倍晋三首相のデタラメ答弁 4つのパターンに見る前代未聞の悪質さ」によると、

ケース1 明らかなウソを平気でつく、

ケース2 質問と無関係な内容で質問者を攻撃する

ケース3 すぐにキレて質問者にヤジを飛ばす

ケース4 まったく意味不明の答弁をダラダラ続ける

 

質問と答弁は議事録に依っているので内容は正確である。

私だけではないと思うが、総理への質問は当然、一番神経を使うし、準備に時間をかける。たとえ30分間の質問でも1月以上前から、準備する。それに対してこんな不真面目な態度で臨まれることは許されない。こんなやり取りが今の国会で延々と続いてきたのだから、国権の最高機関は劣化し深刻な事態である。

 

    安倍総理の「お出かけ好き」…実は追及を免れる旅?

 

安倍総理は税金の浪費家である。安倍総理の外遊は131月から186月までの約5年半で計65回。ほぼ月1回ベースの外遊だ。第2次安倍内閣安倍内閣発足から16年5月まで40回分の外遊費総額は約87億7400万円、1回平均2億2千万円。ちなみに一番費用のかかるのは政府専用機で1回とばすのに1億円かかるとされる。65回の外遊をしているので現在までの総額は140億円超とされる。

…しかも安倍はこれまで疑惑や問題が発覚するたびに追及を逃れるように外遊を繰り返してきた。(野党からの証人喚問要求拒否している妻と手をつないでタラップを上る映像が何度テレビの映像に映し出されたことか)。

こんども西日本豪雨の最中、少なくとも7月7日までは66回目の外遊に行く気満々だったのだ。(同誌P15)

 

醜悪な「赤坂自民亭」

 

息をのむような大災害になった西日本豪雨。気象庁からはすでに豪雨の予想が出されていた7月5日夜、衆議院宿舎で自民党議員・大臣らの飲み会が開かれた。しかも本来ならこの間の悪い時の世間の目をはばかるべき出来事は、片山さつき議員と、官房副長官のツイッターへの投稿で明るみに出た。要するに本人たちは悪い事をしているとは思っていないのだ。

上から下まで、自民党は末期症状ではないか。「自民党議員は安倍官邸の顔色をうかがうばかりで、忖度とゴマすりが横行し、西日本豪雨など構っておられないという空気が蔓延している」(『週刊金曜日』)

 

<出席メンバー>

安倍晋三 総理

岸田文雄 政調会長

竹下亘 総務会長

小野寺五典・防衛相(自衛隊災害出動最高責任者)

吉野正芳・災害復興担当相

上川陽子・法務大臣~翌日オウム真理教関係者7人の死刑執行の署名済み

 

  死刑執行を翌日に 法務大臣が酒盛りに参加する これは人間ではない

 

豪雨の予報が出されていた夜、自民党議員が、総裁選と次の選挙の自分の当選を睨み、また、安倍総理との近さをアピールしたい議員らと酒盛り。総裁三選の手ごたえがあったのか安倍総理までもが、「和気あいあいでよかった」等とのんきなコメントを発した。

災害出動の責任者の防衛大臣、災害復興担当大臣、最大の犠牲者を出した広島が地元の岸田政調会長などが出席。

私が特に注目したのは翌日オウム真理教の死刑囚の死刑執行を前にしている、上川法務大臣の参加である。赤坂自民亭「女将」等とはしゃいでいる心境にどうしてなれるのか。この人、人間だろうか?

自らのサインで数人の命が国家権力によって奪われる。囚人・本人たちの苦悩を思ったら、署名は法務大臣の任務、とはいえ普通の心情ではいられないはずだ。かつては自民党の法務大臣(複数)も九〇年代、死刑執行許可の署名をしない(従って死刑執行はない)時期もあった。死刑制度の賛否はともかくとしても、自分の署名行為で人の命を奪うということについて、呵責・苦しみはないのか。宴会などに出ていられる心境に何故なれるのか。

 

国民は何故、こんな内閣と自民党を支持するのか

 

