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2012年7月

2012年7月30日 (月)

15のときは戻らない-ナヌムの家のハルモニたちの証言- 予告編UP

かって日本軍の「慰安婦」とされたハルモニたちが暮らす韓国広州市にあるナヌムの家(わかちあいの家)を訪問し、取材した映像。

強制的に拉致され、性被害にあったハルモニたちの証言は、私たちに加害の歴史の事実を再認識させるとともに、1日も早い解決に向けての取り組みの重要性を喚起する。

予告編時間:5分

(C)ピース・クリエイト

2012年7月29日 (日)

三宅良子さん(「慰安婦」問題とジェンダ平等ゼミナール世話人)を偲ぶ会

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 (写真は三宅良子さんを偲ぶ会のしおり)

 7月28日(土) 今年3月24日逝去された、「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール世話人だった三宅良子さんを偲ぶ会が東京・市ヶ谷の全国教育文化会館(エディカス・東京)大ホールで行われ、首都圏だけでなく大阪、長野からも駆け付けた人々が個人を偲びました。

 三宅さんは学校の先生で所沢高校の民主的運営に携わり、埼玉高教組委員長(1990~93)、全労連副議長(1989~兼任)を務めました。また、国連が「子どもの権利条約」締結後は日本政府に批准を迫る運動が全国で起き、批准促進実行委員会事務局長をつとめ、また批准後は「子どもの権利のための国連NGO/DCI日本支部の副代表となって国連へのレポート、政府への意見書作りに奔走し、海外にも度々足を運びました。「最良のものを子どもに与える」という同条約の精神の普及に尽くしました。

 私(吉川春子)とは埼玉県選出の国会議員として、国会では子どもの権利条約の国会本会議質問等この問題でかかわってきました。夫君が岡山出身で組合役員退職後に帰郷された後は東京~岡山間を行き来して活動していましたが癌に体をむしばまれ帰らぬ人となりました。

 三宅さんは生前にご自分で戒名は「男女平等院 子どもの権利条約大姉」とおっしゃっていたそうですが、ジェンダー視点のない男性たち(ときには女性も)には手厳しい批判をして戦いました。ジェンダー平等を何時も物事のメルクマールにされていました。

  <「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールとのかかわり>

  (写真・上「慰安婦」問題を考える集いの記録、下・「慰安婦」問題を考える集い実行委員会メンバー、右端が三宅良子さん)

 

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  この会は2008年7月に「アジアの花たちへ」(吉川著)の出版記念会に代えて行った”「慰安婦」問題を考えるつどい”に端を発します。大森典子弁護士と吉川春子が講演し、会として講演録を発行しました(写真)。その際中心となった実行委員会のメンバーのお一人でした。

 その後勉強会のテキスト用に出版したブックレット『「慰安婦』問題と女性の人権~未来を見すえて」(かもがわ出版2009年11月初版)の共同執筆者となりました(2010年には版を重ねて、それも売り切れ)。そして運動体として2010年に<「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール>が発足しました。

 三宅さんは当初からの世話人でしたがでした。岡山~東京を往復する三宅さんと私も時にはルノアールで話しこみました。ジェンダー平等ということに特にこだわり、その観点からの鋭い発言が会をリードしました。

 三宅さんからはあの世代(1932年5月生まれ)で女性が働き続ける事、また夫、子ども達との関係等大変苦労の多い人生を後ずさりせずに生きた先輩の気迫に圧倒されています。ご冥福を祈ります。

2012年7月26日 (木)

埼玉の戦争展で「慰安婦」問題の講演

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 7月26日(木)から30日(月)迄、2012年平和のための埼玉の戦争展が始まりました。

 いのち つながり みらい と書かれた大きな看板を入ると入り口には、7月2日撮影してきたばかりの、ソウルの「慰安婦」達の水曜デモの大きな写真がはられ、ミニチュアの少女の像のブロンズ像も飾られました。またアジア諸国で日本軍の残虐行為をしめす写真が展示され、加害責任反省の主催者の意思が明確です。会場の一角では東京大空襲の経験者の紙芝居が行われ、夏休み中の子どもや、戦争体験世代の高齢者が見入っていました。戦争と平和に関する書籍も数多く販売されています。

