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2014年7月

2014年7月30日 (水)

インドネシアで、「慰安婦」にさせられそうになった、日本女性

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(写真は棚橋さん、貫名さん、吉川)

私は最近、神戸で貫名初子さんとお会いしました。96歳、一人暮らしで矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃいます。著書『社会の春は人がつくる』(20049月 兵庫県自治体問題研究所)には貫名さんが「慰安婦」にさせられるところを辛くも逃れたことがかかれています。日本人の女性がこうして東南アジアに「慰安婦」として送られたのか、と戦慄を覚えます。

 

 

以下著書の引用です。まず夫君がインドネシアへ行った経過についてです。

 

 

1942年春に私は結婚していましたが夫は半年でインドネシアに軍属としていったままで、ただ1回、43年シンガポールから長女春子の出産を祝っての銀のメタルに「春子」と名を彫ったものを送ってきました。…その後は全く音信はありませんでした。

 

 

何故夫はインドネシアに行ったのか。平和を愛する夫は召集されても心中で武力行使は拒否していました。インドネシアは1942年に日本に占領され、日本政府は日本通運に全土を任せていて、兵庫県の運送関係の役員をしていた義兄にインドネシア行きの命令が来たのです。幼児を抱えた義姉は部屋に義兄を閉じ込めて夫が行くのを強く拒否しました。軍国主義化の社会で我が命は天皇のためと教え込まれていた心の自由のない当時としてはまことに勇気ある行動でした。私の夫はこれを聞いて武力で戦う部署でない軍属として派遣されるのならと義兄に代わってインドネシアに行ったのでした」(P12~P13

 

 

 

 

貫名さんは夫がインドネシアに行った後19434月、長女を無事出産しますが生後48日で風邪のため亡くします。抗生物質のない当時、多くの乳幼児が命を奪われたのでした。(私も、兄も病気になり兄は1日で亡くなりました。両親の悲嘆を聞いて知っている私は貫名さんの悲しみは如何ばかりだったか、と想像します)

 

 

 

 

生死の便りのない夫が「生きている」と有名な占い師からいわれ、貫名さんは夫君を訪ねてインドネシア行きを決意し準備します。

 

 

 

「空襲警報の中をくぐりながら神戸のYWCAの夏季講座でインドネシア語を受講、また講師宅に毎週通って個人教授を受けなんとか話せるようになりました。それは義兄からインドネシアでタイピストを40名募集していると聞いたからです。私はタイプはできないが言葉をマスターしていると言う事で応募してインドネシアにわたり夫を捜すつもりでした。一行は神戸の垂水から出発すると聞いていましたので、私は準備して待機していました。しかし義兄は出航の日を知らせませんでした。私の追究に義兄はインドネシアにわたったら「慰安婦」になることが分かっていたので知らせなかったと言う事でした」

 

 

 

 

貫名さんによると当時運送会社の幹部だった義兄の方は、義妹の貫名さんの事が心配だったのでインドネシアまで飛行機で行った、そこで日本から送られた女性たちがみんな「慰安婦」にさせられている事を見てきたので船の出航日時を教えなかった、と言う事です。危機一髪のところで義兄さんの調査によって貫名さんは救われたわけですが、かの地へ渡った女性たちは「日本へ帰ってきませんでした。「慰安婦」にさせられて、戦争が終わったからと言ってどうして日本に帰れるでしょうか」(貫名さん)

 

 

 

夫君は19455月上旬「南方からの猜疑の引揚船」で引き揚げてきました。「…戦後生活の中で私がインドネシアの事について話しかけても夫は一言も話しませんでした。最近戦争中の資料の公開が次々とあり、日本軍の行為が明らかになってきて、彼が語らなかった理由が少しはわかる気も致します」(P33

 

 

 

 

<吉川コメント>

 

 

軍属としてインドネシアに渡った夫君も戦争の体験を語れなかったのです。オランダの植民地だったインドネシアで1943年に日本占領後、白人のオランダ女性が300人「慰安婦」にさせられ、また現地のインドネシアの女性も故マルディエムさんら多くの性奴隷とされ、性暴力にさらされた女性たちが多数いることは資料と証言で明らかになっています。私もインドネシアに調査に行ったので資料もあります。

 

 

 

貫名さんの体験は日本人も「慰安婦」として送られていたと言う事、民間業者ならぬ民間大企業・国策会社「日通」も何らかの役割を果たしていたのでは、と言う事も推測できる。

 

 

