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2017年4月

2017年4月23日 (日)

公文書館が内閣官房へ、慰安婦「連行」文書など19件182点提出

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(東京都文京区グリーンコートの八重桜は今満開) 

 

417日、国立公文書館が日本軍「慰安婦」関連資料19182点を内閣官房に移管したと報じられた。

安倍内閣は衆議院議員の文書質問に答えて「政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007316日)としているので、今回の公文書館の資料移管によって政府が嘘をついていることを明確に示すものとして注目を集めた。

 

軍隊の享楽に供した…売淫行為を強制された…

 

今回の資料とは、A級裁判(先の大戦で日本を破滅に導いた総理大臣とか軍の大将や幹部等の指導的軍人・政治家を東京で裁判にかけた)の「A級国際軍事裁判記録」には、以下のような女性への性暴力に関する記述が何点もある。

「モア島原住民殺戮、女性への強制売淫」、「中央ジャワ島」、「ポルトガル領チモール」等において、単数または複数の軍人により「軍隊の淫楽の供した」、「原住民婦人の強制売淫」、「娼家(「慰安所」吉川注)」、「婦女子に売淫行為を強制された」との戦争犯罪の記述がある

 

またBC級裁判(戦場で実際に残虐行為を行った戦争犯罪人を裁く裁判。夫々連合国が単独で日本の将兵を裁判で裁いた)判決等では、次のように記されている

例えば、「被告は婦人等に買淫を強制するため慰安所として知られている建物に閉じ込めた」、「被告は慰安所に於いて強制買淫させる目的で婦女子を誘拐した」、「被告は前記軍人及び市民に十分な監督を行うことを怠り、怠慢の結果、婦人を慰安所に宿泊させて買淫を強制した」の記述がある。

 

これらは裁判記録は公文書である。安倍内閣の「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と、「慰安婦」の強制連行を否定する文書回答は全く事実に反することが明らかである。

 

この期に及んでなお

 

この文書移管に対して内閣官房副長官補室の鳥井陽一参事官は「個別の資料の評価はしていない。全体として見ると、強制連行を直接示すような記述は見当たらない」と話した、という(2017.4.17東京新聞夕刊)。「個々に見ると強制連行はあるが全体としてはない」というようにも取れる詭弁の、意味不明なコメントではないか。

 

2007326日、私は参議院予算委員会で強制連行について安倍総理を追及した。「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と文書質問に答弁した10日後である。ドイツ在住のジャーナリスト梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』にオランダ軍法会議資料に基づく詳しい解説書があり、それを読む気さえあればこんな答弁はできるはずもない。

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(梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』2008年6月・今回移管のバタビア臨時軍法会議資料を詳述する)

議事録を紹介する。

 

