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2012年6月

2012年6月25日 (月)

来日中のポーランドの女性映画監督のインタビュー

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6月19日(火)、東京のポーランド大使館で日本共産党の雑誌「女性の広場」の菅原記者とともに、来日中の映画「ソハの地下水道」の監督アグニエシカ・ホランドさんにインタビューをしました。 黒いボトムの上に黒いワンピース風の洋服をはおり髪は自然でなかなかの美しい方でした。

 しかしポーランドとユダヤ人のことについて話し始めると雄弁で,出された紅茶に口をつけず一気に15分~20分ほど力ずよく自説を展開しました。曰く、ポーランドではユダヤ人にシンパシーを持つ人と、反ユダヤ人の人がいるが多くの国民はユダヤ人問題から目をそむけているという風に3とおりにわかれる。ユダヤ人は金持ちだというステレオタイプの受け止め方も多い。ナチが猛威をふるった時代ユダヤ人を助けた人も戦後は黙してそのことを語らなかった。それは見返りがあるからでは、と思われることを好まなかったから。戦争が終わった後は共産主義者(ソ連)の支配も続いた。共産主義が崩壊して、自由にホロコーストについて書かれるようになったのはつい最近のことである。それでもユダヤ人救助について、ヒロイック(英雄的)、ノーブル(高貴)な面に国民が目を向けていた。この映画に描かれているソハのような人(普通にいくらでもいる、という意味か・吉川注)に目が向けられるようになったのはごく最近のことである、ということを話されました。 

 監督は多数映画化されているホロコーストについて、独自の境地を開こうとしたのです。ハリウッド映画にしたくなかった」等々、その思いを語りました。私は「ソハの地下水道」の映画を見て、監督の意図は成功したのではと思います。「

 地下水道の修理を生業に、コソ泥を副業にしている中年男がふとしたことからユダヤ人を助ける。自分とその家族も処刑されるかもしれない危険を冒してまで。それはなぜ? 映画は9月に公開されます。

2012年6月18日 (月)

三重県母親大会第8分科会―歴史から学ぼう-「慰安婦」・沖縄・憲法9条

6月17日(日)、第57回三重県、第51回南伊勢地区母親大会が開かれました。全体会の記念講演は渡辺治さんによる「人間らしく豊かに生きられる社会に-3.11後の情勢と新たな福祉国家の展望」でした。

 分科会は午前中に行われ、若者、子供、老後、医療、原発等9つのテーマで開かれましたがどこも盛況でした。第8分科会ではずばり、女性の人権に着目し、内容は「歴史から学ぼう-「慰安婦」・沖縄・憲法9条ー」 助言者は吉川春子でした。参加人数は会場いっぱいの64名でした。

 事前に主催者からは助言者へ話の内容について次のような注文があり、それに沿ってパワーポイントで講演が行われました。即ち、「慰安婦」問題はなぜ起きたか、女性にとってどんな意味を持つのか、沖縄にも『慰安所』があった、今沖縄で起きている女性の被害…安保がなくなれば…に触れて、憲法9条と24条にも触れてほしい」と。

 会場からの発言は「日本兵がこんな事をしてきたのか知って恥ずかしい。女性団体として避けて通れないテーマなので今後は向き合いたい」等という、活発で心にしみるものが多く出ました。

 申し合わせ事項として次の事項が確認されました(要旨です)

①三重県の地方議会から国へ「慰安婦」問題解決せよとの意見書をあげよう

②教科書から日本の加害問題、特に「慰安婦」、「南京大虐殺」の記述をきちんと載せさせよう

③性暴力をなくすために刑法の強姦罪の親告罪規定を削除させよう

④女性を政策決定の場へもっと進出させるという三重県の方針を進めて、女性議員の数を増やそう

⑤女性は自ら自覚を高めよう

新潟AALA 2012年度総会で「慰安婦」問題記念講演

 6月16日(土)、新潟市中央区にある”クロスバルにいがた”多目的ホールで、新潟県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会で2012年度総会が行われました。それに先だって吉川春子元参議院議員の講演「従軍『慰安婦』とは何か?-今、どう考え、どう解決すべきかーと題して講演が行われ、参加人員は会場一ぱいでした。

 新潟県は吉川元議員の選挙区なので選挙応援はもちろん、豪雪や産業・農業問題調査で県内くまなく歩いています。佐渡への何回かの渡航の最後は2006年の郵政民営化の影響調査です。数年ぶりで会う知人も多く参加しましたが、女性の人権や「慰安婦」問題でお話しするのは初めてです。