 オープニングの日の午後、吉川春子・元参議院議員は「慰安婦」問題は何を明らかにしたか」と題して講演をしました。会場の一角にある、定員50人のイベント会場には65名が詰めかけて、椅子も資料も足りなくなりました。宮代町の請願採択の立役者となった男性の元無所属議員がフロアーからの発言で、なぜ「慰安婦」問題に取り組んだかを熱く語りました。

 戦争への道、そのときくらしは・・・戦時下の教育と子どもたち、再び戦争と暗黒の時代を許さない等々、中身の濃い展示物と、さまざまな講演が行われています。

 「戦争展」は、JR京浜東北線・浦和駅東口2分の伊勢丹のとなりコルソ(デパート)7階で行われています。

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写真上・戦争展会場風景、写真下・宮代町の請願採択の経験を語る 

2012年7月23日 (月)

第7回「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール・日本と日本人の加害責任を考える、第2弾

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 写真上・講演する林博史・関東学院大学教授、下・会場風景

 7月22日(日)第7回「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールが東京・文京区民センターで開かれました。はじめに林博史・関東学院大学教授が日本軍がアジア人民に行った加害と責任」と題して講演し、続いて「ナヌムの家」のハルモニ達の日常と訴えのビデオ「15の時は戻らない」(撮影・編集、宮崎信恵・ジェンダーゼミナール世話人)が上映されました。

 このDVDはハルモニ達の静かな日常生活と、一方これまでの筆舌に尽くしがたい体験をご自身で語っています。心に訴えかける貴重な内容です。DVDがほしい、という希望が参加者から多数ありました。これはこの講演会用の資料として作成したものなので、一般に頒布するためには音楽著作権等いくつかのハードルがあります。DVD作成の資金も必要です。今後、「慰安婦」問題とジェンダ―平等ゼミナールとして、皆様のご希望に添えるように努力したいと考えています。なお、参加者は53名でした。

 林博史先生の講演は非常に大きな感銘を与えました。まず、1アジア侵略の歴史、2日本による加害行為、3日本の植民地支配の残されている課題について概観しました。

 4 西欧帝国主義との関連についてくわしく述べました。強制収容所は原型がイギリスであること、空襲は戦時国際法で禁じられているが、この条約は「文明国」にしか適用されない(締結していない)、当初は航空機など知らない国の民衆を航空機という近代兵器による威圧が目的であったこと等を指摘。

 戦前の日本は自由人権、民主主義思想を西欧思想として排撃した、捕虜等を銃剣で刺し殺すことは兵士にも耐えられない重圧である。ドイツではユダヤ人を銃殺する事に兵士が耐えられずナチスはガス室を「開発」した事に触れ、日本兵はそうした重圧(トラウマ・吉川注)になる事が少ないことを指摘。(人権思想に日本兵は接する事がなかったから)

 また「慰安所」は各国とも持っていた、日本だけではない等の議論がある事については、公娼制は19世紀には兵士の性病感染を防ぐため各国とも持っていたが、ヨーロッパでは19世紀には女性の人身売買は人権侵害という思想が社会にあったので、部隊として持っていたかもしれないが軍隊として性売買はできにくかった。公娼は不可だったと指摘された。

 また軍隊の編成(731部隊等)は天皇の命令である。しかし特攻隊は天皇の命令で編成されたのではなく飛行機、要員(兵士)を余分に送り込むことで事実上し向けて、現地の判断で行った事とし、天皇への恨み、批判が向かないように工夫されていた。サイパンに当時いた2万人の民間人(女性・子供含む)の集団自殺を(天皇の命令ではなく)そそのかし、また、沖縄の集団自決についてもキャンペーンでそのようにし向けたと考えられる。

