映画「首相官邸の前で」上映会と、「3野党党首街頭演説会」
社会運動で日本は変わる
2016年6月20日、立教大学池袋キャンパスでセカンドステージ大学の公開講演会が開かれた。日本の社会運動が大きく変わった3.11福島原発のメルトダウン事故に怒った市民が立ち上がるドキュメンタリー映画、「首相官邸の前で」(監督・小熊英二、社会学者、慶応大学総合政策学部教授)が上映された。
会場となった立教大学、大スクリーンが前方2カ所にある階段大教室は、セカンドステージの受講生(これは少数派)、学生、一般人で超満員。
映像は当時の首相・菅直人、他若干の政治家の他は市井の人。原発で人生が狂わされた結果、社会運動に立ち上がった人々の短いコメントで次々つなぐ。背景は街頭集会、デモ行進、歌あり、踊りあり、楽器ありの一見楽し気な雰囲気の映像が果てしなく続く。首相官邸前の金曜デモがどういういきさつから始まったのか、私はこの映画で理解した。
原発事故当初は茫然自失の政府(民主党政権)だが、野党自民党が不信任案を突きつけ、政権を奪還した自民党は、着々と原発再稼働に舵を切る。こうした背景を私たち日々のニュースで知っている。他方、原発立地に住む(住んでいた)住民の怒り、絶望、社会運動についての情報は断片的である。
原発事故の情報は、企業と政権党がグルになって隠される。東電の隠ぺい体質を許す安倍内閣、今日まで刑事責任を問われない東電社長はじめ幹部。検察は起訴便宜主義をいいことに起訴さえしない。(検察審査会に期待をかけるが)。あんな大事故を起こしながら誰一人責任を問われないのだ。自転車事故で相手を傷つけても、車の運転を誤って通行人を死傷させても厳しい刑事責任をわが国では問われる。
多くの人の生命を将来にわたって危険にさらし、現に命さえ奪われてしまったというのに、責任を問われた人がゼロという異常は許せない。。
福島の後始末もできず、核燃料処理は絶望的のなか自民党は原発依存のエネルギー政策にまい進する。民進党の中にも原発再稼働を求める議員達がいる。東電などの応援を受けているから。
このドキュメンターリー映画を見て、当然のことながら強く深い怒りが住民の中に根づいている事を感じた。これを無視し続けることができるわけがない。参議院選挙で怒りはどのように表明されるのか。注目したい。
怒りから社会運動へ
この映画は原発事故を契機に大きな社会運動に発展してゆくさまを激写している。「日本人は闘わない、自分の考えを言わない」と思っていた親日家のイギリス女性は、日本人が怒り戦う姿を見て興奮した。
自分の生活基盤を変えなければならなくなった怒りが、フリーター、非正規雇用、不安定な人々も加わりそれまでの社会運動にはなかった万単位の人が集まる集会を成功させた。6.11、3万人のデモを素人集団が成功させた。
全く社会運動にかかわっていなかった外国女性もデモに加わった。のんきな主婦だと思っていた母親が「自分をデモに連れてゆけ」と娘に言った。「本当にごめんなさい、大きな荷物を背負わせてしまった」と子どもたちに謝る母親。技術者は専門家の立場で言う「専門家や東電や政府は数値でごまかすが、原発は安全ではない、安全なものは一つもない。今まで身近の人にしか言わなかったことだが、もう黙っていられない!」
この人々の思いがどのように参院選に影響をあたえるのだろうか。
♪ “今回ばかりは野党を応援”、“7月10日は参議院選挙” ♪
シールズ(SEALDs)の奥田愛基さんの軽快なリズムの声が響く有楽町駅前。
6月19日、時々新幹線の車両が通過するのを頭上に見る交通会館そばのひろばで、野党3党党首と市民団体の若者の集会が開かれた。
デパートの入り口付近まで人で埋まった。政党の街頭演説とは一味違う雰囲気でもある。「お客さんの入り口まで塞がないでください。お店に迷惑かけているので帰りにお金の余裕のある人は買い物していって下さい」など、お店へも気配り。
一人区ですべて野党統一候補が決まった、これまでにない野党共闘が盛り上がる。社民党・吉田忠智、民進党・岡田克也、共産党・志位和夫の3党首の短いが的を射た訴えに、参加者は熱心に呼応した。社会運動が政治を動かせるのか、試金石である。期待は大きい。
しかし、選挙公示直前に北朝鮮の脅威を事さら煽り、国民の警戒心を利用して世論の操作をNHK・各テレビも動員し進める安倍総理の策略を軽視できないが、国民も今度こそ安倍の口先三寸に簡単には騙されないだろう。社会運動が国政選挙を動かした、そんな結果がもたらされることを期待したい。
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