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2017年7月31日 (月)

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 2017年7月29日(土)~30日(日)の2日間、東京豊島区で日本AALA第53回定期大会が開かれた。これまで代表理事として活動してきた小松崎栄氏(写真上)が顧問に退き、新しく、澤田有、田中靖宏、吉田万三の3氏が選ばれた。 東京都議選勝利と、仙台市長選勝利という情勢もあり活気にあふれた発言が続いた。

 私は同組織の理事を務めている。「慰安婦」問題について以下の発言をした。

 

AALAの皆様の活動について心から敬意を表します。第53回定期大会の活動報告と活動方針に触れられている日本軍「慰安婦」問題について発言します。

 

 

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 20151228日、当時の韓国の朴槿恵大統領と安倍総理に代わって外務大臣が日韓合意を取り交わしました。日本のマスコミはこれを歓迎し国民の間では「慰安婦」問題はこれで決着したかのような雰囲気がただよいました。しかし韓国で運動を進めている挺対協と「慰安婦」は強く反発し日韓合意の無効、白紙撤回を主張し韓国国民も多くはこの合意に厳しい評価をしています。理由は安倍総理が真摯に過去の歴史と向き合い「慰安婦」被害者に謝罪する姿勢を示していないからです。韓国では政権が変わり、ますます問題が複雑化しています。

 

日韓合意後、日本に於いても「慰安婦」問題解決に取り組んでいるNGOは間でまとまった運動方針を持てない事態です。かつて1995年、日本政府がアジア女性基金を設立し元「慰安婦」に「償い金」支払事業を開始した時に、償い金をもらう、もらわないで対立し運動が10年間に渡って停滞しましたが、その轍を踏んではなりません。どうすればいいのか。

 

私は2010年に「「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール」というNGOを結成して活動しています。私たちはいま日本政府に「河野官房長官談話」の誠実な実行を求める書名活動に取り組む準備をしています。この談話は歴代の自民党政府が侵略戦争における加害責任を初めて認めた画期的方針です。そして国籍を問わず「慰安婦」とされた女性に謝罪し、歴史研究・歴史教育をつうじて誤りを繰り返さない決意を表明しています。「河野談話」の路線を発展させることが日本の戦争責任をしっかりとる道なのです。

 

「慰安婦」問題は日韓問題と受け取られがちですが、北朝鮮、中国、フィリッピン、インドネシア、オランダ、東チモール、ビルマ等々被害者は多くの国に存在します。視野を広くして「慰安婦」問題を解決するために立法解決を目指す動きが出てきています。とても重要な動きです。

 

最後に日本人の「慰安婦」問題に一言触れます。戦前日本中至る所にあった遊郭から大勢の遊女たちが「慰安婦」として海外に送られました。しかし、1991年韓人のキムハクソンさんが名乗りを上げてこれに続き各国の被害女性が続々と被害者が日本政府の補償を求めましたが、同じように「慰安婦」とされ性奴隷として筆舌に尽くしがたい体験をした日本人女性は一人も名乗り出ません。なぜでしょうか?

 

「「慰安婦」の定義として、「性的経験のない少女か、若い女性で強制連行あるいは騙されて『慰安婦』にさせられた人」とすれば、日本人「慰安婦」は外れるのです。

日本女性は、21歳以上で、売春婦で、軍隊の要求している「仕事」の内容を知って「慰安婦」になったので、彼女たちを「慰安婦」とは認めない、という考えがあります。しかし、売春婦だからといって「性奴隷」にされてもいいのでしょうか。

 

私は数年前偶然に、旧日本軍軍医の方から日本女性人「慰安婦」の名簿を入手しチームで調査をはじめました。何人かの方の住所を探し当てましたが生存者は一人もいませんでした。しかし、5年前まで、は生存されていた方がいらっしゃいました。1990年代~2000年代にかけて、韓国人の「慰安婦」問題で大揺れに揺れている日本社会を眺めて彼女たちはひっそり世を去って行かれたのでしょうか。 

 

「慰安婦」問題は決して過去のものではなく、沖縄等基地で女性への暴力は頻発しています。「慰安婦」制度を可能にしたのは女性差別思想と、家父長制です。家父長制と女性差別を否定したのが日本国憲法24条です。安倍内閣の改憲を草の根から支えている日本会議の最大のターゲットが第9条と共に憲法24条です。改憲阻止が最も重要課題であることを述べて発言を終わります(終わり)

 

                      

2017年7月22日 (土)

国家が家族に介入、安倍内閣の改憲手法を切る

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(写真・講演する山口智美先生)

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(質問に答える山口智美先生。右は大森典子副代表)

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(写真・会場風景2017.7.16午後)

 

 1回運営委員会で、活発な意見交換

 

716日(日)、東京都文京区民センターで第24回ゼミナールを開いた。午前中は2017年度選ばれた新役員による第1回運営員会が開かれ、法事、怪我等でやむを得ない欠席者も出たが22人中18人が出席した。

 現在の会員数が財政担当より報告された。規約により2年連続会費未納者の退会扱い、及び高齢化に伴い施設入所及び死亡等の理由で毎年一定数の減少が避けられない。会費未納をできるだけ防ぐ方策について意見交換をし、会費納入の働きかけとともに、ゼミナールに参加できない会員に活動に参加していただくためにも、ゼミナールの地方開催や署名活動を行い会員拡大に取り組む必要性について確認された。

 

 9条と第24条は戦後、ずっと改憲のターゲット

 

午後からは、「国家が「家族」に介入―安倍内閣の改憲手法を切る」と題して、山口智美・米モンタナ州立大学准教授が講演した。DVDやパワーポイントを駆使して、「フェミニストの目線」で、改憲を目指す安倍内閣の下、婚活、少子化対策(女性のいかに子どもを産ませるか)、家庭教育への介入等、権力が個人の領域に介入する政策を国でも地方でも着々と進めている実態が詳しく述べられた。

「美しい日本の憲法をつくる国民の会」「日本会議」等の右翼勢力は、憲法24条は行きすぎた個人主義の元凶であるとして、これにより家族崩壊や、少子化をもたらしているとして第24条改憲に執念を燃やし、草の根から改憲運動を展開している。戦前の家族制度復活の危険性が指摘された。

閉会挨拶で私は当ゼミナールが憲法第24条に着目して度々テーマに選ぶ理由は、「慰安婦」問題を可能にした背景に家父長制と、女性差別思想があるからであると強調した。憲法第24条こそは女性を男性に隷従させていた家族制度から女性を解放した規定である。24条の改憲は阻止しなければならない。

大森副代表は最高裁で棄却された吉見裁判について報告し、高裁判決の不当性、それを引き継いだ最高裁等、三権分立を担う日本の裁判所の憂うべき現実を厳しく批判した。

参加者は73名だった。詳細はニュース第29号で報告する(吉川春子記)

2017年7月14日 (金)

映画『ヒトラーへの285枚のはがき』

 

ドイツと日本、彼我の国民の差は大きい!

