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2018年1月

2018年1月15日 (月)

カズオ・イシグロ著『私を離さないで』~守るべき命と差し出す命の矛盾~

 

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写真・共産党埼玉県委員会旗開きでもらった花

 

十数年前、著者のイギリス貴族の使用人である執事を主人公とした『日の名残り』という映画を見てビデオを買って本も読んだ。イギリス貴族の執事という職業と歴史に精通した内容なので、カズオ・イシグロはずっとイギリスの作家と思い込んでいた。その後日系イギリス人で長崎で生まれ幼いころは日本で育ったと知った。今回『日の名残り』を再読し別の作品をと思って『私を離さないで』を読んだ。

 

主人公はキャッシー・Hという女性で、優秀な「提供者」の介護人である。彼女は「「ヘールシャム」という施設で生まれ育ち教育を受けて社会に送り出される。障害者か老人の介護がテーマではない。「提供者」とは臓器提供のために作られたクローン人間である。彼らは成人して何回かの「提供」を行い「使命を終える」のだ。

 

    愛し会うカップルには「提供」を猶予する、制度の真偽 

 

キャシーたちは「ヘールシャム」では絵画などの作品制策の授業が熱心に行われていた。生徒たちは「本当に愛し合っているカップルには「『提供』が猶予される」といううわさを信じそれに希望を託す。生徒たちは熱心に作品制作にとり組む。作品は「展示館」に保管されて本当に愛し合うカップルか否かの判断の証明となると信じられていた。

 

「ヘールシャム」を出て介護人となったキャシーと「提供者」となったトミーは愛し合うカップルと認定されたい一心で「展示館」のマダムを探し当てる。そこで彼らは「提供が猶予される」事実はなく、単なる噂であったという残酷な事実を告げられる。しかしキャシーはこの日のために多くのエネルギーを割いてきた。恋人のトミーはすでに四回目の提供に直面しているのだ。あきらめきれないでマダムを問い詰める。

 

  クローン人間にも魂はある、と確かめたかった

 

「そもそも何のための作品制作だったのか。何故、教え、励ましあれだけのものをつくら得たのですか。どのみち提供を終えて死ぬだけならあの授業は一体なぜ?読書や討論は何故だったのです」と。

マダムにこの事を行わせた仕掛人、エミリークロード先生は答える。「私たちが作品を持って行ったのはあなたがたにも魂が―心が―あることがそこに見えると思ったのです」

「なぜそんな証明が必要なのか自分たちに魂がないとでも誰かが思っていたのか」とキャッシーは問い詰める。

「ある意味感動ですよ。…あなたが言うとおり、魂があるのかなんて疑う方がおかしい。…運動を始めた当初は決して自明のことではなかった」と先生は答える。「試験管の中で得体のしれない存在、それがあなた方」。しかし「生徒たちを人道的で文化的な環境で育てれば、普通の人間と同じように感受性豊かで理知的な人間に育ちうる事を世界にしめした」と、自分がしてきた業績が決して無駄ではなかったと証明しに来てくれた、キャシーとトミーに感謝さえする。

 

しかし、「でもあなた方のその夢、提供を猶予してもらうという夢は私たちの力の及ばない事です」ときっぱり。「気の毒に思います。でも落胆ばかりしないでほしい…振りかえってごらんなさい。あなた方はいい人生を送ってきました。教育も受けました」こんな先生の言葉がキャシーとトミーの何の慰めになるだろう。二人は絶望してマダムとエミリー先生の居所を辞す。トミーは四回目の提供で使命を終る。

 

 癌は治るものと知ってしまった人に、

不治の時代に戻れとは言えない

 

エミリ先生は言う。「突然、目の前にさまざまな可能性が出現しそれまで不治とされていた病にも治癒の可能性が出て来ました…でもそういう治療に使われる臓器はどこから?真空に育ち無から生まれる…と人々は信じた、…世間があなた方生徒の事を気にかけはじめ、どう育てられているのか、そもそもこの世に生まれるべきだったのかどうか考え始めた時はもうおそすぎました」「…癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?そう逆戻りはあり得ないのです」。

 

 私は臓器移植法案が国会にかかった時の息苦しさを思い出した。政治的イデオロギーだけではなく宗教観、倫理観が問われ結論は簡単には出ない。幾つかの党は党議拘束を外すという例外措置を取り法案は可決された。私はこの法案に反対した。

カズオ・イシグロのSF小説が投げかけている問題はとてつもなく大きく難しい。科学技術の進歩によって人権のかけらもない「人間」を作り出す事を認めてはならない。「わたし提供を受ける人、あなた提供する人」という線引きは絶対に認められない。

