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2019年5月12日 (日)

ユニークな「慰安婦問題」の映画、『主戦場』

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(写真左・映画のプログラム、写真右・映画『主戦場』のチラシ)

The Main Battleground of The Comfort Women Issue

これは日系アメリカ人ミキ・デザキ氏の初映画監督作品で、「慰安婦」問題の真相に迫る映画である。

「慰安婦」問題に対して何故アメリカ人が映画までつくりたいほどの関心を持ったのか?

デザキ監督の曰く、「慰安婦」問題に関心を持ったのは元朝日新聞記者の植村隆さんが「ネトウヨ」と呼ばれる人から中傷されている話を聞いたから。また、アメリカの報道は「慰安婦問題」に対して「20万人の女性たちが強制的に性奴隷にされていた」でありこの問題に論争があるとは思わなかった。歴史修正主義者と呼ばれる人々が「アメリカこそが歴史戦の主戦場だ」というのを聞いて、アメリカ人として興味をもった」というのだ。

 

映画はまず、「慰安婦問題」のいくつかの論点を取り上げて肯定、否定論両者の見解がスクリーンに展開される。

 

<慰安婦の人数について>

先ず、歴史修正主義者は「慰安婦」の数が200,000という点に噛みつく。あまりにも多い数ではないかと。

ケント・ギルバート(日本のテレビタレント、カルフォルニア州の弁護士)は「もし左翼の主張が真実なら慰安婦たちが1日に20回もセックスを強要されたとすれば…」、

藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)「1日に20回とか30回とか…最近では50回、強要されたと。…すぐに(慰安婦が)1000万人位になるんですよ。(日本軍は)150万人しかいないのに」

ケントギルバード「日本兵全員が単純計算でも1日6回のセックスしなければ、それも毎日しなければ計算が合わない」

 

ナレーション~20万という数字はどのように算出されたのか

 

吉見義明(歴史学者)「陸海軍軍人の数は最大350万人。日本軍は100人に1人の割合で慰安所を設置する基準なので3万人という数字が出る」

渡辺美奈(アクティブミュージアム『女たちの戦争と平和資料館』(wam)館長)「長い戦争で交替もあった…」

吉見「仮に半分入れ替わったとすると、4万5千で、全体で1度入れ替わったとなると6万という数字が出る、まあ最低で5万くらいかな」

ユンミヒャン(韓国挺身隊対策協議会)「当時慰安所の管理者たちの話の中に『29対1』という記録がありそれに基づいて研究者たちが約20万と推定している。私達は研究者による数字を用いているに過ぎない」

渡辺美奈「フィリッピンやインドネシアの部隊に慰安婦がいなければ自分たちで慰安所をつくっちゃう…そうなってくると『100人に一人』ではなくなってくる」

 

ナレーション

「アクティブミュージアム『女たちの戦争と平和資料館』は合計数を出すことには慎重だ。…この議論の結論から分かることは、慰安婦についての実際のデータは存在しない。よって概算の言及には注意が必要だ

 

<歴史教育 HISTORY EDUCATION

杉田水脈「ニッポン人は『まあこんな問題は嘘だろう』とあまり信じている人はいないと思う。『強制連行なんてやりっこない』というのが一般的になっているにもかかわらず、いまだ世界中ではナチスドイツのホロコースト…に匹敵する戦争犯罪だと世界中の人が信じ込んでいる」

 

ナレーション~性奴隷なんて話を日本人は信じていないと否定論者は言うが日本人の多くが問題自体を知らない事を忘れてはいけない。…

 

中野晃一「1997年以降中学校の歴史教科書が慰安婦の記述を含むと報じられた時から中学は義務教育ですから…右翼にとっては大ごとだった。彼らはいくつか団体を結成した。歴史修正主義の反動が始まった。安倍首相は未だ当選2回の若い国会議員だった。自民党議員中心になって議員団体を結成した。」…『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』というような」

 

ナレーション~「教科書議連」としてもしられている

 

俵義文「このまさに自民党が言った歴史認識をつくる、日本の戦争を正当化するような歴史認識を国民に定着するための国民運動組織として、学者を中心とした組織ができたのが『新しい歴史教科書をつくる会』なんですね」

稲田朋美(国会での発言)「総理は若手議員の頃から教科書から慰安婦の記述を削除して日本の名誉を回復するために尽力していた」

 

ナレーション~1997年中学校の全てに慰安婦の記述があったが2012年にはその記述が完全に削除された

 

中野晃一「朝日新聞を無理やり黙らせ、政府見解に屈させることに成功したて大胆になった安倍氏は更に国際的キャンペーンに関与、特にアメリカに注目し朝日新聞が広めた「誤った」認識を変えさせようとした」

安倍晋三(国会での発言)「政府としては客観的な事実に基づく正しい歴史認識が形成され、ニッポンの取り組みが国際社会から正当な評価を受けることを求め、戦略的な対外発信を強化しなければならない」

 

ナレーション~2014年日本の外交官がアメリカの教科書会社を訪問し、慰安婦問題に関する記述二段落分の削除を要求した。聞き入れられず総領事館の職員が執筆者―ハーバードーハーバードシグラー氏を突撃訪問し「アメリカの学生の頭の中を汚染している」と非難した。

2017年日本政府は公式な意見書を提出し目良浩一氏のグランデール訴訟に支持を表明した。信じられない事に慰安婦像の撤去は『日本の国益の中核である』と書かれている。何故安倍氏と右翼は慰安婦問題をここ迄重視するのか。

(以上は『主戦場』プログラムより引用)

 

否定論者に発言の場を与えてしまう…懸念はない

 

「慰安婦」の人数、強制連行、性奴隷、歴史教育という主論点について、肯定論者、否定論者双方の意見が様々な資料映像とともにスクリーンで展開されて、観客は引き付けられる。

私自身、金学順さんが「あまりに悲しくて自分の口からは話せない」と語る映像は初めて見た。また米議会でのイー・ヨンスさんの証言のシーン、や米在住の日本人の様々な証言(「慰安婦問題で日本人の子どもが学校でいじめにあう!」)等々アメリカ国内の情報も。テーマ毎にこうした賛否両論について対比させるという手法が新鮮である。

 

「主戦場」プロデューサーのハタ・モモコ氏が最初、「この映画の両論併記という形には懐疑的であった、否定論者へ発言の場を与えてしまうという事に抵抗を感じないわけではなかった」と述べているが、手方として成功したのではないか。

確かに「否定論者に発言の場を与えている」部分もあるが、両論を並立させることで彼らの嘘やとんでもない牽強(けんきょう)付会(ふかい)も観客に明らかになってくる。人柄の不真面目さが露呈された否定論者もいた。

この映画の作り手の歴史認識がしっかりしているので、「慰安婦」問題の本質が誤って観客に伝わることはない。

 

    映画から伝わるもの

 

映像は安倍総理など右翼勢力が、強制連行、性奴隷等否定できない事実にクレームをつけ、「慰安婦」問題を躍起になって否定するキャンペーンを展開する姿を伝える。そして、「慰安婦」問題を否定することで、日本のあの戦争は間違っていなかったという侵略戦争肯定論へ結びつけようとするという彼らの「壮大な」戦略を描く。

しかも私が驚愕したのは、安倍総理が国内だけでなく国際世論、とりわけアメリカの市民の認識までかえようとする、恐るべき「発展性」を映画が描いていることである。日本国内からは見えにくい在外公館を使い、アメリカの教科書執筆者に対する裁判にまで関与している。この映画を多くの日本人が見てほしいと思う。

 

問題は、日本の世論が「慰安婦」問題を外国の話しとしてとらえたりもう終わった事だなどとしていることに対して、どのような有効な手を打てるか、運動を発展させられるか、である。

「慰安婦問題」をどのようにして日本人自身の問題としてとらえる世論を喚起してゆけるかが課題である。それは# Me Tooの運動であり、日本人「慰安婦」問題への取り組みにかかっていると思う。(吉川春子記)

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2019年4月22日 (月)

「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」の第7回総会開く

 <第7回総会>

第7回総会は2019年3月31日午後3時30分より東京都文京区民センターで開かれた。議長は後藤ひろみ事務局次長、出席者は40名。

 〇吉川春子・当ゼミナール代表から「2018年度活動の総括と2019年度方針」が提案された。(当ゼミナールニュース第35号に掲載)

 〇原康長・事務局次長から会員数、会費納入の状況が報告された。総会時点の会員数は544人。佐藤龍雄・監事より決算に関する報告が行われた。

 〇大森典子・副代表から「当会活動の基本方針」が提起された。(当ゼミナールニュース第35号に掲載)

質疑・討論の後全会一致でいずれも承認された。

 〇その後2019年度の常任運営委員、運営委員が選任された。

  常任運営委員10名(代表ー1名、副代表―1名、事務局長ー1名、事務局次長4名、その他の常任運営委員3名)

     運営委員10名。

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写真左・山田教授の講演に耳を傾ける参加者、右は信州長和町の雪柳・2019.4.28撮影

  <2019年度の当ゼミナールの行事>

 

【第30回ゼミナール

 日 時:2019年7月28日(日)会場は追ってお知らせします

 テーマ:「RAAと米兵のための『慰安所』~敗戦後も政府が「守るべき性」と「差し出す性」を選別し女性差別を公然と行う政策を実施!