 

 ヒトラーへのレジスタンスとしてミュンヘン大学学生による「白バラ」運動が知られている。大学でナチス批判のビラをまきゲシュタボに捕まり、裁判にかけられ死刑判決、即日処刑される兄弟の物語である。

新宿武蔵野館で7月14日鑑賞したが、上映中のこの映画は、平凡な労働者の夫婦が愛する息子の戦死によって人生の希望が打ち砕かれ、ヒトラーに対する怒りに目覚め、ベルリン市民にそれを知らしめる葉書作戦に立ち上がる物語である。

この種の映画がひっきりなしに制作され海外(日本)にまで輸出されるドイツ。ドイツ市民がヒトラーに無抵抗ではなかったというこの話が教科書にも掲載されてきた。70年を経てもファシズムに対する反省を心に刻み次世代に伝えようとする国民に敬意の念を禁じ得ない。

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(「ヒトラーへの285枚の葉書」ジャケット)

ひるがえって、戦前の治安維持法をほうふつさせる共謀罪法がつい最近成立し、引き続き戦争放棄の日本国憲法を一気に改正しようとする安倍首相が高い世論の支持によって支えられて日本とは、いったいどんな国民によって構成されているのか?

願わくは、やっと下落しかけている内閣支持率が下がり止まらず、消費税率並みの8%に近づくことを!そうでなければかつての同盟国(ドイツ)に顔向けできないではないか。

 

<ストーリー>

 

フランスがドイツに降伏した1940年6月、ベルリンの古めかしいアパートで暮らすクヴァンゲル夫妻(オットー&アンナ)のもとに最愛の一人息子ハンスが戦死したとの通知が届く。アンナは「生きていてもしょうがない」と悲しみのどん底に沈む。ペンを握りしめたオットーは「総督は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」とヒトラーへの怒りを葉書に書く。そして妻のアンナとともに公共の場に置いて立ち去るという活動を繰り返すようになる。

 ゲシュタボがポストカードをばらまくレジスタンスの捜査に乗り出す。犯人はカードの文面から戦争で我が子を失った父親ではないか、住処はアレクサンダー通りにあるはずと推測するが複数の路面電車を乗り継いで移動し、決して指紋を残さないので犯人を絞り込めない。ある日ゲシュタボ幹部は部下が誤認逮捕した賭博好きの男を釈放するが、上司に批判されて、結局自殺に見せかけて射殺する。

「ヒトラー政権では暴力が正義に勝つ。加担するな」、「この自由な報道を広めよう。人殺しヒトラーを止めろ」…オットーとアンナは同じ志のもと死刑さえも覚悟して100枚、200枚と葉書を書きつづける。

 こんなことをしても無意味ではないのか。夫は答える「少なくとも自分は体制の「共犯者」ではなく自由で居られる」。まっとうな人間として生きたあかしになる、と。二人はゲシュタボに捕まり、斬首される。かくすればかくなるものと知りながら…息子の戦死が彼らをヒトラーへの抵抗をせざるを得ない道に駆り立て、まっとうな人間として生きた。

 映画は「ハンベル事件」と言って第2次大戦中にベルリンで実際に起きた事件である。ドイツ人作家ハンス・ファラダ(18931947)の小説『ベルリンに一人死す』の映画化である。彼は秘密文書を旧ゲシュタボから入手し、ヒトラー時代のドイツでの日常生活を折り込み小説を執筆、書き上げて3か月後に死去した。小説は60年経って英訳され、英米でベストセラーになり、2016年独・仏・英合作で映画化(英語)された。

 

今年の7.7(盧溝橋事件勃発)を北京で迎える

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(写真・北京は高層ビル建設ラッシュ2017.7.7吉川撮影)

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(写真・いたるところで目に付く、健康作りに熱心な敦煌市の市民2017.7.7吉川撮影)

 

私は77日、参議院協会の中国への研修旅行で北京に滞在していた。この日は80年前、盧溝橋事件が勃発し日中全面戦争に発展した日である。中国では日本の侵略戦争で重大な被害を蒙っており忘れがたい日である日本では知らない人の方が多い。

私は今回の中国旅行で受け入れ団体の「国家発展・改革委員会」の中央、地方幹部と何回も会談し、78日にはシンポジューム”幸せ社会実現のために“に参加した。その際、中国側の幹部が繰り返し口にした言葉、「戦争がなければ中国はもっと発展できる」が私の心に残った。NHKニュースは尖閣諸島で中国が無法を繰り返していると報じており、一触即発、の状態にあると国民は錯覚しそうである。

78日、帰国当日午前中に行われたシンポジュームでは、「中国は認知症が4千万人いる。自宅介護を政策と方針とするが態勢が整わない。日本の進んだ介護制度に学びたい」と発言した専門家がいた。日本の10倍、13億の人口を抱え経済発展は目覚ましい中国だが矛盾もいっぱい抱えている。国民の生活向上と国の経済発展のために戦争は絶対避けたいのだと私には伝わった。

私達と会談した幹部はみんな若かった。この人々の父親・母親、祖父母は戦争中日本にどんな目にあったのか、そのことを子や孫の世代は伝え聞いているだろうか。

今日はフランス革命記念日(パリ―祭)、そして「独仏再び戦わず」がEUの精神である。「日中不戦、日中友好」が真のスローガンになってほしいと痛感した、旅であった。(713日ノーベル賞受賞者劉曉波氏が死去した。彼への対応について国際社会の批判がたかまっている。人権問題は中国のアキレス腱である)

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(写真・鳴沙山・ゴビ砂漠(敦煌市2017.7.𠮷川撮影)

2017年7月 2日 (日)

語り始めた、性暴力の被害女性達

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(写真は東京明治神宮の菖蒲園の睡蓮2017.6.26撮影)

今日は都議選の投票日で深夜には大勢が判明する。願わくは、安倍一族の凋落のスタートの日とならんことを!今回の候補者も女性が目立つ。しかし女性の人権が政策の争点になることもないし、唯一の女性候補をうたい文句にはしても、女性政策を全く語らない候補もいる。しかし政治家とは有権者が興味を示さない事には言及しない質なので有権者の方に問題がある…と言えなくもない。(これは政治家に対する甘い見方?)

