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2017年7月

2017年7月31日 (月)

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 2017年7月29日(土)~30日(日)の2日間、東京豊島区で日本AALA第53回定期大会が開かれた。これまで代表理事として活動してきた小松崎栄氏(写真上)が顧問に退き、新しく、澤田有、田中靖宏、吉田万三の3氏が選ばれた。 東京都議選勝利と、仙台市長選勝利という情勢もあり活気にあふれた発言が続いた。

 私は同組織の理事を務めている。「慰安婦」問題について以下の発言をした。

 

AALAの皆様の活動について心から敬意を表します。第53回定期大会の活動報告と活動方針に触れられている日本軍「慰安婦」問題について発言します。

 

 

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 20151228日、当時の韓国の朴槿恵大統領と安倍総理に代わって外務大臣が日韓合意を取り交わしました。日本のマスコミはこれを歓迎し国民の間では「慰安婦」問題はこれで決着したかのような雰囲気がただよいました。しかし韓国で運動を進めている挺対協と「慰安婦」は強く反発し日韓合意の無効、白紙撤回を主張し韓国国民も多くはこの合意に厳しい評価をしています。理由は安倍総理が真摯に過去の歴史と向き合い「慰安婦」被害者に謝罪する姿勢を示していないからです。韓国では政権が変わり、ますます問題が複雑化しています。

 

日韓合意後、日本に於いても「慰安婦」問題解決に取り組んでいるNGOは間でまとまった運動方針を持てない事態です。かつて1995年、日本政府がアジア女性基金を設立し元「慰安婦」に「償い金」支払事業を開始した時に、償い金をもらう、もらわないで対立し運動が10年間に渡って停滞しましたが、その轍を踏んではなりません。どうすればいいのか。

 

私は2010年に「「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール」というNGOを結成して活動しています。私たちはいま日本政府に「河野官房長官談話」の誠実な実行を求める書名活動に取り組む準備をしています。この談話は歴代の自民党政府が侵略戦争における加害責任を初めて認めた画期的方針です。そして国籍を問わず「慰安婦」とされた女性に謝罪し、歴史研究・歴史教育をつうじて誤りを繰り返さない決意を表明しています。「河野談話」の路線を発展させることが日本の戦争責任をしっかりとる道なのです。

 

「慰安婦」問題は日韓問題と受け取られがちですが、北朝鮮、中国、フィリッピン、インドネシア、オランダ、東チモール、ビルマ等々被害者は多くの国に存在します。視野を広くして「慰安婦」問題を解決するために立法解決を目指す動きが出てきています。とても重要な動きです。

 

最後に日本人の「慰安婦」問題に一言触れます。戦前日本中至る所にあった遊郭から大勢の遊女たちが「慰安婦」として海外に送られました。しかし、1991年韓人のキムハクソンさんが名乗りを上げてこれに続き各国の被害女性が続々と被害者が日本政府の補償を求めましたが、同じように「慰安婦」とされ性奴隷として筆舌に尽くしがたい体験をした日本人女性は一人も名乗り出ません。なぜでしょうか?

 

「「慰安婦」の定義として、「性的経験のない少女か、若い女性で強制連行あるいは騙されて『慰安婦』にさせられた人」とすれば、日本人「慰安婦」は外れるのです。

日本女性は、21歳以上で、売春婦で、軍隊の要求している「仕事」の内容を知って「慰安婦」になったので、彼女たちを「慰安婦」とは認めない、という考えがあります。しかし、売春婦だからといって「性奴隷」にされてもいいのでしょうか。

 

私は数年前偶然に、旧日本軍軍医の方から日本女性人「慰安婦」の名簿を入手しチームで調査をはじめました。何人かの方の住所を探し当てましたが生存者は一人もいませんでした。しかし、5年前まで、は生存されていた方がいらっしゃいました。1990年代~2000年代にかけて、韓国人の「慰安婦」問題で大揺れに揺れている日本社会を眺めて彼女たちはひっそり世を去って行かれたのでしょうか。 

 