 講 師:平井和子・一橋大学講師 *著書『日本占領とジェンダー 米軍買売春と日本女性たち』(2014年8月30日有志舎)

 

 敗戦直後、日本国内に政府が警察に作らせた多くの売春施設と運命を狂わされた日本女性たち

「慰安婦」は戦後もいた!終戦直後に政府は女性を駆り集めて進駐軍のセックスの相手をさせる「慰安所」を日本全国に作り女性たちの売春を強要した。その結果多くの女性の人生が狂わされた。政府は国会で追及されてみ謝罪もしないし認めてもいない。

 

【フィールドワーク】

 実施日:2019年11月19日(火)~11月20日(水)

 目的地:広島県竹原市忠海町大久野島の毒ガス資料館、

     女学生時代に大久野島に学徒動員された大久野島画家・岡田藜子さんの講演

     呉市江田島、戦艦大和資料館、海上自衛隊資料館等見学   

 費 用:45,000円程度(航空機使用の場合)

 交 通:東京ー航空機使用、大阪、名古屋、山口、福岡等は新幹線

 

毒ガス製造の大久野島を訪ね日本の加害の事実にふれる旅

中国では、現在も旧日本軍が中国に遺棄した毒ガスによる被害者が出ていて裁判になっている。それを製造していた大久野島、しかも学徒動員の子ども達に手伝わせていた。女学生は風船爆弾を製造させられ、アメリカに到着した風船爆弾はアメリカ市民の命を奪っている。自分は加害者、と絵本を作りアメリカ、フランスに寄贈した岡田藜子さんの体験も聞く旅です 

 

    < 記 念 講 演 >

 総会に先だって午後2時より、山田朗・明治大学文学部教授による記念講演に当ゼミナール単独企画では最高人数の95名が参加した。準備した資料70部では足りず急遽、増刷という嬉しいハプニングがあった。参加者も多様で、ソウルのフィールドワークに参加した大学生達や、『慰安婦』ミュージアム名誉館長、女子大名誉教授、元消費税なくす会会長、群馬県歴史教育協会員、元マスコミ記者…など。会場から初参加の大学教員の旧日本軍玉砕地中国雲南省の旅等興味深い報告があった。

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講演する山田朗・明治大学教授

 

    講演に関し寄せられた感想

 全体として、素晴らしい講演で受けてよかった、参考になった、先の見通しが開けた等の感想が寄せられた。以下は感想要旨

 <歴史認識>について

〇加害者・被害者と立場の違いから同じプラットホームで話し合うことの必要性を感じた。

 〇歴史認識という言葉のむつかしさ、「慰安婦」問題の奥の深さ等々考えさせられた

〇立場によって大きく異なることの認識が大事。それが共通の認識から未来の歴史を築くことができるのだと思った。

 〇歴史認識とは相互のやりとりと歩みそして理解なんだと。差別をどう乗り越えられるのか。

〇加害者側の考えと被害者側の考え方の相違についてはとても勉強になった。

 <日本の責任>

 〇日本は過去を隠蔽し、事実をねじまげて、徴用工や「慰安婦」の問題を相手(韓国)の考えを理解しようとしない。TBSラジオでさえ、韓国非難を繰り返すだけ。日本は本当にどうしようもない。この先、よい方向へ向かう展望がみえない。全く情けなく暗い気分にならざるを得ない。どうしたらいいのだろう。

〇(私の年代では、体験的にもわかっていることですが)、ちゃんと向き合うべきだと改めて考えます。中国にしても、韓国にしても、また日本の中でも、そちらの証拠資料をしっかり残して受け止めることが大切。頭から否定してかかることは、何も話が始まらない。

 〇安倍氏が直接「慰安婦」にされた方の前で、土下座して心からお詫びをすれば解決は早いと思います。

 

     <山田朗先生の講演概略、文責・吉川 

 歴史認識について対話と相互理解の必要性を強調された。例えば原爆投下について加害者側(アメリカ)は「多くの犠牲者を出したが世界に平和をもたらした」とするが、被害者(日本国民)は「多くの被害を出したので二度と繰り返してはならない」とする。また同じ被害者でもアジア諸国の人民は「日本が敗北しその植民地支配、占領支配から解放された」と捉える。

    政界における3談話打ち消し

山田先生はアジア諸国との歴史認識の“ずれ”の原因はこれまで日本政府が歴史認識で近隣諸国へのお詫びを何度か表明したにもかかわらず、その都度政界でこれらの「談話」を排斥してアジア諸国の怒りを買ってきた事にあるとした。

☆「宮沢談話」(官房長官、1982年)~日本の教科書が国際問題になったとき、近隣諸国への配慮を打ち出した

☆「河野官房長官談話」(1993年)~「慰安婦」の徴集、管理への関与、強制性、おわび、「反省」を表明。

〇2007年の辻本議員への政府答弁書が誤認の源。河野談話を認めてその後で「資料の中には強制連行を示す証拠はなかった」と付け加えた。日本がポツダム宣言受諾(8月14日)から米軍の日本上陸(8月28日)の2週間の間に政府は全国に通達を出して日本にとっての不利な証拠を徹底的に焼却させた。自ら焼却しておいて「証拠がない」とは!安倍内閣の卑劣さを示す答弁書である。

〇結果「強制連行はなかった」、「強制されたものではなく自由意思だった」発言続々

☆「村山首相談話」(1995年)~「植民地支配と侵略」への痛切な反省と「心からのお詫び」を表明。

しかし「安倍談話」で村山談話を否定。これ等の「談話」排斥の総仕上げが安倍談話である。安倍内閣こそアジア諸国との友好関係を傷付けている張本人である事が明らかにされた。

       「徴用工」問題の根深さ 

 徴用工問題では先生は日本が植民地支配していたとの認識が(国民の間に)弱いと指摘。きっかけは1937年の日中戦争勃発で常備兵力に+70万人が徴兵されて、兵力動員と軍需生産の拡大に伴う労働力不足を補うために朝鮮から当時あった渡航制限を解除し労働力を移入した。人数は在留朝鮮人を加えて10年間に4倍に増加した。

 当初は募集形式で行ったが、過酷な労働条件で逃亡者が多く出るようになったので1942年より官斡旋(かんあっせん)方式で地域ごとに人数を割りてる方式を取った。戦争末期の1944年からは国家総動員法の下で国民徴用令が朝鮮人にも適用され、強制的に軍需産業に徴用された。鉱山や炭鉱では組長、熟練工として比較的徴用されたが、非熟練層は肉体労働で低賃金で酷使され劣悪な生活環境だった。松代大本営工事は朝鮮人の非熟練工も大量に徴用され、また各地で逃亡、抵抗が多発した。

 記録や映画で朝鮮人の労働者の目を覆うばかりの過酷な実態に私も触れてきた。当ゼミナールのフィールドワークで松代大本営の見学や、昨年の群馬県では発電所で酷使されていた朝鮮人労働者の慰霊碑も見学した。植民地支配が強制労働を可能にしたとの事実に私たちは目を向けなければならない。