 最後に戦後&現代の政治情勢にも触れました。

 沖縄は核兵器攻撃の戦場として「ソ連」の核の吸収を想定していた。アメリカは自国から遠いところで戦争・核使用を行うことが戦略であり、日本がその役割を担わされている。対中国、対米国の関係で、日本人には白人に対するコンプレックスあり、中国には厳しく、アメリカにはこれほどの事をされながら甘い面がある。(この部分は吉川の意訳もある)

 アメリカは、日本に再軍備させておきながら、アジア諸国に対しては「日本に再軍備させることは危険(軍国主義復活)なのでアメリカが日本を抑えてアジア諸国を守ってやる」という名目でアジア諸国との軍事同盟を結んだ。

 自民党はCIA(アメリカ情報局)からも金を受け取って政治をしてきた。同時に保守本流は大衆の感情をいたずらにあおることの危険性を知ってそれは抑えてきた。しかし小泉首相がポピュリズム、大衆感情をあおりそれで成功(選挙勝利)してから流れは変わった。大阪の橋本市長はそうした流れに乗っている。危険な動きである。

 最後に、他人(アジア諸国人民・吉川注)の悲しみを考えない日本のあり方について指摘した。また、革新派の運動も(日本の加害行為に関して)きちんと反省してこなかったと指摘。同時に日本の戦争責任についてまじめに考える人がこんなにたくさんいる国は世界にない。ドイツの戦争反省も稀有な例だがそれは政府として上からのもの。日本は大衆レベルで大きな運動ある。そこに希望(があれば)を感じる。

(なお林先生の講演は正確にテープ起こしして、後日ニュースと一緒に配布します。これは吉川のメモによるので多少不正確な部分がある事を踏まえてお読みください)

 写真上・開会挨拶・和田章子世話人、下・閉会挨拶、大森典子・副代表世話人

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2012年7月19日 (木)

第7回ゼミナールで上映されるDVDについて

 既にこのブログでも案内していますが、来る7月22日(日)にジェンダー平等ゼミナールが取材してきたDVDもあわせて上映されます。

 このDVDは、今年の2月と3月に、吉川、棚橋、宮崎の3人で韓国広州市にあるナヌムの家を訪問し、ハルモニたちの貴重な証言を取材してきたものです。

 タイトルは「15のときはもどらない~ナヌムの家のハルモニたちの証言~」。
 画面の中で「15の純情は戻らない」と切々と語る李オクソンハルモニの言葉からとりまし た。
 李オクソンハルモニは、「慰安婦」生活を強いられた非道な状況を一言ひとこと、搾り出すように語ってくれています。そして身体には日本兵によってつけられた傷痕がはっきりと残っています。
 朴オクソンハルモニは1945年日本の敗戦が明らかになったときの混乱した状態を熱く語ってくれました。
 ペチュンニハルモニは過去のことはあまり話しませんが、日常の会話や表情に消すこと
のできない屈辱の思いがあふれ出ています。

 ナヌムの家には取材当時は8人のハルモニたちが暮らしていましたが、一人は入院中でもう一人も外出中で、私たちがお会いできたのは6人のハルモニたち。そして最近、入院中だった金華善ハルモニの訃報が届きました。
 金ハルモニの話が聞けなかったのは残念ですが、皆さん高齢でいつ何があってもおかしくない状態です。残された時間が限られているハルモニたちにお会いし、色々と話が聞けたことは本当に貴重な機会になりました。
 

 過去に、証言集会などでナヌムの家のハルモニたちの話を聞く機会は皆さんおありだと思いますが、生活の場にカメラを持ち込んで、短い期間でも生活を共にする中で得られた証言には、他では見られない素顔のハルモニたちの表情が滲み出ていて、それだけに余計に身近に日本政府に謝罪を求める彼女たちの心情が伝わってくる思いがします。
 そういう意味でもこのDVDは貴重な1ページになるものと思います。

