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2013年3月

2013年3月31日 (日)

DVD「15の時は戻らない ナヌムの家のハルモニ達の証言」を見るご近所の会

3月28日(木)

 昼下がり、春日部市の野津山さんのお宅に”向こう三軒両隣”の方が集まり、「慰安婦」の被害者の証言・記録映画(32分)を見る会が開かれました。ごぼう茶のサービスと各自が持ち寄ったミカン、お菓子等を食しながら、吉川の説明を20分ほど聞いた後にDVD「15のときは戻らない」をテレビに映して見ました。

 朴玉善(パク・オクスン)さんと、李玉善(イ・オクソン)さんの二人のハルモニ(韓国語で「おばあさん」の意)の話に、みんな引き込まれてゆきます。また韓国の大学生とおばあさんたちのと楽しい交流、生徒と学生で埋められた日本大使館前の水曜デモ、音楽とダンスに見ている表情が緩みます。

同時に配られたカラーのA4 [資料]は「今までのなかで一番わかりやすい」(野津山さん)と評判でした。

 見終わって、みんなで感想を出しあって雑談を1時間半くらいしました。ほとんどの方は「慰安婦」問題についてあまり深く知らなかったので、驚きは新鮮、そして、いろんなところに話が発展しおしゃべりを楽しみました。

 野津山さんが口火を切りました。「女性の差別が根っこにあるのではと思った」

 初めて本格的に話を聞いたという方は、「14歳の少女に1日に40人もの日本兵の相手をさせた事にびっくりした」と。

 「女性は拉致されたんですね。ということは北朝鮮の拉致問題と同じではないか、と思った。自分は、女性たちはみんな進んで『慰安所』に行ったとばかり思っていた」と感想が出されました。

 そう、日本はいわゆる「拉致問題」の起きるずっと前にその何百倍もの朝鮮半島の人々を拉致、あるいは騙し、あるいは国家総動員法を名目にして、強制労働に駆り立てたのです。マスコミは「拉致報道」は熱心でも、日本が拉致した話は全く報道しませんので一般の人々はご存じないのです。 

 吉川は女性が強制連行されたり騙されたりして「慰安婦」にさせられたにもかかわらず、安倍総理はこの「強制連行」を否定していることをお話ししました。

 話は朝鮮人を日本人がどれほど差別してきたかに及び、各人の子どもの頃の朝鮮半島の人々との思い出に花が咲きました。

「日本人はいなかったのですか」との質問がありました。

 これに対して、館山市の「噫 従軍慰安婦の碑」があり、これはトラック島の日本人「慰安婦」城田すずこさん(仮名)の強い願いで施設長の牧師が建立したものである話をしました。戦前の日本は飢饉の際に東北地方等で娘を遊郭に売った話や、カラユキさんについて話が発展しました。

 吉川が、娘を親が売ることが犯罪として禁止されたのは2005年!であることを説明しますと、驚きの声が上がりました。

こうして、 話合は夕方近くまで続きました。

(写真はDVDの表紙「15のときは戻らない ナヌムの家のハルモニ達」)

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2013年3月28日 (木)

第1回総会開く、記念講演は笠原十九司都留文科大学教授

三月二十五日(日)

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(写真左・講演する笠原先生、左春日部・古利根の桜)

 「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」は、東京都文京区役所・シビックセンター・シルバーホールで第一回の総会を開きました。会は二〇一〇年六月にスタートしました。この間、八回のゼミナールと三回のフィールドワークを行い、会員は四〇五名に増えました。この二年九カ月を省みて、次の活動の方向を打ち出すというとても重要な総会となりました。

 参加者は五二名で男性が四割を占めました。「慰安婦」問題が女性問題であるという認識の域を超えて、人権問題であり、重要な外交問題の「躓(つまず)きの石」になるやもしれぬという、私達の危機感もありました。この三年間について、会員数、ゼミナールの参加者、財政的基礎、ニュースの発行等の具体的な報告を行いました。結成当初は四百名余の会員を擁する迄になるとは想像しませんでした。

 今後の方針としては被害者の存命中の解決を実現するために多くの人に「慰安婦」制度の事実を知らせる活動を行う活動について、安倍内閣の改憲の危険な動きを阻止する戦いと一体のものとして行う事を打ち出しました。戦争放棄放棄をうたう現憲法こそ、戦争で女性の性が蹂躙されることを防ぐ最も確かな保障です。

