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2018年3月

2018年3月28日 (水)

金子兜太氏とトラック島の「慰安所」、そして男性のセクシャリティ

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(金子兜太氏の熊谷市の自宅にて2011年4月、兜太氏の右・吉川、後ろ大森典子弁護士)

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(写真・金子兜太氏からいただいた著書『荒凡夫 一茶』白水社2012年)

 

     一茶に似た句風?の兜太氏

 

220日、俳人の金子兜太氏が誤嚥性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため98歳で亡くなった。朝日新聞の俳句の選者として、また近年は東京新聞平和の句の選者として90歳を過ぎてなお活躍をされていた。心からご冥福をお祈りする。

私は「議員をや止めたら暇で時間を持て余す」と一時期知人から俳句の手ほどきを受け、我が郷土の俳人一茶も何冊か読んだが、兜太氏の句風はどこか、一茶に似ていると感じることがある。一茶がエルや、スズメなど小さい生き物に共感し、兜太氏は反権力を貫いているからかもしれない。兜太氏は戦後日銀に復職しても労働運動に関わり出世街道を歩まなかった。

金子兜太氏が太い筆で「安倍政治を許さない」と揮毫しそのコピーをプラカードに掲げ、カバンに括り付けて多くの人々が、安倍内閣の戦争へと暴走する政治へ抗議の意思を表明していた。

 

金子さんは熊谷市在住だったので、埼玉県から国政選挙に出馬した私は自宅にご挨拶に伺ったことがある。私が30歳代の頃である。

二度目の自宅訪問は2007年に参議院議員をリタイアした後に、金子さんの熊谷高校のずっと後輩にあたる、秩父市在住の藤元勝夫さんに案内していただいて、大森典子弁護士と一緒に熊谷市のお宅を訪問した。

 

    「慰安所」に通わなかった兜太氏

 

きっかけは、私が参議院議員会館で、元軍属の松原勝氏の講演を聞いて金子さんもトラック島にいた事を知った。松原氏はご自身の「南国寮出入證」(「慰安所」の入所カード)を示し勇気をもって「慰安所」の体験を証言した時に、金子兜太さんにも言及されたからである。

金子さんは大学を出てすぐ、太平洋の真ん中のミクロネシアのトラック島に海軍中尉として赴任していたが、「自分は慰安所には通わなかった」と著書(『二度生きる』)に書かれている。

どこでも「慰安所」の前には日本軍将兵が列をなしたと聞いていたので、そこへ行かなかった軍人がいた事に驚いた。

 

金子氏は人なつこく、政治の話しもお好きで、ちょうど3.11の福島原発の大事故の直後、総理大臣だった官直人氏に対する厳しい批判と、官降ろしが民主党内からも、野党自民党からも撒き送っている時だったので私にこんな質問をされた。

「福島原発のメルトダウン事故に対して菅総理はとても頑張って居ろと思うが吉川さんはどう思うか」と。

「私も同感です。原発事故は自民党が推進してきた原発政策の結果で、民主党の責任ではない。誰が対応してもこんな事故に有効に対応できない。自民党もよく言う、と思います」

私は率直に、トラック島の責任者で、「慰安所」の責任者でもあった金子さんが、何故「慰安所」に行かなかったのか、と伺った。

金子さんは、「自分は絶対に「慰安所」には行かないと決めて、赴任した。人間はそう決意するとできるものです。慰安婦の性病検査には立ち会いました」と言われた。

そしてご自分の著書でも次のように記している。「次の二つの事柄に関しては、戒めに近いものを戦地で自分に課しました。それは女性と食い物に関してです。トラック島には従軍慰安婦が大勢いましたがサイパン陥落後は、彼女たちは本国に返され島からは慰安婦の姿は消えました。すると兵隊や工員の中からは島のカナカ族の女性のところに忍び込んで欲望を遂げようとするものが現われ始めました。」士官という特権を利用してカナカ族の女性と夫婦関係をもったり、あるいは忍び込んで通っていたのです。」(「二度生きる」金子兜太著2005

 

トラック島の「慰安婦」~『流人島にて』(窪田精)より

 

それではトラック島にはどのくらい「慰安所」があったのか。作家の窪田精氏の小説から拾ってみる。高級軍人も、下士官も、兵士も、工員も、軍属に至るまでそれ用の「慰安所」があり、日本と朝鮮女性の「慰安婦」がいたという。1992年 新日本出版)

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(窪田精著『流人島にて』)

 

☆外交屋の行き先は、陸上基地の金剛山―コブ山の裏側にあるメッチテニ村という元島民部落であった。そこには海軍施設部の軍夫達の宿舎があった。日本人や朝鮮人の女たちがいる慰安所などもあった。

 

☆夏島には、海軍の高級軍人用の料亭が、いっぱいあるんじゃ。1軒や2軒じゃねえ。10軒近くもあるそうじゃ。一応民間業者の経営という事になっておるが、海軍の直営みたいなものじゃ。日本から連れてきた芸者がおおぜいおるらしい。ここには水兵や下士官は一切近寄れねえ。割烹料理―などと言っても、実際は慰安所じゃ。高級軍人専用の酒池肉林の社交場じゃ。

