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2012年8月

2012年8月29日 (水)

母親大会で活躍の会員たち

 

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<写真左から坪川、大森、後藤、右写真は全体会>

 第58回日本母親大会は8月25日と26日の2日間、新潟市で開催され分科会六千五百人、全体会まで含めると延べ1万6千人が集いました。三十四の分科会、シンポジューム、講座、特別企画に分かれ日本中の母親が集いました。子ずれのお母さん、男性も参加しました。

 わが「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」会員が参加した分科会は、ー日本軍『慰安婦』問題、戦争責任ーでした。助言者の大森典子弁護士は、韓国の李明博大統領の竹島上陸を始めとする一連の言動が「慰安婦」問題を領土問題の背後に追いやりかすんでしまったこと、韓国憲法裁判所の判決の趣旨と、日韓条約の第2条1項と第3条1,2,3項に両国の解釈に関して紛争がある場合には外交経路を通しての解決、または第3者の仲裁委員会に付託するという条項があり、日本政府の解決済みの主張は条約上からも筋が通らないこと、国際社会から日本への厳しい批判などを紹介しました。このお話によって、参加者の多くは日本政府や右翼の宣伝に対して適切に反論する理論的根拠が示されたことに、大きくうなづいていました。

 

 続いて助言者の坪川宏子さんは、「慰安婦」問題を記憶し、次世代に継承する意味と重要性」と題して、ハルモニの思い、河野談話、各国決議を紹介し、次世代に語り継ぐ具体的な活動を紹介しました。特に学校教育の重要性、と教科書から「慰安婦」の記述が後退していった背景と記述復活への取り組みについて具体的に紹介しました。さらに社会教育の重要性と具体的運動を紹介、博物館、記念館、モニュメントなどの記憶し続ける装置としてアクティブミュージアム、「女たちの戦争と平和資料館」、もう一つの歴史博物館「松代(長野)、かにた婦人の村(千葉)、宮古島の「女たちへ」の碑などを紹介。政府の役割と個人、NGOの役割をドイツとの比較で力を込めて話しました。

 

 参加者からは各グループ学習、や自治体に意見書を採択させる取り組み、大阪市長の反動的な発言への危惧など活発な意見が続きました。被害・加害というテーマだったので、東京大空襲の訴訟の取り組み、また、元従軍看護婦だった88歳の女性からは旧満州での「慰安婦」や日本兵の様子などが語られました。最後に5つの申し合わせ事項を確認しました。

 「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール会員の棚橋、和田、水野さんがフロアーから積極的な発言をし、後藤ひろみさんは司会者として分科会の進行と申し合わせ事項の取りまとめのために奮闘しました

<写真・左、助言者の大森弁護士と司会の後藤さん、写真右申合わせ事項の取り纏め>

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2012年8月27日 (月)

ポーランド・ドイツの旅の旅程

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(写真左・アウシュビッツ絶滅収容所銃殺現場、右・空襲で破壊された王宮と、以前の姿)

 「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール企画(旅行社・FUJIツーリスト 本社・名古屋)の旅程は以下の通りです。旅行中にもブログでそれぞれの見学都市・施設を報告しますので、ぜひご覧ください。

 アウシュビッツは行かれた方も多いでしょう。ベルリンもミュンヘンも、ドレスデンも新しくないかもしれません。

 しかし、今回の旅の新しさは第1に、ナチスの強制収容所にはほとんどが「売春宿」があった事、中でもラーフェンスブリュック強制収容所の女囚たちを他の強制収容所へ売春婦(性奴隷)として送りだしていた事が最近研究で分かった事について視察します。日本の「慰安婦」問題がきっかけで研究が進んだということです。

 第2に、ナチスへの抵抗運動は、日本のファシズムへの抵抗運動の比ではなく徹底してしかも数多く行われていた事、空襲で壊滅したワルシャワ、ドレスデンは市民の力で修復されたこと。大都市が同じ被害にあっても日本で修復がされなかった事との違いは歴然です。それは何故なのか?

