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2018年6月

2018年6月28日 (木)

女性参政権獲得100年のイギリスを訪ねて、その3

 

   マンチェスター市議との懇談

 

     マンチェスターは、伝統ある労働者の町 

   

マンチェスターは人口541,319人、日本でいうと政令指定都市には入らない規模の中堅都市といえる。労働者の町である、労働党が圧倒的に強い。

最近上映された映画『マルクスとエンゲルス』のエンゲルスの父親が社長の工場がマンチェスターにあった。マッチ工場の女工のストライキが社会を揺るがした。

こうした労働運動だけではなく、女性参政権という、上流女性の要求運動も大きく発展したことは、相互に関連があるからであろう。

パンクハースト夫人は後の共産主義者となる次女のシルビアが女性労働者と連繫することを許さず、運動のたもとを分かっている。しかし、労働者階級の女性の戦いが、女性参政権獲得の一定の力として働いたことは否定できないだろう

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(写真上・マンチェスター市議会、写真下・市議会の廊下、天井が美しい)


 

サンドイッチのランチで懇談

 

12時市庁舎の建物の近くでマンチェスター市議会議員が10名参加して、私たち一行と懇談した。なかなかおいしいサンドイッチと飲み物(ジュース等)の軽食をとりながら日本人とイギリス人が56の丸いテーブルにそれぞれ交じって座った。(しかし、中には日本人の癖で自分の知り合いとだけで同じテーブルを囲んだりして、あとで仲間から批判が出た)通訳は中村氏。


 

議員の男女比はほぼ半数ずつ

 

 

市議会議員の定数は96人。そのうち女性が47人(48.9%)、男性が49人(51%)でほぼ半分ずつの割合である。女性議員が増えてすべての委員会に女性が所属しており、姿勢に女性の意見が反映されている。

マンチェスターでは選挙の供託金はない(0円)。だから女性の議員が多く立候補して当選できるのだ。日本とはえらい違いだ。日本は供託金がとても高く女性は立候補できない現実。

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写真・市議会を案内する議員と、通訳の中村氏


 

     市議会議員は無報酬!

 

マンチェスター市議会議員は報酬がない。だから全員が別に仕事を持っている。フルタイムは委員会の責任者だけで、この議員には特別手当がついている。

日本では市会議員は片手間では務まらない。年4回定例議会は条例や予算、決算でかなり忙しいし、専門知識が要求される。市議を経験している私は、無報酬で、他の仕事と掛け持ちをしていると聞いてとても驚いた。

マンチェスター議会は会期制だ。任期は普通は4年だが、1年、2年の場合もある。4年に3回選挙がある。最高得点を取った候補者は4年、2番目は2年、最下位は1年、というふうに。

 

イギリスにクオータ制がない理由

 

女性の地方参政権は、国政より数十年早く与えられている。女性議員を増やすことに各党の中央で取り組んでいる。女性50%、男性50%にして、勝てる選挙区に女性を立てる事に取り組むが、一方女性を優先的に立てることは男性差別という声がある。しかし、女性参政権が与えられて100年の歴史があるのに、イギリスの女性議員は3割強で、国際比較では最も多いグループではない。

クオータ制の法律はイギリスでは絶対作れない。反対の議員がいるから。また、クオータ制は憲法違反だという法律ができた。なかなか歴史は一筋縄ではいかないものだ。

 

女性参政権獲得百年、イギリスの旅その2

 

 

 

 

  過激な女性参政権獲得運動を知る旅

 

 

 

「英国の女性参政権運動は、穏健派「女性参政権協会全国同盟」(NUWSS)と戦闘派「女性社会政治連合(WSPU)の2大ライヴァル組織が相互に影響をうけつつ運動を織りなす」(川村貞枝他『イギリス近近現代女性史研究入門』)。

 

*「女性参政権協会全国同盟」NUWSSNational Union of Womens Suffrage Societies

 