     連れて来られ方ではなく、自由奪われた強い拘束が問題 

 先生は「問題は『強制連行』=連れて来られ方ではなく、『個人の意思』で日本に来たとしても帰国、就労、居住、賃金使用などの自由を奪われた強い拘束性が問題である」と指摘する。確かにどんな形態で来たにせよその後の過酷な「たこ部屋労働」から抜け出る方策がない事が問題なのである。しかも植民地朝鮮では明治憲法は完全には実行されず参政権がない。即ち朝鮮の人々は権利がなく義務のみ押し付けられていたという植民地政策の下におかれていた実態に目を向けなければならない。。

 (強制連行については「慰安婦」問題にも共通する。一時期国会でも「強制連行」の議論が盛んにおこなわれたが。官憲がドアに押し入り女性の手を引っ張って連行する事が「強制連行」だと安倍首相は勝手に意義を変えた。また、「吉田清治なる人物が朝鮮半島に於いてトラックで女性を強制的に狩りだした」、「いや彼はペテン師だ」云々。そして「証拠がある」とか「無い」とかに論議が向いて繰り返された。私は、これは政府の「慰安婦」問題の論点をそらす術中に陥るものでではないかと懸念した。「慰安婦」問題の本質は「慰安所」で兵士の相手を強制させられて性奴隷だった事が問題なので、募集の方法にだけ目がいってはならないのだ。このコメントは吉川)

 同時に徴用工は国家総動員法に基づく政令によって強制的に労働に駆り出されたので、法的根拠のないまま引っ張られた「慰安婦」とは決定的に違う点であり、それだけに日本は賠償責任を負っていることは確かである。

      歴史認識はなぜ必要か 

 過去を見ないと現代が見えない。日本は大きな犠牲を払って加害を学んだ。加害の問題を残そうとしないから加害の記憶は消えてゆく。忘却は罪悪である。日本では徴用工問題は報道されなかった。何が事実だったのか、日韓の共通の土台をつくることが必要である。戦争処理が終わっていない事の認識が日本人に必要である。戦後生まれの世代にも「戦争責任」はある。先人が清算していない「負の遺産」を清算する必要がある。アジア諸国と友好関係を築くためにそれは必要である(吉川春子記)。

(講演要旨は「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールニュース第46号2019年5月20日発行に掲載予定)

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会場は文京区民センター大会議室2019年3月31日(日)

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写真・信州の”花モモ”満開2019.4.28

 

 

 

2019年3月25日 (月)

早明浦ダム建設で人口400人に減少した大川村を訪ねて

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(写真・村の宿泊施設前で3月20日・左端吉川)


、 女性議員のいない町村を訪ね、今回は! 


3月19日(火)~20日(水)に女性元参議院議員4人で高知県土佐郡大川村を訪ねた。ここは以前に「議会廃止も検討…」などと報道されたいわゆる「限界集落」だ。村議のなり手不足解消のために地方自治法の「兼業禁止」を緩和する条例制定に歩み始めている(2018年12月、朝日)との報道を笹野貞子元参議院議員が見つけて今回の訪問となった。


私達「参議院協会」会員の女性は2、3年前から女性議員のいない村、町を訪ねて原因をさぐって来た。戦後70年間女性議員が一人も当選しない、海水浴場と「月の砂漠」のモデルとして有名な千葉県御宿町や日航機が墜落した群馬県上野村等を訪ねた。今回もその一環であった。しかし私が目の当たりにしたダムの街の姿は女性の政治参加云々を超える問題があり私は衝撃を受け、国(行政)への不信感を一層募らせた旅となった。(宿泊施設前で平賀真助議員と3月19日)


離島を除いて、日本最少人口の村にしたのは誰? Photo_1


 私は朝6時30分東京発新幹線のぞみで岡山駅下車、飛行機で先に着いていた黒岩秩子氏と共に笹野氏の車に便乗させていただく。瀬戸大橋を渡り高知自動車の大豊で降りて県道に入る。ここからは早明浦(さめうら)ダムに沿ってくねくねと曲がる道でハンドルはベテランの運転手が握るが眼下はダムなので心穏やかでは居られない。大川村役場に着いたのは家を出てから8時間後の午後2時まえだった。


 村役場で私たち一行を迎えてくれたのは初対面の平賀真助共産党議員だった。こんな険しい場所で奮闘する彼に尊敬の念でいっぱいである。「早明浦ダムで村はズタズタにされた」「水没地域の住民は補償金をもらって村を出て行った。主要産業だった鉱山が閉山され、林業も廃れた」と彼は言った。


同じ言葉が私達の会った方々から繰り返し出た。和田知士村長は「村にとってダムのメリットはゼロ」、「かつては大川村は不交付団体だったがダムと三身一体改革で村はとてつもない財政難に陥った」と。昭和47年、別子銅山と並び称された白滝鉱山の閉山が追い打ちをかけ4000人の村民が2018(平成30)年403人に迄減少する。


和田村長のお父さんは反対運動のリーダーだった。ダムは昭和42年に着工されたが、村民は昭和45年に湖底に沈むとわかって居ながら役場の庁舎を建築した。今でも渇水になると村役場が湖底から姿を現す。大川村発行のリーフにその写真が掲載されている。村民は今もダム建設に反対、の意思が伝わり心が痛む。


私は当初は大川村が早明浦ダムの立地であることを知らなかった。しかし、かの有名な早明浦ダムがここ!と、私の記憶がよみがえりダム建設反対運動の村の歴史が私の中で現実のものとなった。


東京オリムピック前年に建設省がダム計画を立ち上げてオリンピック景気に浮かれ、東京中心に戦後復興で華やかな時代に、東京から遠く、高知県大川村では故郷を守るため熾烈な反対運動が闘われていたのだ。国家権力がそれをなぎ倒してダムが完成したのは1973年。私が埼玉県八潮市議会議員に当選した年である。 


         子どもたちに希望が 


 “限界集落”という心痛む言葉が日本で聞かれるようになって久しい。大川村は400人の人口の内で、80歳代が一番多いという。また10年後は300人にまで減少するかもとの予測もある。


小中学生は25名だがそのうち10名は他所の県や自治体からの山村留学の子どもたちである。義務教育さえ外部の力を借りなければ成り立たない状況である。


私は早朝No散歩の時通学の中学生4人と会った。おはようございます、と声をかけてきた彼らの頬はバラ色、学校は楽しい?と私が聞くとクラスが少人数で先生とよく話せるから、と答えが返ってきた。


また、この2年間で子どもが11人が生まれるという希望もある。これは30年前からゼロ歳児保育(生後6カ月)を実施していて、保育料はタダだという、働く母親にやさしい施策の効果であろうか。


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(写真・橋の上からダムを覗く)


    村議会の危機に、兼職禁止を緩和


浅倉慧(あきら)村議会議長は「定数6名の大川村議会では果たして議員になり手がいるのか?そこで地方自治法94条にある村民総会について研究をしておこうと思った。それがマスコミで(議会廃止かのように)誤って伝えられてしまった」と言われた。「議員定数は8名欲しい6名では委員会が成り立たない」とも。


地方自治法92条の2は地方議員が当該地方自治体の請負する者との兼職を禁じる。今年の議会で大川村は兼職緩和条例が成立し平成31年4月1日から施行される。条例は「請負」等について緩和規定を設けた。これによって大川村村議の資格を拡大する狙いである。この規定が何人かの候補を増やす効果が上がるのかはいまだ不明である。


議員のなり手を増やし、村議会を維持したいとの意向で、学者の知恵を借り、総務省の同意を取り付けて画期的な条例施行となった。全国初の事であり、今後議員になり手を増やす方途として大川村に続く自治体が生まれるであろう


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(写真・村議会議場、椅子、演壇は地元産の木材で作られていた。議長席に座る吉川)


      村議へ女性の立候補 


3月19日、東京では桜の開花が云々されるのに冬のような寒さの大川村で私達一行は村の宿泊施設に泊まった。村特産の“はちきんブロイラー”の焼き肉は頗る美味だ。一方住民の暮しは山間地でもあり生活条件は都会の私から見て厳しい。


この宿泊保養施設は大川村からの指定管理者業務を委託されている「大川村ふるさと公社」が運営している。ここを切り盛りしているのは渉外課長の近藤京子さん(56才)である。


この公社の職員は本来ならば議員になれないが、今度の条例第3条の(2)では指定管理者を外し、「自治法92条の2の請負に該当せず」とした。その結果、近藤さんはにわかに脚光を浴びた。村議選への立候補に対して各方面から熱い視線が注がれているからである。


