性暴力をタブーにしない米ジャーナリズム
日本のジャーナリズムが、瀕死の状態に陥る前に
4月19日、国連人権理事会の特別報告者で「表現の自由」を担当する米カルフォルニア大アーバイン校のデビット・ケイ教授が、「ジャーナリストの権利保護」等について1週間の調査を行い、その結果について記者会見を行った。私は、現職時代に総務委員として電波監理や「公益通報者保護法」の立法にもかかわったので、同教授の「報道の自由」への警告を危機感を持って受けとめた。
同教授は「日本には憲法に報道の自由を保護した憲法があるにもかかわらず、報道の独立性は重大な脅威に直面している」と指摘。「『特定秘密保護法』はメディア報道を委縮させる」とし、またテレビ局の停波に言及した高市総務大臣発言の根拠となっている「放送法第4条(政治的公正性を必要とする)は廃止すべきである」と述べた。また「記者クラブは廃止すべき」として大手ジャーナリズムの閉鎖性も批判した。
また、同教授は政府の圧力による歴史教科書から「慰安婦」問題を削除した問題では「第2次世界大戦中に犯した罪の現実を教科書でどう扱について政府が介入することは、国民の知る権利を脅かし、国民が過去の問題に取り組み理解する力を低下させる」と警告した。
米ジャーナリズムの健在示す、映画「スポットライト」
私は、「慰安婦」問題では日本のマスコミ報道は国民の知る権利に答えているか、疑問を持つ。
これに関し、最近私は巨大な権力と闘って性的虐待問題を白日の下に晒したアメリカの新聞記者達の映画「スポットライト」を観て彼我のジャーナリストの姿勢の違いについて考えさせられた。これは実話に基づく映画である。
2002年1月アメリカ東部の新聞「ボストン・グローブ」の1面に、大きなスキャンダルが報道されたのだ。内容は地元ボストンの数十人もの牧師による児童への性的虐待をカトリック教会が組織ぐるみで隠ぺいしてきたという事実である。ボストンにはカトリック信者が多く、そして同紙の読者の53%、記者達も編集長を除きカトリック信者である。教会はアメリカ人の日常生活に密着している。カトリック教会の権威は私日本人の想像できないほど強く、取材の壁は高く厚かった。
従ってこの聖職者による性暴力〈児童への性的虐待)の調査は、大きな困難を伴ったが地道にタブーに挑戦しとことん事実を暴く記者たちの粘り強い取材活動を映画は感動的に描いている。
教会の神父の児童への性的虐待
取材を進める中で記者達は、聖職者による虐待の被害者団体のメンバーから、「被害者は信仰を奪われ、酒やくすりに手を出し、飛び降り自殺する者もいる」と聞く。被害者から直接神父による巧妙かつ卑劣な虐待な手口と、彼らのせいで人生を狂わされた人々の悲痛な現実を知る。
そして性的虐待を犯した神父がボストンに少なくとも13人いる」と告げられ絶句する。特定の一人の神父の虐待事件を追っていたチームは大勢の神父の罪と教会による隠ぺい工作の実態をつかむことになる。背後にヴァチカンがいる、でなければこれだけ多数の神父をかくまうことは不可能だ、との声まである。
満を持して、教会ぐるみの性的暴力問題を報道したその日から、グローブ紙の編集部の電話は鳴りやまなくなった。被害者からの告発が殺到した。被害者の数は500人、加害者とされる神父も250人に達したという。
グローブ紙の報道の1年後、全国紙・ニューヨークタイムズが「過去60年間に全米のカトリック教会の聖職者1200人が4,000人の子供に性的虐待を加えていた」と報じた。
「被害者の81%が男子で、22%が10歳以下だった。その場所は神父の家が40.9%、教会内でも16.5%が行われている。「神の家」のはずなのに!」(町山智浩・映画評論家『スポットライトの後、何が起こったのか』)
なぜこのような事件が?
「神父は妻帯を禁じられている。禁欲主義で抑圧され過ぎた性欲が暴走したのでは?」と論じられている。教会自らの調査による「アメリカの司祭と助祭による性的虐待問題の性質と範囲」という報告書も発表された。
2006年ついにローマ教皇が辞任する。2002年から全世界で報告された神父によるレイプが4000件に及び、800人が神父の資格をはく奪され、2600人が職務永久停止処分を受けた。教会が支払った賠償額は26億円超である。(町山・前掲)
アメリカの民主主義
これはジャーナリズムの力を見せつけられた事件である。数々の壁、圧力に屈せずに巨大権力のスキャンダルにメスを入れて取材し、報道する新聞社がある国、そしてこの映画はハリウッド映画で、アカデミー賞を2部門で受賞している。この事実を映画化し、興業に載せられる(ペイできる)国アメリカ。
わが国では、「慰安婦」制度の醜悪性と犯罪性が暴露されているにもかかわらず、公然化してから25年経ても未だに完全に追い詰められていない。自身の手では「慰安婦」に関わる性暴力の犯罪人を一人も処罰していない国日本。それは、もちろんジャーナリズムだけの問題ではないが、ジャーナリストにもっと頑張って権力と闘ってほしいと、この映画を見て私は思った
新緑を打つ雨の六義園、
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