私は図書館で「日通125年史」(昭和37101日非売品)の記述に東南アジア、あるいはビルマについてはあるがインドネシアでの社の事業展開について発見できませんでした。同誌は会社の輝かしい実績と困難の克服についての記述はあっても戦時中国策会社として行ったことの詳細はない。福島敏行社長の冒頭の「序」には「諸先輩の筆舌に尽くしがたい辛苦の成果へ言及はあるが、戦時中の東南アジア、樺太、中国人民への思いはありません。

 

 

日本の侵略戦争責任が企業(大企業)についても明らかになる日はいつか。

 

 

 

2014年7月22日 (火)

蓮田で「慰安婦」問題勉強会

Photo 20140722

(写真左・学習会の実行委員の方々と 同右・今年は1輪しか咲かない庭のカサブランカ)

7月12日(土)10時から、「従軍慰安婦」問題を学ぶ、新婦人埼玉県蓮田(はすだ)支部主催学習会が開かれました。蓮田は春日部の西に隣接し、JR線で今人気の大宮駅から3つ目。会場は蓮田市の図書館の閲覧室2階の視聴覚室。

「慰安婦」問題と聞けば東京では公的な会場が妨害で使用できないところもあるが、埼玉県内ではあちこちで堂々と(当たり前の話ですが)行われている。

この図書館のパワーポイント・DVD上映のプロジェクターやスクリーンも壁にはめ込まれてこの規模の図書館としてはとても立派だ。参加者は48名で主催者の知らない方も多いとのことで、男性の参加も目立つ。

まず、時間の関係でDVD『15のときは戻らない』(宮崎信恵監督)のダイジェスト版(13分)が上映され、吉川が1時間以上講演した。会場から多くの質問が出さた。

 

 

「新大久保等でひどいヘイトスピーチが行われているが、原因は韓国の反日教育もあるのではないか、中国で日本バッシングの反日教育を強めている事をどう思うか」、「安倍内閣が行った『河野官房長官談話』の検証に対し吉川はどのように評価しているか」等。

 

 

 

終了後、主催者の皆さんと昼食会が行われ、そこには吉川が候補者時代から応援してくださっていた方も参加され 新婦人の活動などについて和やかに懇談した。

 

 

 

今何をなすべきか話題となり、吉川からこの問題解決のために力を貸してほしいと「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール」への入会をお願いしたところ、11名の方が新たに会に入った。

 

 

 

 

2014年7月13日 (日)

埼玉で「慰安婦」問題の解決へ――集会、大森弁護士が特別発言!

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(会場の一隅でパンフレットを販売する写真左から菅間、宮崎、五十嵐の皆さん)

 

台風が過ぎ去った712日、埼玉・浦和のホールには会場いっぱいの参加で、「世界と日本の友好・平和のために―日本軍「慰安婦」問題を考える」(主催・日本共産党埼玉県委員会)集会が開かれました。

 

韓国「ナヌムの家」の招待にこたえ、日本の衆院議員として初めて訪問した笠井亮さんが、「慰安婦」問題の経緯、被害女性の声、志位委員長の見解「歴史の偽造は許されない」の反響、「河野談話」検証作業の結果、見直しできず、継承することになった顛末などについて話しました。

 

 特別発言に立った大森典子弁護士は、中国の辺鄙な山西省・黄土高原の被害女性を何度もたずね、被害実態を詳しく調査、裁判で日本軍の野蛮な行為を事実認定させた苦労を語りました。集団的自衛権の行使容認が「閣議決定」されたいま、「慰安婦」問題の解決を願って運動するために何が重要かを2つあげました。

 

 ひとつは、世界とつながること。日本の「慰安婦」問題をアジアだけでなく、アメリカ、ドイツ、EU、国連などがどうとらえているのか、歴史的事実をしっかりとみることが大事だと指摘。公人の「そういうことはどこでもあった」「南京虐殺はウソ!」など歴史をねじ曲げる発言を、世界はどうみているだろうか。日本の侵略戦争がもたらしたものが「慰安婦」被害、アジアの人々に対する反省の結果が、日本国憲法に結実したことを考えるならば、憲法9条を踏みにじって、再び戦争をすることは許されないことだと、今日的な視点を強調。

 

さらに想像力を働かせることが大事だと指摘。「慰安婦」問題の本質は女性の人権であること、一人ひとりの被害女性に起きたことへの想像力が欠如している。この間国内で起きている女性の人権への軽視・無視などと、「慰安婦」問題が通底していることをとらえて、この問題に国民が向き合うことが日本の社会全体を変える力になると指摘しました。