(私が参議院議員をしていた)1990年代~2000年一桁の時代と比べて、働く人にとって日本社会は確実に生きにくくなっている。

子どもを産みたいと思っても、産み育てにくい社会になっている。例えば、保育園も国の補助金が9割あったが1985年から徐々にカットされ今は、地方自治体に財政支出を押し付け、加えて保育園に子どもの遊ぶ園庭がなくとも保育所設置を認める等、保育園の質もどんどん落ちている。保育士も派遣、パート、アルバイトがふえ、正規職員でさえ賃金も低いままだ。企業が保育に参入し利潤を上げる保育所も出ている。

働く人々についても90年代初め迄は正規労働者が原則だったが、今や非正規労働者が男性でも5割近くかつ低賃金、身分不安定でいつ首(解雇)になるかわからない。

わずかに最低賃金は、私の時代は年に1円上げることも困難だったが、今は、今年度も56円引き上げられるように改善された。当事者や労働組合の頑張りの結果である。

他方金持ちはますます肥え太り、国民の間に格差が拡大していのに、安倍内閣の支持が4割もあるということが不思議でならない。

 

「小選挙区制と政党助成金で公認権と人事権を一手に握り党内の自由闊達な議論を許さない」ことが安倍1強の原因(『週刊金曜日』P24)であることは確かだが、こんなに安倍晋三氏のマイナス情報がテレビ、ネット、新聞、雑誌に溢れて国民も知っているのに、なお権力が揺るがないとすれば、選挙制度だけの問題ではないと思う。


しかし、日本の中に自民党・安倍内閣の横暴と闘う地道な努力をしている人々と、組織が少なからずある。私も諦めず、己の成すことを成す。

 

過日トランプ大統領が訪英した時、ロンドンは反トランプ・デモが活発に行われ、ロンドン市長も規制しなかったと報じられた。トランプ氏が来日したとして、国民の間から同じような大掛かりな反トランプ・デモが起きるか。起きたとして都知事はそれを黙認するか。

ローマは一日にして成らず。日本の民主主義は未だ日が浅いのかもしれない。

(吉川春子)

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(写真・春日部自宅のカサブランカ~同名の映画に思いをはせる)

2018年7月15日 (日)

参加者募集中!「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール・フィールドワーク

~日本軍の加害・人権侵害の歴史を学ぶ~

群馬戦争遺跡巡りと草津温泉への旅

旅行実施:20181028日(日)~29()  集合は東京駅

申し込み締め切り:8月末   費用:37,000

群馬県高崎市は1872年に地方の陸軍拠点になって以来、高崎連隊は日清、日露、シベリア出兵に出動し、1937年の南京事件の際には、高崎115連隊は上海制圧後南京城に突入し「南京一番乗り」をしています。また、「零戦」などを製造する中島飛行機製作所と、軍用飛行場があり、終戦直前の85日前橋、14日伊勢崎、高崎に空襲を受けました。

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(JR・草津駅)

<主な見学先>

【国立療養所「栗生楽泉園」・重監房資料館】草津町 

「重監房」とは、群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園の敷地内にかつてあった、ハンセン病患者を対象とした懲罰用の建物で、正式名称を「特別病室」といいました。 しかし、「病室」とは名ばかりで、実際には患者への治療は行われず、「患者を重罰に処すための監房」として使用されていました。

[重監房のあらまし]
  ハンセン病隔離政策の中で、多くの患者が入所を強制されたこともあり、患者の逃亡や反抗もひんぱんにおきました。このため、各ハンセン病療養所には、戦前に監禁所が作られ、「監房」と呼ばれていましたが、この特別病室は、それよりも重い罰を与えたという意味で通称「重監房」と言われています。
 重監房は昭和13(1938)に建てられ、昭和22(1947)まで使われていました。この、およそ9年間に、特に反抗的とされた延べ93名のハンセン病患者が入室と称して収監され、そのうち23名が亡くなったと言われています。60年以上を経た現在、この建物は基礎部分を残すのみとなっています。監房への収監は、各療養所長の判断で行われていました。これは、ハンセン病療養所の所長に所内の秩序維持を目的とする「懲戒検束権」という患者を処罰する権限が与えられていたからです。正式な裁判によるものではなく、収監された患者の人権は完全に無視されていました。