 

  「守るべき性」と、「差し出す性」

 

日本政府は敗戦後米軍の日本上陸に備えて「良家の子女を守るため」全国に「慰安所」をつくった。慰安所で働かせる女性を集めたのは各県警察である。

良家の子女を守るるために別の女性を犠牲にした。戦争中には遊郭から大勢の醜業に携わる女性をかき集めて中国、ビルマ等の「慰安所」に送った。

戦後、特に一九九〇年代以降「慰安婦」問題が女性の人権侵害と認識され解決を求められている。その中で日本人「慰安婦」がクローズアップされない理由は、彼女たちはもともと売春婦だったから、仕方がないのではないかとの考えにある。しかし、遊郭の女性だから「慰安所」で性奴隷とされてもいいとの理屈は成り立たない。

「慰安婦」のイメージとして性的経験のない少女・女性を強制連行して軍の「慰安婦」にしたことが許されないのだ、との考えがある。その裏に遊女は別という思想がありはしないか。しかし遊女はそもそも親から遊郭に売られた少女達である。彼女たちなら「慰安婦」にしてもいい、という理屈は絶対に成り立たない。

 

女性を二分して一方を犠牲にして他方を守る考え方は、カズオイシグロのSF小説『私を離さないで』で強く告発している問題につながるのではないか。心の中に潜む差別意識が現実の悲劇を引き起こすとの警告として受け止めたい(吉川記)

 

 

2018年1月 4日 (木)

仕事始め

新年おめでとうございます。今日から仕事始めです。

東京でこんなに寒いのですから、雪の多い地域や凍みる地域など、仕事も生活も大変でしょうね。お見舞い申し上げます。

 

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<六義園の冬の七草>

 

今日の東京新聞に全原発を速やかに廃止する「原発ゼロ法案」を、立憲民主党が通常国会に提出する予定、というニュースが報じられました。うれしいニュースです。通常国会では脱原発、再稼働の問題点などについて大いに論戦をしてほしいものです。

国会は立法機関なので、掲げた政策を法律として提案することは当然の仕事ですが、民進党では電力会社から資金援助を受けて当選させてもらっている議員がいるのでこうした立法提案は不可能だったのでしょう。

 

『慰安婦』問題解決も立法によるのです。政府の時々の政策より国会の意思を反映した『慰安婦』問題処理が最終解決につながると思います。かつて野党3党が『戦時性的強制問題解決促進法案』を提案したのもその意図からです。法案は廃案になってもなっても8回も息を吹き返した(再提案)のですから、立法提案はそのくらい生命力があるのです。

 

 

安倍総理は伊勢神宮に参拝して三重県で記者会見し、自衛隊員が国民を守るために24時間重要な任務に就いていると持ち上げました。人々の命を守るために夜も寝ずに頑張っている人々はたくさんいるのに、何故自衛隊員だけに言及するのでしょうか。

また、憲法改悪、北朝鮮の脅威と圧力をかけるといつもながらの言及をしています。

私が総理に問いたいのは、トランプ大統領に追従して圧力をかけ続ける結果何が起きるのか。窮鼠猫を噛む、で万一武力衝突があった時、日本はどのようなリスクを負い被害が出ると試算しているのか。それを覚悟で追い詰めているのか。

アメリカ本土の攻撃より日本の米軍基地を打つ場合も考えられます。アメリカの国際政治学者は武力衝突の危険は高まっていると警告し、その際は数百万人犠牲が出ると予測しています。総理はまさか自衛隊の防衛システムでミサイルを打ち落とせるとでも?

メディアもこの問題をもっと分析、報道するべきではないのか。年末年始の報道が、相撲協会の暴力問題に偏り過ぎていると感じるのは私だけでしょうか。現実に地球を滅ぼしかねない大きな暴力の可能性が、今問題になっているのですから。

 

私は年末は長野県に滞在しました。例年ほとんどない雪が今年はあり、とても寒くて夜中に目覚めました。でも空は真っ青で空気もおいしい、食べ物もおいしい、長寿県ではあります。

上田城の真田神社でおみくじを引いたら大吉でした。私はおみくじは好きでよく引きます。吉か大吉しか出ないので、凶は入っていないのかと思っていましたが,浅草寺は凶ばかり出るとの評判とか!