 ところで日本社会も変わりつつあると感じた事例を2つ記す。

 

その1:「性暴力禁止法をつくろうネットワークシンポジューム」(71日、文京区男女平等センター)

 

テーマは“子どもへの性虐待と刑法改正―これでいいのか?今後の課題”である。今年の通常国会で「刑法の一部改正する法律」が成立し、強姦罪の法定刑の引き上げと非親告罪化、監護者わいせつ罪および監護者性交罪の新設等、110年ぶりの刑法改正が行われた意味と問題点を明らかにするものである。共謀罪審議を優先させられ、通常国会最終日にようやく改正刑法が成立した。

パネリストは3人で、

東小雪さん(LGBTアクティビスト)、

周藤由美子(今日と性暴力被害者ワンストップ相談支援センター)、

谷田川智恵(ジェンダー法研究者)

コーディネーターは戒能民江・同ネットワーク共同代表、元お茶の水大学教授であった。

 

  3才から父親の性暴力にさらされ

 

私が一番印象に残ったのは東小雪さんの発言である。彼女は1985年生まれ、元タカラジェンヌ、同性愛者で、渋谷区同性パートナーシップ証明第1号取得者である。

彼女は父と入浴することが好きだった。しかし3才から風呂場で父親から性的暴力を受けた。それが性暴力だとわかったのはずっと後だが何か変な感じと思い母親に「父親にそうしたことを止めてほしい」と頼んだが母親は無言で、自分は言ってはいけない事を云ったと感じ以後一切言わなかった。小学1年生から祖母が同居し世間的には幸せな一家に映った。小学3年から被害は深刻になった。排泄障害になり児童相談所に父母に連れられて行ったこともある。初潮が来た時、母親が「お父さんとお風呂に入るのは止めなさい」と言ってそれで被害は終わった。

しかし、被害はおわってもその後の苦しみが大変だった、と東さんは語った。うつ病になりこれを乗り越えるのが大変だった。うつ病の大量の薬飲んだ。PTSDとは気が付かなかった。生きる力を取り戻したのはごく最近の事だという。

今、こうした声を上げる当事者が増えているのに勇気づけられるという。東さんは「父親は犯罪者だ」と明確に言った。父親は2008年にがんで死んだ。母親は存命だが、「私の告白」(東さんの著書)を送ったが一切連絡がない、という。同性の母親が娘の苦しみに寄り添えない悲しさ、これが日本の現実なのだろうか。

 

「監護者強制性交罪」(179条関係)とは

 

今回の刑法改正では、18歳未満の者に対しその者を厳に監護する影響力があることに乗じて猥褻な行為または性交等をした売位について、強制わいせつ罪または強制性宏哉と同様に処罰する規定が設けられた。監護者とは父親はもちろんだが、祖父、兄、叔父等が当たる場合もあるであろう。

監護者の性暴力に苦しむ女性,幼児、少女は相当数いる。或は東さんのように幼いので気が付かないで後で後遺症に苦しむ場合も多いと思われる。

この点で思い起こすのはかつて、父親から強姦され続け、5人の子を産まされ、思い余って父親を殺害して尊属殺(刑法200条、1995年廃止)に問われた事件があった。(この時も母親は無力だった)。性暴力の父親を思い余って殺しても尊属殺で立件されるという日本の刑法の後進性と、女性差別社会のやりきれない事件は、さすがに頭の古い最高裁もこの父親について、「直系尊属に当たらない」との判決を下した(1973年)。

あれから44年後、やっとこうした父親を犯罪人とする法律が制定されたわけである。国際社会から指摘され続けながら亀のように遅い足取りではあるが女性の人権を守る立法が行われた。

しかし、この179条は多くの問題点がある。この集会で、3年後の改正に向けてNGOは一層頑張ろうという意思が確認された。

 

その2 満蒙開拓団、引き上げの悲劇、ソ連兵への「性接待」

 

日本は戦前、旧満州国(現中国東北部)として傀儡政権を作り事実上植民地政策を行っていた。満州へ国策として送り出された各県の27万人の農民は侵略政策の片棒を担がされた。19458月、日本の敗戦で逃避行中ソ連兵や中国人の襲撃や寒さで約8万人が死亡する等大勢の犠牲者を出した。

東京新聞72日付「こちら特捜部」によると、犠牲はそれだけではなく、そこには敗戦直後開拓団を守るためとしてソ連兵に対しる性接待を強いられた若い女性達がいた。満蒙開拓団員だった東京で暮らす89歳の女性は二年前からつらい記憶を綴り始めた。彼女は岐阜県黒川村(現白川町)の「黒川開拓団の一員として満州に渡り中国吉林省陶頼昭に入植、600人は敗戦後、極貧、食糧不足、チフスなどで3分の1が死亡した」。

敗戦後1週間で進駐してきたソ連軍の襲撃に団員は怯えた。当時17歳の女性は開拓団幹部からソ連兵への「性接待」を強いられた。1620歳くらいの未婚の女性15人が集められた。開拓団の共有施設の一室にはずらりと布団が並べられていた。仕切りも何もない。交替でソ連兵の相手をさせられ、ソ連兵が駐留した11月まで続いた。女性達は性病やチフスへの感染を防ぐため医務室で洗浄を受けた。それでも感染した。4人が亡くなった。

日本に引き上げた後も恐怖は焼き付いていた。…東京で家庭を築いたが「性接待」について夫にも死別するまで一言も話さず子どもたちにも言っていない。

 

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(写真・明治神宮菖蒲園、雨不足で池が乾いている)

  「団の恥」という意識

 

「当時10歳だった安江菊美さん(82才)は「私たちを助けて下さった方々の事を忘れることはできない」と話す。しかし感謝の念を持つ人だけではない。引き上げ後団員の間で被害に会った女性が中傷されたという話がある。

「旧満州・黒川分村遺族会」は81年、「性接待」の犠牲になって亡くなった女性達を慰霊する「乙女の碑」を地元神社に建立した。この碑の由来を知る人は多くない。引き上げ後遺族会による慰霊祭が開かれてきた。しかし「性接待」が公に語られることはなく開拓団の記録文章にもそれに触れるような記述はない」(「こちら特捜部」)

私自身、満蒙開拓団や「中国残留女性」問題に取り組む過程で、開拓団の手記は数多く読んでいるが内容は開拓団の被害が圧倒的に多く、他方、中国に対する加害についてはあまり語られていない。「性接待」については皆無である。