 私たちは潤沢な資金もないなかで、それぞれが身銭を切って今回の取材を行いました。
 そこで一番ネックになったのが通訳のこと。「慰安婦」問題に精通した通訳などはもちろんつけることが出来ませんでした。知人・友人の協力のもと、日本からの留学生や韓国の若い研究者など皆さんボランティアで私たちを助けてくださいました。彼女たちの協力が無ければきっと取材はできなかったものと思います。また、帰国後の編集においても、今度は日本に留学している韓国の若い大学院生の方がこれまたボランティアで、収録してきた映像の前で丁寧に一言ひとこと訳してくれました。
 

 取材を行うにあたっては、まだまだ解決しなくてはならないことがいくつかありました。
 その一つは、ナヌムの家を運営する大韓仏教曹渓宗の施設側の了解を得ること。これは吉川さんの尽力で問題なく解決。もう一つは肝心のハルモニたちの協力を得ること。
 つい昨日までは全くの見ず知らずの加害国の人間をハルモニたちは果たして受け入れてくれるだろうか?
 2月の訪問は、いきなりカメラを向けるのではなく、ハルモニたちとの距離を少しでも縮め るための準備期間でもありました。
 そして本番は3月。春がそこまで来ているとはいえ、韓国の2月3月は寒く、寒風が吹き抜ける中、私たちはナヌムの家を訪れました。
 そして本当に短い期間でしたが朝から晩まで生活をともにし、一緒に花札に興じたり、日本の昔の歌を歌ったり、散歩に付き添ったり…少しずつお互いの距離が近くなるころからハルモニたちは重たい口を開いてくれるようになりました。
 残念なことは、取材の期間が限られていたために、さらに深く、もっと多くのことを伺いたいと思いましたが、それはできなかったこと。
 しかし、ハルモニたちの証言は書物などからでは得られない飾らない重みと切実さがあふれ出ています。

 この取材を通して特に私が感じたこと。それは、韓国では若い人たちが過去の事実ときちんと向き合っているということ。学校の授業にも「慰安婦」問題は確り学び、自分たちの問題として考える機会を得ているということ。
 取材の間に、韓国の大学生がナヌムの家を訪問する場面に出会いましたが、みんなハルモニたちの話を真剣に聞き、またハルモニの皆さんも、若い人たちに過去の苦しい経験をきちんと話していました。
 そして春休みでの水曜集会には子どもや学生たちがいっぱい。いや、参加者の殆どが若い人たち。みんなハルモニを囲んで和気藹々と集う姿に、私は胸が熱くなりました。
 と同時に、教科書から「慰安婦」問題を抹殺し、強制連行は無かった云々などと、過去の加害をひた隠しにしようとする日本の権力やマスコミの姑息な姿がなんともいえずに恥ずかしく思ったことか…

 「私たちは嘘をついていない。嘘をついているのは日本だ」ハルモニの搾り出すように語る毅然とした姿に、私は日本人としたての責任の重さをヒシと感じ、この映像を一人でも多くの日本の若い人たちに観て欲しいと思いながら編集に取り組んできました。
 そして「慰安婦」問題の1日も早い解決に、このDVDが少しでも役に立てられればと…

 「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールがこのDVDを作ったことの意義は非常に大きいと思います。
 それはこれまで地道な活動の一つの成果でもあります。
 それぞれが、それぞれにできるところから何かを発信していく…
 私たちジェンダー平等ゼミナールは「慰安婦」問題を通して、日本のかっての加害責任について、そして女性の人権について、それぞれが主体的に学び、語り合い、未来に繋げていく仲間たちの集いの場。

 どうか、第7回ゼミナールに一人でも多くの方のご参加をお待ちしています。
 そして活動の仲間に入りませんか。

 今回のゼミナールでは「日本の加害責任を考える第2弾」として、加害責任の研究の第一人者でいられる関東学院大学教授の林 博史さんの講演にたっぷりと時間をとっています。
 なかなか聞くことの出来ない貴重な話が伺えると思います。

 是非、いらしてください。

 日時 7月22日(日) 午後1時から16時40分まで

 場所 文京区民センター2A会議室

      丸の内線 後楽園駅下車(4b出口・徒歩5分)
      南北線 後楽園駅下車(6番出口・徒歩5分)
      都営三田線、大江戸線 春日駅下車(A2出口・徒歩2分)
      JR総武線 水道橋駅下車(東口・徒歩15分)

 会費 1000円

 連絡先 TEL&FAX 048-738-1780 吉川気付
       当日 090-4227-7478

2012年7月15日 (日)

第7回 「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール―日本の加害責任を考えるシリーズ第2弾!

