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2015年9月

2015年9月28日 (月)

ザ・ラストクイーンを見て

 

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9月27日(日)新国立劇場で日韓国交正常化50周年記念特別企画の「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」を鑑賞した。朝日、読売、東京新聞、またNHK等で宣伝されたためか中ホールはほぼ満席状態だった。皇族の方も鑑賞されているとの紹介があった。

  二期会会員・オペラ歌手の田月仙(チョン・ウォルソン)によるモノオペラ(登場人物が一人だけのオペラ)である。同じ舞台の左手にミュージックアンサンブル(ヴァイオリン、フルート,チェロ、ピアノそして打楽器という構成)、右手には男女4人のコーラス、中央でオペラ歌手が演ずる。 私にとっては初めてのモノオペラ鑑賞なので多少の戸惑いもあった。しかし、ナレーションと字幕が日本語で明快なのでストーリーはよく理解できた。欧米のオペラハウスで音楽もストーリーも難解のオペラを見るよりもずっと親しみやすかった。

物語は、1919年、日本による植民地支配下の韓国の皇太子・李琅(りぎん1897-1970)と18歳で政略結婚させられた皇族の梨本宮家の方子(1901-1989)の波乱の物語である。李琅(りぎん)は伊藤博文により子どもの時に日本の学校で学ぶという名目で人質に連れてこられて学習院、陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校で教育を受けて日本の軍人として陸軍中将にまで上り詰める。

日本敗戦後は二人は日本国憲法施行で皇族の身分を失い日本国籍も失い在日韓国人となり経済的にも苦しい時期もあった。韓国に帰国を希望しても李承晩大統領は拒否し、やっと朴正熙大統領時代に韓国籍を認められて帰国も果たす。方子は知的障碍児施設や知的障害養護学校を設立する等障害児教育につくし韓国の国民から高く評価されたという。

植民地支配によって国民一般はもちろんだが皇族という身分にある女性にとっても過酷な運命を強いられた。しかしそれに負けず二つの祖国を背負ってたくましく生き抜いた事を訴えるオペラである。チョン・ウォルソンさん自身も在日韓国人として日本でオペラ歌手になるについての様々な苦労が方子の生涯に重ねられた演出になっている。

なお、この第二国立劇場はオペラハウスとして計画された当初、1980年代に当時文教委員会に所属していた私は,今は亡き芥川也寸志さんら当時有名な音楽家の方々からいろんな陳情を受けた経験がある。もう少し適当な場所があるのではないか、オペラハウスならマイクを使わずに音響のいい設計にすべき、付属のオペラ歌手養成所をつくるべき等々。

 その結果、私は欧米に出張するときはあいている夜は、オペラハウスで上演中のオペラを見る事にしてオペラハウスに親しむことにした。オペラへの理解が深まりはしないが、わからないなりに好きにはなった。

 私は今回、「日本のオペラハウス」の完成後初めて!観客としてこの劇場に足を運んだ次第である。(吉川春子)

2015年9月20日 (日)

「戦争法」成立に強い怒り、日本人の平和の心に火が付いた!

 

 

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(国会に押し寄せた「安保法制」反対の人々)

 

2015年9月19日未明、「戦争法(安保法制)」が自民、公明の与党によって強行採決された。

 

国会・委員会の強行採決はいつもの事だが議事録に採決の記録は残らない。怒号で委員長席に最も近い位置の速記者にも何も聞こえないのだ。議事録には、「聴取不能」と書かれている。与党議員は委員長席に後ろに陣取った強行採決のリーダーの議員の合図で立ったり座ったりするのみで、彼らにも何の法案に賛成して起立しているのか正確にはわかっていないであろう。それでもこのような採決が無効とされた事はない…。

 

今回は地方公聴会の記録も議事録にのらないという参議院始まって以来の暴挙も加わった。これまでは強行採決でも締めくくり総括質疑を行ってきたが、今回鴻池委員長は野党を騙し、最重要な審議を飛ばしたのだ。