 

  ~~~~~~~参議院予算委員会議事録から 2007.3.26 ~~~~~~

 

吉川春子君 「強制収容所にオランダ人を収容し、その中から若い女性だけを選んで拉致して慰安所に連れて行った。…これは強制性に当たらないんですか。総理大臣」 

内閣総理大臣(安倍晋三君)このオランダ人の女性も含めてこの官房長官談話は出されているわけであります。ちなみに、軍がその事実を知って、直ちに慰安所を閉鎖したと、こういう事実関係があるわけであります。

 吉川春子君 軍が関与し、強制されて慰安婦にされたんですね

 内閣総理大臣(安倍晋三君) これは、つまりその事実を知って軍がその慰安所を閉鎖をしたと、こういう事実関係がございます。

   (中略)

 吉川春子君 甘言であれ、強制連行、拉致であれ、慰安所は日本軍管理の下、逃げられず、慰安婦とされた女性達は毎日レイプされたんです。ワシントンポストによれば、身の毛 がよだつような体験の証言をしたと、こう言っているんです。(*米議会での被害者3人(オランダの「慰安婦」含めて)の女性の証言)。これをもって強制性はなかったと強制性はなかったとそれでも総理はおっしゃるのですか。そのことを端的にあなたの考えを言ってください。

 内閣総理大臣(安倍晋三君)すでに私の考えは申し上げているとおりでありまして、河野官房長官談話で述べられている通りでございまして、この考え方を継承してゆくという事でございます。

吉川春子君 兵士による拉致、連行も河野官房長官談話の中に含まれているという事でいいですね。

(中略)

 

 吉川春子君 …オランダの事案も挙げました。どうですか      

内閣総理大臣(安倍晋三君)オランダの事案につきましては河野官房長官談話で述べられたとおりであります。

 吉川春子君 オランダの事案は、日本軍による拉致、連行によって慰安婦にさせられた事案です。それを安倍総理はお認めになったという事ですが、安倍総理、慰安婦の被害者の女性達が今何を一番望んでいるとあなたはお考えですか。

 内閣総理大臣(安倍晋三君)…常々申し上げておりますように慰安婦の方々が辛酸をなめられたわけでありご同情申し上げますしそういう状況に置かれた事につきましてはお詫びを申し上げている通りであります。

 吉川春子君 今日までまだPTSDで苦しんでいるんですよ。日本政府に公式に謝ってほしいと思っているんですよ。総理、公式に謝る必要があるとは思いませんか。 内閣総理大臣(安倍晋三君)今、私はここでおわびを申し上げているわけでありますし、河野官防長官談話で申し上げている通りであります。(この後私は「河野官長官談話」の閣議決定を要求したが総理は拒否、また慰安婦一人一人に直接謝罪を求めたが、予算委員長は「吉川君の質問時間は終わった」と総理を指名しなかった)~~~~~~  引用終わり  ~~~~~

 

今後の活動について

 

 この議事録からも安倍内閣の強制連行否定論は、当時から破たんしていたことは明らかだが、法務省の公文書が、国立公文書館から内閣官房に移管された事で、国民は改めて強制連行の証拠に目を触れることになる。

 

 (よく知られている物もあるのだが)今回移管された文書の一つ一つの公開を政府に請求して、国民に宣伝して、「強制連行を示す記述は見当たらない」とは言えない事実を国会質問や、草の根の運動で追い詰めてゆかなくてはならないと思う。

 森友疑惑や多数の議員&大臣の不祥事。大臣や、議員の資格もないにもかかわらず見過ごされ、それでも安倍内閣の支持率は高い。それをいいことにますます危険な方向へ日本を引っ張って行きかねない。

 

「慰安婦」問題にきちんと決着を付けさせることが戦争を回避し、女性の人権を守る道であると確信をもって。(吉川記)

2017年4月11日 (火)

日本軍「慰安婦」博物館会議に思う

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(釜山の「民族の歴史資料館」と下関判決について語る、写真下・各国から来た報告者たち)

 

201741日(土)、東京水道橋の在日韓国YMCA地下ホール・スペースで第1回日本軍「慰安婦」博物館会議が開かれた。博物館に関するシンポジュームはこれまでも開かれているが、「慰安婦」問題に特化した会議は初めてで、“第1回”と銘打っていることからも分かる。「慰安婦」当事者たちがこの世から徐々に姿を消して、証言を聞く機会は皆無になっても歴史を語り継ぐ博物館の役割は、さらに重大になる事だろう。

 

参加し報告したのは、①ナヌムの家 日本軍「慰安婦」資料館、②釜山の「民族と歴史資料館」、アクティブミュジアム「女たちの戦争と平和資料館」(文書報告)、➃南京利済港慰安所旧址陳列館、➄中国「慰安所」歴史博物館、⑥ヒウム日本軍「慰安所」歴史館、⑦台湾の「阿藦(アマ)の家平和と女性人権館」等である。

 

 「慰安婦」へ謝罪と補償を求める運動から生まれる

 