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(2012年2月「ナヌムの家」で中央男性は所長、その右が宮崎信恵さん)[  
紫陽花がだんだん色褪せる程、随分暑い日が続きますね。熱中症など体調を崩されませんように。また豪雨で大きな被害の出た地域の皆様には心からお見舞い申し上げます。
 さて、私達は、第7回・「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール 日本の加害責任を考える第2弾!を以下の要領で開きます。ぜひお気軽にご参加ください。
 今回講師は初めて男性です。日本の加害についてくわしくお話しいたしますし、グループディスカッションや質問にも答えます。
 また私達の会員である宮崎信恵さん(映画監督)が、長年の思いを込めて「ナヌムの家」で撮影し、編集したDVDを上映します。宮崎さんはハンセン問題を世に問うた映画「風の舞い」等意欲作はじめ多数の作品を世に送りだしています。今回の撮影の際は棚橋、吉川の2人が韓国の「ナヌムの家」に同行しました。ご期待ください
                 記
 日時:7月22日(日) 13:00~16:30
 場所:文京区民センター2A会議室
 交通:地下鉄・丸ノ内線、南北線後楽園駅下車1分、三田線・大江戸線春日駅徒歩2分
     JR線水道橋東口徒歩15分
参加費:1000円、事前申し込みは必要ありません、ご興味のある方のご参加を歓迎します
<内容>
 テーマ1
  日本と日本人の加害責任を考える
  講師:林博史・関東学院大学教授(著書「BC級戦犯裁判」岩波新書他多数)
  講師は日本の加害責任研究の第1人者。「慰安婦」問題を侵略戦争、植民地支配
  との関係で分析してお話しします。
 テーマ2
  「慰安婦」の日常生活&証言: DVD上映 「ナヌムの家」のハルモニ達(仮題)
  2012年2月と3月の2回「ナヌムの家」に行きハルモニ達と生活を共にしました。
  撮影、編集:宮崎信恵(「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール世話人、映画監督)
  年老いたハルモニ達の苦悩と、要求が日常生活をとおして静かに伝わります

2012年7月11日 (水)

草加市議会で、日本軍「慰安婦」もんだい早期解決を求める請願否決!

7月11日(水)

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 草加市議会に初めて提出された日本軍「慰安婦」もんだい早期解決を求める請願は総務文教委員会で否決されてしまいました。朝から傍聴に駆け付けていた請願者の方たちからは怒りの声が。

 否決の理由は「外交の問題である」「すでに解決済み」ということで本会議でも日本共産党以外の議員はみな反対。

    団体請願

 請願者は「新日本婦人の会」をはじめ「平和を願う草加市民のつどい」「山猫くらぶ」「自治労連草加市職労」「医療生協さいたま草加支部」「草加市教職員組合」「草加の社会保障をよくする会」「全日本年金者組合草加市部」「全国生活と健康を守る会草加支部」「慰安婦問題解決オール連帯ネットワーク」の10団体代表。

    賛成討論

今村のり子市議は1993年の*「河野談話」を紹介しながら「この問題は、単なる外交問題ではなく、私たち自身の人権問題であること、すでに解決済みどころか被害者の女性たちに対して真の謝罪が行われていないこと、彼女達は、20年以上謝罪を求める抗議の声を上げ続け、高齢のため無念のうちに次々に亡くなっていることなどを説き、賛成討論を行いました。

*『河野談話」=慰安婦問題を国として認識し、謝罪すべきとした政府の公式見解、歴代内閣が継承している

(以上「日本共産党 草加市議会議員 今村のり子議会レポート2012年2月議会より)