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(重監房跡・樂泉園内、瀬古由紀子さんと吉川春子)


[重監房資料館の目的]
  重監房(特別病室)の収監に関しては、その運用や手続きなど未だに不明な点が多くあります。重監房資料館は、こうした重監房とハンセン病問題に関する資料の収集・保存と調査・研究の成果を発表することにより、人の命の大切さを学び、広くハンセン病問題への理解を促すことで、ハンセン病をめぐる差別と偏見の解消を目指す活動をしています。(重監房資料館・ホームページ)

 ハンセン病違憲国賠訴訟原告団前会長の谺(こだま)雄二さんは「人権の故郷として残せ」と施設の保存を訴えました。日本はハンセン病患者を「国辱」として明治以来隔離政策をとり、1932年国立栗生楽泉園を開設しました。患者の結婚条件として「断種・堕胎」、独房の「重監房」の設置など、差別、人権侵害の事実を見つめます。

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(写真・谺さんを草津の病院に見舞う。この時は元気に回復した)

 

「中国人殉難者慰霊の碑」水上町・如意寺 名胡桃楽園 鳥越山

 

第二次大戦末期、日本政府は国内の労働力不足を補うため、38,935人の中国人を強制連行し過酷な労働を強いた結果、6,830人の尊い命が失われました。 月夜野の岩本発電所水路掘削工事では、中国人43名の方が亡くなり、当時の住職が故郷から遠く離れて死んだ中国人を哀れみ、 「死ねば中国人も日本人もない」と戒名をつけて手厚く葬りました。
1970年、建設委員会により当寺に「中国人殉難者慰霊の碑」が建てられました。 中国人の遺骨を安置した本尊をまつった須弥壇の裏側には、記録として墨書された板が現在も残っています。

 

{朝鮮人労働者慰霊碑}群馬県立公園「群馬の森」高崎市

碑は、戦時中に朝鮮半島から徴用され、重労働などで命を落とした韓国・朝鮮人を追悼するためのもので、碑には「記憶 反省 そして友好」と刻まれている。

毎年碑の前で追悼集会が行われていたが、碑の建立から10年後の20144月。同年1月末に、碑の設置許可の更新期限を迎えるにあたり、碑の設置・管理団体が県に申請した更新許可が保留になっている。2014425日の朝日新聞では、「許可更新、県が保留」「『政治的利用』批判受け」という見出しで、2012年の集会以降、県に碑の撤去を求める意見が寄せられていること、許可更新の申請を受けて、県が団体に集会の内容について見解を問うたことなどを報じている。

碑の存続のために団体が県へ提出した回答書や代替案が取り上げられることなく不許可が決まる。不許可決定の撤回を求める裁判で、地裁では原告が勝訴したが、県側が控訴して高裁で係争中。

宿泊は、草津温泉ホテル櫻井  

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(写真・草津湯畑の前で、瀬古由紀子さんと)

草津といえばすべての病(恋の病を除き)に効く超有名な日本有数の温泉です。5★ 3つの源泉かけ流し、30の大浴場ある最高級のホテル宿泊です。(以上・吉川春子記

<全行程、内藤真治さん「群馬県高校教育研究所」前所長)の知識豊富な解説つきです。歴史を学び、草津温泉でゆったりする旅に会員以外も参加大歓迎、お誘い合わせてご参加ください>

     【郵便申込先】 東京都文京区本駒込6-24-8-602 吉川春子気付

           「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール         

     【Fax】 03-3936-1743 (棚橋昌代) 

     【電話問い合わせ】090-4227-7478(棚橋昌代)  

   (代金振込)郵貯銀行 0270-5-140303 

    加入者・「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール(群馬旅行代金と明記)   

2018年7月13日 (金)

