映画「否定と肯定]―文句なく面白い、上等な娯楽映画
(イギリス・アメリカ合作 110分 原題・DENIAL(否定))
ユダヤ人歴史学者と、ホロコースト否定論者の対決の映画化
最近私の見た映画の中では、間違いなく最高に楽しめた映画である。
「あったことをなかったことにはできない」とは前川文科省元事務次官の名セリフだが、この種の企みは当の東西を問わず繰り返し起きるものらしい。明々白々の歴史的事実を否定し、これに反論されると裁判に名誉棄損で訴えた「学者」がいた。実話の映画化である。
映画のストーリィ
イギリス歴史学者デイヴィッド・アーヴィングは「大量虐殺はなかった」とする”ホロコースト否定論”を展開していた。ユダヤ系アメリカ人女性歴史学者、デボラ・E・リップシュタットは、これを看過できず著書「ホロコーストの真実」で、アーヴィングを「ナチスの擁護者、事実を曲げたヒトラーの崇拝者でホロコーストはなかったという主張を裏付けるため証拠を捏造した」と非難した。
これに対しアーヴィングは、1996年9月5日英国高等法院に、「この本が彼の動機と能力を攻撃し、歴史家としての彼の評価を貶めるのに一役買った」として、名誉棄損でリップシュタットを提訴した。イギリスでは名誉棄損は原告がその事実を指摘するだけでよく、名誉棄損の事実を否定する責任が被告の側にあるというのだ。
裁判は2000年1月11日に開始され、32日間続いた。判決は2000年4月11日に下った。裁判を担当したチャールズグレイ判事は334頁の判決文でアーヴィングが第2次世界大戦に関する歴史的記録を体系的に歪曲したとのべて被告を支持(勝訴)している。
アーヴィングはこの判決に対し、控訴院民事部に上訴したが2001年7月20日に棄却された。彼は2002年に破産宣告をした。
私の興味を引いたイギリスの裁判・法廷制度
私の母校は前身がイギリス法律学校だった。大学では英米法の授業が必須で、英米法の教授とも個人的付き合いがあったので、この映画が私の興味を引いたという面がある。
まず第1、この裁判は開始までに3年3か月を要しているが、開始されてしまうと32日間で審議を終えて判決がだされている。日本の延々と何年も続く裁判に慣れていると判決までの速さに驚く。
第2、イギリスでは訴えた側ではなく、訴えられた側がその事由の正当性を立証しなければならない。リップシュタットがホロコーストが真実だということを法廷で立証しなければホロコースト否定論者が起こした名誉棄損の裁判に負けてしまうということだ。
第3、さらに弁護士の役割、戦術が興味深い。イギリスの弁護士制度は分業制で、事務弁護士(ソリシター)が戦略を策定し、交渉を行い、法的文書の下書きをする。法廷弁護士(バリスター)は法廷で個人及び組織を代表し弁論する。それぞれの弁護士の俳優が名演技だったが、法廷における弁護士の役割分担が十分機能を果たしたことが本裁判勝利の原因であり、興味深い。例えば、訴えられた女性学者のリップシュタットには法廷では証人として証言することも、相手・アーヴィングに語り掛けることもさせない。ホロコーストの生き残りの生々しい証言をさせることもしないという戦術をとる。熟練の弁護士の法廷弁論が原告を着実に追い詰めてゆく展開である。
第4、弁護団は、裁判は陪審員によるものではなく、一人の判事に委ねる選択をした。これには私も強く同感した。陪審員には必ず相手方の意向を受けた人物が(買収されて)入り混じってくることを警戒したのだという
日本にもイギリスにはるかに遅れて国民が裁判に参加する、裁判員裁判が導入された。アマチュア感覚を判決に取り入れるという裁判の民主化として必要な制度ではある。
しかし私の印象では一般的に裁判員裁判は情に流されやすく、重い判決になりがちで、死刑判決を簡単に出して例もあり恐ろしい思いがする。素朴な国民感情は「悪いやつを許さない」というものであろう。
どうしても勝ちたい、理屈で勝つ自信があるときに職業的な裁判官を選ぶ動機は十分ある。しかし日本において選択の余地があったとしても、裁判所に行政権力への“忖度”がまかりとおる(残念ながら)とすれば、プロの裁判官に任せるという選択がよし、とは言いにくい。イギリスのほうが三権分立は機能していると思われる。
(写真・リップシュタットが弁護団とともに調査に訪れたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所・2013年吉川撮影)
シナリオが映画・「愛をよむ人」と同一人物だった事
脚本は映画「愛を読む人」(2008年)でアカデミー賞脚本賞にノミネートされたデヴィット・ヘアに白羽の矢が立った。
市電の車掌だった女性は、第2次大戦も終わった平和な生活の中である日突如逮捕され裁判にかけられた結果、戦争中強制収容所の看守であった罪で終身刑を言い渡された。長い刑期満了の日、年下の恋人が出所を出迎えに行くと彼女の自死を知らされるという、戦争犯罪を訴追処罰したドイツならではの心にしみる映画だった。
ヘアがこの企画に参加を決めたのは客観的な歴史的事実を弁護するという考えに興味をひかれたからだった。「…本作における敵であるアーヴィングに同意した人々に私に非難するような隙を与えないために、法定シーンを描くのに公式記録を隅々まで読み込んだ…1日分の裁判記録を読むのに4~5時間かかった」(「肯定と否定」プログラム PRODUCTION NOTES)
法廷劇でありながら映画が非常にドラマチックに展開するのも実際の法廷でのやり取りがドラマに満ちていたからというるかもしれない。
(写真・日本でも公開されてヒットした映画「愛をよむ人」(The Reader)のジャケット)
被告と弁護団、心が解け合うとき
チームを組んで資料の検証、アーヴィングの日記・著作を詳細にチェックする大弁護団。衆知を集めて戦術を決めて後はぶれない。依頼人がどういおうとはね付ける、この辺がイギリス的というか、興味深い。これに対し、法廷で証言できない、ホロコーストの生き残りの人物から証言を採用しない弁護団の方針と対立し、リップシュタットは蚊帳の外に置かれた感がある。しかし裁判が進むにつれて弁護団の戦略の意味をリップシュタットも理解するようになる。彼女と弁護士が心を通わせてゆくシーン、法廷弁護士がある夜、極上のワインを片手に彼女の部屋を訪ねる場面はしみじみとした感情の交流があり、映画を堪能できるシーンでもある。
裁判所勝訴の背景
私はアイヒマン裁判は記憶に強烈にあるが、この裁判を知らなかった。国会議員としてかなり多忙だった時期と重なってはいるが…知らなかったことが悔やまれる。
この裁判に勝利した真の原因は、弁護団の戦術でも、リップシュタットの著作が優れているからでも、裁判官の見識でもない。
ホロコーストを許さないという断固とした世論がイギリスを含むヨーロッパでは形成されているからではなかろうか。
百歩譲って、日本で南京事件、裁判があっても真実が勝利するだろうか。「慰安婦」裁判はすべて原告が負けた。弁護士の戦略、力量云々ではないことは最近の吉見裁判が好例である。(吉川春子)
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