 第3に、ドイツはナチスの野蛮な行為について国として反省を徹底して行っているが、日本はまだ「あの戦争は正しかった」等と堂々と言える国、そして「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」等と質問主意書まで出した右翼政治家が総理大臣の収まっています。(野田総理の事です)ドイツと比べれば不思議な事がまかり通っているのは何故なのか、見てきたいと思っています。

<『慰安婦』の視点で巡る ポーランド・ドイツの旅・旅程表(9月3日~12日)>

 
9月3日(月)  成田空港(10時30分)、中部空港(11時)から夫々出発しヘルシンキで合流

9月4日(火) "ポーランド=ワルシャワ"  ワルシャワ市内見学(旧市街、歴史資料館、ワルシャワゲットー記念碑、ワルシャワ蜂起記念碑、ヴィスワ川散策)

9月5日(水 )"ポーランド=クラクフ"  午前=アウシュビッツ絶滅収容所、午後=クラクフ市内(中央市場広場、聖マリア教会、ヴァヴェル城、ヤギウエオ大学)

9月6日(木) 午前=クラクフで自由行動、午後=陸路ドイツ・ドレスデンへ行動

9月7日(金) "ドレスデン→ベルリン" ドレスデン、市内見学(聖母教会、ツヴィンガー宮殿、ゼンパーオパー)、夜=ベルリンで、ドイツ在住の日本人ジャーナリストとの懇談

9月8日(土) ドイツ・ベルリン 、ラーヘンスブリュック強制収容所(女性と子ども)見学、ナチスの「強制売春」について博物館研究員の説明、ベルリン市内散策

9月9日 (日 )ベルリン→ミュンヘン" 統一ドイツ首都ベルリン見学(プレッツエンゼー記念館、ヴァンゼー会議記念館、ブランデンブルグ門、連邦議会議事堂)

9月10日 (月) ミュンヘン、 午前=白バラ運動ゆかりの地見学(ミュンヘン大学、白バラ記念館、ショル兄妹の家)、午後=ダハウ強制収容所跡と追悼記念施設)

9月11日 (火) "ミュンヘン→ヘルシンキ" 帰国の途へ
9月12日(水) 東京 成田、中部空港着

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(写真はクラクフ自由市場)

2012年8月25日 (土)

「お父さん、戦争のとき何していたの ナチスの子供たち」

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(写真・「ナチスの子供たちーお父さん、戦争のとき何していたの」 右・アウシュビッツ.ビルケナウの貨物列車の引き込み線)

 「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールでは、「慰安婦」問題の視点で巡る、ポーランド・ドイツの旅を企画し、9月3日~12日まで、ナチスの強制・絶滅収容所と、戦後のドイツの非ナチ化をめぐる戦いについて学んできます。

 ユダヤ人の虐殺はじめ政治犯、共産主義者、同性愛者、ロマ(「ジプシー)などの大量虐殺をおこなったヒトラーは恐ろしいの一言に尽きます。なぜあのドイツが、ベートーベン、ゲーテ、バッハを生み、芸術・文学に巨大な金字塔を打ち立てたドイツ人民が、この文化破壊、人権破壊の政権を許したのは一体何故なのか?という謎は解明されてはいません

 同時に第2次大戦後ドイツは徹底した、ナチズムへの反省と平和外交が功を奏してEUや通貨統合にまで発展させてきました。ドイツは今やEUの中の指導的地位におり、影響力も発揮しています。わが日本のアジアにおける位置とは、対象をなしています。

 戦後の怒涛のような非ナチ化の風潮の中で社会の批判にさらされた元・ナチ党員はどのように生き、反省したのか、あるいはしなかったのか、それを子供の目をとおして鋭く明らかにしている本がペーター・ジイフロスキー著、マサコ・シェーンエック訳の「お父さん戦争のとき何していたの?」です。

 日本軍兵士が中国大陸で、東南アジア、でどんなことをしてきたのかを不問に付した日本。こうした質問を発する機会を与えられなかった日本の子供たち。父親の加害について問いただすこともなく過ごした私たちは幸せだったのか。日独比較しながら読みますと、ドイツと日本の戦争責任に対する考えの違いも浮かび上がります。

 アジア太平洋戦争後日本が加害者責任をほとんど自覚せずにきた歴史、今その付けが回ってきてていると言えるかもしれません。 対中国、対韓国、原発事故等々。私たちの旅は日本の加害責任を見つめる旅にしたいと思っています。

(写真.左「アウシュビッツの囚人服」、右ワルシャワ.「王宮」)

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2012年8月12日 (日)

第2次大戦後のドイツと日本のあゆみ、違いはどこから?