*「女性社会政治連合」WSPU(Womens Social and Political Union)

 

 

 

 WSPUはサフラジェットと呼ばれ(揶揄され)、過激な行動もあえて辞さず女性の参政権を!と世論に訴え続けた団体である。その功罪は今も研究者の間では評価が分かれている。

 

 命がけで女性の人権のために戦った100年前の異国の女性達の意気込みに、現在女性の人権のために活動している私は、脱帽したのである。

 

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(写真・サフラジェットの旗の前で、水野、吉川―元全国労働運動史博物館)

 

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(写真・WSPUのメンバーはこのタスキをかけ胸にシンボルマークを付けてデモ行進した(吉川の洋服に掛ける)

 

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(写真は・タスキをかける江パンクハースト夫人) 

 

 今回私の参加した旅行はいわゆる過激派(WUSP)の運動をたどる旅であった。それは中村久司氏(著書「サフラジェット英国女性参政権運動の肖像とシルビア・パンクハースト」大月書店)が同行し、イギリス女性参政権獲得に至る歴史について詳しい解説付きであった。

 

 

 

  パンクハーストセンターを訪問

 

 

 

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(写真上・1903年この居間で「女性社会政治連合スタート、写真下・パンクハーストセンター所長と)

 

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写真・パンクハースト母娘が住んだ家

 

 

 

 

68日(金)午前中私たちはマンチェスターのパンクハーストセンターを訪問した。この日は休日だがセンターの責任者が私達を迎えてくれた。

 

1903年にパンク・ハースト(1858-1928)は、このこじんまりとした家の居間で、娘2人(長女のクリスタベル、次女のシルビア)と数人の同志とともにWUSPを立ち上げた。

 

エメリン・パンクハーストは両親の意向で当時(19世紀)としては珍しくパリのエコールノルマルに留学、十分な教養と知識を身に着けた。20歳で24歳年上の弁護士リチャード・マースデン・パンクハーストと結婚して13女が生まれた。夫は女性参政権運運動の支持者であったが、1898年に死亡し、エメリンはその活動を引き継ぐかたちで1903年に政治組織を設立したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(写真上・パンクハーストセンターの看板、写真下・パンクハースト夫妻の写真)

 

映画も描いた、過激な女性参政権獲得運動

 

昨年日本で公開された『未来を花束にして』はこのエメリン・パンクハースト率いるWUSPの過激な活動を一部フィクションを交えて映画化したものだ。エメリン・パンクハーストには女優のメルリストリーブがふんした。

 

(写真・映画「未来を花束にして」のジャケット、右端の女性がカトリーヌ・ドーブ扮するエメリン・パンクハースト)

 

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私は行きの飛行機の中で中村先生の著書を読破していった。イギリスの上流階級に属する女性達が中心になってかくも過激な行動が全国に広がっていったことに目を見張った。公共建物の窓ガラスの破壊、郵便ポストへ火を投げ入れ放火、そして逮捕されると断食で自死を辞さないそうした戦いを多くン女性が展開していった。

 

学校にも通い教養あるある女性達、服装もペチコートにロングドレス、髪には帽子をかぶった上流階級の女性達を過激な行動に走らせた参政権獲得運動は、日本のこの時代の女性の地位、社会の認識からは到底考えられないものだ。

 

しかも官権の弾圧も過酷である。女性達を乱暴に逮捕、投獄し、彼女たちがハンガーストライキに出ると、無理に口をこじ開けて食物を胃に流し込む。しかし殺さないうちに釈放して体力の回復を待つ「猫・鼠法」の施行する等、容赦しない。私はイギリス女性のイメージが変わった。

 

2018年6月23日 (土)