韓国で、中国で、台湾で、フィリッピンで、東チモールで性奴隷とされた女性達が名乗りを上げ責任と補償を求める運動の中で「慰安婦」博物館は生まれた。国など行政がその権威を誇り、あるいは自己の正当化のために建立された博物館とは一味違う。日本政府が認めたがらない旧日本軍の戦争犯罪、残酷に女性の人権、尊厳を踏みにじった事実を被害者の勇気ある告発を写真などでリアルに展示する。規模に於いては小さくともドイツの如くナチスの犯罪を後世に伝えるための資料館(国立)に目的は似ている。

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(台湾「アマの家」建設について報告する人々)

 

 

 韓国の女性運動に脱帽

 

私は数回「ナヌムの家」の博物館に行った。リラ・ピリピーナのロラの家も行っている。また、「ヒウム歴史館」は、東学農民党のフィールドワークで大邱の街を歩いている時に建築中のこの「慰安婦」博物館の前を通り、翌年もう一度大邱に行き主催者にささやかなカンパを一行の気持ちとしてお渡しした。20151月に美しい日本家屋の町屋を改築して立派な建物が完成したとの報道をうれしく思った。

 

また釜山にある「日本軍『慰安婦』ハルモニたちのための民族と歴史館」の運動は、山口地裁下関支部判決として数ある「慰安婦」裁判で唯一勝利判決を勝ち取った。この判決に強く背中を押され私は「慰安婦」問題解決の立法の決意をして、他の野党とも連携して参議院に法案を提出した。もう韓国に行くことはない、と考えていたがとつとつと女性の語る釜山の博物館の運動を聞いてこの博物館には是非行ってみたいと思う。

 

こうした地道な博物館建立に取り組み成果を上げてきた韓国の女性運動に脱帽する。

今回も日本女性の運動への反省を迫られた会議だった。また抗して運動をしてきた韓国の被害者、女性達は、日韓合意の日本政府の中途半端な「反省」を到底許せないだろうとも考えた。

 

    日本女性の苦しみの歴史を掘り起こす運動を

 

この会議を主催したアクティブミュジアム「女たちの戦争と平和資料館」が日本においては唯一の「慰安婦」博物館である。松井やよりさんの遺産で10年は財政的にフォローできるがその後はむつかしい、と当初聞いていた。この博物館が末永く続いてほしいと願うのは私一人ではないと思う。私は「慰安婦」運動に携わってからNGOの運営する資料館、博物館へも補助金制度が必要と痛感しているが、今や立法府に居ない我身にとってなす術はない。

宗教法人への多額の国費が投入されている靖国神社の遊就館、税金で運営されている超豪華な建物の昭和館は、歴史認識と加害責任展示なしの重大な欠陥がある。強い矛盾を感じる。

自治体運営の博物館・資料館をウオッチして加害の歴史をきちんと展示させる事、できれば民間の力で地域にミニ博物館建立の運動を具体化できたらいいと思う。(吉川春子記)

 

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(アメリカに何故少女像を建てるのか、報告する在米韓国の女性)

 

2017年4月 9日 (日)

第5回「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール総会開く

 

当ゼミナール第5回総会が2017年4月2日(日)3時より東京都文京区民センター2階会議室で行われた。

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(六義園の枝垂桜はまだ5分咲き、2017年3月31日撮影)

   活動方針の承認

20151228日の日韓合意を経て日本の「慰安婦」問題に関する運動が一部混乱・停滞とも取れる局面の中、運動方針案は当ゼミナールとしては異例の1月の合宿を行って詳しく議論した結果、決められた(当ゼミナール第27号・2017年2月20日付に掲載)。総会でこれを報告し討論の結果、承認された。主な内容は「朝鮮半島のみならず、すべての国の『慰安婦』を視野に問題の解決を目指す」「『河野官房長官談話』の実施を政府に求めてゆく」「他団体との共同行動を行う」「会員の力を結集して地域でミニ集会を行う」「日本人『慰安婦』の調査を引き続き行う」というものである。

  財政報告と、規約改正

財政報告は財政担当原氏より、➀2016年度より会議参加の若干の補助金支給を開始した、➁2017年度の会員数はくしくも2016年度当初と同数である。2016年度は大口カンパのあったおかげで黒字を維持しているが、毎年、会費未払い、死去、転居先不明で一定の会員数の減が見込まれるので会員拡大は喫緊の課題であるとの報告があった。会計監事の池田氏からは「領収書等段ボール1杯膨大な資料を点検したが実に几帳面に正確に処理されている」との監査報告があり、財政報告は総会で承認された。

 

規約改正は大森副代表が行い、事務局会議とスタッフ会議を会編・廃止し、月1回定例化される常任運営委員会が当面の活動を執行すること等の内容を承認した。

 