 

これだけの悪法をたった1国会で国民多数の反対を押し切って強行に成立させようとすれば、国会のルールなんかに構っておれないのだ。

 

 

 

  国民に定着していた平和の思想

 

安保法制案の衆議院審議のさ中の6月4日、憲法審査会が開かれ与党推薦の参考人(憲法学者)が「安保法制は違憲である」と陳述、大きな反響を呼び起こした。マスコミがこぞって憲法学者にアンケートを取ったら、ほとんどの憲法学者がこの法案が違憲であると考えていることが明らかになった。そして歴代の内閣法制局長官(現長官を除く)、元最高裁判事、元最高裁長官、大学人、学者等幅広い人が違憲の見解を表明したことは圧巻であった。憲法9条の思想が深く浸透していることが証明された。この法案に関して、党内から如何なる疑問も反対論もなしで通そうとする自民党の異常さが際立つ。

 

国会前には、24年間の議員生活の中でいくつもの悪法が審議され成立したが、私が見たこともないような多くの反対の市民で埋まった。

 

老若男女…組織の旗も見えたが、多くは個人の参加者が目立つ

 

政治に無関心と思われていた学生・若者

 

母親なら子連れのデモの大変さはよくわかるがママの会が熱心に来た…

 

明党の支持母体の創価学会員が旗を振り、署名を集め、プラカードを持って…

 

戦争体験した世代に近い方々が一番多かったようにも思えた…いま伝えなければと強い思いが溢れる

 

 

 

全国津々浦々…地方でも声が上がる

 

 私は9月6日長和町の共産党後援会の総会で、安保法制の情勢を話した。この日の午前中長和町と隣接する上田市でいろんな団体・個人が800人も集まって(これはメーデーの時の倍)安保法制反対の集会があった、という。

 

8月31日には長野県内で60か所の自治体で反対の集会が開かれたとの事。長野県は東京に近いので国会前にも多くの人が駆けつけている。新聞・テレビの報道で、全国各地で反対の集会、デモが頻繁に行われた様子が伝えられた。ところがNHKはこうした動きは殆ど放送しない姿勢に終始。民放(TBSやテレビ朝日)を見ないと各地の動きはわからなかった。NHKは、大本営の偏った情報を垂れ流したあの戦前に戻ってしまった感がある。

 

 

 

  9条を破壊する者とのたたかいは、続く

 

 このような国民の声に押されて、法成立後早速、次の闘いの力強い動きが出てきた。

 

 まず、小林節慶大教授は100人規模の原告で安保法制についての憲法訴訟を考えると表明した。

 

民主党は集団的自衛権否定法を提出するという。安保法制も法律であるから、当然法律で否定することができるのだ。ぜひ実現したいものだ。

 

また、日本共産党志位和夫委員長は「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の樹立を訴えた。そのために国政選挙で野党間の選挙協力を行うと表明した。これは9月20日NHKが朝7時のトップニュースで報じるほどの大ニュースである。共産党は国政選挙で他の野党と協力をすることには否定的だった。しかし昨年の総選挙で沖縄1区から4区の小選挙区で「米軍新基地建設反対」を掲げて選挙協力を行い、みごと基地反対派が4つの選挙区で勝利したという経験を経ての今回の方針であるという。

 

 

 

思えば戦後70年にして安保法制成立に至る背景には、1990年代に小選挙区制の導入、アジア太平洋戦争のA級戦犯を総理大臣にまでしてしまったことをはじめ、侵略戦争の戦犯の責任を曖昧にしたこと等いくつもの痛恨の歴史がある。

 

しかし戦後70年をかけて、「戦争は絶対にダメ!」という痛切な思いが国民の間に根づいてきている。平和思想、憲法9条を守ろうと。これを中心に置いてたたかいを続けることができるのでは、という展望が開けているのではないだろうか。(吉川春子・記)

