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2014年4月15日 (火)

オランダ人「慰安婦」の凄まじい強制連行・性奴隷の裁判所での証言記録

 

 

Photo  2002

(写真左・「アジア女性基金」オランダ事業の担当者・ハーマー女史とアムステルダムで、右・「慰安婦」とう強制連行問題で日本政府を提訴している「対日同義請求在団」事務所で会メンバーと)

BC級(オランダ)裁判関係』バタビア裁判のワープロ化資料」(ワープロ筆耕&注:須磨明 2014.3.29編集・小林久公)は、スマラン(インドネシア:吉川注)事件における多数のオランダ女性への強制連行と強姦の生々しい、膨大な裁判記録である。一部を転載する。 

 

 

被害者本人が語る強制連行と生々しい慰安所での強姦

 

<A09>被害者EL22歳)の証言(注:ハルマヘラ⇒スマランクラブ⇒日ノ丸)

 

戦前は看護婦。194210月母、姉とともに「スラバヤ」に抑留され後に「ハルマヘラ」キャンプに移された。(原文は“カタカナ”、吉川が“ひらがな”に直した)

 

問   慰安所に入れられた経緯を詳細に述べよ

 

 

 

 1944222日「ハルマヘラ・キャンプ」に6名の日本人が来た。3名は私服(「スマランクラブ」、「日の丸」、「双葉荘」の主人)、3人は制服を着て刀を下げていた。これら日本人の命令で17歳から35歳までの婦人は全て事務所前に並ばせられた。それから一人ひとり事務所の中に呼び込まれ、マレー語で名前、年齢、番号を質問され、頭の先から足の先まで観察された。

 

226日、日本人がまた来た。病気を除き8名が呼び出され、30分以内に出発の準備をせよと云った。私は何処に行くのか尋ねたが、その日本人は怒って「判っている」といった。他の皆も聞いたが「ガミガミ」言われただけで何も分からなかった。

 

其の日のうちに「アンバワラ」から1516名の婦女子が我々と同じように行く先も知らされず連れてこられた。その晩…「スマラン」の「ブラカン・クボン」の「日の丸慰安所」へ連れて行かれた。私は一人宛て別々の部屋に入れられて暫く休養させられた。数日後、先ず2人の女性が日本人に強姦された。我々は恐ろしくなって、雨の中を外に飛び出した。その時われわれには恐ろしい悲鳴が聞こえた。

 

我々は後になってこの2名から知らない日本人が部屋に入ってきて、暴力を持って性交しようとしたので、之に抵抗したが手首を捻られ、安楽椅子の上に倒され強姦されたと聞いた…。

 

皆できる限り抵抗を試みたが、暴力と虐待行為に依って性交を余儀なくされて了った。ある数名の者は拳銃と「サーベル」で脅迫されて部屋の中に追い込まれた。…2名が鉄条網の塀を超えて逃げ出してした。その晩「スマラン」の町外で巡査につかまり、次の日は戻されてきた。…その晩2人とも俄かに掴まえられ暴力を持って処女を奪われてしまった。…はこのため錯乱して「ペンナイフ」で手首の動脈を切って自殺を図り、出血多量のため36時間気を失っていた。

 

35日古谷の命令だと云って「メナド」人の「ヨハン」から私も働きに出ろと言われた。私はいやだと言うと、彼は若し主人が怒ったらお前の責任だと言って脅かした。次の日C.Rがピアノを弾いているのを傍に立って聴いていると、突然見知らぬ下士官に腕を掴まれ部屋に引っ張り込まれた。私は全力を以て反抗した。彼は私を寝台に入れようとして、我々は30分争った。彼は殴り、蹴り、私の服をびりびりに破いて了ひ、また彼はサーベルを抜いて、之で私を脅かした。「サーベル」は何回も私の体スレスレに壁に突きさされた。終には私はくたくたになってしまった彼はそれから私をベットに入れ、破れた服のまま強姦をした。私はそれまで性交をした事はなかった。それから私は毎日のように働かされ、時には一日に78人の日本人と性交を強いられ、また時には5分置きにやられることもあった。

 

ある日突然、慰安所は閉鎖された。…112日には「クラマット」キャンプに移された。此処では慰安所から来た者は特別な垣根で仕切られた一角に入れられた。…

 

また、外の婦人抑留者からは罵倒されたり、唾を吐きかけられたり酷い侮辱を受けた。此処の生活は我々には地獄であった。戦後になっても、今日でも、いまだ我々は自発的に日本人に身を委せたといっては侮辱されている。(以下略) 

 

 

日本軍から強制連行され、どんなに抵抗しても強姦され、そして「慰安所」閉鎖後は同胞からも侮辱され続けているオランダ人「慰安婦」の地獄のような生活。男性は強制労働、女性は性奴隷…従ってオランダの反日感情はとても強い。この事を私はオランダで実感した。しかし多くの日本人は知らない…という現実。 

 

安部総理の「強制連行の公文書がない」との主張は成り立たない

 

「ジャワ島セマラン所在の慰安所関係の事件」は、「河野官房長官談話」の発表に先んじて1993年に行われた政府の「慰安婦」問題調査の収集資料として法務省が内閣官房に提出したものである。

 

このオランダの裁判資料を見れば、なにも韓国の16人の「慰安婦」の証言を待つまでもなく日本の強制連行の証拠として充分であろう。また、裁判記録であるから公文書である。公文書の証拠がないなどとはとても言えない。

 

昨年夏、所蔵していた国立公文書館が副写文書を公布したので多くのNGOや研究者が知るところとなったが、「慰安婦」問題を担当する担当者は1993年から知っていた。

 

吉川質問の前に安部総理はこの「法務省資料」のレクチャーを受けている

 

私は2007326日の予算委員会で安部総理にオランダ人「慰安婦」は総理の言う狭義の強制連行ではないのかと追及した。大臣に質問する場合は質問内容についての質問通告を何日か前に行う。私も安倍総理に質問通告を出しているので官僚は答弁を準備する過程で法務省のこの資料を総理にレクチャーしているはずだ。

 

安倍総理は私の質問にまともに答えず逃げまくった。強制連行はなかったと言えないからだ。そしてついに「吉川議員のおっしゃる事は『河野談話』に含まれている。私は『河野談話』を継承している」と答えた。つまり、強制連行を否定しなかった。この資料をみれば否定できるはずはないからだ。にもかかわらず、その後も強制連行否定の議論は横行している。

 

 

オランダ人「慰安婦」に対する恥ずべき行為については明確な裁判記録(公文書)がある。韓国、中国、アジア諸国の「慰安婦」についても多くの被害者の証言がある。世界中の人々が、国々がこの事を知っている。何時まで日本政府は否定し続けるつもりなのか。(了)

(そろそろ見納めの室内の君主欄・春日部)

Img_1631

 

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