 「慰安婦」の強制連行を否定して問題の本質から目をそらし、過去の加害事実に目を覆う安倍総理は、日本国憲法九条「改正」への道をまっしぐらに進んでいます。女性の人権を守るためにも安倍内閣の行おうとしている改憲を阻止する事は最も重要な課題です。私達は総会で「声明」を採択してその決意を明らかにしました。

 記念講演は「歴史の転換点にあって、歴史から学ぶことの大切さ」と題して、笠原十九司・都留文科大教授が行いました。先生は中国現代史の研究者として、また南京大虐殺の国際シンポジュームパネラーとしての蓄積にもとづき、領土問題に端を発した、現代の日中間の危うい関係を分析し警告を発するものでした。

 今の日中は「戦争前史から戦争前夜に移りつつある」という事が語られ肌に泡を生じる思いがしました。「前史」の段階は止められるが、「前夜」になると止められないと、偶発的な事件で戦争突入がありうるという過去のいくつかの例を話されました。その時国民は熱狂してしまうので、反対意見や運動はもはや受け入れられないと指摘されました。

 また、中国は日本の戦争被害に寛大だったが、日本の残虐行為を忘れてはいない。加害事実を日本国民が知らないということは中国人は深く傷つくだろう」とも話されました。南京虐殺で日本兵は強姦女性を証拠隠滅のために殺した。ドイツ兵は強姦しても殺すことはしなかった等、人権意識の欠如の例をいくつか挙げられました。

 私(吉川)は撫順の戦犯管理所で、中国人民を苦しめた日本軍人を人道的に遇し、裁判も多くは懲役刑も言い渡さず釈放し、死刑はゼロ、懲役刑もほとんど減軽され早期に日本への帰国が実現した事を思い出しました。一方中国の歴史博物館では日本兵の残虐行為が残されており、歴史の事実として国民に教育されているでしょう。これは右翼が言うような「反日教育」ではなく自国の歴史を国民に教えることは当然です。都合の悪い事を教科書から抹殺し教えない日本は将来どんな人間が育つか不安です。

 日本による中国人民の戦争犠牲者(死者)は2千万人以上というのが中国政府の認識です。また先生は、日本兵の人権意識の欠如をいくつかの例で触れられましたが、その原因について私達は深めなければなりません。

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在も盲目となる」とはかのワイツゼッカードイツ大統領の名演説の1節ですが、私達の戴く指導者はかなり盲目です。このような指導者にかじ取りを任せたら我が国は危険極まりない方向に進みます。政治を変えなければなりません。「慰安婦」問題の解決のためにも、日本の将来のためにも。

写真左・講演に聞き入る人々、右・春日部市古利根川のオシドリ親子

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2013年3月22日 (金)

立教セカンドステージ・ウイメンズクラブで、ナチスの犯罪について考える

 3月18日(月)

 午後1時から4時半迄、立教大学池袋校舎のセントポールズ会館で、「慰安婦」の視点で巡る・ポーランド・ドイツの旅(企画:「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール)の報告会が開かれました。

 初めに旅の企画をした吉川春子が目的、全体のスケジュール、訪問した都市・施設等をパワーポイントを使って50分報告しました。そしてドイツが戦後、社会からナチスの影響力を経つために血の出るような努力をしている事、次の世代にナチスの蛮行の跡を残すメモリアルや博物館が多数設置してある事に強く心を打たれたと述べました。

 続いて桑原照子さんが、旅の途中、留学中のご子息との再会し一緒に回ったベルリンの1日を加えて、豊富な写真をスクリーンに映しながら感動的に話しました。一緒の旅に参加した松本綾子さんや、立教大学教授の古賀義弘先生も参加されました。

 懇談では参加者一同による意見交換をして、「日本は現代史を学校で教えないが、触れてはならないもののように扱われている」、「ヨーロッパ旅行に度々行き、『シンドラーのリスト』、や『カティンの森』の舞台と紹介されたクラクフに行き、またこれらの映画も見たので懐かしい」、「長崎の原爆犠牲者渡辺千恵子さんと一緒に反核運動もした」等と爆心地の一本足の鳥の話が出ました。

 「戦後に一時期に『憲法の話し』を教材に学校で教わった」事に話しが及び、「兵士たちは生還しても自分の体験を語らない」、「両親は満州からの引き上げの途中姉を亡くした事もあって家では朝鮮の話はタブーだった、韓国旅行へも長年行かなかった」等、子どもにまでトラウマとなった戦争の苦しい思い出が語られました。(写真左・女性専用強制収容所跡、写真右・首都の繁華街に建てられた看板に「我々が決して忘れてはならない恐怖の場所」としてユダヤ人や共産主義者を殺害した強制収容所の名前が大きく書かれています)

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