 

☆「夏島には一般水兵や下士官、軍属などの専用の慰安所もあるんじゃ。」

・・・・

「うちの部隊の看守たちの話によると、南星寮とか南国寮とかよばれる、ハーモニカ長屋のようなバラックが何列も立ち並んで、おおぜいの女たちがいるそうじゃ。」

・・・

「そこも士官用、水兵や下士官、軍属工員用などの分かれているそうじゃ」

「慰安所も、階級別になっているんですか」

「そのとうりじゃ。前者の方は日本人女性が主じゃが、後者の方は朝鮮人女性が多いという話だな」

「日本人女性の多くは本土の各地で芸者置屋や遊郭などにいた女性が、溜まっている借金を海軍に払ってもらうという条件で連れてこられているんじゃ。海軍が業者の親方を使って、女の売り買い―女衒をやっておるんじゃ。もとをさぐれば、みんな貧しい農村や漁村の子女じゃ。親の事情でそういうところに身を沈めた女たちが多いんじゃ」…

「朝鮮人女性の中にはひどいやり方で連行されてきているものもいるそうですね」

「そのとうりじゃ。朝鮮の奥地の村から女子愛国奉仕隊募集とか、特志看護婦などの名で騙されて強制連行された娘などもいるらしいのう」…

☆「春島の南風寮の方は日本の女が7割、朝鮮の女が3割といったところらしいのう。ここも、士官用、水兵や、下士官用、軍夫用と別れているそうじゃ」…

 

まだまだ記述は続く。日本の軍隊は中国、東南アジアの諸国のみならず太平洋のミクロネシアの島々にも「慰安所」をつくっていた。金子氏によると女性達は戦争が激しくなる前に日本へ送り返されたという。しかし城田すず子さん以外は名乗り出ていない。

何故日本の軍隊は「慰安婦」を必要としたのか。「慰安婦」制度解明のためには男性のセクシャリティの面からも迫る必要があると思う。(吉川春子記)

2018年3月 4日 (日)

憲法から「慰安婦」問題を考える~神奈川県相模原市での集会に多勢の方が集まる

集会テーマ

「憲法から『慰安婦』問題を考えてみませんか~憲法24条改悪による国の『家族』『性』への介入」 

2018217日(土) 於:ソレイユさがみ(相模原市立男女共同参画推進センター)

講師:吉川春子「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表

主催:「慰安婦」問題を考える市民の会 

 京王線橋本駅に降り立つと、目の前に大きな相原高校の建物がみえた。相原高校はリニア駅の設置予定(平成39年)を目途に、この学校の用地を中心とした「優先的に土地利用を図る地区」においてまちづくりをするという相模原市の方針で、移転させられている。駅前の農業高校ということで人気もあり、評判のよい高校だ。今回の会の主催団体の責任者櫻井さんは、リニア駅設置反対運動もされている方だ。

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(相模原市”ソレイユ・さがみ”セミナールーム1で講演する吉川)

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(「慰安婦問題を考える市民の会・代表・桜井真理さん挨拶。後は同会の桜井裕司さん)

 「女性の政治参加の遅れ、貧困、性暴力、性売買などの日本の現状、なぜ日本では女性の地位が低く、女性の人権意識が定着しないのか。今こそ、憲法に立ち返り、憲法から「慰安婦」問題を考えてみよう」というこの会呼びかけが多くの方々の胸に響いたのか、62名の参加だった。 当ゼミナール作成DVD「15のときは戻らない・ナヌムの家のハルモニたち」上映の後、パワーポイントで写真や資料を豊富に示し、「慰安婦」制度の歴史から現代の問題まで幅広く吉川春子代表が講演し、大変好評だった。

 

◆吉川春子さんの講演内容

1戦争と「慰安婦」として「慰安婦」制度の歴史

 

1928年不戦条約で戦争禁止ルールの登場で、日本は宣戦布告なしの「満州事変」(1931)、「上海事件」(1932)を起こす。上海に第1号「慰安所」、大一サロンを設置。現存するその建物の外観を当ゼミの昨年秋の上海・南京へのフィールドワークで見てきた。吉川さんが参議院議員当時、政府から提出させた内務省資料によると、明らかに軍が関与して、醜業(売春)を営む女性が4千人を日本から上海に送られた。以後アジア諸国侵略地に次々に1千か所(吉川の大まかな推計)設置。南京では、当時の慰安所の建物を改修した南京利済歳巷慰安所旧址陳列館では、日本人「慰安婦」と朝鮮や中国の「慰安婦」たちが収容されていた現実をまのあたりにした。慰安所設置の動機は、兵士の性病予防、強姦防止、ストレス解消だった。究極の女性蔑視である「慰安婦」の存在は戦争だから仕方がないという考えは許せない。先日亡くなった金子兜太さんは自分は絶対に慰安所に行かないと決めていたので行かなかったと私に話した。戦争では女性の性が痛めつけられる。太平洋戦争の反省から憲法9条を制定。戦争放棄する(交戦権を含めて)という9条に最も感動しているが、9条こそまさに女性の人権規定である。