法的には立候補可能となっても女性の場合は家族の状況、同意等超えるべき課題もあるだろう。この村では村史上2人の女性議員がいたという。彼女が3人目の女性議員となるか、まだ彼女は立候補についても答えを出していない。


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(写真は早明浦ダムにかかる橋)


 


  八ッ場ダム、原発との類似性 


 私は大川村を訪問し早明浦ダムをこの目で見てダムはこんなにも人々の生活を困難に陥れるものかと衝撃を受けた。1960年代から70年代の日本の経済成長期に全国でダムをつくり、その結果人生を変えられてしまった多くの人々を思った。ダムが必要だったと仮定しても、ダム湖を抱える住民にのみ犠牲を押し付けていいのか。


 昨年バス旅行で、群馬県の八ッ場ダムへ行った。かつて八ッ場ダム反対住民の決起集会に参加したこともある私は、既に自然を破壊し9割方完成している八ッ場ダムの姿を見るのはつらかった。


昭和30年代から反対運動が続き、又宙ぶらりんの期間が長引いて旅館業者もついには賛成に転じダムは建設された。しかし、名目とされた首都圏の水需要はほとんどなくなり、他方、酸性の強い水に石灰を膨大に投げ入れて、それを利根川に流す等々環境破壊が凄まじい。何のためのダムなのか疑問はなお解けない。


そして早明浦ダムが大変な苦労を子孫に今も強いている愚を思うと、この八ッ場ダムも後の世代にどんな負の遺産を残すのか、暗澹たる思いがする。


 原発も同じことがいえよう。原発で利益を得る者のために建設され、いったん事故が起きると犠牲は国民に押し付けられる。裁判では東電の最高幹部はこれだけ深刻な被害を発生させながらこぞって無実を主張する。国家もこれを擁護する。国家とは何なのか。人間とは何なのか。


 

2019年3月17日 (日)

関東大震災当時の日本を描く韓国映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」

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(『金子文子と朴烈」のジャケット)

 

    日本人監督には撮れない?映画


 

渋谷駅は大規模工事中でわかりにくい上に街もなじみ少ない私は親切な通行人に会ってこの映画館シアター・イージーフォラムにやっとたどり付けた次第。

ここで上映中の韓国映画『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク監督)は、日本人が観るべきだと私は思う。このような映画は日本人の映画監督には制作できないと思うから。

即ち日本人はこれほど天皇制について痛烈な批判はできない。また関東大震災に対してこの様なリアルなシーンの映像は取れないだろう。これはしかし事実なのだ。祖父母の世代が植民地支配の苦しみを心底味わい、関東大震災の時に恐怖の体験を味わった朝鮮半島の人でない限りこうした映画は撮れない、あるいは日本社会が受け入れないだろうと思う。

主人公たちはアナキストだったが、アナキストであろうと社会主義者であろうと思想を罰する治安維持法の下で植民地支配下の朝鮮人に過酷な弾圧が降り注ぐ。そのことを描いている映画である。

 

キラキラする青春映画の側面

 

映画の冒頭で金子文子は朴烈を訪ねて、彼の「犬ころ」の詩に惹かれたといって同棲を申し込む。当時の日本社会で差別されていた朝鮮人の青年の詩に共感し、生涯を共にしたいという自分の意思を明確に表せる金子文子とは並みの女性ではない。

彼女は両親から出生届も出されず、従って小学校にも行っていないが、獄中や公判での堂々とした態度はどうして身に付いたものか、同棲者(内縁の夫)たる朴烈への信頼と愛情のためか。映画では描かれていない。

以後、どこまでも信じあう心は変わらず一心同体である。簡単に同棲を始めたかに見えるがそれはいい加減な気持ちではない。それは二人が交わした3点の規則が物語る。文子は以下の二人の約束事を書面に書いて、それぞれ拇印を押す。

その1、同志として同棲すること

その2、私が女性であるという観念を取り除く事、

その3、一方が思想的に堕落して権力者と手を結んだ場合は直ちに共同生活を解消すること

この規約には、固い思想で結ばれ権力にも屈しない決意がみなぎっている。それは過酷な日本の官憲の弾圧に対しても貫かれる。

1923年(大正12年)おでん屋で働く文子と朴烈の二人は「不逞社」を設立し他の仲間と政治活動を行う。

 

    関東大震災が2人の運命を変えた

 

同年9月新婚の2人を関東大震災が襲う。町では流言飛語による自警団、警察の朝鮮人への虐殺が始まり、東京と神奈川全域に戒厳令が出される。亀戸署に河合義虎など南葛労働者、日本人社会主義者が逮捕殺害される。

数千人(映画では6千人)の朝鮮人が虐殺された。今日もなお慰霊祭が行われているが、小池都知事になってからこの集会に向けたメッセージを拒否している。関東大震災に端を発した朝鮮人虐殺に無反省の都知事であってはならない。

文子と朴烈が予防検束される。朴烈らは「爆弾を入手しようとした(だが実現しなかった)」だけなのに長期の取り調べの中で供述が誘導され皇太子暗殺を謀ったという話に膨らみ、法定刑は死刑のみの大虐罪で起訴される。大審院での審議が始まると本人たちも法廷闘争を通じて自分たちの主張を述べる場とする。二人はひるむことなく日本の官憲への批判を述べる。

その過程で、朴烈は文子を説得し東京牛込区役所に婚姻届けを出す。身寄りの全くない文子の遺体を朴烈の遺族が引受人となり荼毘に付されるようにと。文子に対する朴烈の愛情を感じるシーンである。死刑判決宣告後に婚姻届けのコピーが文子に渡されるシーン。本当の妻と夫になったのだ。

文子と朴烈は恩赦により死刑判決を無期懲役に減刑される。これが獄中にいる二人に告げられるシー-ン。死刑が執行されなくて私は心からホットした。

しかしせっかく生を得たのに文子は宇都宮刑務所で自死する。彼女の不幸な生い立ちが生きることに心底絶望させたのか。朴烈は22年間服役して1945年10月治安維持法の日本人服役者と同じ日に釈放される。朝鮮に帰国1974年北朝鮮で死去した。

 

   反日映画ではない

 

「体制内の良心を体現する立花検事」(これも実像とは異なる)」や、2人を支援する布施辰治弁護士、作家の中西伊之助といった多様なキャラクターを描き出し物語に深みを与えることができた」(「葛藤の時代を生きた二人を浮き彫りにする虚実の妙」加藤直樹 ノンフィクション作家~映画のジャケットより)の指摘するように、単純な反日映画ではない。

文子と朴烈の無罪を信じ弁護を積極的に買って出た布施辰治を映画に登場させてもいる。かれは2004年韓国政府から「大韓民国建国勲章」を授与された唯一の日本人である。

予審判事になった韓国人の俳優の日本語の上手さに舌を巻いた。それ以上に朴烈、文子の取り調べに彼の法律家としての誠実さを垣間見、早く起訴して死刑に持ってゆきたい上司との板挟みに苦しむシーン等もあった。閣内の様子も一様ではなく矛盾点も描かれていた。

日本は植民地政策で朝鮮の人々にどんな傷を負わせたのか、直視する国民は残念ながら少ない。ネトウヨの極端な嫌韓街頭宣伝に対する日本人の批判も乏しい気がする。

真実に向き合うことは時には苦しいけれど、被害を受けた方がもっと苦しい事を忘れてはならない、と語りかける映画である。(以上)

2019年2月11日 (月)

日韓関係を考える、「三一独立宣言」一〇〇周年

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現在、日韓関係は最悪の状態に陥っている。この20年近く「慰安婦」問題に取り組んでいる私はこの状態を大変に憂いている。こうした中今年は「3.1独立宣言」が1919年2月8日に発せられて百年を迎え、様々な民間団体が日韓の歴史について考える会を催している。私はこの間三人の専門家の講演から朝鮮と日本の近現代史について学び、今何をなすべきかの示唆を得た

 

         朝鮮独立宣言が発せられた日に    

 

2月8日、文京区民センターで、「『日本人の明治観をただす』(中塚明・著)刊行記念 韓国三・一独立運動100年―東京での2.8宣言の日に」が行われ、歴史家 奈良女子大学名誉教授・中塚明先生が講演した。大変寒い、ウイークデイの昼間の時間帯であったが101人(主催者発表)が集まった。百年前も東京は雪が降ったという。