 

集会には、吉川さんをはじめ、宮崎さん、菅間夫妻、五十嵐が参加し、会場でパンフレットを販売、「いのちの証言」(DVD)の宣伝もおこないました。パンフレットは41部普及できました。                         (五十嵐吉美・記)

 

 

 

 

2014年7月 5日 (土)

台湾映画・「蘆葦之歌」に見る”阿媽(アマー)”の最晩年、心の癒しのとり組み

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(映画「葦の歌」のビラと、写真右は エグゼクティブプロデューサー康淑華さんと、 呉監督、)

7月4日(金)東京・白銀台の明治学院大学で、「台湾の日本軍「慰安婦」被害者たちの回復への道のり」として映画「蘆葦之歌」(呉秀菁・監督)が上映された。

 

監督の呉秀菁さんと、財団法人台北市の婦女救援社会福利事業基金会執行委員長でこの映画のエグゼクティブ・プロデューサーの康淑華さんがあいさつし、また映画上映後は会場からの質問に答えた。映画の上映は同大学の授業の一環として行われ、教養教育センター教授、渡辺裕子さんの司会で行われ、前列には学生たちが着席して映画を一緒に見て、彼らは監督のインタビューも受け感想を述べた。

 

 

「葦の歌」の映画のサブタイトルに曰く、いつまでも負けを認めない人生に敬意を表し~青春は取り戻せるか?~「慰安婦」にさせられた“阿媽(アマー おばあさんの愛称)の記録、と。私は昨年の「ナヌムの家」のハルモニの記録映画を完成させたばかりなので、台湾の「慰安婦」達の記録映画に興味を惹かれて参加した。

 

 

婦女救援社会福利事業基金会は1992年から日本への訴訟の支援と、“阿媽(アマー)”の心と体の2つの支援に取り組んできた。性暴力の被害女性を16年にわたってケアし続けてきた。ワークショップの後半は死にどう向き合うか、家族との関係についても取り組んできた。映画には「慰安婦」とされた“アマ”が「家の恥だ!」と親族から追い払われるシーンも出てくる。家族や地域社会の理解を得られるまでにかなりの苦労があったことは、ここでも変わらない。

 

 

日本に対する訴訟にすべて負けて“阿媽”たちの心に傷が残った。ワークショップの目的は“阿媽”たちの心の傷を癒すこと、人生の時間の限界があり、日本は今後も謝罪しないだろうから、死ぬとき心の平穏を持ってほしいという思いで取り組んできた、という。

 

 

 私は、怒りと恨みだけでなく人生の最晩年に死の恐怖を和らげ安らかな思いで死に向かわせたいという支援組織の取り組みに感動した。このような形での「慰安婦」支援はキリスト教団体だからできたのか。

 

 

日本を許すと明言する“阿媽”も居るが当然、許さない人も多い。共通して「忘れはしない」という思いである。心が解放されていて画面も登場人物も明るいし心も和むが、日本は本当にひどい事をしたものだという事は伝わって来る。

 

せっかく不充分ながら謝罪した「河野談話」を「検証」しケチをつけている安倍内閣。日本はいったいどういう国なんだ!というやりきれない思いがする。 

 

2014年7月 3日 (木)

加害国・日本のNGO の責任を痛感したゼミナールに

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(講師の梁澄子さん)          (聞き入る人々)



「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール主催の第13回ゼミナールが622日(日)に渋谷区女性センターで行われた。講師は「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」共同代表の梁澄子さん。「『慰安婦』問題解決に向けいま私たちに求められていることは」と題して講演。梁さんは第12回「慰安婦」問題アジア連帯会議の「日本政府への提言」をまとめる中心的役割を担われている。

 

 

まず、安倍内閣の進めている「河野官房長官談話」の「検証」について、当時の日本政府第2次調査の「16人の元『慰安婦』の証言はいい加減」キャンペーンに産経新聞や「維新の会が歩調を合わせている事、16人のいい加減な証言のせいで「河野談話」で強制連行を認めたことは間違っている。そのため性奴隷性があったように世界からいわれた事、など政府の「解決済み論」を後押ししている右翼・日本のマスメディアの動向に言及。

 

 

安倍内閣の「検証」に対し韓国外交部は外交的には裏切りと言明、遺憾の意を表明し、日韓外交はますます難しくなっており、強制連行を否定する安倍内閣は退陣しかない、と強調。

 

 

5月末から6月にかけての第12回アジア連帯会議の「日本へ政府への提言」は慰安婦問題に対する事実を認めた上で謝罪・補償を行う事等を求めている。梁さんは正直なところ、安倍内閣にこれを提出することに、むつかしいなという思いがあると心情も吐露。しかし、被害者が望まない解決策はあり得ない、被害者が求めるのは日本政府が法的責任を認める事であるときっぱり言明した.