 主催者の要望として、そもそもこの問題は何かについての理解をしたいので基本的な事を中心に話してほしい、との事でした。そこで内容としては、Ⅰ『慰安婦』問題って何?、Ⅱ日本政府、国会、裁判所の対応と韓国政府の攻勢、Ⅲ「慰安婦」問題解決を阻む障害、Ⅳ「慰安婦」問題を国際社会はどう見ているのか、Ⅴ「慰安婦」問題解決は日本自身のため、という内容で1時間以上お話ししました。

 ところが、私が時間を読み間違えて時間を長く話したため質問を受ける時間が取れなくなってしまいました。あたふたと会場を後にしました。2時54分の新潟発の新幹線で東京に帰り、そのまま三重県の多気まで今日中に着かねばならないのです。

 新潟から新幹線に飛び乗り東京経由で名古屋へ、そこから1時間余りの三重県多気駅に着いたのは夜9時前でした。途中はずっと眠りこけていました。雨が降る、地方都市の真っ暗闇の駅前ですが宿泊をお願いしている瀬古由起子さんが出迎えてくれました。

 遅い時間に温泉につかりながら、こんなにも忙しく講演があることはこの問題が国民の間に広がっている証拠ではないかと、満ち足りた気持ちになりました。

 

2012年6月12日 (火)

第7回「慰安婦」問題とジェンダーゼミナールのお知らせ

「 7『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」

 日本と日本人の加害責任を考える 第2

 講演 林 博史(はやし・ひろふみ)・関東学院大学教授

演題

 講師紹介 1955年神戸市生まれ 関東学院大学経済学部教授 政治学、国際関係論を教えるかたわら日本の戦争責任資料センター研究事務局長を務める。

1980年代~90年代にかけてマレー半島で日本軍の住民虐殺から辛うじて生き残った人々を訪ねて体験を聞いて回った事がその後の研究と生き方の原点になっている。また、中国、韓国、フィリッピンなどで日本軍の残虐行為の犠牲者になった人たち、特に日本軍「慰安婦にさせられた多くの女性達の話を聞き自分が男性である事を考えさせられる貴重な体験になったそうです(林博史著「BC級戦犯裁判」岩波新書

日本人がややもすれば忘れがちな加害責任について講演していただきます。

DVD「ナヌムの家のハルモニ達(仮題)」上映

撮影・編集 宮崎信恵・「慰安婦」問題とジェンダーゼミナール・世話人

今年2月と3月の2回に分けて世話人・宮崎信恵、吉川春子ら3人がナヌムの家でハルモニ達と数日間を共に過ごし心の内を伺いました(写真右)。高齢で病気がちな方が多いですが若い大学生たちに自分の体験を伝え、何よりも日本からの謝罪・補償を強く望んでいます。淡々とした日常生活の中でも過去の体験を忘れる事のない最近の姿を皆様にお伝えします。宮崎さんは映画監督としてハンゼン病を題材にした「風の舞い」など意欲作を多数産みだしています。(写真上は撮影する宮崎さん、下はナヌムの家でくつろぐハルモニ達と)

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日時:722日(日)13:0017:00

場所:東京都文京区民センター 3A会議室 

最寄り駅:

地下鉄 都営三田線春日駅 徒歩1分丸ノ内線、南北線、後楽園駅、徒歩5

JR総武線 水道橋駅徒歩15

<会員の申し込み>

現在会員は北海道から沖縄まで広がっています。ぜひあなたも加入して下さい。

会費は年額1000円。ニユースを定期的に郵送します

        

<申込先>「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール

電話&FAX 03-3941-4838

(6月20日以降)電話:048-738-1780

         

2012年6月10日 (日)

関東地方梅雨入り

 6月9日関東地方も梅雨入り、本郷通りのアジサイも雨と風にうたれていました。

 庭の草は一番伸び、太陽がないので布団は干せない、せんたくものもたまるこの時期。

 大飯原発再稼働の野田総理の発言は、企業の採算の事しか考えない。子どもも、女性も、日本の将来もない、あるのは自分の地位の保全のみ。梅雨をますますうっとうしいものにしています。参議院議員として自民党の歴代総理と付き合ってきた私ですが、こんな総理も珍しい。最悪の人物です。財界の走狗と化しています。 こんなときだから国民としてしっかり生活を守り、環境を守りましょう。梅雨に負けない体力を保全しましょう。

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川崎母親大会分科会―日本軍「慰安婦」問題と女性の人権ーせんそうとせい(暴力)を考える