元「慰安婦」達の正義を求める運動を、歴史遺産として継承しよう

    第27回ゼミナール、第2回運営委員会開く


豪雨で西日本、中部日本が大災害後発生。こうした中、78日日曜日に東京千代田区の全国教育文化会館(通称・エディカス東京)で第27回ゼミナールを開催し69名が参加しました。大阪、名古屋から交通困難の中駆けつけた会員もいました。

午後1時からのゼミナールの講師は藤目ゆき・大阪大学教授です

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(写真・会場風景)

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(開会挨拶・吉川、右は藤目先生、左・司会の小林さん)

       日本人「慰安婦」はなぜ、見えなくされているのか 

藤目ゆき・大阪大学教授の講演は、元「慰安婦」たちの正義を求める運動の歴史遺産として継承、その運動の主体となるはずの日本人「慰安婦」が何故、不可視化されたのかという、興味深い内容だった。

初それに先立って「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールの吉川春子代表から開会挨拶と講師藤目先生の紹介を行った。

吉川代表は、2001年に野党3党の「慰安婦問題解決法案」を参議院に提案した時に被害女性からも外国議会や政府からだけでなく国内のNGOからも絶賛された法案に対して、藤目ゆき先生が同法案が日本人「慰安婦」を国籍条項を設けて排除したことを厳しく批判された事を紹介。自分もその点を譲歩した反省をしていたので、当時から藤目先生に注目していたとのべた。また藤目先生はフィリッピンのマリアロサヘンソンさんの手記を翻訳されたり(岩波書店)、「慰安婦」問題に独自視点での貢献をされていたと紹介した。

 

   キムハクスンさん名乗り出に感激

~苦界に身を沈めた日本女性に代わって、と受け止めた

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(写真講演する・藤目ゆき先生)


 

藤目ゆき先生は、自分は日本女性史を研究してきたが1991年、キムハクスンさんが名乗り出たことに驚き、感謝した。「慰安婦」たちは自殺したりして、生きているはずがないとと思っていた。彼女たちが生身で生きていたことに励まされたと、声を詰まらせながら述べました。そして苦界に身を沈めた事、少女時代に親戚にレイプされても「お前が悪い」と言われ沈黙してきた日本女性のための告白と受け止めた、と述べた。

1992年の国際会議や2000年の国際法廷でも「日本人はお金もらってそういうことされてもいいのか?」と問われたが、日本人は平気で娘を売って金もらっていた。それに甘んじていたから、「慰安所」の前に兵士が列を作っても平気だった。日本の奴隷制の根っこは公娼制にある、公娼制は奴隷制度であると強調した。

 

  やるべきことしない日本政府、これを許した国民にも怒り

 

日本人は民族差別があった。外国女性ならいいか。日本政府はきちんと謝罪していない。日本政府はやるべきことやらずに終わっている。これを許した日本国民にも怒りをもつ。また、日本の市民が、(同胞の)日本人「慰安婦」を名乗り出ることを助けなかった。

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    先ず外国人、という選択しなければ「法案」出来なかったと理解

 

また、野党法案については「自分は国籍条項の批判をしたが、先ず外国人、そういう妥協もしないと法案出来ない。「日本人を入れたいと思っていた(吉川が)」ことは嬉しい。

民主党が政権を取ったらかえって立法化がもつれてしまった。

其の他、「公娼と『慰安婦』は違う」という運動側の立てた論議が問題の闇を深くしているなど運動・市民側にも疑問を投げかけるなど、多くの指摘を行った。「慰安婦」問題に取り組んできた者として多くの示唆を受けた講演だった。

当ゼミナールでは次号第33号で藤目ゆき先生の講演の詳細を掲載する予定。

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(写真・閉会挨拶とまとめの大森典子副代表)


 

<第2回運営委員会報告>

201878100012:00、ゼミナールに先立って運営委員会が行われた。

出席者:19人(常任運営委員9人、運営委員10人)

欠席者:5人(常任運営委員2人、運営委員3人)

 

{報告事項}

 

Ⅰ 会員・財政(原・ペーパーによる報告)

 

会 員 数 580人(201872日現在)

次期繰越金 1,601,418

*当ゼミナール規約により2年間会費滞納者は退会扱い。41日総会を待って、6月末で締め切ることにしている。今回は、会費未納の多い県には会費納入の努力をしてもらった

〇「会費納入アピール」を出すことに決定した

 