  8月11日(土)

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名古屋市女性会館で「ドイツと日本の戦後の歴史ー戦後処理の共通点、相違点は?・・・-」が開かれ、雷雨と激しい夕立もある中130人が参加し、男性の参加者の姿が多く見られました。

 この会はジェンダー平等ゼミナールが秋に計画している、「『慰安婦』問題の視点で巡るポーランド・ドイツの旅」の事前学習会を兼ねて開かれたものです。同会と、愛知・日本軍「慰安婦」問題の解決を進める会と、新婦人愛知県本部の共催です。

 南守夫・元愛知教育大学教授「ドイツと日本の戦後の歴史~戦争の記憶をめぐる比較」と題して約2時間、吉川春子元参議院議員が「『慰安婦』問題の視点で巡るドイツポーランドの旅を企画して」と題して45分講演しました。

 南先生はドイツに都合2年間留学し今も両国を行き来している研究者です。ヒトッラー台頭の背景は世界不況と経済破綻、失業率30%という背景がナチの得票率を増やしていったこと、ベルサイユ条約体制へのドイツ国民の敵意、ナチスが敵対視し排除の第一にしていたドイツ社会民主党と共産党の統一戦線の不成立があったことを指摘しました。

 また第2次大戦で最も犠牲を払ったのはソ連であり、連合国側の犠牲者3100万人中、2030万人を占めると指摘し、日本ではアメリカを始めとする西側連合国がドイツを破ったかのような印象がもたれている間違いを指摘しました。またナチスのドイツは人口の10.6%、760万人が犠牲となっており、日本の310万人、人口比4.4%とよりもおい犠牲者を出していることを示し、多くの犠牲者を出した日本をはるかに上回ることを数字で示し第2次大戦の悲惨な実態を明らかにしました。

 吉川は、『慰安婦』問題を話し日本の加害責任を日本人があまり自覚していない、自らの戦争被害を強調し、半面日本の中国、アジアでの残虐行為について自覚していないのではと問題意識から、ドイツの戦後処理に学ぶという旅行企画の意図を説明しました。また重点的視察場所である、ナチスのラーフェンスブリュック女性専用強制収容所の悲惨な実態と、各地の強制収容所に強制売春のため収容者が送られていた実態等をスケッチや写真で説明しました。

 参加者のアンケート用紙には南先生の講演に大変感銘を受けたことが多数記され、またこの時間で2人の講師では無理があり再考を求める意見も記されていました。

 『慰安婦』問題は女性の性暴力の氷山の一角であり、かつ膨大な戦争被害のごく一部ですが、ここにこだわり解決を進める活動の中、戦争の全体像が見えて来るのです。多くの人々に今の日本の情勢とナチス誕生の時代との共通点を感じてもらえた(もちろん違いも多い!)企画だったと思います。

2012年8月 9日 (木)

DVD「15の時は戻らない」の音入れ

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(写真上・音入れ風景-宮崎敏恵さん、下DVDの表紙)

 8月7日(火) ナヌムの家のハルモニ(おばあさんの愛称)たちの日常と証言のDVDは、7月22日、東京文京区で行われた「慰安婦」ゼミナールで公開されて好評でした。これを各地で上映したい、との希望が寄せられています。この時はうちうちで見るための映像でしたので、会場の都合で音も今一でした。今回一般公開・頒布できるように、7日に都内平和島のスタジオで音入れ(音楽とナレーション)を行いました。

  現在の年老いた元「慰安婦」達の淡々とした日常と切なる訴えが組みあっていて貴重な映像です。また韓国の若者、子供たちが「慰安婦」の証言を聞き植民地支配の実態を学び受け継ごうという意欲も伝わってきます。少女の像設置後の水曜デモも息長く続いている様子がうかがえます。今年2,3月2度の訪韓で撮影されたものです。