「慰安婦」問題は決して過去のものではなく、沖縄等基地で女性への暴力は頻発しています。「慰安婦」制度を可能にしたのは女性差別思想と、家父長制です。家父長制と女性差別を否定したのが日本国憲法24条です。安倍内閣の改憲を草の根から支えている日本会議の最大のターゲットが第9条と共に憲法24条です。改憲阻止が最も重要課題であることを述べて発言を終わります(終わり)

 

                      

2017年7月22日 (土)

国家が家族に介入、安倍内閣の改憲手法を切る

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(写真・講演する山口智美先生)

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(質問に答える山口智美先生。右は大森典子副代表)

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(写真・会場風景2017.7.16午後)

 

 1回運営委員会で、活発な意見交換

 

716日(日)、東京都文京区民センターで第24回ゼミナールを開いた。午前中は2017年度選ばれた新役員による第1回運営員会が開かれ、法事、怪我等でやむを得ない欠席者も出たが22人中18人が出席した。

 現在の会員数が財政担当より報告された。規約により2年連続会費未納者の退会扱い、及び高齢化に伴い施設入所及び死亡等の理由で毎年一定数の減少が避けられない。会費未納をできるだけ防ぐ方策について意見交換をし、会費納入の働きかけとともに、ゼミナールに参加できない会員に活動に参加していただくためにも、ゼミナールの地方開催や署名活動を行い会員拡大に取り組む必要性について確認された。

 

 9条と第24条は戦後、ずっと改憲のターゲット

 

午後からは、「国家が「家族」に介入―安倍内閣の改憲手法を切る」と題して、山口智美・米モンタナ州立大学准教授が講演した。DVDやパワーポイントを駆使して、「フェミニストの目線」で、改憲を目指す安倍内閣の下、婚活、少子化対策(女性のいかに子どもを産ませるか)、家庭教育への介入等、権力が個人の領域に介入する政策を国でも地方でも着々と進めている実態が詳しく述べられた。

「美しい日本の憲法をつくる国民の会」「日本会議」等の右翼勢力は、憲法24条は行きすぎた個人主義の元凶であるとして、これにより家族崩壊や、少子化をもたらしているとして第24条改憲に執念を燃やし、草の根から改憲運動を展開している。戦前の家族制度復活の危険性が指摘された。

閉会挨拶で私は当ゼミナールが憲法第24条に着目して度々テーマに選ぶ理由は、「慰安婦」問題を可能にした背景に家父長制と、女性差別思想があるからであると強調した。憲法第24条こそは女性を男性に隷従させていた家族制度から女性を解放した規定である。24条の改憲は阻止しなければならない。

大森副代表は最高裁で棄却された吉見裁判について報告し、高裁判決の不当性、それを引き継いだ最高裁等、三権分立を担う日本の裁判所の憂うべき現実を厳しく批判した。

参加者は73名だった。詳細はニュース第29号で報告する(吉川春子記)

2017年7月14日 (金)

映画『ヒトラーへの285枚のはがき』

 

ドイツと日本、彼我の国民の差は大きい!

 

 ヒトラーへのレジスタンスとしてミュンヘン大学学生による「白バラ」運動が知られている。大学でナチス批判のビラをまきゲシュタボに捕まり、裁判にかけられ死刑判決、即日処刑される兄弟の物語である。

新宿武蔵野館で7月14日鑑賞したが、上映中のこの映画は、平凡な労働者の夫婦が愛する息子の戦死によって人生の希望が打ち砕かれ、ヒトラーに対する怒りに目覚め、ベルリン市民にそれを知らしめる葉書作戦に立ち上がる物語である。

この種の映画がひっきりなしに制作され海外(日本)にまで輸出されるドイツ。ドイツ市民がヒトラーに無抵抗ではなかったというこの話が教科書にも掲載されてきた。70年を経てもファシズムに対する反省を心に刻み次世代に伝えようとする国民に敬意の念を禁じ得ない。

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(「ヒトラーへの285枚の葉書」ジャケット)

ひるがえって、戦前の治安維持法をほうふつさせる共謀罪法がつい最近成立し、引き続き戦争放棄の日本国憲法を一気に改正しようとする安倍首相が高い世論の支持によって支えられて日本とは、いったいどんな国民によって構成されているのか?