 

1910年に韓国併合条約が締結され日本の植民地政策が始まる。そして1919年2月8日に日本にいた朝鮮人400人~600人が集まり独立宣言は発せられた。

冒頭に曰く「2千万の民を代表し正義と自由の勝利を得た世界万国の前にわが独立を宣言する」と。また、「ここにわが民族は日本および世界各国に対して自決の機会を与えることを要求する。もしその要求が入れられないならば、わが民族はその生存のために自由な行動をとり、わが民族の独立を期成せんことをここに宣言する」と結ばれている。彼らはその後過酷な日本の植民地支配と闘うべく朝鮮、各地に散って行った。

 

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(写真は講演する中塚明先生・東京文京区民センターで)


輝かしい明治、昭和…坂の上の雲の歴史認識

日本人の明治観を質す~

 

中塚先生の講演は、鋭く、深く興味深い内容だった。日本史が専門の先生は1993年、奈良女子大教授退官後も含め日本の朝鮮侵略戦争の歴史を明らかにする研究・執筆を60年間続けてきた。

中塚先生は当時の外務大臣・陸奥宗光の著「蹇蹇録(けんけんろく)」を引用して、日本が朝鮮に対し何をしたのかを日清戦争(1894~95年)に迄さかのぼり説明。

歴史を記憶してそこから学ぶ事が韓国・朝鮮との和解の道である。しかしマスコミ、文筆家、学者が偏見はあっても事実は知らないと、ズバリ批判する。赤旗にも登場する半藤一利氏は「赤い夕陽の満州から始まった…明治は素晴らしい時代』について3ページにわたり書いているが、なぜ、朝鮮で何が起きたのかを書かないのか。立派な半藤さんにしてこうだ、と関川夏生央、川上操六の各氏も批判する。

また、朝鮮への偏見=侵略の隠ぺい・忘却と表裏の関係にある日本の近代現代について司馬遼太郎の坂の上の雲に表れている「明治栄光論」がまかり通ってきたことを批判した。

先生は国会図書館で公開されている「陸奥宗光関係文書」を研究する。日清戦争翌年に書かれた外相自身の手になる、日清戦争は誰がやったのかを陸奥自身が書いた「蹇蹇録(けんけんろく)」が明らかにしている。彼は明治の代に和歌山出身で長州閥でなく不遇の時代がある。5年間獄中にもいた、「外相は陸奥で大丈夫か?」と明治天皇の覚えもよくない。そうした評価の中で「蹇蹇録(けんけんろく)」は「日清戦争は自分が担った」と外相が初めて書いた本名著である。

中塚先生は軍事書物を収集している福島県立図書館「佐藤文庫」にも再々足を運んだ。参謀本部の168冊中40冊がある。

先生は研究を重ねて「輝かしい」明治、ではなく、退廃する明治、歴史の偽造、偏見の増幅、歴史の推移を客観的に見られなくなった日本帝国の姿をとらえる。

 

朝日新聞が「東学農民戦争の旅」を連載

 

私が先生を尊敬しているもう一つの李通は、研究室から飛び出して現場に足を運び、朝鮮の人々と直接触れ合うことにある。先生は1929年生まれで88歳にもかかわらず、13年間韓国への研究の旅を続けている。

私は2014年の第9回の旅など2回参加して、教科書で学んだ「東学党の乱」とは全く違う事実を目の当たりにした。バスで4~5日掛けて東学農民党の歴史が刻まれている慰霊碑、資料館を巡る旅である。中塚先生がリーダー、朴孟沫・円光大学教授が説明役である。日本からの旅行者だけでなく韓国の活動家が数名同乗し日韓共同のフィールドワークである。

学者・研究者の「朝鮮人が独立を言ったことはない」とか、「東学農民党は民間人が勝手にやった事で戦時法規は適用されない。殺されても仕方がない」等の言説がまかり通る。教科書の誤りも訂正されていない。

しかし、今年1月朝日新聞夕刊に「東学農民戦争を訪ねる旅」の記事が5回連載された。記者が旅に同行し書いたのだという。地道な努力にメディアも注目し多くの国民に知らせたことは素晴らしい。


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(写真・和田春樹氏の著書「アジア女性基金と慰安婦問題」)

 

   和田春樹・教授の声明に見る日韓関係打開の道

 

この集会の冒頭に和田春樹・東大名誉教授が「2019年日本市民知識人の声明『村山談話、韓談話に基づき、植民地支配を反省謝罪することこそ日刊・日朝関係を続け発展させる鍵である』 2019年2月」について訴えた。

この文書は私にも二月二日に送られて来て署名した。声明は「日本と韓国は隣国で、協力しなければ両国に暮らす者は人間らしく生きていけない間柄である」という文言で始まる。そして「1904年以来41年間の軍事占領、19010年以来の35年間の植民地支配が日本帝国によって加えられた。日本人はこれに対して人間的に対処することから逃れることはできない」としている。

1965年に結ばれた日韓条約は「韓国側の日韓併合条約が当初より無効であった」という韓国側の主張をうけいれず、「完全かつ最終的に解決された」として請求権協定が結ばれた。根本的認識の分裂は克服されず放置されたまま今日に至っている。

この条約の下で日韓関係は維持されてきた。1995年村山談話で初めて植民地支配について反省謝罪した。

2010年8月民主党菅直人総理は閣議決定で総理談話を発表した。「3・1独立運動などの激しい抵抗にも示された通り政治的、軍事的背景の下韓国の人々は国と文化を奪われ民族の誇りを深く傷つけられた…この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対しここに改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明致します」として、同じ年のうちに「朝鮮王朝儀軌」を韓国政府に引き渡した。

朝鮮民族はなおあの日、日本人に朝鮮の独立を求めることが日本のためだと説得しようとしたとして和田先生は「宣言」の以下の部分を引用した。

「三.一朝鮮独立宣言」は「今日われわれが朝鮮独立を図るのは、朝鮮人に対しては、民族の正当なる正栄を獲得させるものであると同時に、日本に対しては邪悪なる路より出でて、東洋の支持者たるの重責を全うさせるものである」

この宣言は朝鮮民族の独立のためばかりではなく、日本人が正しい道を歩むように、そして国際社会で日本が負っている責任を果たすように促しているものである。

 

日本はどのように過去の植民地支配に向き合ってきたか

 

 2月9日に浦和で、埼玉AALA連帯委員会の新年会があり、日本共産党中央委員会・国際委員会事務局長の田川実氏が講演した。田川氏は日本政府の植民地支配への反省とそれに対する現段階の反動的動きに言及した。

サンフランシスコ条約で「日本国は朝鮮の独立を承認して済州島…朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と宣言した。この時点で植民地支配は終わっている。1965年日韓基本条約を締結し、大日本帝国と大韓帝国との間の全ての条約は無効とされたが、日本が植民地支配をしたことは認めていない。

それから30年以上経た1998年、小渕総理大臣と金大中大統領の間の『日韓共同声明―21世紀に向けた新たなパートナーシップ』において、日本は「過去の一時期韓国国民に対して植民地支配により多大な損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」。これは村山談話の流れと同一である。

また、2002年9月17日の『日朝平壌宣言』では「2.日本側は過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明した」としているがそれも同様である。

1990年代に出てきた首脳間、或は両国間の歴史に向き合う動きが、今は途切れかけていることが重大だと私は思う


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(写真・講演する田川実氏)

 

   日韓、日朝の人民の意思で

 

日本は1990年代以降、従軍慰安婦に関する「河野官房長官談話」(1993年)を初め、「村山談話」(1995年)、『日韓共同声明―21世紀に向けた新たなパートナーシップ』(1998年)、『日朝平壌宣言』(2002年)で「慰安婦」、「植民地支配」への謝罪と反省を表明して、若い世代への認識を深める事等についての必要を認めている。こうした政府の方針を前に進めてゆく事が求められている。

日本は過去の反省を何もしてこなかった、のではなく不十分ながら何度か謝罪も行っている。それは日韓、日朝人民の願いの反映でもある。この声明に基づき時の政権がさらに発展させる義務を負っているが不十分だった。