しかし満蒙開拓団を引き揚げの悲劇としてのみ語り継いでゆくことは、侵略戦争を二度と繰り返さない、また女性への性暴力をなくすために、歴史に向き合う姿勢とは異質のものではないか。

戦後72年を経て満蒙開拓団の語りにも変化を見ることができる。一人の女性は「このような不潔なことは表に出してはいけないと思ってきた。でも次第に戦争なんてやるべきではないという声を上げなきゃ、という責務というか気持ちが起きてきた」と語る。また、件の89歳の女性は「遺言のつもり」と3時間も語り続けたという。ノートには『70年過ぎても、消すことのできない事実 軍国主義絶対反対』との一文が書き留められている(「同上」)

 

日本人「慰安婦」の沈黙が破られる日

 

 日本人「慰安婦」が名乗り出られない社会は健全とは言えない。性被害に会った女性が沈黙を強いられ、強姦犯人も、「慰安所」設置の政治家・軍人も加害者が大きな顔で闊歩する。このような不合理がまかり通ってはならない。被害者が堂々と被害の実態を語り、加害者には社会的制裁・罰則を、社会的制裁を科す、こうした常識がまかり通る社会にしたい。私は徐々に女性の意識は高まっていることに期待を持つ。(吉川春子記)

 

2017年6月18日 (日)

    第193通常国会の暗と明

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共謀罪成立と公明党の醜い姿

 

193国会は安倍内閣による、国民への監視を強め、内心の自由を侵す共謀罪法の成立という歴史的な汚点を残して終わった。

参議院ではさらに、委員会採決を省略して本会議採決を行う中間報告の暴挙まで行った。理由は、同法案審議している法務委員会委員長が秋野公造・公明党参議院議員であり、公明党委員長が委員会での強行採決している場面をテレビで放映されたくない、という身勝手なもの。自分の党の醜悪さをかくすために国会の民主的ルールを踏みにじって恥じないのが公明党なのだ。

私の知る限り(現役時代)公明党は野党の時も含めて参議院法務委員長のポストを独占してきた。自民党は、派閥華やかなりし時は法務大臣ポストは主流派が必ず占めてきた。法務大臣はいざという時に警察、検察に影響力行使できる?からである。

法務大臣が取れない公明党には、法務委員長を確保する必要があった(理由は公然と囁かれていた)。公明党は今回も自民党と手を組んで共謀罪の成立に乱暴な国会運営を行ってきたのに、強行採決はしていない、という体裁を整えとの見え透いた行為である。しかし国民がこの事をよく知れば同党の謀略性は一層焼き付けられるであろう。

 

 110年ぶりの刑法改正

 

通常国会の最終盤で、以下の内容で明治時代の刑法の性犯罪に関する罰条が大幅に改正された。

  一、強姦罪の名称を「強制性交等罪」に変更し、被害者に男性も含

     めて、性交類似行為も対象にする

 

  二、強姦罪の法定刑の下限を懲役3年から5年に引き上げる。強姦致死

    傷罪は懲役5年から6年に引き上げる。

 

  三、強姦罪や強制わいせつ罪の親告罪規定を削除する。これによって

    被害届がなくとも犯罪として捜査を開始できる。

 

四、父親の18歳未満の娘に対する性的暴力は暴行、脅迫がなくとも

     罰することができるようになる

 

 

 

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(準強姦の被害に会った女性の記者会見)

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(「加害者」と訴えられた男性のフェイスブックより)

 性暴力被害を告発する女性の勇気

今回の改正で単純強姦罪から親告罪の規定を外した結果、これまで被害届のない事をいいことにはびこった強姦罪常習犯を減少させることが期待される。今回改正の陰には被疑者(団体)の奮闘が大きな力になったと思う。

この事件もその一つであるが、TBS元記者の女性に対する準強姦罪疑惑について、検察審査会で審査中と報じられている。この件で、所轄の警察が逮捕状まで取ったのに警視庁からストップがかけられ、逮捕状が執行されなかった(「その記者は安倍総理と親しい」などと週刊誌で報道された)。

しかし、被害女性が記者会見して加害者の男性を厳しく告発した。その姿に、私は性暴力被害に会った女性たちの変化に注目した。女性が泣き寝入りする時代を終わらせ、性暴力は当然加害者が悪いのであって、「女性に隙があった」、「(強姦について)強く拒否しないから合意があった」などの言い訳をさせる余地をなくす必要がある。当事者が声を上げる、そのことが法律を変え、社会を変えるのだ。3年後の見直し規定があるので今回不十分な点は次の改正に期待したい。

 

 13才からの父親の性暴力を告発した

 

 今回の刑法改正で私が特に印象深かったことは、父親による幼い娘への性暴力が処罰されることになった点である。父親の幼い娘に対する性暴力がかなり多いが、公然と問題にされることは少なかった。であるから、参議院の委員会で参考人として発言した山本潤さんのカミングアウトを初めてテレビで見て、私は衝撃を受けた。

彼女は20才で実家を出て独立して、やっと父親からの暴力からのがれた。母親に告げたが助けてもらえなかった。こんなことはどの家庭でも起きていることだと思っていたのだという。

DV(家庭内暴力)と呼ぶべきか「児童虐待」というべきか、あるいは両方の要素が入った複合型というべきか。戦前の家父長制の影をここでも引きずっている。

山本さんは2014年に性犯罪厳罰化の検討がスタートしたことに合わせて、15年「性暴力と警報を考える当事者の会」を設立し法制審議会に意見書を出し、与野党議員にも働きかけた。

「性暴力の本質は、人を者として扱う事、私たちは(被害者)心を、魂を殺される」と訴えた。

当事者の運動が岩盤に穴をあけた。

 

  尊属殺の規定を廃止したきっかけも、児童虐待

 

尊属殺人(刑法200条)が削除されきっかけも児童虐待であった。その女性は14才の時に父親から強姦されそ、の後も父親は妻(女性の母親)の目を盗んで娘に肉体関係を強要し続けた。母親に訴えてもその行為はやまず彼女は親戚の手を借りながら父親からの脱出を図ったが失敗し相次いで5人の子をもうけ、世間的には夫婦と異なる所のない生活を15年間送った。彼女が職場の同僚と愛し合い結婚を訳し、父親に結婚話を打ち明けたが父親は「相手をぶっ殺してやる」と怒鳴り、彼女は結婚をあきらめるが…女性は父親を殺害に及んだ…」

この殺人罪には尊属殺が適用され、情状酌量されても執行猶予がつかないどころか死刑と無期懲役しか言い渡せないという不合理についに頑迷固陋な最高裁も「この規定は憲法14条違反で無効」と判示した。(197344日)