 

6月9日(土)川崎市高津市民会館(JR溝口駅傍)で第54回母親大会が開かれました。「記念講演は原発と私達のくらし」・講師はフォトジャーナリストの群山総一郎さんでした。午前中に9つの分科会が開かれ、第4分科会が、日本軍「慰安婦」問題と女性の人権―戦争と性(暴力)を考えるーでした。この日の参加者は男性五5人を含む53人でした。川崎母親大会連絡会は今年三月にソウルのナヌムの家を訪ねる等、この問題に積極的に取りくんで立派な報告書を発行しました(写真)。 

 吉川元参議院議員は「慰安婦」問題と、「女性の暴力禁止」の国連の取り組みに触れ、なぜ日本が世界中から非難されているか、日本女性の人権との関係等70分の講演を行いました。川崎では市議会への働きかけも積極的に行われていて次の6月議会へも提起するために頑張っています。 会場からは沢山の質問と意見が出ました。

 「慰安婦」問題の取り組みについて報告が2つあり、質問も活発に出ました。   「『慰安婦』を否定する理由」、「子どもたちに売春(慰安婦の)を教える事の意味」「ナヌムの家で『あの人は「基金」をもらった、自分はもらわない』と言うハルモニがいて、このように対立させている日本の責任が重いと思った」、「オランダの被害女性が和解を申し込んでいるのに多くの日本人が無関心(を装った)だった」、『従軍慰安婦」という呼び方を使わない理由」、「平和のための戦争展がなくなって、若者の参加がなくなったことは残念」等です。

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2012年6月 7日 (木)

声明

 去る4月22日、第6回ゼミナールの参加者全員の名において下記の「声明」を決議しました。

 今後、「慰安婦」問題の解決に向けて、学習をさらに深め、運動の輪を拡げてまいります。

  声    明 

 我が国は昨年9月以来、再三、韓国政府から韓国憲法裁判所の決定に基づく日韓請求権協定3条1項の外交交渉に応ずるよう求められてきた。これに対して日本政府はこの問題は同協定2条1項によって「完全かつ最終的に解決したものとする」との条項によってすでに法的に解決済みとの見解を表明して交渉に応じていない。

 

しかしながら、韓国政府はかねてから上記2条1項は、「慰安婦」被害者の被害のような、日本政府の関与による反人道的行為に基づく損害賠償請求権を消滅させるものではないとの解釈をとっており、2条1項の解釈について日韓両国間に争いがあることは客観的な事実である。かかる場合に日本政府が自国

の解釈を繰り返すだけで、協定3条1項の外交交渉に応じないのは条約上の義務に違反するものとして許されないところである。

 私たちは本日、元「慰安婦」とされた被害者たちの生涯を記録したドキュメント「終わらない戦争」を見て、これら被害者たちの被害事実を改めて心にきざみ、彼女たちの傷ついた尊厳が一日も早く回復されるよう、日本政府に対して運動を強めていくことを誓い合った。

 日本政府は、韓国政府からの上記外交協議の申し入れに対して誠実に対応し、交渉を開始するとともに、すでに国際社会から繰り返し求められているこの問題解決の基本を踏まえ、被害者の納得できる最終的な解決を図るべきである。

上記のとおり本日の集会に参加した全員の意見として表明する。

  2012年4月22日

  

       「慰安婦」問題とジェンダーゼミナール 参加者一同

  

2012年6月 6日 (水)

女性起業家、瀬古由起子さん…そしてホタルの宿

 6月6日(水) 元衆議院議員の瀬古さんは、政治家引退後三重県大紀町で夫の実家の古民家を改造して民宿を始め女将になった。NPO日本ふるさと村(瀬古悦生村長は夫)は多角経営でイチゴハウス、米、野菜等の農業、パン造りなど自家製品を朝市に週1回出している。

 夫婦双方の母親の家をそれぞれ同じ敷地内に建てて引き取り、介護もしている。居間はかなり広いスペースで定員10人ほどのデイケアーも可能である。2人の母はデイケアー、ショトステイを利用しながら基本的には自宅生活で、部屋を車いすと歩行器で移動して、趣味も楽しんでいる。

 「えんがわサロン」はお年寄りや障害者が集い自宅で取れた食材を使って手作り料理、カラオケなどを楽しむ。 物産加工所ではお惣菜やお持ち、パン、漬物こんにゃくを加工している。