英国女性参政権獲得百年と、日本の女性政治参加の現状~エメリンパンクハーストを訪ねて    

 <今年、英国・女性参政権獲得百周年>


 英国議会前にサフラジェットの旗がひるがえり、

各地で記念行事、銅像建立の計画

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(写真上・イギリス議会前広場に翻るサフラジェットの旗―イメージカラーは紫、緑、白の3色、写真下・運動のリーダー、エメリン・パンクファーストのモザイク写真)

 

 私は6月7日から12日まで、水野磯子さんら、名古屋、岐阜、中部地方の女性の皆さんとともに、英国女性参政権獲得運動について学ぶ旅をして、サフラジェットと呼ばれる過激ともいえる参政権獲得運動の活動に触れました。

 サフラジェット(女性参政権獲得運動家)発祥の地、マンチェスターで、そしてロンドンで、イギリス女性参政権獲得百年を記念する行事があちこちで行われています。

昨年2月、日本で映画『未来を花束にして』が公開され、私は女性の政治活動が劇映画の題材になる事に驚き、又はメルリストリーブの演じるエメリン・パンクハーストに感動しました。今回の旅で、この映画が製作される土壌がイギリスにはあることを実感したのです。

 

今回、彼女らのゆかりの地を訪問し、ミュージアムも見学し各種資料に触れました。参政権獲得運動の中心はパンクハースト親娘はじめ、上流階級の女性で、一定の教養・学問知識のある女性達です。デモ行進といえばペチコートを履いたロングドレスに、髪には帽子を付けた女性達がデモ行進し、過激な行動に走るという、私のイメージする、あるいは見聞きし体験した日本のデモ行進とは異なる趣である。

長い苦しい戦いの末に勝ち取った女性の権利。さすが民主主義の国!との実感を持ちました。

  年表で過去にさかのぼると以下のようになる。

 

<イギリス女性参政権獲得までの動き>

 1928年

男女平等普通選挙権の成立

 1918年

国民代表法による女性参政権の成立~戸主または戸主の妻である30歳以上の女性に選挙権与える

・1903年

「女性社会政治同盟(WSPU)マンチェスターで創設

・1869年

地方自治体の選挙権が女性納税者に与えられる

・1865年

ジョン・スチュアート・ミルが選挙公約に、「女性参政権」を掲げ議会選挙に出馬・当選

 

  <日本女性の女性参政権獲得>


 

日本はイギリスに後れること37年、太平洋戦争敗戦後に、194510月女性参政権が認められました。明治維新以来、女性参政権なき日本は戦争に次ぐ戦争の明け暮れでした。

これに比して、女性が参政権獲得後の73年間は戦争は1度もありません。以下年表を示します。

 

    <女性参政権がない日本、戦争に明け暮れた

~明治維新~1945(昭和20)年まで~>

 

1898(明治27)年

日本、清国に戦線布告・日清戦争勃発

  1902(明治37)年

日本、ロシアに宣戦布告・日露戦争勃発

  1914(大正3)年

日本がドイツに宣戦布告(第1次世界大戦)  

  1918(大正7)年

シベリア出兵(英、仏、米がソビエト革命干渉戦争)

  1919(大正8)年

平塚らいてう、市川房江らが「新婦人協会」設立し女性参政権要求運動を開始

  1921(大正一〇)年

第四四通常国会に、男女平等選挙権を認める「衆議院議員選挙法改正」の請願書提出

  1931(昭和6)年

柳条湖事件(満州事変勃発)

  1937(昭和12)年

盧溝橋事件(日中戦争~1945)

  1941(昭和16)年

日本軍ハワイ真珠湾を攻撃(太平洋戦争勃発)

  1945(昭和20)年

8月、天皇終戦の詔勅

10月、女性参政権を認める閣議決定

 

    <日本は女性議員数が最低の国>

 

 女性参政権を得て、73年もたつのに女性議員が一向に増えない日本。世界の中で最低レベルです。

 国際比較をしますと、

女性上院女性議員数の

1位―ルワンダ~下院の女性比率61.3%、上院の女性議員38.5

14位―フランス~       39%、        29.3

39位―イギリス~       32%、        25.7

99位―アメリカ合衆国     19.4%、       21

157位―日本         10,1%        20.7

世界平均下院(衆議院)23.6%。上院(参議院)    23.2

 なんとも情けない現状です。

 

   日本に女性議員を増やす契機が!