「この判決のあった1973年は、第1回世界女性会議(1975年、メキシコシティ)の前で国連が女性への暴力撤廃宣言を行う20年も前です。女性の人権の中でも、女性への暴力撤廃について日本は夜明け前でした」(吉川春子著『翔びたて女性達――美しい性のレボリューション』20031130日ケイアイメディア)

今回の刑法改正に親が18歳未満の娘への性暴力処罰規定が入ったことは画期的なことと言える。

 

    26回ゼミナールのテーマに

 

「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール、1126日のテーマは「『慰安婦』問題と現代の性暴力」で110年ぶりの刑法改正を取り上げる予定で、講師を選考中である。

2017年6月 3日 (土)

山形出身の日本人「慰安婦」調査②  

     日本人の「慰安婦」は遊郭から送られた

 

私たち一行は南陽市赤湯温泉に宿泊した。ここは有名な温泉地で戦前には遊廓があった。そして調査2日目、23日(火)は、かつての赤湯遊郭と宮内遊郭の跡を訪ねた。

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(山形県の調査のメンバー)

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 (熊野神社の大鳥居の右側がかつては遊郭街だった)

 

日本は人身売買禁止条約に加入していたので、多数の日本人の「慰安婦」は成人(21歳以上)で醜業に従事している女性が多かった。山形の「慰安婦」も遊郭から送られたのではないか、と想像した。

ものの本によると、赤湯遊郭は「山形県東置賜郡赤湯町にあって…町は温泉地であるため相当活気のある街であり、当時客の出入りも相当多い様である。遊郭の妓楼約三軒、娼妓約十三人居」た。割合のんびりして遊べる處だ。娼妓は主に同県人の女が多い。付近の名勝として烏帽子山と白龍湖であらふ。丘上には県社の八幡神社があり傍らに県下第一の桜の名勝偕楽園がある。白龍湖は古の置賜太湖の遺物で中には浮島があって鮒、鯉海老等が採れ、赤湯の宝庫である。湖畔には弁財天がある。」

また、宮内遊郭は「山形県東置賜郡宮内町にあって、鉄道は東北線赤湯駅で永井線に乗り換え宮内町で下車する。養蚕地として昔から知られているので製糸工場が多い。遊郭の貸座敷は約三軒娼妓は約十二名居る。…町の後ろに今雙松公園があって相当大規模な公園だ。風景の良い公園であって熊野神社がある。

(「全國遊郭案内」昭和五年七月五日発行、日本遊覧社 20081月コレクション・モダン都市文化第34巻 遊郭と買春)

旧社格の一つ。県から奉幣した神社。国弊社の下、郷社の上に位する。幣帛=神に奉献するものの総称、ぬさ(「広辞苑」)。

 

神社の鳥居近くに遊郭がある!驚き

 

2個所の元遊郭とも立派な神社の大きな鳥居に隣接してあった。これまでの調査で私は男性の集まる場所、例えば港、交易の船着き場、鉱山、工場等に遊郭は付物という事は理解していたが、神社は男女とも参拝に訪れる所であり、男だけが集うわけではない。家族連れを含めて、老若男女が各地から集う場所であろう。

事実、人間の本性むき出しの遊郭が神社に隣接して存在していたのだ。神様はそうした事にも寛容なのか。他の土地でも神社と遊郭がセットのように存在する例もある。山形県特有ということでもないのだ。そこまで男の思うまま女性を支配する社会が続いてきた。遊郭はそのシンボルのように思える。こうした“文化”が戦場に持ち込まれ、無数の「慰安所」になったという事を私は認識した。

 

   Yさんのご親戚との遭遇

 

昨日訪ね当てた、Yさんの本籍地の地番に建物はなかった。でも何らかの手がかりを求めて同じ部落にあるYさんと同じ苗字の2のお宅を訪問することにした。

日中はお留守だったので家人にお会いできたのは私たちの帰りの新幹線の時間が迫った夕刻だった。来意を告げるとその方は快く私たちを招き入れてくれた。そしてその方は幸運にもYさんのご親戚筋の方であった。

溢れる思いで失礼をかえりみず、私たちは矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。Yさんが最近までご存命だったが、亡くなられた事、それは関西の地であったことが判明した。Yさんは遊郭から「慰安婦」にされたのではない事もはっきりした。

しかし短時間では聞けなかった事も多い。またYさんよりはるかに若いこの家の主が、Yさんがビルマに行ったか否か等の戦前の生活については知る由もなかった。

Yさんがこの地に実際に住んでいたのか、両親のお名前、戦後はどんな生活をされていたのか、判明できないまま後ろ髪引かれる思いで、この地を後にした。今後の調査を引き続き行い少しでも、このご苦労されたと思われる女性の軌跡をたどりたいと思う。

 

    日本人「慰安婦」の調査の今後について

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(八幡宮の大鳥居、この崖下は遊郭だった)

 

私達はビルマ(現・ミャンマー)従軍の元軍人の笠置慧眼氏(故人)から日本人「慰安婦」の名簿を入手した。名簿には日本人「慰安婦」の名前と本籍地、現住所の他に戸主の名前が記されていた。

これに基づいて、201637日から11日まで、熊本県、大分県、福岡県、佐賀県の4県の出身7人の本籍地と現住所を訪ねた。同年10月は再度天草に行った。20171月にはこの調査とは別のメンバーによって和歌山県出身「慰安婦」の調査を行った。

これら事は、「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールニュース(21号~28号)とこのブログ(3月と5月)にすでに掲載した。

私たちは日本人の「慰安婦」を訪ねて、県都から車で3時間以上離れた場所にも行った。また港町、河の船着き場、遊郭の町の跡にも足を運んだ。山奥、あるいは大都会からかなり離れた場所に戦前(1943年~44年頃)の現住所と本籍地(複数)の住所を訪ね当てる事ができた女性もいた。戦後に建てられたものではあろうが、家もあった。そこには親戚(戸主の長男、あるいは甥)が住んでいた。一人の方の親戚の方とは言葉を交わすことができた。もう一人の方は留守だったが近所の方の証言で、この住所所で間違いない事が判明した。

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(宿泊した赤池温泉の古い旅館)

 