 作曲家に著作権料を払い、ナレーションは宮崎敏恵さんが行いました。棚橋昌代、吉川春子が立会ってシナリオの微調整もを行いました。9月末には完成し皆さんに頒布できる状態になります。個人、団体、特に教育関係、図書館等で多く活用されると大きな効果があるでしょう。乞う、ご期待。

(写真はDVD「15の時は戻らない」の導入表紙)

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2012年8月 4日 (土)

「真珠の耳飾りの少女」に会う、マウリッツハイス美術館展、とハーグ

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(写真はフェルメール「真珠の耳飾りの少女』、東京上野・東京都美術館で9月17日迄)

 8月1日 東京上野の都立西洋美術館でオランダの画家、フェルーメールの「真珠の首飾りの少女」を見た。私は2002年9月に「対日道義請求財団」の方々と会うために参議院憲法調査会の一行とパリで別れてオランダに行った時、ついでに見たかったこの絵を見逃していつか本物を見たいと思っていたから念願の対面だった。予想どうり魅力的な絵である。”オランダのモナリザ”といわれるそうだが、私の心の中ではモナリザを超えている。

 この絵は1665年ころ描かれている。16世紀後半にスペインから独立したオランダは17世紀初頭に東インド会社を設立しヨーロッパ・アジアとの貿易で未曽有の富を得た資本家は教会や貴族と共に絵画のパトロンとなり、レンブラント、ルーベンス、フェルメールらを生みだした。この美術館もマウリッツ邸という意味で元軍人の邸宅である。マウリツはオランダがポルトガルから奪取したブラジル総督に任命される。任地でポルトガル人を鎮圧、交易発展に努め7年の任期の後帰国しマウリツ邸には異国から持ち帰った品々を飾ったという。

 この展覧会からは聖書や神話を題材にした従来の絵から人間、風景画へと変化してゆく様がうかがわれる。商人、企業家、地方政治家等を描く肖像画と、特定できないモデルを描く「トロート二―」が大きな位置を占める。そしてとびぬけて有名な「トロート二―」がこの「真珠の耳飾り」の少女である。少女はいったい誰なのか、映画にもなり、小説にもなっている。

 青いターバンを巻いている少女のファッションはヨーロッパというより、イスラム圏の影響を感じさせる。服装も黄色に統一し、白い襟をのぞかせる。日本の高名なデザイナーのモリハナエさんは、襟はライト(照明)の役割を果たすと名言を吐いたが、まさにこの少女の白い襟は顔立ちを一層引き立てている。少女を飾る並はずれて大きい(高価な)真珠のイヤリングは当時のオランダの経済の隆盛を物語るかのようだ。オランダはインドネシアを植民地として支配して住民から富を収奪した。真珠の陰に現地住民の涙が流された。

 ウイークデイの午後なのに入館待ち時間は20分余であった。こんなにもこの少女の絵の好きな人が日本にいるのだと驚く。私の部屋にはずっとカレンダーのこの少女の絵が額に入れた飾ってある。本物の絵の前では数秒しか立ち止まれない。(ちょうど美術館の隣の上野動物園のパンダ舎の前を通過する時間と同じである)。10年前、マウリツハイス美術館をアムステルダムで!一生懸命さがしたが、ハーグにあると知ったのはオランダを離れる日の午前中だった。私がオランダを訪問した目的は、オランダの「慰安婦」調査だった。オランダの若い女性を300人も「慰安婦」にした。白馬事件と呼ばれ日本軍人が死刑になっている。また、私は美術館と同じくハーグにあるインディヒモニュメントに献花した。第2次大戦中日本がインドネシアを占領しオランダ人を強制労働に駆り出し、捕虜を虐待して多くの犠牲者が出た。それを記憶する骨と皮に痩せこけた銅像が20数体建ってその前には花が数十も備えてあった。

 従ってオランダ人の対日感情はよくない。訪日のオランダ女王が皇室晩餐会で戦争責任に触れる厳しいスピーチをした事があった。しかし多くの日本人はその歴史を教えられていない。フェルメール等オランダ・フランドル絵画に感動するだけではなく、日本の戦争中の残虐行為とその戦争責任も知らないでは済まされないだろう。

(写真・日本政府に戦争責任の裁判を起こした「対日道義請求財団」の方々と2002年9月)

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