自分達支援者としては日本政府に事実を認めさせること、そのためには「河野談話」があいまいにしている部分をきちんとさせる必要がある。また植民地だけではなく占領地における被害者についても要求してゆく必要があると強調した。

 

 

会場とのやり取りでは「日本の社会はおかしい。『慰安婦』の証言を聞けば同情心でいっぱいになるはずなのに。若者の想像力が働かなくなっている。どう働きかけたらいいか」、「1965年の日韓請求権協定締結のときになぜ、『慰安婦』を入れなかったのか」、「『アジア女性基金』の評価について」、「法的責任について」、「署名に取り組んでいると『洗脳させられているんじゃないか』という反応がある」など、積極的な意見と質問が出された。講演者の梁さん、司会の大森典子さんの回答もあり有意義な交流となった。

 

 

講演に先立って昨年9月来日したナヌムの家のハルモニたちの東京、京都での活動の記録・「『ナヌムの家』ハルモニいのちの証言」(宮崎信恵監督、新婦人、民青、日本AALAと、当ゼミナールの共同企画)が試写された。ハルモニたちが全身の力を振り絞って証言しており、同時に日本のNGOとの交流が感動的である。この映画は3500円で販売される。

 

2014年7月 2日 (水)

祖母、母、おみな牢に満つるとも

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(講演する渡辺治先生・春日部母親大会) (首相官邸に国民が近づかないように監視7.1)

   集団的自衛権阻止のために

7月1日、多くの国民の反対の声を押し切って、しかも自民党の選挙公約にも無かった、集団的自衛権行容認の閣議決定を行った。憲法9条を改憲手続きなしで変えようと第1歩を踏み出した。今度も「自衛隊が米国の船を守る」と母と幼児の乗った米艦船のパネルをしめす。「日本人の命を守るため」という嘘っぽい安倍総理の演出と言葉。守りたい(口実)のは日本人の中でも日本の海外進出の企業。さらには武器輸出3原則を反古にしたうえ、加えて軍事予算増大で武器産業(死の証人)の大儲けさせたい、という意図をベールで隠そうとする。しかし、衣の下の鎧は隠しようがない。

 

公明党は党是としていた「平和の党」を捨てても与党で居続けなければならない理由があるのだろうか。反対のポーズは取ったが、譲歩は時間の問題とみられてはいたが、あまりにも簡単に抵抗ポーズは終わった。

 

立ち上がるのは、今でしょ!

安倍内閣は秋の臨時国会に自衛隊法等法律の「改正」を行い解釈改憲の仕上げを狙う。国民の戦いはさらに続く。護憲勢力の戦いの展望について、渡辺治一橋大名誉教授は6月29日の春日部市母親大会で、60年安保条約反対闘争のときのように戦おうと熱く語った。

 

 

 

その力とは?

 

  ①地方の力。60年安保は都市中心だったが今は農村、地方都市の力大き

  い。「9条の会」は全国津々浦々に7500も作られている。地方は今や自

  民党の金城湯池ではない

  ② 保守の人たちの幅が広い反対。古賀、野中、加藤といった大物自民党政治

   家が戦争を知る世代として集団的自衛権行使の閣議決定に反対している。 

 

   ③ 女性の声の大きさ。平和運動の担い手は女性になっている。かつては男性

   正社員中心、運動は男性が行うものとされていた。

 

   ④ 中高年の力。60年代は若者が運動の中心だった 

 

   なお、渡辺先生は市民の力を上げたが、NGOの数については触れなかっ

    た。私が加えるとしたら、国会でNPO法案が成立して以来10年余りの間

 に4万のNPO(非営利法人)が認定され、福祉、他多方面の市民運動・活

    動を行っている。NPO以外でも、当ゼミナールのようなNGO(非政府組

    織)も無数にある。こうした女性の人権、平和等の市民運動を担

   う人々が大きく立ち上がり、なし崩しの憲法改悪を阻止しよう。 

 

    「あの時、何故戦争に反対しなかったの」と、私が父に何度も問

    いかけた、その時が今やってきてしまった。戦いの秋が目前に迫ってい  

     る。

 

 

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