私たちが入手したこの名簿は、海外渡航の許可を売るために、本人の氏名と共に戸主の名前、本籍地をその筋に届け出たものなので非常に正確であった。しかし本籍地に行っては見たが全く手掛かりがつかめない人もいた。空襲で焼けて全く新しい街に変わっていたところもあった。福岡、北九州はその例である。また、「現住所」が遊郭の中にあった女性は、遊郭が戦後のGHQによる「廃娼」の命令、米の占領終了後は売春防止法の成立、赤線禁止で昭和33年ころ遊郭の名残も赤線も、公然とした売春施設は廃止された。遊郭の建物は跡形もなくなっている所が多く新しい街並みになっていた。住人もその後引っ越してきた人々なので、手掛かりをつかめなかった。

 

  女性への暴力なくす社会へ

            ~100年ぶり刑法改正

 

 

戦前の家族制度の下では醜業(娼妓、芸妓等の売春)に従事する場合も戸主の承諾が必要だった。逆に言うと、戸主(親)が親権を行使して金(前借金)を受け取って娘を遊郭に売る事を政府は許していた。女性が自立して働くことが認められない時代、遊郭しか働く場のない悲惨な時代が具体的な姿で私に迫って来た。

この様は悲惨な一人一人の「慰安婦」の苦労を聞く機会を私は永久に失った。あと10年早く調査に行っていれば1人か2人は、或は行き会えたか、否、それも無理だったかもしれない。性暴力被害者が名乗りを上げられる社会を何としても作らなければならない。

今国会で100年を経てようやく刑法改正が行われ、強姦罪の非親告罪化等が実現される運びである。女性への暴力がなくなる日本社会を形成するためにも、日本人「慰安婦」の調査を続ける。

 

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東置賜郡高畠町出身童話作家・浜田広助の記念館敷地内の胸像)

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(国語の教科書に載っていた浜田広助作「泣いた赤鬼」)

 

2017年5月29日 (月)

長野県伊那市で「慰安婦」問題について講演~感想

Photo_4写真・主催者挨拶)

 

5月13日(土)国際女性デー記念講演会で私(吉川春子)は、「「慰安婦」問題から考えるジェンダー平等*女性の人権」と題して、今日の「慰安婦」問題について講演した。

長野県は私の故郷であり、かつての選挙区でもあるが、「慰安婦」問題をテーマとした講演はほとんどしたことはない(数年前に上田市と、真田町の「らいてうの家」で其々講演した)。参議院議員引退後、私が「慰安婦」問題に特化して活動していることについて選挙区と言えども知る人ぞ知る、状態である。

 

私は議員リタイア後、各地で「慰安婦」問題の講演を続けてきた(百回程度?)が、最近自分の講演内容を多少見直している。心境の変化のきっかけは日韓政府合意である。

 

 

   日韓合意は「慰安婦」に取り組むNGOに混乱 

 

日韓請求権協定50年の201512月、「慰安婦」問題について衝撃的に「日韓合意」が行われた。日本の世論はこの合意をもって日韓の「慰安婦」問題の一応の決着と受け止めた。しかし、挺身隊問題対策協議会(「挺対協」)や運動の先頭に立ってきた韓国人「慰安婦」は「日韓合意」無効を主張する。韓国国民の多数からも受け入れられていない。どんなに努力しても日本を許す気持ちにはなれなない程、韓国の人々は傷ついている。日韓合意は「慰安婦」問題解決を目指す運動に混乱をもたらした。

 

 日韓世論の隔たりに苦しむ日々…

 

「慰安婦」問題解決を目指してきた日本のNGOとして私は、迷い苦しんだ。講演内容もこれまで以上に試行錯誤を繰り返した。それまで私の講演は(韓国)「慰安婦」問題の解決のために日本政府はどう変わらなければならないかとの内容で日本政府に向けての批判が中心だった。

しかし現政府の歴史認識、対韓政策は国民の高い支持に支えられている。国民の意識が変化しない限り、韓国に対する対応は変わらないのだ。「将を射んとすれば馬を射よ」。世論をどう変えてゆくかが私のテーマとなった。

 

また、これまであまり注目されなかった日本人「慰安婦」問題に時間を割くことにした。同胞の女性も朝鮮半島の女性達と同じように性奴隷として苦しんできた事実をお話しすることで日本の人々が「慰安婦」問題を身近に感じ、世論が変化するのではと考えるからだ。何より「慰安婦」問題は韓国との関係がよくなれば終わりではない、という点を意識して盛り込んでいる。

こうした葛藤が続いている中…私は伊那市の講演会に臨んだ

 

主催者のお許しを得て、以下に講演を聞いてくださった方々の感想を、掲載させていただく。  

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(写真・吉川の経歴等紹介する)

 

参加者感想まとめ 18

 

・きちんと聞いたことがなかった問題だったので、(新聞の記事を読んで心を痛めていたことではあったのですが)話しが聞けたこと、お話の内容、とても心からのことばでよかったです。

 

・吉川先生 ありがとうございました。 性の問題や慰安婦の問題もわかりやすく話してくださって(あまり詳しいことを知らなかったので)びっくりする程でした。

 今までにいろいろなところで断片的に聞いた話が一本につながった様に思います。

最後は本当に憲法ですね。今の政府のやり方にちゃんと反対して行きたいと思います。

 

・久しぶりに吉川さんにお会いでき、良かったです。

 国会当時のご活躍に増して、女性の平等、慰安婦問題などで研究実践されていて、有り難いです。私たちも、学び、歴史を忘れず、次世代にも伝えて行かなくてはと、痛切に思いました。

 

・とても分りやすくお話しをしていただき、ありがとうございました。

 私も40歳の頃 中国への侵略戦争について勉強する機会があり、従軍慰安婦についても学びました。戦争という最大の人権侵害の行為の中で、人として扱われることなく、女性が人格を否定されたことに、怒りを感じます。そして、そうした被害にあった女性たちの思いに寄り添う取組みが、私たち女性の人権を守る闘いだろうと思っています。頑張ってください。

 

・「慰安婦」の問題は、人権問題であると常々思っていても、本日吉川さんの話の中で、女性自身が立ち上がり、歴史に学び、知ることの大切さを強く思いました。

 

・今日はありがとうございました。また機会を計画してくださいますようにお願いします。 

 

・吉川さんの話し方も とても分りやすく、ききやすかったです。知らないことばかりでした……。 今、人権とはなにか。深いところの勉強を、もっとしっかりして、自分のものとしてまわりにも訴えていき、よりよい社会になる様に頑張りたいです。

 知らせていくことが大切!!