 なお、今村のり子さんから吉川春子宛の手紙には、「このままではすませない!」という気持ちがみんなの一致した気持ちではあるのですが、差し当たって具体的にどうすればいいのか壁にぶち当たっている感じです。私自身はせめて勉強を続けたい、みんなに新しい情報を伝えたいという思いです…」とありました。

 市議会の壁は厚くとも今回初めて10団体がこぞって「慰安婦」の解決のために意見書をあげたということは素晴らしい事です。こうした活動の積み重ねが少しずつでも政治や「慰安婦」問題を市民に身近な問題として感じさせるのではないでしょうか。これからもがんばってほしいと思います。

2012年7月 8日 (日)

春日部母親大会・伊藤千尋朝日新聞記者の講演に沸く

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 7月8日(日)

 梅雨の合間の強い日差しが差す午後、第46回春日部母親大会が開かれました。私も何十年も前から参加していますが最近は久しぶりの参加です。諸先輩の粘り強く築いてきた伝統を今年も受け継いで盛大に行われました。関係者の努力は本当に大変だったと思います。

 全体会では「憲法を生かして、原発のない安心・安全のくらしを」と題してジャーナリストとして世界各地を取材して経験豊かな伊藤千尋氏の講演が行われました。「英語よりスペイン語が得意」とベネゼラ、コスタリカ等中南米の憲法を武器に闘う人民のユニークな取り組み等、足で稼がなければ話せない話しに聴衆は引きつけられました。

 「憲法は守るものではなく活用するもの」「ただ『米軍の富士への実弾演習反対、反対!』、だけでなく、基地ではなく富士を見ながら入れる巨大な露天風呂を作ろうと提案して観光客を呼び集め雇用も作り出そう、という対案はどうか」等、氏のアイディアあふれる運動論に大いに触発されました。そういえば「○○反対」は叫ぶが、どうすればもっといい地域になるのか、示さないと反対派を納得させられません。ヨーロッパの原発脱却の政府の方針や、フィリッピンのクラーク、スービック基地撤回闘争等の教訓を日本の沖縄でも生かしてゆく必要があるでしょう。

 午前中の分科会は(私は来客があり参加できませんでした)、プログラムによると「子どもと教育」、「社会保障」、「平和」、「みんなで歌おう」の4つが開かれました。

 私は今年はこれまで埼玉県以外の4か所の母親大会に講師で参加しましたが、最近は女性の人権についてダイレクトに考える分科会をもうける母親大会が増えています。日本は先進国の中で女性の地位がもっとも低い国で、女性達はいろいろ悩みを抱えて生活しています。こうしたテーマの分科会があると若い女性の参加も増えるのではないか、と思いました。

2012年7月 7日 (土)

埼玉県飯能市6月議会「慰安婦」問題の「意見書」請願の顛末

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(写真右は市議会に請願を提出する菅間・埼玉AALA会長)

 6月7日に埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)連帯委員会飯能支部他12団体は、「日本軍『慰安婦』問題の解決を求めて、政府に誠実な対応を求める請願書」を市議会に提出し、14日に審議される総務委員会委員長と委員に要請を行いました。休憩時間に請願団体の発言の許可も貰い菅間会長が説明を行いました。

 総務委員会は18日1時から開会され7団体から13名が傍聴に訪れました。紹介議員の山田とし子議員が趣旨説明を行い、民主・保守議員が質問しました。「国の外交問題を地方議会で判断するのは難しい」、「あの時代に植民地制度は日本だけではない。今の政府に責任追及するのはいかがなものか」、「犯罪は否定しない。そんな時代もあった。しかし責任を取らなければならないのか」、「女性の尊厳は大事な事、外国との外交交渉は?「慰安婦」とはどういいうものなのか」、「戦争での負の遺産としては認める」等の意見・質問が出て、紹介議員は的確に答弁しました。

 審議に当たり、傍聴者と総務委員に「河野官房長官談話」と、「女たちの戦争と平和資料館」作成の日本軍「慰安婦」マップ』を用意しました。委員会で採決に先立ち、日本共産党の新井功議員が賛成討論を、保守派の加藤議員が反対討論を行いました。採決では賛成1、反対6で否決されました。