願わくは、やっと下落しかけている内閣支持率が下がり止まらず、消費税率並みの8%に近づくことを!そうでなければかつての同盟国(ドイツ)に顔向けできないではないか。

 

<ストーリー>

 

フランスがドイツに降伏した1940年6月、ベルリンの古めかしいアパートで暮らすクヴァンゲル夫妻(オットー&アンナ)のもとに最愛の一人息子ハンスが戦死したとの通知が届く。アンナは「生きていてもしょうがない」と悲しみのどん底に沈む。ペンを握りしめたオットーは「総督は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」とヒトラーへの怒りを葉書に書く。そして妻のアンナとともに公共の場に置いて立ち去るという活動を繰り返すようになる。

 ゲシュタボがポストカードをばらまくレジスタンスの捜査に乗り出す。犯人はカードの文面から戦争で我が子を失った父親ではないか、住処はアレクサンダー通りにあるはずと推測するが複数の路面電車を乗り継いで移動し、決して指紋を残さないので犯人を絞り込めない。ある日ゲシュタボ幹部は部下が誤認逮捕した賭博好きの男を釈放するが、上司に批判されて、結局自殺に見せかけて射殺する。

「ヒトラー政権では暴力が正義に勝つ。加担するな」、「この自由な報道を広めよう。人殺しヒトラーを止めろ」…オットーとアンナは同じ志のもと死刑さえも覚悟して100枚、200枚と葉書を書きつづける。

 こんなことをしても無意味ではないのか。夫は答える「少なくとも自分は体制の「共犯者」ではなく自由で居られる」。まっとうな人間として生きたあかしになる、と。二人はゲシュタボに捕まり、斬首される。かくすればかくなるものと知りながら…息子の戦死が彼らをヒトラーへの抵抗をせざるを得ない道に駆り立て、まっとうな人間として生きた。

 映画は「ハンベル事件」と言って第2次大戦中にベルリンで実際に起きた事件である。ドイツ人作家ハンス・ファラダ(18931947)の小説『ベルリンに一人死す』の映画化である。彼は秘密文書を旧ゲシュタボから入手し、ヒトラー時代のドイツでの日常生活を折り込み小説を執筆、書き上げて3か月後に死去した。小説は60年経って英訳され、英米でベストセラーになり、2016年独・仏・英合作で映画化(英語)された。

 

今年の7.7(盧溝橋事件勃発)を北京で迎える

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(写真・北京は高層ビル建設ラッシュ2017.7.7吉川撮影)

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(写真・いたるところで目に付く、健康作りに熱心な敦煌市の市民2017.7.7吉川撮影)

 

私は77日、参議院協会の中国への研修旅行で北京に滞在していた。この日は80年前、盧溝橋事件が勃発し日中全面戦争に発展した日である。中国では日本の侵略戦争で重大な被害を蒙っており忘れがたい日である日本では知らない人の方が多い。

私は今回の中国旅行で受け入れ団体の「国家発展・改革委員会」の中央、地方幹部と何回も会談し、78日にはシンポジューム”幸せ社会実現のために“に参加した。その際、中国側の幹部が繰り返し口にした言葉、「戦争がなければ中国はもっと発展できる」が私の心に残った。NHKニュースは尖閣諸島で中国が無法を繰り返していると報じており、一触即発、の状態にあると国民は錯覚しそうである。

78日、帰国当日午前中に行われたシンポジュームでは、「中国は認知症が4千万人いる。自宅介護を政策と方針とするが態勢が整わない。日本の進んだ介護制度に学びたい」と発言した専門家がいた。日本の10倍、13億の人口を抱え経済発展は目覚ましい中国だが矛盾もいっぱい抱えている。国民の生活向上と国の経済発展のために戦争は絶対避けたいのだと私には伝わった。

私達と会談した幹部はみんな若かった。この人々の父親・母親、祖父母は戦争中日本にどんな目にあったのか、そのことを子や孫の世代は伝え聞いているだろうか。

今日はフランス革命記念日(パリ―祭)、そして「独仏再び戦わず」がEUの精神である。「日中不戦、日中友好」が真のスローガンになってほしいと痛感した、旅であった。(713日ノーベル賞受賞者劉曉波氏が死去した。彼への対応について国際社会の批判がたかまっている。人権問題は中国のアキレス腱である)

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(写真・鳴沙山・ゴビ砂漠(敦煌市2017.7.𠮷川撮影)