こともあろうに、こうした積み上げを、悉く崩そうとしているのが現安倍内閣である。これは日本にとっても朝鮮半島にとっても危険な存在以外の何物でもない。3.1宣言に見る朝鮮人民の高い希望を実現させるためにも日韓、日朝の友好関係に取り組む日本の政府に交替させる必要がある。(吉川春子)

 

2019年1月24日 (木)

2018年度の第4回運営委員会(泊まり込み合宿)開く

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(写真・国立女性会館本館)

 男女共同参画推進の拠点、国立女性会館(ヌエック)に集う

 

2019119日(土)と20()に場所は埼玉県西部にある国立女性会館で私達の「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」の運営委員会を開き、2019年度の活動計画、行事日程等熱い議論を戦わせました。

 

  <雑木林の中の国立女性会館>

 

ここ国立女性会館NWECヌエック国立女性教育会館の英語表記「National Women's Education Center」の頭文字を取って「NWEC」です))は、男女共同参画を推進する唯一のナショナルセンターです。NWECは、女性教育の振興を図り、もって男女共同参画社会の形成の促進に資することを目的としています。昭和52年に文部省の附属機関として設置されて以来、男女共同参画の推進機関としての役割を果たしてきました。

 

現在、国立女性会館の建物は雑木林に囲まれた広い敷地にあり、90年代の女性運動の高揚期に建設されました。一時期政府は行革の対象にして廃止を打ち出しましたが、女性の各界リーダーが必死で存続のための運動を行い、廃止を免れ今は民間の会社に運営を委託しています。ジェンダー平等推進のためのいろんな行事に使われています。

 

泊り込み合宿は今年で3回目です。当ゼミナールは常任運営委員会が中心に活動し、運営委員会は年4回開きます。ゼミナールに合わせて午前中の23時間という短時間で報告し、議論するので年に一度は時間をかけて様々なテーマを議論することにしています。

 

出席は青森、群馬、首都圏、名古屋、山口、福岡等広い範囲から15名、運営委員の約7割が参加しました。欠席者は一斉地方選挙の事前行事、或は怪我、インフルエンザ等様々です。

 

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(写真・合宿風景)



<初めての試み、ミニ講演>

 

その1 韓国大法院判決と、日韓戦後補償問題 大森典子・副代表

アジア太平洋戦争処理に当たりサンフランシスコ条約、日韓条約で請求権は放棄されている。しかし日本政府は、これは外交保護権のみの放棄で個人請求権は消滅しないという立場をとって来た。日本の最高裁も企業が任意に支払うことは違法でないとの立場である。

徴用工判決に対する日本政府の態度は個別企業が判決によって支払うことを抑えておりこれは日韓の感情的対立をあおるものである。解決の方向としては何よりも日本政府が強制連行・強制労働の事実を認め謝罪する立場に立つことが必要である

 

そのⅡ 日本人「慰安婦」問題に取り組む理由 吉川春子・代表

 「慰安婦」の運動は日本女性の解放に繋がらなかった?との指摘がある。韓国人「慰安婦」より20年前に既に日本人「慰安婦」城田すず子は名乗り出ていた。しかし今日まで日本政府の責任追及の運動に繋がっていないのは、日本の戦争責任と歴史認識の問題とのみ捉え女性の人権侵害の追及が弱かったのではないか。日本人「慰安婦」は殆どが遊郭の娼妓・芸妓である。戦前の日本が家父長制の下少女が売買され遊郭が列島にくまなく存在する「とんでもない人権侵害の横行する階級抑圧社会」(藤目ゆき先生)だった点に運動の視点を向けるべきである

 


  <2019年度の計画について>

 

〇会費会員

年会費2000円で運営されているので会員数と会費納入が重要事項である。会員約550名で新規加入者の拡大と会費をきちんと納入してもらうための取り組みについて提案と議論を行った。

〇活動方針

「慰安婦」被害者が自然年齢の限界に達し姿を消し証言は困難に。かつ、日本の世論は「慰安婦」問題は終わったと認識している。当ゼミナールの運動をどう続けてゆくかについて大森副代表のたたき台に基づき伯仲した議論を行った。331日の総会に提案される。

お、これまでの運動と今後の方針について詳しい冊子を作成し会員の皆様に検討していただくため、4人のチームをつくった(吉川、大森、原、棚橋)。

〇総会

日時:331日(日)午後330分~5

場所:東京文京区民センター3A会議室

に先立つ講演は、山田明治大学教授に日本の加害責任と「慰安婦」問題(仮題)を予定している。

〇フィールドワーク候補地、

 明治大学登戸研究所(川崎市)

 中帰連平和記念館(埼玉県川越市)

 大久野島(瀬戸内海)と呉の戦艦大和資料館(広島)、

海外

 インドネシア

 

来年もまた1月国立女性会館で泊り込み合宿を行う事を決めて散会した

2019年1月 4日 (金)

2019年の念頭御あいさつ                吉川春子

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写真・六義園の門松 2019年1月3日撮影

あけましておめでとうございます。皆様にはどのような新年をお迎えになりましたでしょうか。

 


     政治決戦の時


今年は一斉地方選挙と参議院通常選挙があります。政治変革の年です。女性の政治参加を進めて国際的に女性国会議員が最低との汚名を返上する機会にしましょう。それが民主主義の一歩です。

安倍総理は衆参同時選挙に打って出るかもしれない、との憶測が飛び交っていますが、行えばこれこそ二院制の否定です。通常国会、臨時国会を通じて昨年は二院制を無にするような自民党の国会運営が目にあまりました。自らを「立法府の長」だと度々口走った!安倍総理(基礎学力の不足かも…)ですから、可能性は否定できないでしょう。だとすれば、自分の野望を遂げるためにはすべてをその手段にしてしまうというとんでもない人物に、選挙を通じてお引き取りを願うチャンスに変えましょう。


加えて象徴天皇が退位されるという日本国憲法制定当初は予想だにされなかった事態が起きます。激動が予想される2019年が国民にとって“吉”と出るか“凶”と出るか予測はつきませんが、成り行き任せではなく私たち自身の手で好ましい結果を勝ち取らねばならない事は当然です。お互い心して臨みたいものですね。



 

     私たちの活動の成果と課題


私達の「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールは、今年の5月で会を立ち上げて10年目という記念すべき年です。『慰安婦』問題の取り組みを行っている団体は1990年代に多く設立されました。私達の会はほぼ20年遅れで立ち上げたのは、私吉川が参議院議員を引退後という事情がありました。


しかし、にもかかわらす、私達は「慰安婦」問題の解決とジェンダー平等社会実現という会の目的にそっていろいろな取り組みを熱心に行いました。講演会は23回開き34人の講師が講演しました。パネルディスカッション&シンポジュームが4回、ワークショップを2回行いました。またフィールドワークは8回でこの中2回は海外に行きました。振り返ってよくぞここまで活動ができたという感慨を持ちます。


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写真・上海師範大学構内の少女像前で~2017年当ゼミナールフィールドワーク


     新しい会員を増やすお願い


現在約560名の会員の皆様によってこの会が支えられています。赤字も出さず健全財政です。会員の皆様には心より感謝申し上げます。この会は年会費2000円とカンパで賄われています。

一方で、高齢による脱会などやむを得ない事情による会員の減少が年数十人は発生します。新しい入会者なしには会の発展・継続はおぼつきません。

このブログをお読みくださる皆様、ぜひ会員になって下さいますようにお願い致します。


  

結成当初私は各地の講演で「慰安婦」問題ってなに?というテーマで講演し、これに関する質問を多く受けましたが最近は少なくなりました。この間の取り組みの結果、「慰安婦」問題の本質については国民の皆さんの間で深めることができたと思います。一方、マスコミの世論調査で国民の多くは「『慰安婦問題』は解決済み」として関心度は低くなっています。日本政府の対応と運動が少なくなっていることが原因です。しかしこの問題は解決されたのでしょうか。断じてそうではありません。


    「慰安婦」問題は解決済み、ではない

 

韓国の「慰安婦」が納得していないだけでなく、肝心な日本人「慰安婦」がほとんど名乗り出ていません。彼女たちは性奴隷とされ尊厳を踏みにじられても謝罪、補償はおろかその存在すら知られることなく歴史から姿を消されようとされています。政府も国会も戦時中の女性への暴力について反省が決定的に足りません。私たち日本国民(女性)がそこまで彼らを追い込んでいないという面もあります。