 役員氏名をブログに掲載しない理由

役員選考の結果、運営委員22名(新人9名)、その中、常任運営委員11名(新人1名)、監事2名(新人1名)が選出された。氏名はニュース第28号(520日発行)に掲載する。米映画『スノーデン』に見るように権力はあらゆる個人情報を集め、監視社会が進行している。国会では共謀罪の審議が始まっている。日本は国民の抵抗力の点からは米国以上に危険の状態にあるともいえる。インターネットに個人名は極力掲載しない事とする。

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(パワーポイントを使って講演する馬先生)

 

 馬暁華先生の記念講演

~中国、アメリカ、日本の博物館比較

総会に先立ち13時から、馬暁華・大阪教育大学准教授による記念講演が行われた。テーマは「博物館の中の戦争 被害と加害を後世にどう引き継ぐか」である。ゼミナールのテーマとして博物館を選んだのは初めてである。理由の1は、「慰安婦」とされた女性達が高齢化し或は亡くなり直接被害者の証言を聞く機会は少なくなるだろう。彼女たちの体験をどう後世に伝えるか、教科書で子どもたちに教える事とともに社会教育の場として博物館の役割は大きくなる、との思がある。その2は、立教大学で数年前、博物館についてのシンポジュームがあり馬暁華先生が、中国、アメリカ、日本の博物館に足を運び綿密に比較調査している内容に非常に学んだからである。

 

 日中関係の蜜月時代、博物館はなかった

 ~戦争責任は日本の軍国主義者、国民に罪はない

馬先生は戦中、戦後の日中関係、共産党政権樹立等の歴史をたどりながら、その中に博物館を位置づける。1973年の平頂山殉難同胞記念碑が建立されたが、中国には1980年代以前には博物館はなかった。1980年代は博物館に於いて共産党政権の正当性を主張し、1990年代以降は大国主義教育の場として博物館を利用してきたと指摘する。

 

1970年~80年、中国政府は日本に対する戦争賠償の放棄を行った。戦争責任があるのは日本の一部の軍国主義者の指導者であると中国国民を教育した。

 

しかし、教科書問題を契機に日中関係の再編が起こり、抗日戦争に関わった戦争体験者の生きている時代に、1985815日、日本軍南京大虐殺「避難同胞博物館」が建てられた。731部隊、「万人坑遺跡」を残す等中国人民の受難の歴史が語られた。

 

馬先生の語ることを日本人は知っているのか?

即ち「撫順戦犯管理記念館」(1986年)にみられるように、中国は寛大な対日政策を強調し戦後の日中関係と和解への模索が行われた。日本人はサンフランシスコ条約は寛大だと受け止めているが、BC級裁判で中国は死刑ゼロ、懲役刑もゼロで、連合国のどの裁判より寛大であった(一番被害を受けているのに―吉川注)。」

 

中国の戦争観変容の引き金は「教科書問題」

 ~加害意識なき日本人、戦争なき戦争博物館

しかし1990年代以降中国の戦争観の変容があった。1997918日の歴史博物館には「国辱」という文字があるという。そして、今日の日中関係、両国人民の意識は私が触れるまでもないだろう。

また、馬先生は「日本人の戦争の記憶には被害のみしかなく加害はない」と指摘する。

典型は靖国神社の遊就館とその向かいにある昭和館であろう。遊就館については触れたくもない程ひどい「歴史博物館」(これは「博物館」と呼ぶにふさわしくない)である。

また「昭和館」は税金で運営されている政府機関である。馬先生は「戦争なき戦争博物館」と痛烈に指摘する。「戦争中の国民の苦労だけを扱っている」と。中国人から見た日本の博物館について厳しい目が光る。

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(講演する馬暁華先生)

  冷戦終結と国際情勢の激変が戦争展示にも影響

 ソ連崩壊後、「慰安婦」問題で歴史問題が再燃した。戦争責任論、戦争加害が問題となる。

馬先生は、「ピース大阪」、「立命館大学国際平和ミュージアム」 、「女たちの戦争と平和記念館」「岡まさはる記念長崎平和資料館」等について語る。

他方日本と中国の国民感情悪化し、中国で反日デモが起きる。かつての戦争について、日本は消してゆき、中国は強調してゆくというその典型が南京大虐殺であると指摘、日中における戦争観の相克を指摘、その結果ギャップの拡大になる。

  戦争をどのように展示するか。加害と被害をどう展示するか、被害を見るか、加害を見るかと問いかける。

 

以上、私の感想を交えて紹介したが、講演内容はニュース第28号でテープ起こしして掲載する予定である。

そして当ゼミナールは10月に行う中国の南京、上海のフィールドワークで引き続きこの問題を考えることとなる(吉川春子記)

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