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2015年5月

2015年5月29日 (金)

なぜ?日本軍「慰安婦」問題は解決しないの?

 523日(土)13時より、新婦人群馬県本部主催で、日本軍[慰安婦]問題第4回学習会が開かれました。会場のぐんま男女共同参画センター大研修室は参加者は101人で、準備した資料が足りなくなる大盛況でした。参加者の感想文が送られてきましたので、以下にご紹介します。

3 Photo

〇Aさん

 

戦争とは人間が人間でなくなってしまう恐ろしいものだという事…中国戦線に行った日本兵士の証言では強姦しなかった兵士はいない、何をやってもかまわないと恐ろしい事をしてきた…。私の亡父も中国で豚を盗んだ話はしたが強姦のことは言えなかったかとおもうが。なぜ今「慰安婦」なのか、新婦人内部の女性たちの中にも詳しくは知らない人達もいるから学習してゆくことが必要。現代史の学習に力を入れてはどうか…。

 

 〇Bさん

 

(話は)大変ショックでした。私の父はフィリッピンに行って戦死した。早く戦争をやめていたら父は死なずに済んだのではないか。吉川先生の話にあったが今まで日本は被害者だと思っていた、しかし加害者でもあったのだ…という言葉にドキッとした。私の中にずっと前から、何の根拠もなしに、朝鮮人を違和感を持ってみることが正直あった。

 

 同じ女としてこの「慰安婦」問題は共通認識として理解できるが、日本人にも「慰安婦」がいたはずだが誰も名乗り出ない。自分のこととして考えようとする上で、日本人も同じ(慰安婦の)被害者として意識することは重要だ。とてもつらい事だけれど、自分の問題として考えることを今日からの課題としたい。

 

 朝鮮への反感が植えつけられている、この事を掘り下げていくことが必要ではないか。

 

〇Cさん

 

 ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を読んだ。終戦後、お国のためといわれて米兵のための慰安所が設置された事を知った。日本女性は誰も名乗りを上げなかったので知らない人が多い。何故言えなかったのか、なんとなくわかる気がするが日本でもあったことを知らせてゆけば、また違うかなと思う。 

 

〇Dさん

 

 本や映像だけでなく、直接当たった方の話が聞けたので一番よかった。今の首相の歴史認識の間違いが、どの問題にも根本にあるという事がよく分かった。 

 

〇Eさん

 

 吉川講師の、議員を辞めて一番の心残りは「慰安婦」問題であるとの言葉に深い感銘を受けた。(加害国日本の女性であり、国会議員である)

 史実に基づいた話で、漠然としていたことがいろいろ明らかになった。実際に「慰安婦」として被害にあった方が実在しているのにそれを認めない政府に怒りを覚える。戦争しない、人道支援で信頼される国でありたいと思う。 

 

〇Fさん

 

 映像と資料で分かりやすかった。人権感覚のしっかりした人を政治家に選んでゆく、国民の成長がなければ解決しない問題だと思った。追加の話大変良かった(「慰安婦」問題に取り組んだきっかけ、日本の加害など)ありがとうございました。 

 

〇Gさん

 

 関連年表に沿った分かりやすい話だった。日本だけでなくドイツでも女性の被害があったこと、日本女性が名乗り出ていない事を初めて知った。日本の場合、全国民が戦争に加担していたのでそれを被害と思わなかったのではないかと思う。日本の女性議員を多数にすることがこれからの日本を正しい方向に導けるのではないかと思う。

 

 加害責任を教育の中でしっかり取り扱うべきだと思う 

 

〇Hさん

 

 ニュースなどで「慰安婦」の言葉を耳にする度によく理解していなかったが、今日の勉強会で理解できて大変良かった。ありがとうございました。

 

 〇Iさん

 

(吉川が出席した)京都の母親大会分科会に参加、一昨年の伊勢崎の講演会にも参加した。「慰安婦」問題は現在のDVにつながっていると思う。男尊女卑がいまだに日本には起きている。今日も内容がよくわかり勉強になった

 

 

〇Jさん

 

「慰安婦」問題を否定的にと荒れる政治家、右翼、(地方)議会や行政の動きに怒りを覚えるが、吉川さん達の運動と全くかみ合わない、対話が成立しないことに不安を感じる。

 

 日韓関係が最悪である背景にはアメリカの圧力もあるのでは? 感情的にさえなっている韓国の動きとアメリカの対日、対韓政策との関係を知りたい。 

 

〇Kさん

 

「慰安婦年表」がとても参考になった。

 