 

・慰安婦問題は、完全に女性差別 女性の人権を守るべく学習有り

 

・私の町にも「慰安婦」にさせられた方がいるかも知れない。先の戦争の加害部分の知らない、かくされた部分を、全国的に調査し、今後に活かすべきと思いました。

 

10・慰安婦問題を日本人として、より多くの人が真相を知り、学ぶ必要があると感じました。これは女性だけでなく、男性をも理解して、共に運動していくことだと思います。

何よりも関ったのは男性ですから、男性自身も知る必要があると思います。

 

11・今日は夫と2人で参加しました。何も力になれず歯がゆいですが、「知らなかった」では済まさぬよう努力したいと思っています。ありがとうございました。

吉川先生のお話も伺えてよかったです!!

 

12・とてもショッキングなお話しでした「慰安婦問題」は正に、たち一人一人の問題です。日々の生活の中でも、人権意識 大切にしたいと思います。

 

13・戦後生まれで、父親も戦争に(体調悪くて)行かなかったため、詳しい事を今日、勉強させていただきました。日本の人たちの中に 日本の慰安婦は、金欲しさに、自ら喜んで行ったと行った人がいて、疑問に思っていた。

 歴史の勉強で、子ども達に過去の戦争の誤り、事実をしっかり教える必要が、何としてもあると思う。分りやすい話しで、大変良かったです。

 

14・慰安婦問題 戦争中の事だったのに、事実が明らかになって、いろいろな動きになったのはここ30年くらいのこと。まだまだ完全な解決には時間がかかる新しい問題なんだと思いました。日本人慰安婦の事も分っていない事が多く、何の補償も決まっていないのだし。夕食会の時にお聞きした中国人慰安婦の事も、中国が国として何も言わないからいろいろな数字など出てこないそれでいいのかしら?と疑問が残りました。自分でも調べてみたいと思います。先生、遠くまで ありがとうございました!!

 

15・慰安婦問題についてこれほど詳しく聞いたのは初めてでした。日本人の方の中にも方用な方がいたことも初めて知り、勉強になりました。 過去を反省せずにまた、同じ様な方向にどんどん向かっている今の政権のやり方。今日の話をきいて、もっともっと一人ひとりが賢くならなければとつくづく思いました。

 

16・家族制度がどれほど女性を苦しめてきたのかが判りました。自民党の24条改悪について、より深く判ったように思いました。

 

17・「慰安婦」内容は日本の方ということで、少し話がやさしい様な以前 阿智のコミュニティーホールで、講師「金 富子」先生の話は、講演の後 みなさん顔を上げる事ができなかった。吉川先生の話 大変参考になったんですが?

 

18・慰安婦問題を深く捉えることができた。憲法との関係まで踏み込んだ内容で、よくわかりました。人権を尊重する思想が社会的にうすれているように思います。人と人とのつながりを広げて話し合っていくことが大切だと思いました。

 開会行事の最中、プロジェクターで映る「六義園のつつじ」、私にとっては懐かしい思い出のある六義園のつつじです。思いがけず目にして嬉しかったです。

 

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上・東京都豊島区の住宅の塀にに咲くバラ

下・ラジオ体操の公園の入り口の小花

 

2017年5月28日 (日)

日本人「慰安婦」を探す旅①

 

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写真は南陽市赤池温泉近くの、白竜湖を見下ろすブドウ畑

 

522日(月)23日(火)の2日間、山形県出身の日本人「慰安婦」を訪ねて高畠町と南陽市(赤池)へ行く。メンバーは私(吉川)のほか、福岡市、羽曳野市、川崎市、東京都、青森県弘前市から6人のメンバーで行った。一人を除いて東京駅に集合し山形新幹線でまず高畠駅に向かう。2時間少しで目的地に着くのだから新幹線はありがたい。

この日山形は東京よりも暑い摂氏31度。ここは盆地なので気温は高くなる。学生時代に遊説で山形市に泊まった時は、8月だったが、37度あったことを覚えている。従って果物がおいしい。山のかなり高いところまでブドウ畑のビニールハウスが遠目にもかなり見える。

 

   ビルマ従軍軍医作成の日本人「慰安婦」名簿に山形県出身の女性

 

私たちはビルマ従軍軍医・笠置慧眼氏の著書『ああ 策はやて隊』(1970720日初版発行 西部読売開発出版社)末尾の表3「第二八軍傭人隊一覧表」(傭人隊々長 東京都葛飾区新小岩 五十嵐信一作成)に掲載されている「本籍地 山形県 芸名セツ子、本名 島● 淑子」の調査である。

赤旗記者の片桐春一氏が事前に地番を突き止めておいたのですぐに行きつくことができた。しかし建物はなく、その地番は隣地の地主に売却されていて別人の所有になっていた。空き地には芍薬が一株、沢山の蕾を付けて今にも花が咲きそうな姿をしていた。それがあるだけだった。

高畠町には「女郎屋」が2軒あった。1軒は現在旅館を営業しており、もう1軒は元医者の所有だそうで、河のすぐそばに民家が建っていた。この土地は大きな製糸工場があり女工が500人も働いていた。その製糸工場は1997年まで続いた。

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写真・訪れた元「慰安婦」の女性の本籍地。建物はなく芍薬の花が咲きそうな株があった。

 

   不況と凶作、女子の人身売買、「女郎屋」

 

1929(昭和4)年の世界大恐慌の影響と、昭和9年の東北地方の凶作で農家経済の破たんの結果、小作争議の頻発、婦女子の身売り、小学児童の欠食…社会的な惨事が続出した。婦女子の身売りの状況は警視庁で昭和7年末と同9年6月末に調査した次の「警視庁管下の芸娼妓雇女出生府県別調」によると、本件は合計一四六六人で、全国総計一九三五七人に対し、七・六%の割合を占め、この割合は、東北六県では第1位になっている(「山形県警察史」P654655)。

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写真・元「女郎屋」は現在旅館

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写真・もう一軒の「女郎屋」は個人の住宅。その前は川が流れて、交易で賑った。男性の集まるところ女郎屋、遊郭があった

 

「娘身売りの場合は当相談所へ御出で下さい 伊佐澤相談所」

 

教科書にこの写真が載っていたことを記憶されている方がいるかもしれない。この看板を掛けた村役場は、今回私たちの調査の自治体の戦前(町村合併以前)の姿である。娘の身売りについて役場があっせんした、という驚くべき事実、戦前の日本はここまで女性を踏みつけにしたのか、と唖然とする。

また、山形県は農家次三男の就労対策のため、1位の長野県に次いで多くの満蒙開拓団を中国大陸に送り出しているので、女性達も一旗揚げようとの雰囲気で「慰安婦」としても大陸に渡ったのではないか、という推測もした。

いずれにしても女性が「慰安婦」にされる条件がある、その具体例を掴みたい、と想像して、私は当地を訪れたのであった。

    農村の少女が「慰安婦」にさせられた経緯とは?

