強姦被害者に立ちはだかる三つの壁
2月27日(水)
左・小林美佳「性犯罪にあうということ」(朝日新聞出版) 右・雨にぬれる山茶花(吉川庭)
強姦の「認知件数」は下がる一方で、2009年は1500件を下回った。1980年が2600件だった事と比べると激減である(総務省統計局ウエブサイト)。また、なぜ「発生件数」といわないのか。強姦罪は親告罪なので被害者が社会の目を恐れて泣き寝入りしている場合や、告訴しても取り下げる例が多いと想定され、実際に発生している犯罪件数とは齟齬があるからである。
被害者がまず遭遇するのは家族にも言えない、言っても理解してもらえないということである。小林美佳さんは二四才の時に職場からの帰途2人の見知らぬ男に強姦された。一番理解してほしい両親とりわけ母親は娘より世間体を気にし、かえって兄や弟の方が理解を示す(「性犯罪にあうということ」初判2008.4.30)。辛かっただろうね、と母親が抱きしめてくれる事はなかった。社会の無理解は推して知るべしである。
第2の壁は刑法の規定である。強姦は親告罪なので被害者が告訴しないと加害者は起訴されない。被害女性は社会の目を恐れ泣き寝入りする人も多い。性犯罪被害女性に対して、落ち度があったかのような目をむける。それを恐れる。それは戦前の家父長制の下、女性にのみ貞操が厳しく求められた名残である。こうして被害者は告訴をためらう。強姦犯人は訴えられない事を良い事に犯罪をくりかえす。
しかも財産罪の強盗よりも強姦の方が法定刑が軽い。明治43年に制定された現行刑法は女性の人権は眼中になかった。そして強姦罪は虚偽告訴罪と賭博罪にはさまれ社会法益に位置する(私も強姦罪が社会法益だという事に最近気が付いた)。殺人、暴行などの個人法益ではない場所に位置するのは不自然である。刑法の「哲学」(明治の感覚)を感じさせられる刑法罰条の配置である。
第3は、裁判所に人権感覚の希薄な点である。裁判になっても裁判官が強姦の構成要件である「暴行脅迫」について、死に物狂いで抵抗しないと、加害者との合意を認定され無罪とされてしまう。枚挙にいとまがないが一例をあげると次のような判例がある。
彼女が「やめて、という以上の抵抗」をせず「大声を出して近隣に助けを求めたり」「逃げ出そうとした形跡もない」ことなどから男の行為は「原告の抵抗を著しく困難にする程の暴行・脅迫を加えてなされた」とは認められない、つまり「強姦」ではないとし訴えを退けた(1995年)。裁判官は女性だった!(この項・立教大学非常勤講師・皆川満寿美「ジェンダーと現代」講義資料より)
小林美佳さんも語っているが、殺害されるのではという恐怖、自分に対する無力感等々に苛まれる。強姦被害者が何時でも全力で抵抗して逃げようとはできない状態に陥ることを裁判官は知るべきである。
社会の意識は早急に変えられないが、法改正で政府・国会は親告罪の廃止を行うべきである。また、国連からも勧告されているが裁判官等法律の執行に当たる者に対して徹底的な人権感覚を身につける教育を行う必要がある。女性が安心して暮らせる社会にしなくてはならない。(了)
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