 

日本国民の意識を変えずしてこの問題の解決はありません。そのために今後どのような活動を行うべきか、日本のNGO に課せられた仕事です。



   金学順さんのカミングアウトを日本女性の人権と結び付けて

 

昨年ノーベル平和賞が「イスラム国」の性奴隷とされた女性が自らの体験の語り部となって世界で活動している事に与えられたことは素晴らしい出来事でした。すでに、1991年に金学順がカミングアウトして自らの性奴隷としての体験を語りその結果「慰安婦」の運動が国際的に高まりました。翻ってこれらは日本女性の人権の向上とどう結びついたのか。日本でも性暴力にあって泣き寝入りしている多くの女性がいます。それなのになぜ日本では#Me Too(私も被害者)運動が広がらないのでしょうか。この問題の解決こそが日本人である私達の課題です。

 

課題が大きければ大きい程やりがいがありますしエネルギーが出ます。これまで築いてきた当ゼミナールの活動の基盤の上に立って、更に大きく羽ばたく年にしましょう。今年もよろしくお願いします。


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写真・午後の日に輝く新宿御苑のポプラ並木 2019年1月4日撮影


2018年12月31日 (月)

伊勢参りの“精進落とし”に遊郭に通う文化

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写真・伊勢市古市参宮街道資料館リーフより

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写真・年末・夫の友人が届けてくれた水仙

 

古市遊郭を歩く


 私は1226日、瀬古由起子さん(元衆議院議員)の案内で三重県伊勢市の(天照大神を祭ってある)伊勢神宮内宮と外宮の中間にある古市遊郭跡を訪ねた。今も昔も伊勢神宮の内宮への参拝は国民的人気だが、そこにもかつて大きな遊郭があった事に私は驚いた。

 

今より娯楽は少なく旅をすることも自由でなかった江戸時代、伊勢参りは庶民の強いあこがれであっただろう。日常の生活から解き放たれ伊勢参りという正当な目的の旅に出るそれは大きな喜びであったと思う。

伊勢神宮の参道にある古市遊郭は、最盛期の天明期(江戸中期)には1千名の遊女と妓楼が70軒あった。江戸の吉原遊郭、京都の島原遊郭とともに日本3大遊郭と言われた、という。現在は大型バスが通う通りは車を避けることも大変なほど狭い道幅で両側の家が接近している。

遊郭とは読んで字の如く周囲を塀か、水路、運河等で囲んで出入り口には見張り番が立つ。前借金を負った遊女が勝手に逃げられないようにするためである。しかし、この古市遊郭は伊勢参りの街道にあり囲いはない。では遊女たちは自由に外出できたのか?それの点は聞きそびれた。

古市遊郭は先の戦争の時の空襲で大きな被害を受けたという。唯一残る「麻吉旅館」は当時の面影を残す。威容を誇る木造建てで当時の遊郭の繁栄が偲ばれる。


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写真・伊勢市の古市参宮街道資料集


 

大林寺の遊女の墓の由来

 

 遊女の墓があると聞いて大林寺を訪ねた。街道沿いの郵便局から狭い道を少し入った場所にあり車で通り過ぎてしまいそうな所である。古市の妓楼・油屋で起きた殺偽事件「油屋騒動」は歌舞伎の題材となり、今も上演さている有名な演目である。中心人物の遊女お紺の墓である。

翌日もう一度調べてくれた瀬古さんによると、お墓は油屋お紺と恋人の27歳の町医者孫福斎(まごふくいつき)の墓だった。油屋騒動はお紺が孫福斎の探していた名刀の鑑定書を手に入れるために心変わりを装い、それに孫福斎が誤解して刃傷沙汰になった。それを芝居にしたら大ヒットしたもの。その後油屋はお紺を見ようと多くの客がきて大繁盛し、お紺は49才(事件当時16才)孫福斎は事件で自害したため27才で亡くなっている。お墓の年齢差に初めて納得した。お紺の49才、孫福斎27才。どう考えても親子の差である。多くの歌舞伎俳優などが墓参している。

 

ところで肝心の遊郭にいた女性たちの墓については、大林寺の奥さんの話しでは「全くありません」ということだった。和尚さんがいなかったこともあるが。古市に瀬古さんの知人がいて、遊郭旅館を経営していた女将さんの書いた手書きの文書があるということが判明した。入手したら連絡くれる由。今後も調査を続ける。


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写真・遊女のお紺と孫福斎の墓、真ん中はお地蔵様



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写真・「麻吉旅館」の立派な建物と説明板


 

「伊勢市古市街道資料館」で遊郭の歴史伝える

 

街道の中ほどにあるこじんまりとした資料館だが1階の展示室は常設展示について市職員が丁寧に説明してくれる。遊郭の歴史を伺える写真や資料が公開されて興味深い。

それとは別に意欲的なテーマ別特別展が何度か開かれている。入館は無料。

町の歴史で遊郭に関するものをかくす自治体もあるが市が責任をもって常設展示館を設けて公開し資料を発掘する姿勢を評価したい。2階は研究室で料金が半日600円~800円と低料金で貸し出されている

*かつて私が訪ねた日田市では後の首相の松方正義県知事時代に遊郭で生まれた子どもを養育する児童養育施設があった。遊郭では多くの子どもが生まれるであろう。彼らを大切に面倒を見たという保育所である。これを記念して公園には大きな碑が建っていた。しかしこの事実を市の歴史に掲載してほしいとの市民の要求を拒否している、と聞いた

 

なぜ、神社と遊郭が近所にあるのか?

 

この古市遊郭は伊勢神宮参拝の「精進落とし」の場として栄えたのだという。

「精進」の期間は「ひたすら仏道修行に励みその間肉食は避けるが、「精進明け(落とし)」とは「精進の期間が終わって肉食をする事」とされている(「広辞苑」)。

伊勢神宮に身を正して参拝し、御役目が済んで緊張感から解かれて“娼妓を買う”ことが許される。これを精進落としというのだろうか。

そういえば私が2016年に日本人「慰安婦」の本籍地を訪ねた時、神社の傍に遊郭があった。山形の赤湯温泉の熊野神社、佐賀市の元遊郭の近く等…。今回「精進落とし」のため古市遊郭が発展したと聞いて、神社の近くに遊郭?の疑問が解かれた思いがする。

神社のみならず、港、河の船着き場、工場、商業都市、鉱山…等々男性の集まる場所に必ず遊郭があった。日本は遊郭列島であった。男性にとっては「精進落とし」、遊山であっても芸妓、娼妓とされた女性達の苦しみは顧みられたのか。

貧乏故に少女の時に遊郭に売られ借金は膨らみ、その後の人生はいかばかりだったか。モノ言えず歴史の中に消えていった女性達の事を思わざるを得ない。

 

   太平洋争中に遊女たちはどこに行ったのか

 

古市遊郭は、「明治5年(1872年)貸座敷33軒、娼妓640人。昭和初期(1930年)では22軒、135人に減少した(「ウィキペディア」)」

古市遊郭の近くの新古町三遊郭(宇治山田市の等三ケ町)は古市より交通の便が良く昭和十一年頃貸座敷二四軒、娼妓が2百人もいた。(吉田昌志編「遊郭と買春」)等々…三重県にも沢山の遊郭があり大勢の女性が娼妓、芸妓として働いていた。

古市遊郭、新古町三遊郭の双方とも太平洋戦争中空襲にあい商売はおぼつかなくなる。ここで働いていた娼妓、芸妓その他の人々は働き先をなくして何処へ行ったのか。

 

ところで、中国で南京事件後の昭和十三年頃から貸座敷の経営者や女衒が高知、和歌山、群馬、山形まで西から東へと跋扈して遊郭の女性をリクルートして上海の「慰安所」へ送った。和歌山県警がこの様子を内務省警保局長に報告している公文書が1996年に警察庁から吉川宛てに提出された。(「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナールニュース」№3234に解説記事を掲載)。

また私は別のルートから和歌山県に本籍地のある女性がビルマ(現・ミャンマー)の「慰安所」にいたとの名簿を入手した。彼女の墓地を私達のゼミナールの会員が突き止めている。