Ⅱ 第27回ゼミナールについて

 

〇事前の宣伝として、お誘い葉書152枚発送、「週刊金曜日」、東京民報、赤旗のお知らせさんに掲載していただいた

〇プログラム

講師―藤目ゆき・大阪大学教授

開会挨拶・講師紹介―吉川、閉会挨拶・まとめ―大森、

フィールドワーク宣伝―吉村、司会-小林

 

Ⅲ 群馬県フイ―ルドワーク(吉村報告)

 

南京陥落時、高崎の15連隊が一番乗りした、という県である。ハンセン病裁判で患者側が2007年勝利、草津に100人住んでいる。権利要求戦いの歴史に触れる旅、重官房は必ず見てほしいところ」(吉村)

〇参加者現在 十数名。参加者は三十数名を確保したい

 

{議論の部}

 

Ⅵ 講演会共催の申し入れ(柴田)(添付資料)

 

常任運営委員の柴田さんから、「つどい」を埼玉AALAと「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールの共催で開きたい、との申し入れがあり了承した。

日時:20189814001630

場所:埼玉県加須市(東武線・

加須

(

かぞ

)

3分)

内容:第1部「朝鮮女性同盟の歌・舞、又は「二胡の演奏」、2部吉川春子の話し

 

Ⅶ 第28回ゼミナール・詳細は別紙(棚橋、笠井)

 

日時20181027日、文京区男女平等祭りの一企画・ワークショップとして参加する

 テーマ:南京事件 

午後13301530(午前は会場が借りられるか否か未定)

〇DVD南京、上海の旅上映(原さん制作) 

〇ワークショップ

・大森団長、旅の企画の趣旨

・参加者の感想

 小竹弘子・元都議(文京日中友好協会)、⑵菅間徹(大枚をはたいて!旅に参加した意味)、

 笠井恭子(南京で終戦を迎えた姉)、⑷後藤ひろみ(東京AALA・南京安全区について)

・」まとめ挨拶 吉川、・コーディネーター 棚橋

 

Ⅷ 今後の運動の進め方

 

910日(月)の第2回常任運営委員会で時間を取って議論する事になりました。

時間は10時~午後4時頃までの予定です。会場は追ってお知らせします。

<議論のテーマ>

8月の議事整理委員会で相談し会議前に連絡します。皆様からも事前にお色々なご意見・お考えをお寄せくださいますようにお願いします

(写真・会場から熱心な質問が寄せられた)26_2

720(写真・夏の夕焼け7時20分六義園7月13日)


 

2018年7月 1日 (日)

「女性参政権獲得」百年のイギリスの旅(最終)

 

 ~半端でない、イギリスの人権獲得の歴史~その5

 

マグナカルタ(1215年)から始まってイギリスの人権獲得の歴史は文部省の歴史教科書に詳しく載っていたので通り一遍の知識はある。それを再確認しさすがイギリス!と知った旅であった。

 

今年、イギリス国会前広場に初の女性の銅像

 

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  • 写真・ミリセントホーセットの銅像(2018年4月建立)

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  • 写真・台座にパンクハースト母と娘3人の写真(左から2つ目)

私たちは旅の3日目、6月9日(土)イギリス国会前の広場に、女性参政権獲得百年を記念して、今年4月25日建立された女性運動家であり経済学者であるミリセント・フォーセント(1833-1884)の像を見学した。国会前広場に女性の銅像の建立は初めてだという。

銅像は「どこでも勇気が勇気を呼ぶ」と書かれた布を手にした、ロングドレスのミリセント・フォーセットが国会の方向に向いて立っており、その台座には、多くの女性の著名人とともに、同じく女性参政権獲得目指して活動した、パンクハースト夫人とその3人の娘の写真も刻まれている。

除幕式にはイギリスのメイ首相(イギリス2人目の女性首相)も駆けつけ「フォーセットがいなければ私は今日首相としてここにいなかった。女性が議員となることもなく、私たちが現在享受する権利もなかった」と彼女をたたえる演説を行った。