2017年7月 2日 (日)

語り始めた、性暴力の被害女性達

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(写真は東京明治神宮の菖蒲園の睡蓮2017.6.26撮影)

今日は都議選の投票日で深夜には大勢が判明する。願わくは、安倍一族の凋落のスタートの日とならんことを!今回の候補者も女性が目立つ。しかし女性の人権が政策の争点になることもないし、唯一の女性候補をうたい文句にはしても、女性政策を全く語らない候補もいる。しかし政治家とは有権者が興味を示さない事には言及しない質なので有権者の方に問題がある…と言えなくもない。(これは政治家に対する甘い見方?)

 ところで日本社会も変わりつつあると感じた事例を2つ記す。

 

その1:「性暴力禁止法をつくろうネットワークシンポジューム」(71日、文京区男女平等センター)

 

テーマは“子どもへの性虐待と刑法改正―これでいいのか?今後の課題”である。今年の通常国会で「刑法の一部改正する法律」が成立し、強姦罪の法定刑の引き上げと非親告罪化、監護者わいせつ罪および監護者性交罪の新設等、110年ぶりの刑法改正が行われた意味と問題点を明らかにするものである。共謀罪審議を優先させられ、通常国会最終日にようやく改正刑法が成立した。

パネリストは3人で、

東小雪さん(LGBTアクティビスト)、

周藤由美子(今日と性暴力被害者ワンストップ相談支援センター)、

谷田川智恵(ジェンダー法研究者)

コーディネーターは戒能民江・同ネットワーク共同代表、元お茶の水大学教授であった。

 

  3才から父親の性暴力にさらされ

 

私が一番印象に残ったのは東小雪さんの発言である。彼女は1985年生まれ、元タカラジェンヌ、同性愛者で、渋谷区同性パートナーシップ証明第1号取得者である。

彼女は父と入浴することが好きだった。しかし3才から風呂場で父親から性的暴力を受けた。それが性暴力だとわかったのはずっと後だが何か変な感じと思い母親に「父親にそうしたことを止めてほしい」と頼んだが母親は無言で、自分は言ってはいけない事を云ったと感じ以後一切言わなかった。小学1年生から祖母が同居し世間的には幸せな一家に映った。小学3年から被害は深刻になった。排泄障害になり児童相談所に父母に連れられて行ったこともある。初潮が来た時、母親が「お父さんとお風呂に入るのは止めなさい」と言ってそれで被害は終わった。

しかし、被害はおわってもその後の苦しみが大変だった、と東さんは語った。うつ病になりこれを乗り越えるのが大変だった。うつ病の大量の薬飲んだ。PTSDとは気が付かなかった。生きる力を取り戻したのはごく最近の事だという。

今、こうした声を上げる当事者が増えているのに勇気づけられるという。東さんは「父親は犯罪者だ」と明確に言った。父親は2008年にがんで死んだ。母親は存命だが、「私の告白」(東さんの著書)を送ったが一切連絡がない、という。同性の母親が娘の苦しみに寄り添えない悲しさ、これが日本の現実なのだろうか。

 

「監護者強制性交罪」(179条関係)とは

 

今回の刑法改正では、18歳未満の者に対しその者を厳に監護する影響力があることに乗じて猥褻な行為または性交等をした売位について、強制わいせつ罪または強制性宏哉と同様に処罰する規定が設けられた。監護者とは父親はもちろんだが、祖父、兄、叔父等が当たる場合もあるであろう。

監護者の性暴力に苦しむ女性,幼児、少女は相当数いる。或は東さんのように幼いので気が付かないで後で後遺症に苦しむ場合も多いと思われる。

この点で思い起こすのはかつて、父親から強姦され続け、5人の子を産まされ、思い余って父親を殺害して尊属殺(刑法200条、1995年廃止)に問われた事件があった。(この時も母親は無力だった)。性暴力の父親を思い余って殺しても尊属殺で立件されるという日本の刑法の後進性と、女性差別社会のやりきれない事件は、さすがに頭の古い最高裁もこの父親について、「直系尊属に当たらない」との判決を下した(1973年)。