三重県の遊郭から「慰安婦」が派遣されたとの公文書は残っていない。「慰安婦」募集の業者が三重県には行かなかったとは断定できない。政府は日本の戦争責任の証拠となる公文書は可能な限り焼却したからである。どちらも可能性は否定できないと考えると、今回の三重県の遊郭跡訪問は私の中で大きな意味をもつ。昭和10年代初め頃まで各地にあった遊郭で働いていた女性達の運命は戦争中どうなったのか。そのことを掴みたいと私は思っている。情報提供等のご協力をお願いします。(吉川春子記)


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クリスマスに送られたシクラメン、背景は六義園


 

2018年12月 4日 (火)

議場に赤ちゃん、日本とニュージーランドの違い

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ニュージーランドVS 日本

 

~乳児連れ議場に…熊本市議会議員の行動に議場騒然

 

 

 

ところで、日本において議場に子連れで行こうとするとどうなるか?2017年一つの事件が起きた。

 

熊本市議会で緒方夕佳市議が生後7か月の長男を抱いて市議会に出席しようとしたところ、周りの議員らに批判され、赤ん坊の同伴を断念したのだ。

 

事前に緒方市議は、「長男を連れての議会出席を許可するか、託児所を設置してほしいと議会事務局に何度も訴えた」という。しかし前向きの回答を得られず、子連れで入場に踏み切った。

 

これに対して議会事務局は、緒方議員からは「子どもと長時間離れるのは不安」としか聞いておらず、議会に子どもを連れてゆきたいとの要望は聞いていないという。

 

同市議会では乳児を連れての議会入場に明確な規定はないが、議会傍聴規則では、会議中に同伴者や傍聴人が議場に入ることを禁じている。緒方市議はこの規則に違反したという。本会議場の緒方議員の議席近くに何人かの議員が集まり相談している写真が報道された。

 

長い議論の末、緒方市議は息子を友人に預けて、会議は予定より40分遅れて開会した。

 

 

 

緒方熊本市議の行為は無茶なのか、勇敢なのかの議論はあるだろうが、ここに如実に日本の女性・母親の政治参加の現状が現れている。125年前に女性参政権を獲得し、また女性首相を何人も排出している彼の国と、我が国との女性の政治参加についての実態が象徴的に表れた事件であろう。


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(緒方市議・手前の人、と協議する男性議員ら―ニュース報道より)


 

 

 

女性議員誕生の条件~家事分担、選挙制度

 


 

ニュージーランドで女性の政治参加を可能にしている一つの条件は、家庭で夫と妻の育児と家事の分担が当たり前」だから、であろう。

 

1990年代半ばに参議院調査団がニュージーランドに超党派で視察に行った時の事、私たち一行の乗るバスで夜7時頃、首都・ウエリントン中心部を走っていて、町がひっそりして車の渋滞もないし、人も歩いていない事に驚いた。東京とはあまりにも違う。

 

私は「どうしてこの時間道路がこんなに空いているのか?」と質問した。案内役の日本大使館員が「男性は今頃みんな家で奥さんの皿洗いの手伝いをしていますよ」と答えた。

 

これには私はびっくりした。日本男性は長時間労働で、女性は家事育児に縛り付けられているから。

 

もう一つの女性が国会議員になる決定的条件は選挙制度である。ニュージランドでも小選挙区制から比例代表制を加味する制度に代わり、女性と先住民族のマウリの議員の当選が可能となった、と聞いた。

 

日本では女性の当選を阻む壁は衆議院での小選挙区制、参議院でも多くは1人区で事実上小選挙区制である。

 

1995年に日本では国民の多くの反対を押し切って中選挙区制が廃止されて、小選挙区比例代表制が導入された。それまではいくつかの少数政党も一定の議席を占めることが可能であったが、小選挙区では比較第1党の議席しか得られない。49パーセントの得票が死票になる。

 

その結果、現在の“安倍一強政治”を可能にした。保守革新を問わず多くの心ある議員、は小選挙区制の弊害を正すべきと考えている。しかし一度導入された悪政はなかなか元に戻せない。

 

この事は私の著書『女性の自立と政治参加―ある女性参議院議員の歩みとたたかい』に書いた(20157月、かもがわ出版)。

 

 

 

  女性議員を増やすため、小選挙制廃止を運動の目標に掲げよう

 

 

 

日本で女性議員を増やすことは急務である。今年の通常国会では「政治分野における男女共同参画推進する法律」が議員立法で制定された。内容は選挙名簿への女性候補の登録を平等に行う努力義務を各政党に課するもので、画期的である。女性の政治参加を促す政治塾・講座も多数開かれている。

 

 

 

しかし、候補者名簿に女性の名前が男性と並んで掲載されても、小選挙区制の下では一人当選となるとまず男性が推薦される。長年の日本の政治・社会風土から言って、女性が先に推薦されることは少ないからだ。一つの選挙区から複数議員の当選可能な比例代表制が望ましい。

 

私は、女性の政治参加を進める活動をしているNGOに訴える。女性の議員を増やすために、小選挙区制を廃止し国民の声が正確に議席に反映する選挙制度=比例代表制度を実現する世論を高めよう。またそれが少数会派の当選を可能にし結果、多くの民意をくみ上げ民主主義を確かなものにする事にもなるのだから。(吉川春子記)

 

 

議場に赤ちゃん、日本とニュージーランドの違い

 
ニュージーランドの女性参政権-ちゃんを国会の議場に連れて入るニュージーランド、日本は?その1

 

    女性の首相が女子を出産、育児休暇をとる国

 

ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相(38才)は2018621日、出産予定日から4日後に女の子を出産し6週間の産休後に職務に復帰した。

また9月のニューヨークの国連総会に生後3か月の娘ニーブちゃんを連れて出席…このニュースに私は大変注目した。

そこで…というわけではないが、1114日(水)「参議院協会」勉強会の、ニュージーランド大使館のリディア・バーラッド2等書記官(女性)の講演会に参加し、同国の女性政治参加について話しを聞いた。(通訳は宮崎智世さん)。なお、リディア氏の話によると、首相とパートナー、ゲイフォード氏とは事実婚である。

以下勉強会で知った、ニュージーランドの女性参政権について記す。

 

    世界で最も早く女性参政権を獲得、その道のりは困難だった

 

ニュージーランドは1893年、今から125年前に世界で最も早く女性参政権を獲得した国である。イギリスは今年が女性参政権獲得百年だから宗主国より四半世紀早く女性の政治参加が実現した。その陰には先進的なサフラジェスト(女権拡張論者)の活躍があった。

パワーポイントで示された写真を見ると彼女たちは上流階級の女性達で、ロングドレス&ペチコートスタイルである。この点はイギリスといっしょである。

しかし女性参政権はいち早く獲得したものの、実際に女性が国会議員(ニュージーランドは一院制)に当選したのはそれから40年後の1933年である。

現在のニュージーランドの女性議員は世界第15位、38.30パーセントである。(ちなみに日本の女性国会議員は10.1パーセントで193カ国中158位。中国71位、韓国116位より低いー20183月「列国議会同盟・一院制又は下院の女性議員数比較」)

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20181905ニュージーランド議会の同じ部屋で撮影された写真2枚。右は男性議員134人と、左は26名の女性議員の華やかな写真、赤ちゃんを抱っこしている議員もいる~写真はニュージーランド大使館提供-以下の写真も同様)

 

   女性誕生と選挙制度

 

ニュージーランドで女性議員の当選を可能にした理由は選挙制度の変更で、それまでの小選挙区制から比例代表制に変更された事にあった、という。

ニュージーランドの選挙制度は、①好きな政党へ投票する(各党の議席数)、②自分の地域で好きな候補者に投票する。比例代表区プラス小選挙区制を採用している。

 

女性議員の議場での居心地

 

女性議員が誕生した後は議員の呼称を“ジェントルマン”から“メンバー”に変えた。しかし、国会内のバーは女性議員は立ち入り禁止であった等、国会は女性にとって居心地のいいものではなかった、という。

現在は議場の隣が授乳室になっている。議場で授乳した議員もいたが他の議員が眉をひそめた事はない、という。だだし、育児休暇は取れるが有給ではない。育児休暇をとった首相も無給である。

(写真は議場の議席で赤ちゃんを抱っこする女性議員。写真下は議長席で議長が赤ちゃんを抱っこしている。女性議員の子どもを預けられた格好)

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