フォーセットはジョン・スチュアート・ミルの思想に共鳴した。女性の大学就学に力を入れケンブリッジ大学のニューナム・カレッジ設立に貢献、1897年にNUWSSを結成した。彼女は.、過激な行動を展開したパンクハーストとは違ってリーフレットの発行、大会の組織や、ロビー活動等平和的な活動をつづけた。

 

国会の隣接地のエメリン・パンクハーストの銅像

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(写真・国会に隣接する公園に建つパンクハースト夫人の銅像)

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(写真・イギリス国会の建物。この建物の向こうにパンクハースト夫人の銅像がある) 

 サフラジェットのエメリン・パンクハーストの像は、ミリセント・フォーセットの銅像から歩いて数分はなれた、イギリス国会敷地に隣接する広々とした公園に建立されている。その台座には長女のクリスタベルの写真があるが、次女シルビアの写真はない。それは、方針の違いで母親と姉から追放されたシルビアは社会主義者になって、女性労働者の運動に加わっていったためか。私は理由を聞きそびれた。

 

今年マンチェスターにも、エメリン・パンクハーストの銅像建立

 

 今年の12月にはマンチェスター市の中心部にパンクハースト夫人の銅像が建つという。彼女の像建立に尽力した市議会議員が私達をマンチェスター市議会前の広場に案内し、パンクハースト夫人が右手をまっすぐ横に延ばしているミニチュアの像と同じ銅像が建立されると説明した。

 

 イギリス男性は「女性参政権付与」の運動の推進者

 

注目すべきはイギリスでは男性が女性参政権獲得運動の理解者・推進者であったということである。

『私の記録 婦人参政権運動の闘士=バンカースト夫人自伝』(エメリン・バンカースト著、平井英子訳 現代史出版会第1刷1975年)には次の記述がある。(下線は吉川)

イギリスでは、「1866年の選挙法改正(「世帯主選挙法」)通過…1832年以降初めての改正…年間10ポンド以上の家賃を払う世帯主に国会議員選挙権があたえられることになっていた。下院で審議中にジョン・スチュアート・ミルが『男性と並んで婦人の世帯主もこれに含める趣旨の修正動議提出→否決。…』『私の住むマンチェスターでは婦人の潜在的有権者総数四二一五人のうち、三九二五人が投票権を主張し、法廷では、後に私の夫となるバンカースト博士はじめ有能な法律家(法律家は全員男性、女性は当時なれなかった―吉川)たちが、この主張を弁護した』と。また、女性参政権獲得運動に参加した男性の組織も数十もあったという。

日本では男性が女性参政権獲得運動に加わった形跡はない。この点はイギリス男性の方がジェントルマン、といえそうだ。

 

近代的な母娘像?

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シルビア・パンクハースト研究所で英国女性の賃金格差、DV等について研究者の話しを聞く(前列左から2,3人目が教授)

 

パンクハースト夫人は3人の娘(3人目の娘は早く亡くなる)とともにWSPUを設立して運動をスタートさせた。しかし次女シルビアトとは袂を分かつ。

シルビアは破壊行為には消極的で母、姉を批判した。また、シルビアは労働者階級が多数を占めるイースト・エンドを活動の基盤としている。中流、上流の富裕層がおおいウエスト・エンドを基盤としている母親や姉とは考えを異にした。彼女は経済的差別に目を向けるようになる。(中村久司著『サフラジェット 英国参政権運動の肖像とシルビアパンクファースト』大月書店)

私は運動方針の違いのため、母親はたとえ娘であっても組織から追放してそれぞれが別の道を歩むというスタイルがイギリス的、合理的なものとして興味深く感じた。

また、男女を超えて参政権は女性にも与えるべし、という男性、インテリチゲンジャが日本の江戸時代、明治初期に当たる時代のイギリスには少なからずいた事も興味深い。

イギリスの社会、歴史を見直した旅であった。(吉川春子)


写真下・ゴッホのひまわりと、フェルメール(「ナショナルギャラリー」で)

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