 

 

 

2015年9月15日 (火)

フィールドワーク・「慰安婦」問題の視点で巡る、沖縄・宮古島の旅のお誘い

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「慰安所」とされた民家

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朝鮮半島から連れてこられた女性達が洗濯に来た、雨水のたまり場所

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ともかく宮古島の海は美しい

 

 

 当ゼミナールでは次の要領で、沖縄本島と宮古島でフィールドワークを行います。

企画:「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール

 

旅行期間:2015年11月27日~11月30日 4日間

 

旅行代金:129,000円

 

実施人数:30名 最低実施人数20人

 

申込締切:11月6日(金)

 

申込み先:富士国際旅行社宛 03-3357-3377

  沖縄には146か所も「慰安所」があった

 

 2008年、宮古島に「慰安婦」とされた女性達をいたみ、記憶にとどめるため「女たちへ」、「アリランの碑」が建立されました。

 

 大阪市とほぼ同じ面積の同島には16カ所の「慰安所」があり、日常的に島民の目に、女性たちの姿が映っていました。

 

 島民の一人、小学生だった与那覇博敏さんは、「兵舎になんで女性達がいるのだろう」と不思議に思ったそうです。土・日の一般兵士の外出日には「慰安所」で列をなして並んでいる彼らの姿も見かけました。

 洗濯場の帰り、石に腰かけて休んでいる女性達は彼に「兄ちゃん唐辛子をもらいたい」と声をかけ、与那覇さんは農家で手に入れて、「姉さん、これですか」と渡して喜ばれたという事です。ずっと、彼女たちは韓国に無事に帰れただろうかと心を痛めていました(「「慰安婦」問題と女性の人権」(「かもがわブックレット」P25 コラム 2009年)

 

 2006年、日韓の調査団が宮古島を訪れた際、与那覇さんは自分の土地を無償で提供すると、碑を建てることを提案したのです。

 

 沖縄全島には146か所の「慰安所」がありました。女性団体と研究者の調査によると、朝鮮半島の女性が1000人、*沖縄辻遊郭の女性が500人、その他台湾、日本本土の女性が性奴隷にされた歴史があります。

 

*辻遊郭 沖縄最大の遊郭、琉球王朝時代の1672年より続く遊郭地区で1879年の廃藩置県で日本の公娼制度下に入った

 

 

    今日も、米兵の性暴力多発

 1995年、沖縄を占拠し続けている米軍兵士による沖縄少女暴行事件は、記憶にまだ新しいですが、日本中に大きな衝撃を与え、宜野湾で怒りの大集会が開かれて、私も国会議員として駆けつけました。

 日本軍による性暴力の傷跡が深く残り、500名もいたとされる日本人女性も含めて、被害女性はずっと沈黙…、今日では米兵の犯罪とりわけ性暴力多発して、沖縄の女性達は気の休まることのない日々です。

 

   地上戦、米占領、辺野古基地建設

 私たちの旅は辺野古も訪問します。

 

 9月14日、翁長雄志沖縄県知事は、辺野古沖の埋め立て承認を取り消し、米軍普天間飛行場の「県内移設」を認めない決断を下しました。とても大きな決断です。背景に沖縄県民のイデオロギーの違いを超えた一致の強い世論の支持があるのです。安倍内閣はこれを無視して辺野古埋立の工事をどこまでも行う、というのでしょうか。

今回の私たちの旅は、沖縄の歴史と現状に触れて沖縄県民の心に寄り添う旅です。ぜひあなたもご参加ください。

 

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辺野古基地反対の住民の闘いを描いた映画「戦場ぬ止み」のジャケット

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当ゼミナール企画の「沖縄旅行のパンフレッ」ト表紙

 

2015年9月14日 (月)

ニュース21号ができました

 ニュース21号ができました。

 20号からは8ページ建てになって、内容もさらに充実してきました。

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      8ページ

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