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2017年8月

2017年8月31日 (木)

「夜明けの祈り」~戦場の性暴力、修道女の苦しみ

 

 

 

    映画の背景

 

 

 

(アンヌ・ホンテーヌ監督フランス・ポーランド)、東京新宿武蔵野館で上映中

 

Photo

(写真上映画「夜明けの祈り」ジャケット)

 

 

 

 私は20129月に、当ゼミナールのフィールドワークでポーランドを訪問し、ワルシャワ蜂起の悲劇の記念碑を見た。

 

19448月、ナチス占領下でポーランドの地下国家の軍隊が「ドイツ軍の瓦解は時間の問題」との情勢判断をして、赤軍(ソ連軍)のワルシャワ入場前に「ロシア人に対してポーランド人は主人として姿を現す」との意図で蜂起した。

 

しかし戦況を見誤っていた。瓦解寸前と見たドイツ軍はその後10カ月も激しく抵抗をつづけた。またビスワ川岸に迄進駐しているソ連軍は、ワルシャワ市民の蜂起を応援せず待機して見殺しにした。

(写真下・ワルシャワ蜂起記念碑の前で、当ゼミナールのフィールドワーク)

Photo_2

 

 

 

 戦時下の性暴力、男たちは自分に許された褒美と捉える

 

 

 

 監督の鋭い的確な言葉ではある。しかし、許されない、絶対に。

 

この映画はポーランドで実際に起きた衝撃の事件の映画化である。舞台は、ドイツ敗戦(4556日)から8か月後の194512月。ポーランドの修道院である。ドイツ軍はいなくなっても平和は訪れない、女性達は恐怖と不安に苛まれていた。ドイツ兵撤退の前後ソ連兵がポーランドに侵攻、ここ修道院にもソ連兵たちが乱入して、“貞操が命”の修道女が次々と強姦され妊娠。いま出産の時期を迎えていた。

 

 

 

この映画の主人公のマチルドは実在の女医(マドレーヌ・ボーリアック)で親しい友人の医師には自分は共産主義者であると告げていた。第2次世界大戦中レジスタンス運動に参加していた。戦後、赤十字の医療施設で負傷したフランス人兵士を祖国へ帰還させる仕事に従事していた。

 

ある日、彼女のもとにポーランド語で助けを求めて駆け込んできたシスターの必死の要求に応じて軍用ジープでカソリック系の修道院を訪れる。

 

女医が目撃したのは、信仰と妊娠が両立しないはずの若い修道女が身ごもり激しい苦痛に泣き叫ぶ姿だった。緊急の手術が必要と判断した彼女は修道院長と補佐役のシスターにこの事を口外しないと約束して、若い修道女の体内から帝王切開で赤ん坊を取り出し母親の命も救った。

 

しかし翌日再び修道院を訪れたマチルドが知った事実は、身ごもった女性は他にも彼女を含めて7人もいるという事実だった。衝撃を受けたマチルドは、助産婦など外部の専門家を呼ぶべきだと主張する。しかし院長はかたくなに拒否し「誰にも修道院には立ち入らせない」と主張、人に知られたら修道院は閉鎖され、恥をさらすことになるからである。生死の境目にある女性達を見捨てるわけにはいかない。マチルドは赤十字の激務の合間を縫って修道院に通う。修道女たちも女医に心を開き、お腹を触らせるようになる

 

 

 

献身的な彼女を二つの悲劇が襲う。

 

ある夜診察を終えて赤十字に帰途、ソ連軍の検問に引っかかり、車を止められる。クルマには赤いペンキで大きな赤十字のマークがついており、彼女の身分証明書もある。にもかかわらず数人のソ連兵彼女を車から降ろし、集団で襲う。すんでのところで、彼女の悲鳴を聞きつけた上官が現れ、彼女は救われる。しかし「通行止めだから通せない。戻れ」と言われ修道院に引き返す。一夜を車と共に無断外泊したマチルドは、翌日職場の上司からは厳しい叱責を受けるが、真実は語れない。

 

 

 

もう一つの悲劇。最初に命を救った修道女の赤ん坊を事実の発覚を恐れる修道院長は、森の奥深く置き去りにする。この事を知った修道女は、建物から身を投げて自殺する。血まみれの死体に接してマチルドは喪失感を漂わせる。院長は修道女から「人殺し!」と非難を受ける。

 

 

 

     余韻漂う、物語の終わり

 

 

 

映画の初めのシーンで、必死で「ドイツ人でも、ポーランド人でもない医師」を捜す修道院のシスターを、フランス赤十字の医療施設に案内するのは戦争孤児達である。戦争で孤児が溢れるポーランドである。

 

マチルドは修道院長に、親を失い路上で生活する彼らをここで養育する事を提案する。そうすれば、修道女予から次々生まれる赤ん坊を殺さないで修道院で一緒に育てることが出来る、という提案だ。自分が赤ん坊を森に捨てた罪を自覚する院長はこれを受け入れた。

 

院長もまた強姦され医療行為は断固として拒否しているが、重い梅毒をうつされ苦しんでいるのだ。

 

 

 

出産が次々あって修道院から緊急電話の連絡がマチルドに入るシーンでは、マチルド一人では対応できなくなり、同僚の男性医師の手助けを借りて2人で修道院に駆けつける。「私一人ではない」と入口でつげる。修道院が男性医師を中に入れるのか?緊迫感が漂う。

 

男性医師が扉の前で言う。「自分は医師だ。そしてユダヤ人だ」と。修道院は彼を中に入れる。ユダヤ人、という言葉がこのシーンのキーワードである。私はアウシュビッツを想起した。

 

 

 

マチルダはこの男性医師と心も肌も許しあっている。赤十字医療施設は帰国命令が出て、作業は終了する。その後、二人がどうなったかを映画は触れない。

 

 

 

また実話ではこの若い女医は2年後、事故死している。それも触れていない。衝撃なシーン、心締め付けられるシーン、そして余韻を残してこの映画は終わる。

 

 

 

    日本映画よ!

 

 

 

 先月私はヒトラーへ245通の手紙を書き続け、町に撒いて、その結果捕まり処刑された夫婦の映画を見た。繰り返しこうした戦争映画を生産する、ヨーロッパの国々。

 

この夏、私は、戦争をテーマにした日本の映画に出会っていない。(終わり)

 

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