 

〇Lさん

 

 知っているつもりであったことのあいまいさを感じさせてくれた、とても具体的な話だった。特に日本人「慰安婦」の事について、はっとさせられた。私の頭の中に「慰安婦」というと韓国の方たちのことしか入っていなかったのに気付いてはっとした。日本人「慰安婦」の問題にもむきあってゆくことの大切さを教えてもらった。

 

 

〇Mさん

 

 「慰安婦」問題は朝日新聞で「虚偽」だったと書いてあること(201584-5日付け)がよくわからなかった。「慰安婦」が本当にいたのになぜ謝るのか?という事が吉川さんの話を聞いて納得した。

 

 ドイツでは戦争のことをきちんと子どもに教えているのに、日本では教えていない事は問題だ。「慰安婦」のことを日本の兵士がやったことを忘れてはならない事だ。きちんと解決していくことが大切であると吉川さんの話を聞いて強く感じた。

 

 

 

2015年5月26日 (火)

ニュース20号ができました。

 ニュース20号ができました。

 今回からは8ページ建てになって、さらに内容を充実させています。

 会員の皆さんのお手元には近々に届くと思いますが、是非ニュースを読んでみたいという方はご連絡ください。

 また、「慰安婦」問題への取り組み等、皆さんの地域での活動の情報などもぜひお寄せください。

 

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2015年5月24日 (日)

平和 協力 繁栄の東アジア共同体をめざす国際シンポジュームで発言

   北朝鮮を含めて、東アジアの繁栄・平和の共同体の構築と

          北東アジアの平和の展望を語ったパネリストたち

 5月24日(日)、東京の国連大学で平和・協力・繁栄のアジア共同体を目指す国際シンポジュームが開かれ 国際色も豊かに350人が参加しました。6人のパネリストはいずれもこのテーマに大変詳しくまた、分析も鋭く将来展望がわくお話でした。

 ややもすると毎日のニュースに翻弄されて、現状のアジアの状態に希望が持てなくなることもありますが、困難な問題を数字にもとづき分析して、積極的な方向性を示唆する希望あふれるシンポジュームでした。

Photo

写真は、シンポのパネリストたち(国連大学ウ・タンと国際会議場で)

パネリストと、その発言テーマは次の通りです。

① 劉成(リュウ チェン)南京大学教授

「平和研究の見地から考える地域協力の理念とメカニズム」

② アフマド・イブラヒム・アルムタキ・ハビビセンターASEAN研究計画責任者

「アジア太平洋地域の平和の共同体構築をめざして―インドネシアとアセアンの経験」

③ 緒方 靖男 日本共産党中央委員会幹部会副委員長

「東アジアにおける共同体への展望」

④ 大西 広 慶応大学教授

「アジアの再興からアジア共同体へ」

⑤ 南 基正 ソウル大学日本研究所研究部長

「日韓関係の修復と東アジア強豪対抗層の再生」

⑥グエン・バン・フィン ベトナムアジアアフリカ連帯協力委員会副会長

「バンドン精神60年の歩み」

パネリストの発言の後、午後はフロアーからの発言が12人からありました。

私、吉川春子もその一人として発言しましたので以下に発言原稿を掲載し

ます。

 

<吉川春子のフロアーからの発言>

今日のシンポジュームに大きな刺激を受けまた、将来に展望を持てました。ありがとうございました。

 

私は1983年から2007年まで共産党の参議院議員を務めました。

日本という国が近隣諸国の戦争責任を問う声に対して非常に傲慢な態度をとっていると感じています。

旧同盟国のドイツはナチスに対する厳しい反省にたち2次大戦後のヨーロッパ統合の取り組み、EUに至る中で積極的な役割を果たしてきました。

ドイツは近隣諸国とは友好関係を築き、日本は近隣諸国とは一触即発になりかねない緊張関係が続いています。

 

アジアでは日本がポツダム宣言を受け入れて降伏した後も、幾つかの国は植民地独立戦争や革命、あるいは独裁者による統治が続き民主的な独立国として安定するまでに一定の時間を要し日本の侵略戦争に対してすぐには批判や要求が突きつけられませんでした。その間日本はアメリカ主導の賠償請求を放棄するサンフランシスコ条約にも助けられ経済大国として、のし上がったのです。

 

 

他方、日本国民は、戦争の被害者意識が相当強いものがあります。それは侵略戦争によって死者310万人を出し、沖縄の地上戦、アメリカの原爆投下、それのみでなく主要都市も大空襲による壊滅状態に陥ったからです。その結果日本人は戦争はこりごりという意識が非常に強くそれが憲法9条を守るエネルギーにもなっています。