013

長和町学者村Ⅲ期にて

 

社会の吉も凶も人間が作り出すものではないでしょうか。安倍に負けない、トランプに負けない。私はラジオ体操もスイミングも続けて、オペラ映画もしっかり楽しんで、「吉川さんもう代表をやめて」と言われるまで頑張ります。

今年もよろしくご指導ください。

 

201814日               

「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表・吉川春子

2018年1月 1日 (月)

映画「沈黙 立ち上がる慰安婦」と朴壽南(ぱくすなむ)監督の事

 

1994

 

(「生きてたたかう―ハルモニたちの11日間」ハルモニ達を迎える集い・編1994年7月28日発行)

 

朴壽南(ぱくすなむ)

監督の映画「『沈黙』立ち上がる慰安婦」のチケットが同監督から私のもとに届けられたのは201711月初めころだった。私は12月3日、渋谷の映画館アップリンクで同映画を観た。

 

アップリンクは力作を上映する映画館として知られている。この日、映画館の数十ほどの座席は満員だった。上映2日目で沖縄の映画の終了後にトークショウが行われるので監督の朴さんも見えていた。映画館で私も紹介されて観客の皆さんに一言挨拶した。朴さんとは私の著書『翔びたて女性たち』の出版記念会(2003年)以来14年ぶりに再会した。

 

 

 

   「慰安婦」達の戦う姿を生き生きと描く

 

 

 

この映画は朴監督がこれまで撮りためた「慰安婦」達の映像を再編集したドキュメンタリーである。

 

その昔、私も参加した集会シーンが映画に映し出されて懐かしく思い出した。一つは衆議院第2議員会館前の路上に座り込む、白いチマチョゴリ姿の女性たちを私は同僚女性議員と一緒に激励に行った。背の高いイー・ヨンスさんとハグした。一人一人と握手を交わす私の姿がチラッと映画に写った。

 

また参議院議員会館の会議室で、「民間基金構想反対」と大きく書いた看板の前に数人のハルモニ(韓国人慰安婦)と、フィリッピンのマリア・ロサ・ヘンソンさんも座っている。私はこの集会にも駆けつけてアジア女性基金構想を批判する激励挨拶を行った。

 

銀座でのパレードも華々しく行われた。ヘイトスピーチや右翼の集団攻撃が未だなかった時代なので、ハルモニたちは太鼓をたたいて、銀座で堂々とデモンストレーションしている。

 

圧巻はアジア女性基金のメンバーとの交渉場面である。東大教授の横田洋三先生の若い姿も登場する。ハルモニ達はアジア女性基金の幹部を相手にして堂々と要求を突き付けており、さすがの横田先生もたじたじとなっている。

 

このシーンを見ても当時の政府は未だ、「慰安婦」の声に耳を傾ける姿勢があった事が窺われる。こうした交渉を繰り返し、『償い金』支払いが国民のカンパだけでは足りなくなって政府資金も支出させるところまで追い詰められれば良かったのに!残念ながら戦いはそこまではゆかなかった。

また、この映画でぺポンギさんの生き生きとした映像を初めて私は見た。1944年沖縄の渡嘉敷に騙されて強制連行された経緯を告白して、やっと沖縄に留まることができた。キムハクソンさんより10年早く名乗り出た日本軍「慰安婦」である。朴壽南監督の『アリランの歌―沖縄からの証言』(1991年)に出演している。1991年10月14日、那覇市のアパートで息を引き取った。きしくもこの年は韓国でキムハクソンが名乗り出た年である

 

 彼女の死をきっかけに渡嘉敷島に「アリラン慰霊碑のモニュメント」が建立された。朴さんから話を聞いていたが、『沈黙』で初めてこの碑を見て高さも数メートルありとても立派でびっくりした。当時、寄付金が4000万円も集まったと今回朴さんから聞いた。97年の碑の除幕式に遺族が招待されぺポンギさんは死後数年たって韓国の肉親に遺骨が引き取られていった。このもようも映画は映している。宮古島の「女達へ」「アリランの碑」は有名だが、渡嘉敷の「慰安婦」慰霊碑はほとんど知られていない、と思う。

 

 

     アジア女性基金を受け取ってよいか、質問されて

 

 

 

1995年村山内閣が河野官房長官談話(1993年)の具体化として『慰安婦』被害女性にアジア女性基金を設立して「償い金」「医療福祉事業費」支払事業を開始した。この基金を受け取るか否かで「慰安婦」同士の間と、運動団体間にも激しい賛否の議論が巻き起こっていた。その時に、朴壽南さんは親しい何人かのハルモニを代表して「基金」を受け取っていいか否かを参議院会館の私の事務所に相談に見えたのだった。

 