 

今年5月に、政治分野における男女共同参画推進法」が成立しました。クオータ制を推進するNGOと超党派議員の長年の努力が実ったものです。女性議員を増やす契機となることが期待されます。

「政治分野における男女共同参画推進法」

目的

 男女が公選による公職(議員、知事、市町村長等)又は、総理大臣その他の国務大臣にあるものとして、政策決定参画の機会を確保される事が、多様な国民の意見が的確に反映されるため一層重要であり、政治分野における男女共同参画を積極的に推進し・・・民主政治の発展に寄与する 

第二条

 ①衆議院、参議院議員選挙、地方公共団体の議員の選挙において、政党その他政治団体の候補者選定の自由を確保しつつ・・・男女の候補者の数ができる限り均等となることを目指して行われるものとする

 ②政治分野における男女共同参画の推進は・・・性別による固定的な役割分担を反映した社会における制度または慣行が政治参画推進に及ぼす影響に配慮して、男女が、その性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮できるようにすることを旨として行われなければならない

③政治分野における男女共同参画の推進は、男女がその性別にかかわりなく、相互の協力と社会の支援の下に・・・活動と家庭生活の円滑かつ継続的な両立が可能となることを旨として行われなければならない

     ~~~~~~~~     ☆     ~~~~~~

 さて、こうした日本から英国女性達の過激な選挙権獲得の運動を見ると、強い衝撃を受けました。次回以降は彼女たちについて少し具体的内容に触れます(以下次号

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(写真・戦争博物館・ロンドン)


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(写真・戦争博物館前で)


 

2018年6月 3日 (日)

NHKスペシャル・「ミッシィングワーカー、働き盛りが働けない」の衝撃

 

201862日NHK第1テレビで、親の介護が引き金になり働く意欲を失ってしまった…非正規・中高年の苦難を描く番組が放映された。ミッシングワーカーとは労働者性を失った人々、ということか。働き盛りが働く意欲も場も奪われて行く…日本の暗部に愕然とした。

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(写真・千曲川(上田市)の堤防に咲くムラサキツユクサ、2018年5月22日撮影)

 

         親の介護が人生を狂わせる

 

50歳代の男性の母親の介護をしている、身なりに構わない息子の姿と、乱雑以上の足の踏み場もない部屋のわずかなスペースにベットを置いて暮らす様子が映し出される。この環境で日々生を繋いでいる姿に胸がつぶれる。

〇また別の50代の男性は、仕事を止めて両親を介護する。両親の年金が26万円あったのでこれで生活ができると判断した。父親が亡くなり年金が16万円に減って苦しくなったが、母親の介護を引き続き行う。そして母親も亡くなり一人になって働く障碍はなくなるが今は働く意欲が全くない。自分で料理をするが全く調味料を使わないのだという。どこから見ても「健康で文化的な生活」(憲法26条)に程遠い。

〇契約社員として役所で働く女性。契約期限は待ったなしに来て仕事を失う。北海道に90歳代の父親がいて、時々北海道にかえって父親の面倒を見て、買い物もするのできちんとした職には着けない。父親に施設に入ってほしいが、父親は「死んでも自宅を離れない」と言う。娘の人生をどう考えるのか?と私は心の中で父親に向かって叫んだ。

 

       統計に現れないミッシングワーカー

 

統計によると失業者は72万人だが、ミッシングワ―カーは103万人も居るのだという。彼らは失業者にカウントされていない。失業者とは「職業安定所で求職活動をしている人の人数」なので、働くことをあきらめてしまって職を求めて職安にゆかない人々は失業者ではないのだ。