 「ふるさと村」は始めたばかりで、まだ若者を雇用するには充分な収入が得られない事が課題だが、イチゴハウスを広げ、牛の放牧をおこなう等夢は膨らむ。

 私は久しぶりに古民家に1泊して、瀬古さんにあちこち案内してもらった。衆議院議員としてもエネルギッシュな活動をした彼女だが起業化としての才能が豊かな事に驚かされる。2人で温泉に入り、近くのホタルの宿に行き5~60匹の点滅する美しい光を堪能した。この地域が協力して農薬を控えほたる祭りを6月中旬に毎年行っている。

 ほたるの実行委員会の方が、「ホタルのためにこんなに努力しなければ飛ばない事が驚きだ、昔は自然に飛んでいたのに」と言われた言葉に、こんなにのどかな田舎さえこの何十年間で人間はすっかり自然を破壊してしまった事に慄然とした。日本の行く末が案じられる(吉川記)

写真は 民宿のある部落、デイケアーにもなりそうな広い、瀬古家の居間 古民家の宿泊施設、ここを牧場にと夢を語る瀬古由起子さん

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2012年6月 3日 (日)

フレンテまつりで「慰安婦」問題を考えるワークショップ

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6月2日、津市にある三重県男女共同参画センター(フレンテみえ)の”フレンテまつり2012”が開かれてで店やバザーなど各地から女性たちが集い大変にぎわいました。

 会場の一室では、参加団体の一つの新婦人三重県本部が「慰安婦」問題とジェンダー平等をテーマにワークショップを開きました。スクリーンと天井にはプロジェクターがセットされている立派な部屋で、吉川春子元参議院議員が80分講演し、約50人の参加者から質問や意見が活発に出ました。

 話は「慰安婦」問題から始まり、政府がこの問題を解決しないために日本女性の人権が踏みにじられている事、また現代女性を苦しめているレイプなど、女性への暴力とりわけ配偶者暴力(DV)、その原因になっている女性の貧困等今日のジェンダー問題に及びました。

 会場からは、「女性議員が一体となって『DV法』、『少女か春処罰』法等活発に立法が行われた時と比べて今はそういう動きがないのは何故か」とか、「出征した男性が中国で「慰安婦」を強姦して日本に帰国してから、暮らしにすんなり溶け込めたのか」とか、また「自分は戦争に行った人から『慰安所』の前に並んだ経験があると聞いた事がある。その時は聞き流したが詳しく聞いておけばよかった」等。また「国立女性会館(ヌエック)がつぶされそうだが、守るために具体的に何をすべきか」等ジェンダーバッシングの動きに関するものもありました。

 吉川元参議院議員は、当時は95年の北京会議の盛り上がりが国会に反映し、女性の人権立法を可能にした事、96年に小選挙区制導入と共に国会が民主、自民の2大政党

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になって、第3党以下の政党の議席が減り女性の人権問題の立法の動きも弱まってしまった事、基本的に民主と自民の違いがない、2大政党である事等、今日の政治情勢との関係で答えました。 

2012年6月 1日 (金)

劉面換さんの死―女性への暴力廃止を訴えた生涯

 4月12日に中国人元「慰安婦」の劉面換さんが亡くなった。重篤を伝えらえてはいたが、大森典子さんから訃報を聞いた時は何とも言えない悲しみに襲われた。

 私が彼女に最初に会ったのは、大森典子弁護士が公判の帰りに国会の私の事務所に一緒に連れて見えた時だった。身の上話を聞いただけで胸が苦しくなって、私はうつむいて彼女の手を握るだけだった。彼女の居住地・中国山西省から日本に来ること自体が大変なことだが、裁判所での証言は自分の苦しい過去を話さなければならないのでどんな思いだったのだろう。

 彼女は1995年に東京地裁に損害賠償を求めて提訴し2007年最高裁で敗訴が確定している。大森典子弁護士はこの間20回も中国山西省を日本女性の支援者と共に訪問している。裁判に敗訴した後も何回も訪中して「慰安婦」達を激励してきた。日本女性達のこうした活動はきっと彼女たちを勇気づけたに違いない。

  人間の尊厳、女性への暴力撤廃を身を持って訴えた生涯だった。人間的にも成長したと私は思う。彼女は映画「蟻の兵隊」に登場しこのドキュメンタリー映画の主人公の奥村和一さんと堂々と渡り合う場面が印象に残っている。奥村さんも最近亡くなった。日本政府が戦争での加害責任をあいまいにしている間に、被害者の次々と訃報が報じられる。(吉川記)写真右から4人目が劉さん、左は、吉川、大森弁護士―国会吉川事務所にて

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