これは私にとっても大変難しい質問だった。考えた挙句私は「受け取るべきだとか、絶対に受け取るなとか言える立場にない。自分の意思で決めていいのではないか」と申し上げた。貧困で、病気に苦しむ高齢の被害女性たちがこの基金を受け取ることを批判することは誰にもできないと考えたし、受け取ったら「公娼を自認した事になる」(映画「沈黙」の字幕)とか、「セカンドレイプだ」とは考えなかった。

 

アジア女性基金について私は政府を度々批判する質問を行い、民主党、社民党議員と一緒にインドネシアにまでこの事業について調査にも行った。但しアジア女性基金を全面的に否定でいいのか、については自問自答し続けている。

 

 

 

   韓国人「慰安婦」が基金を受け取った経緯

 

 

 

私は朴壽南さんに「基金」受け取りについてそのように申し上げた経緯もあり、運動が対立し、また受け取った「慰安婦」が苦しい立場に置かれた報道に接するたび心が痛んだ。その経緯について今回の映画「沈黙」が詳しく伝える。

 

「『被害者の会』のハルモニたちの大勢が「基金」受け取りへ動き出したのは昨年(一九九六年)八月、(日本)政府が初めて道義的責任を認め、その責任を果たすため被害者一人に三百万円『医療福祉事業費』として出資するという事が明らかになってからである。

 

「やっと半分の責任は認めるようになったか、私らが勝ったんだね!今死にかけているんだ、日本政府からの出資金を一括現金で支払うならば、とりあえず国民から集めた『償い金』と一緒に堂々と受け取ろうじゃないか。そして闘い続けるんだ」(パンフレット『沈黙立ち上がる慰安婦』 2017122日発行 アリランの歌制作委員会)

 

しかし韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は基金の受け取りには強く反対した。この金をもらったらハルモニたちは自分の名誉を売り渡し、公娼だと認めたことになる」との理由である。(同上)

 

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写真・アジア女性基金構想に反対する韓国人「慰安婦」の記者会見で挨拶する吉川・1994年・参議院会館

 

 

   「基金」受け取り、朴監督の苦悩

 

 

 

これに対して朴さんは言った「見てのとおり80代のハルモニが2人死にかけている。ハルモニの中には幼い孫や甥達を養育している人が3人もいる。独り身でも生きてゆくのがギリギリなのだ。そのハルモニたちがこれで闘いを止めると言っていない。とりあえず受け取って法的責任による国家補償の要求を戦い続けると言っているのだ。当事者の意思を尊重しよう。そして受け取ったハルモ二を切り捨てずに団結して戦ってゆこうじゃないか。相手は日本政府なのだ」と。

 

しかし、朴さんは運動団体から厳しく批判されることになる。「被害者を訪ね歩き国民基金を受け取れと説得していた。挺対協は朴氏の入国禁止措置を政府当局に要請し…た」(「聯合通信199797日)等と報じられた。

 

しかし彼女は「私が韓国内のハルモニ7名が「国民基金」を受け取るように主導的役割を果たしたという国内の報道は事実ではない」とし私は国民基金とは正反対の立場にあり被害者達が日本政府からの補償を受け取ることができるように支援していると語った」(「聯合通信19971123日)と弁明している。

 

 

 

     おわりに

 

 

 

「アジア女性基金」を受け取るか、拒否するかで運動団体の間に深刻な対立が生じ、受け取った慰安婦は仲間から批判された。「フィリッピンの『慰安婦』運動で指導的役割を果たした日本でも有名なマリア・ロサ・ヘンソンさんも「国民基金」を受け取り日本の支援団体からも顰蹙を買」った(同書)

 

日本政府は何度質問しても「アジア女性基金」の受け取り人数を公表しない。私が韓国では60人の「慰安婦」がアジア女性基金を受け取ったと知ったのは議員を辞めて数年経ってから産経新聞のリークで知った。政府がその数さえ言えない事業とは何だったのか。

 

戦争責任に対する日本の中途半端な態度が「慰安婦」被害女性たちをさらに苦しめた。しかも日本でアジア女性基金についての研究は当事者以外にはほとんどない。

 

 

 

この映画では挺対協批判が激しく表現されている。日本の「慰安婦」運動になれている人々にとっては違和感を持つ映画であろうと思う。

 

また、「沈黙」での朴監督の主張(挺対協批判)に対して「挺対協の反論は全く出ていない・・・」(「沈黙 立ち上がる慰安婦」パンフレット201710月 特別寄稿 尹明淑)日本近代史・日韓関係史(韓国)とも指摘されている。

 

それでも私が、この映画の紹介記事をブログに載せるのは、こうした問題についても日本でもっと議論が必要ではないかと考えるからである。

 

 

 

20171231 吉川記>

 

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