あれから44年後、やっとこうした父親を犯罪人とする法律が制定されたわけである。国際社会から指摘され続けながら亀のように遅い足取りではあるが女性の人権を守る立法が行われた。

しかし、この179条は多くの問題点がある。この集会で、3年後の改正に向けてNGOは一層頑張ろうという意思が確認された。

 

その2 満蒙開拓団、引き上げの悲劇、ソ連兵への「性接待」

 

日本は戦前、旧満州国(現中国東北部)として傀儡政権を作り事実上植民地政策を行っていた。満州へ国策として送り出された各県の27万人の農民は侵略政策の片棒を担がされた。19458月、日本の敗戦で逃避行中ソ連兵や中国人の襲撃や寒さで約8万人が死亡する等大勢の犠牲者を出した。

東京新聞72日付「こちら特捜部」によると、犠牲はそれだけではなく、そこには敗戦直後開拓団を守るためとしてソ連兵に対しる性接待を強いられた若い女性達がいた。満蒙開拓団員だった東京で暮らす89歳の女性は二年前からつらい記憶を綴り始めた。彼女は岐阜県黒川村(現白川町)の「黒川開拓団の一員として満州に渡り中国吉林省陶頼昭に入植、600人は敗戦後、極貧、食糧不足、チフスなどで3分の1が死亡した」。

敗戦後1週間で進駐してきたソ連軍の襲撃に団員は怯えた。当時17歳の女性は開拓団幹部からソ連兵への「性接待」を強いられた。1620歳くらいの未婚の女性15人が集められた。開拓団の共有施設の一室にはずらりと布団が並べられていた。仕切りも何もない。交替でソ連兵の相手をさせられ、ソ連兵が駐留した11月まで続いた。女性達は性病やチフスへの感染を防ぐため医務室で洗浄を受けた。それでも感染した。4人が亡くなった。

日本に引き上げた後も恐怖は焼き付いていた。…東京で家庭を築いたが「性接待」について夫にも死別するまで一言も話さず子どもたちにも言っていない。

 

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(写真・明治神宮菖蒲園、雨不足で池が乾いている)

  「団の恥」という意識

 

「当時10歳だった安江菊美さん(82才)は「私たちを助けて下さった方々の事を忘れることはできない」と話す。しかし感謝の念を持つ人だけではない。引き上げ後団員の間で被害に会った女性が中傷されたという話がある。

「旧満州・黒川分村遺族会」は81年、「性接待」の犠牲になって亡くなった女性達を慰霊する「乙女の碑」を地元神社に建立した。この碑の由来を知る人は多くない。引き上げ後遺族会による慰霊祭が開かれてきた。しかし「性接待」が公に語られることはなく開拓団の記録文章にもそれに触れるような記述はない」(「こちら特捜部」)

私自身、満蒙開拓団や「中国残留女性」問題に取り組む過程で、開拓団の手記は数多く読んでいるが内容は開拓団の被害が圧倒的に多く、他方、中国に対する加害についてはあまり語られていない。「性接待」については皆無である。

しかし満蒙開拓団を引き揚げの悲劇としてのみ語り継いでゆくことは、侵略戦争を二度と繰り返さない、また女性への性暴力をなくすために、歴史に向き合う姿勢とは異質のものではないか。

戦後72年を経て満蒙開拓団の語りにも変化を見ることができる。一人の女性は「このような不潔なことは表に出してはいけないと思ってきた。でも次第に戦争なんてやるべきではないという声を上げなきゃ、という責務というか気持ちが起きてきた」と語る。また、件の89歳の女性は「遺言のつもり」と3時間も語り続けたという。ノートには『70年過ぎても、消すことのできない事実 軍国主義絶対反対』との一文が書き留められている(「同上」)

 

日本人「慰安婦」の沈黙が破られる日

 

 日本人「慰安婦」が名乗り出られない社会は健全とは言えない。性被害に会った女性が沈黙を強いられ、強姦犯人も、「慰安所」設置の政治家・軍人も加害者が大きな顔で闊歩する。このような不合理がまかり通ってはならない。被害者が堂々と被害の実態を語り、加害者には社会的制裁・罰則を、社会的制裁を科す、こうした常識がまかり通る社会にしたい。私は徐々に女性の意識は高まっていることに期待を持つ。(吉川春子記)

 

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