 

2 戦後の「慰安婦」問題と日本の対応

 

1991年金学順さんが名乗りで、12月東京地裁に提訴した。戦後、日本人は、満蒙開拓団や空襲など戦争の被害者であることは認識していたが、初めて加害者であることを突き付けられたのが「慰安婦」問題である。日本軍兵士は慰安所利用したことをほとんど口をつぐんでいる。韓国で次々と「慰安婦」たちが名乗りで、1993年の「河野談話」で軍の関与、強制連行を認め、全ての国籍の「慰安婦」に謝罪、教育をすすめることを表明。1995年村山談話、97年には全ての歴史教科書に「慰安婦」が記述された。それに反発したのが今の安倍首相。今は1社の教科書しか「慰安婦」の記述はない。アジア女性基金事業を2007年まで行った。アジア女性基金では被害者に「償い金」「福祉支援金」を一人当たり5百万円支払い、総理大臣のお詫びの手紙を渡した。これを受取るか拒否するかで、韓国では被害者が二分された。吉川さんなど野党議員が立法解決のために努力。1999年は共産党の単独法案、2000年から2008年まで共産、民主、社会の野党3党が「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」8回提出。

20151228日「日韓合意」では、日韓外相が「最終的不可逆的解決」を「確認」。日本は政府の責任を認め、以前1995年の「償い金」が日本国民のカンパによるものであったことが強い反発をうけたので、政府の資金で韓国の財団に10億円拠出。しかしこれで最終的解決とは当然いかない。韓国政府はソウル日本大使館前の少女像問題解決に努力するとしたが、現在文大統領が合意交渉では解決できないと表明している(注・日本政府はウイーン条約をたてに「少女像」撤去を求めるが、それが一層韓国国民の感情を逆なでしている)。

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(写真・セミナールームの会場風景)

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(写真・素晴らしい設備の会場でパワーポイントで説明する吉川)

3 「慰安婦」制度を可能にした戦前の家父長制。それを崩壊させた日本国憲法24条~自民党改憲草案、24条変更をねらう

 

戸主が女性の殺生与奪の権を握るシステムである戦前の家父長制が、「慰安婦」制度を可能にした。貧困から親に少女たちが遊郭に売られ、その遊郭から海外に「慰安婦」に送られた。憲法24条は婚姻の自由を認め、憲法14条の両性の本質的平等の原則を夫婦関係に適用している。自民党改憲草案では、現行の憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」の「個人」を「人」に、24条については家族を社会に基礎的な単位とし、「家族は互いに助け合わなくてはならない」と追加し、個人より家族を尊重し、家族のこと(育児、介護等)は家族間で解決しろと突き放し憲法25条とも矛盾する規定となっている。24条改憲に力をいれているのが右翼的民間団体・日本会議。婚姻は「両性の合意のみ」を「両性の合意に基づいて」に変更し、本人以外の他人の同意を必要とできる余地を残す。

 

4 日本人「慰安婦」調査~ビルマ従軍軍医作成名簿による日本人「慰安婦」調査

 

吉川さんは当ゼミナールで2 0163月~201710月とりくんできた日本人「慰安婦」調査について報告。(詳細はこのブログですでに掲載)。 吉川さんに託された「名簿」上のビルマの9人の日本人「慰安婦」女性たちの本籍地に到達したのは4人。女性たち全員が遊郭出身とみられる。家族たちは女性たちがビルマに行っていたことは知らないという。当ゼミナールの「日本人『慰安婦』調査チーム」の訪問地の近隣、男性が集まるところには必ず遊郭があった。韓国ではたくさんの方が名乗り出ているのに、日本人「慰安婦」はなぜ名乗り出られないのか、それが日本の大変遅れている部分だ。

 

5 性暴力被害者が名乗り出られる日本社会へ

 

 今海外で“#Me Too”運動(私も性被害にあった)が広がっているが、日本では性暴力被害者が名乗りをあげられない典型が「慰安婦」である。現在、伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長から刑法准強姦被害をうけ、逮捕状が裁判所からでたのに安倍首相の友達だからか執行されなかったため、民事裁判を闘っている。刑法改正で強姦罪が親告罪でなくなり、父親の性的暴力も犯罪とされた。性暴力の被害者がなのりでられるような社会にしていくことが、「慰安婦」も名乗り出られる社会だと考えている。

 日本政府はもちろんだが、まず国会が立法解決をしなくてはならない。憲法24条と“#Me Too”運動、「慰安婦」問題をセットにして日本の女性の人権が守られる社会にしていくように頑張っていきたい。  (まとめ 事務局長/棚橋昌代)

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(東大付属・小石川植物園の梅は満開)

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