こうした点を見ても失業率の多寡だけでは雇用情勢や景気は推し量れない現実がある。

それにしても働き盛りの4050代が社会からドロップアウトしてしまうとは日本の社会の病巣は深刻である。

 

NHK番組に登場した人々の共通点は、非正規労働者である事、或は最初は正規労働者であっても何かのきっかけで非正規労働者に転落した人々であるという点と、結婚していないので独身で支え合う家族がいない点である。政府のセイフティネットがない、家族という最後の砦もない人々である。(自民党改憲草案は憲法24条改定に「家族は助け合わねばならない」との文言を書き込もうとしている)

 

労働者・国民のセイフティネット切断の歴史

 

日本社会は1980年代から、国民のセイフティネットを次々と細くし、或は切断していった。

その一 

先ず1985年は労働者派遣事業を合法化。セイフティネット切断の元年ともいうべき年である。

戦前、小林多喜二の『蟹工船』で過酷な状況下で働かされる労働者を描いているが戦後はその反省から派遣労働は刑罰(懲役刑)をもって禁止されていた。それを財界の要求で合法化し不安定雇用、非正規労働者を大量に増やし続けて今日に至っている。

 

その二

“期間の定めのない”雇用契約の原則から、有期雇用契約(定めのある)原則へ

1990年代は「規制緩和」が荒れ狂い、財界・使用者の要求で、労働者権利保護の労働基準法など労働法の規制緩和を大幅に進めた。

それまでは正社員が中心で期限付きは例外だったが、先ず雇用期間を「3年~5年」とする有期雇用が認められた。そのうちに契約期間はどんどん短縮されて半年かそれ以下の雇用契約も有効にされるようになった。

非正規労働者が女性の場合は50%以上になっている。非正規の場合は健康保険、年金等の社会保険に入っていない(企業が入れてない)ケースが多い。企業にとって非正規雇用の“醍醐味”は社会保険の企業負担を払わずに済むことである。

NHKテレビに登場した人々は親の年金で暮らし、親が亡くなっても、自分の年金はかけていないのでない。

 

その三 特別養護老人ホームの有料化

 私は候補者の時の肩書は共産党・社会福祉対策委員会責任者だった。1980年以降当選迄、二年余の候補者活動で一〇〇カ所以上の各地の特別養護老人ホーム(「特養」)を地域の共産党の案内で見学した。

当時特養は無料で誰もがタダで入れた。参議院議員時代は厚生委員会は在籍していないこともあって、何時から有料になったかは定かではない。

私の父がお世話になったキリスト教系の「特養」は10万円ちょっとでとても行き届いた介護をしていただいた。

今それは安い方で月額12,3万円以上は普通である。テレビに登場した人々は有料化された特養に入所する費用がなかったので、やむを得ず仕事を止めて自分で親の面倒を見た人々だった。

 

ミッシングワーカーを産みだす背景

 

 2次大戦で無条件降伏した権力が徐々に立ち直り、日本国憲法で保障された国民の民主的権利を露骨に奪ってゆく時代が1980年代から始まったのだろうか?

犯罪だった派遣労働を合法化し、安定雇用の原則を不安定雇用に変えて企業は何時でも労働者を解雇できるようになり、社会保険の負担を負わない労働契約を原則にして、福祉の分野では特養を有料化する・・・そうした一連の事が社会的弱者の立場に立たされた人々の人間としての暮しを奪ってゆく。

 

 NHKのこの番組は救いがない。未来が見えない。しかしこれはNHKの責任ではない。何らかの弥縫策で改善できる問題ではないからである。

 いかに少子化が危機といっても、それは数年かけて、財界の利益追及に従ってきた政治の責任である。きびしいかもしれないが、その時々の政策を支持し、政権を支持した国民の責任にも目を塞いではなるまい。

 

解決策は社会の変革しかない。(吉川春子)

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