私自身も政治家として選挙を戦うたびに平和を訴えたが、戦争反対の自分の意識にあったのは加害者意識ではなく、戦争による被害の悲惨さでした。

 

その日本人と政府に逃れることのできない加害責任を突きつけられたのが日本軍「慰安婦」問題です。199112月日本軍「慰安婦」被害者として韓国の金学順(キムハクスン)が戦後46年を経て初めて名乗りを上げ日本政府を提訴しました。

この時、日本の女性そして戦後に大人になった人々は初めて『慰安婦』という衝撃的な事実を知ったのです。もちろん、兵隊として中国や東南アジア等に従軍した経のある世代は知っていたが、彼らは自ら体験した『慰安婦』については殆ど家族にも外にも語りませんでした。

 

 

私はその2か月後に、参議院会館会議室で100人ほどの日本女性と共に「従軍慰安婦」2人の悲惨な証言を聞いた。苦しくて顔を上げて聞くことはできませんでした。その時の『慰安婦』被害者が最後に「あなたのおじいさん、お父さんが私をこんな目にあわせました」と言って号泣しました。その女性の言葉が今も耳に残っています。

 

この時「慰安婦」の事実を知らされ多くの日本人には加害者意識に目覚めました。政府に対して責任を取るように世論は高まったのです。私は参議院議員でした。加害国日本の国会議員であり、女性でもある。必ずこの問題を解決しなければならないと決意しました。

 

 

しかしその後の政府の態度は国民の声を押し潰しあたかも相手の要求が不当であるかのような態度に終始し世論を誘導しました。私は国会で政府を追及し、他の野党と共同で8回も「慰安婦問題解決促進法案」を提出しましたが、自民党と公明党の妨害で毎回廃案にさせられました。

『慰安婦』問題は日本のNGO,とりわけ女性団体の20年にわたる必死の活動で、1990年代は女性の人権問題でしたが今や日本の国政外交上の大問題となり『慰安婦』問題の認識が政治家の質を決めるメルクマールとなりました。世論の変化がそうさたのです。

 

私は2007年に参議院議員をリタイアしましたが、5年前にNGOを仲間とともに立ち上げて、この問題解決のために活動しています。ゼミナールや講演、フィールドワークを行いつつ草の根の運動をしています。この会の名前は『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナールと言います。会員は東京、福岡、愛知を中心に全国で660人います。

 

 

20139月に私たちは日本AALA新婦人と共同でナヌムの家で共同生活をされている3人のハルモニ、つまり「慰安婦」を呼んで東京都、参議院講堂と、京都で証言を聞きました。この3人の年齢は80代後半と90歳です。

少女だった3人はそれぞれ場所は違いますが日本のトラックに強制的に乗せられて中国の慰安所に連れて行かれ、日本の将兵の性暴力を敗戦まで受けました。そして日本の敗戦と共に、中国に置き去りにされたのです。

 

彼女達が母国韓国に戻ってこられたのは2000年になって韓国政府が探し当てて連れ戻してくれたからです。「慰安婦」としての生活を脱した後もさらに、55年も異国での苦しい生活に耐えなければならなかったのです

 

彼女たちは日本で自らのつらい体験を勇気をもって証言し日本政府の謝罪を強く要求しました。そして一般の国民を恨んでいない、許すと言いました。最後は日本の童謡「夕焼け小焼けを」日本語で歌いました。私はこのハルモニ達が自らの苦しい体験を経た中で人権活動家に成長を遂げたと感じました。

 

韓国でも『慰安婦』と認定されている女性の多くは世を去りました。生きている方も平均年齢は88歳です。今年戦後70年にあたり、安倍総理は談話を出すと言っています安倍総理がまず談話にもりこまねばならないのは、このハルモニたちへの謝罪と反省の言葉ではないでしょうか。

 

日本歴代政府は国連やILOから繰り返し勧告を受け、韓国や、米下院、EU議会、カナダ、オランダ議会から「慰安婦」問題で非難決議を突きつけられました。しかし、歴史認識で国際社会の勧告を受け入れません。

 

加害責任を認識し、反省し次の世代にきちんと引き継いでゆくことなしには国際社会で生きては行けないという事実が近隣諸国との間で次々起きているのです。私は国会議員はやめましたが草の根からの運動を続けてゆく決意です。(終わり)

 

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