 委員会終了後、感想を出し合い「PKO時より審議には活気があった」、「1回の請願で「賛成」決議はまず無理。反対意見の中に『証拠がない』とか『決着済み』とかの不誠実な意見はなかったので良かった」、「今後、自分達の事前活動を全国に学びながら進める必要がある」等の意見が交わされました。

 <請願を提出した団体>

①新婦人飯能支部、②埼玉土建飯能支部、同婦人部、③飯能民主商工会、同婦人部

④年金者組合飯能支部、⑤国民救援会飯能支部、⑥福祉すぎの子分科会、

⑦奥武蔵文化9条の会、⑧映画サークル・ダーちゃんの会、⑨飯能勤労者山岳会

⑩飯能市教職員組合、⑪埼玉AALA連帯委員会飯能支部、

紹介議員 日本共産党 山田とし子、同 滝沢修

同会では、「今後とも運動を継続して公式謝罪と立法による決議がされ、教科書に明記し、歴史の教訓とするまで戦い続けましょう」と呼びかけています

 

2012年7月 4日 (水)

夫が春日部市への転入を断られた理由-ジェンダー平等に遠い国の制度

7月4日(水)

 東京都23区から埼玉県春日部市に引っ越し、転入届けの手続きに市役所に行った夫から「市民課の窓口で、住民登録を断られた」と電話が入っりました。「妻がすでに春日部市民になっており同一住所に夫婦が居住する場合には2人が世帯主と言う事では受け付けられない。夫婦のどちらかを世帯主として選択してほしい」と言われたのだそうです。民法752条「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」としている事が根拠だということです。

 私は仕事の都合で数年前から春日部市民です。しかしその前から東京23区では夫婦で世帯を別にしていました。(そうしないと私=妻は自分名義の健康保険証が公布されないというおかしな国の仕組みがあるからです)。春日部市の対応は 私達にとっては思いもかけない一大事です。私は夫の扶養家族に戻る気はないし、夫も妻の扶養家族にはなりたくないでしょう。

 この日は上司たる女性職員が「少し研究してみるので時間がほしい」と言う事で、手続きは保留して夫は帰ってきました。隣の越谷市では東京同様に夫婦で2つの世帯での住民票を受け入れているということでした。幸いな事に翌日、その女性市職員から夫に「(東京23区と同様に)配偶者それぞれ別世帯で同一住所での住民登録をみとめる」と連絡してきました。彼女も働く女性として、妻として様々な思いをしてきたことでしょう。私達の説明をいち早く理解してくれました。

 <総務省の説明>

 なぜ今回のような事が起きるのか。私は調査の結果以下のような事実が分かりました。

 平成11年迄総務省は民法752条を楯に、同居している婚姻後の甲と乙(つまり夫婦)の住民票は同一世帯として作成すべきである」としていた(「住基台帳法令通達集」)。

 これは古い家族制度の考え方な反映されており、』住民基本台帳法第6条に言う「市町村長は個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成する…』と言う条文にも矛盾する、と私は思う。それで平成12年版の「住基大長通達法令集」からこの項目の記述を削除した。今はこの立場をとっていないという事である(参議院総務調査室の説明)

 問題は総務省がこの事についてはっきりと地方公共団体への説明を行っていない事である。通達集から説明の記述を落とした事に気がつかない、春日部市のような自治体が他にも存在する。 現に鳥取県では、鳥取市、岩美町、八頭町の世帯分離の扱いがばらばらであり、統一してほしい旨の要望が国に出ている(「平成21年度 国の施策に関する提案・要望(県内版地方六団体要望文前一二項目)

 当時の野党、民主、共産、社民三党の民法改正が棚上げされたままである。憲法二四条の趣旨を民法に貫く法改正がなされないままで推移しているのでさまざまな旧弊が存在するが今回我が家の転居に伴う事務手続きもその一つと言えよう。

(写真は撫順戦犯収容所から持ち帰ったの朝顔の花)

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