私は一つの仮説を立てた。即ち、山形に本籍地があり、現住所が満州国奉天となっている元日本人「慰安婦」Yさんは、貧しい小作人の娘で冷害の年、父親にこの地方に多数ある遊郭(あるいは「女郎屋」)に売られ芸娼妓として働かされていた。

当時、軍隊が醜業に就く女性を「慰安婦」にするについては5百円~1千円の遊郭から足抜け金を支払う(警保局通牒)ので、Yさんは遊郭を抜けて満州にわたった。本人の意思か親の意向か。後者とみることが順当か。

当時山形県民の満蒙開拓団派遣人数は長野県に次ぐ第2位であった。少年義勇軍も全国第2位であった。また、敗戦時に満州にいた日本人は満蒙開拓団とは別に、150万人と言われている。彼女の知人、親戚も満州に行っていたはずであり、満州の土地への何らかの縁があっても不思議はない。

満州の遊郭で働いているうちに、今度は太平洋戦争となり「慰安婦」の需要が高まった。満州の売春宿の主の誘いに乗って、はるばるビルマに行くことになった。

日本人「慰安婦」の供給源は遊郭である。背景は農村の凶作、世界恐慌による貧困と、法律上も女の子の人身売買を禁止せず、社会的にはこれを当然視する人権思想の欠如、女性への差別意識であった。

Y女に対して以上の推測をして、私は当地の調査に出かけたのであった。(以下続く)

 

2017年5月14日 (日)

第62回埼玉県母親大会分科会

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「女性の人権から考える「慰安婦」問題」講演

 

 2017年5月7日、第62回埼玉母親大会が越谷サンシティで開催された。午前中は「青い空は青いままで 子どもらに伝えたい」と題して詩人小森香子さんの記念講演があった。

     アットホームな雰囲気

午後からは10の分科会が開かれ、第1分科会は「女性の人権から考える『慰安婦』問題」で、私は助言者を務めた。司会は大貫法子(埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会=AALA)、川村勝子(年金者組合)、記録・柴田広子(AALA)でパワーポイントのセットは佐藤龍雄(AALA)の皆さんでスタッフは知り合いばかり。

会場は定員が36人の狭い場所に46人が参加した中に知っている顔が十数人はいた。アットホームな雰囲気で進められたが内容は充実したものだった。

 

まず50分間講演…大学生の性暴力、日本人慰安婦」、各地にあった遊郭、博物館・・・

私は新聞記事を見るとDV犯罪、有名大学学生の性暴力事件が頻発している。ジェンダー平等を妨げているものは「女性への暴力」で、代表的な的なものが日本軍「慰安婦」である。「女性への暴力」撤廃が国連を中心にジェンダー平等を目指す世界的なテーマである事、また、「慰安婦」問題とは何?というそもそも論を丁寧に話した。

加えて多数存在した日本人「慰安婦」の調査をして、ほとんどが遊郭から送られていった事がわかった。日本各地に遊郭があり、男性はここで「遊ぶ」ことが戦前の日本の国の「文化」であったことを知って衝撃を受けた。その延長として戦場の「慰安所」に発展した事についても言及した。

 

意見交流の中で出た、衝撃的事実

講演の後、会場の皆さんから、以下のような活発な意見が寄せられた。

 

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(写真・母親大会終了後は南越谷駅まで参加者が行進した)

「姪が、中国に留学した時、相手の国の学生から「ジャパニーズは戦争の反省をしていないからダメ」と言われた。学校で日本の戦争中の事を教えられていないので彼女はとまどった」

 

「地域おこしで花魁道中をやり吉原を売り出そうとしている。しかし、女性が遊女にならざるを得なかったことに心が痛む」

 

「『慰安婦』問題の署名を集める活動をしているが、ある女性から「テレビを見ているとこの問題は解決している。韓国の中でお金が届いていないことが問題だ」と署名を拒否された」

 

「日韓合意後2か月の時韓国で水曜デモに参加した。「日本が戦争にきっちり反省しないと許せない」と言われた。草の根から声を上げてゆかないとならないと日本のNGOは頑張っている。マスメディアの責任が重い」

 

「南京の大虐殺記念館、万人抗を見て日本はなんてひどい事をしたのかと思った。中国人が大勢家族と一緒に見学に来ていた。吉川の話に「日本には戦争博物館がない」と言われたが日本人のやったことは忘れることはできない。未来に向かって知らせてゆかねば」

 

「家族制度が勉強になった。からゆきさん等、底辺の女性達のことが心にあった。頭の中が整理された。叔母は従軍「慰安婦」だった。体を売っていたが更に売られて「慰安婦」として働かされた。結婚しても子どもは産れなかった。貧乏で子どもを売らねばならなかった。今後もこういうことは起こりうる」

 

「中国に従軍していた父から戦争体験を聞いた。「慰安婦」については、「休みの日にズラリと兵隊がズボンを下げて待っていたよ」と話してくれた。吉川のスライドの写真と同じ景色だ」

 

「美容院で「韓国問題は解決済み」と言われ、また、ヨガの先生は「女性達はお金を稼ぐために慰安婦になった」と言われたがきちんと話せない自分がいた。今日の話ですっきりした」

 

 

 

最後に参加者で申し合わせ事項をまとめた。

「『埼玉ピースミュージアム』(平和資料館)に加害の事実を展示させよう」

「憲法24条の問題をに学ぼう」、「地域に『慰安婦』問題の学習の場を広げよう」

 

2017年4月23日 (日)

公文書館が内閣官房へ、慰安婦「連行」文書など19件182点提出

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(東京都文京区グリーンコートの八重桜は今満開) 

 

417日、国立公文書館が日本軍「慰安婦」関連資料19182点を内閣官房に移管したと報じられた。

安倍内閣は衆議院議員の文書質問に答えて「政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007316日)としているので、今回の公文書館の資料移管によって政府が嘘をついていることを明確に示すものとして注目を集めた。

 

軍隊の享楽に供した…売淫行為を強制された…

 

今回の資料とは、A級裁判(先の大戦で日本を破滅に導いた総理大臣とか軍の大将や幹部等の指導的軍人・政治家を東京で裁判にかけた)の「A級国際軍事裁判記録」には、以下のような女性への性暴力に関する記述が何点もある。

「モア島原住民殺戮、女性への強制売淫」、「中央ジャワ島」、「ポルトガル領チモール」等において、単数または複数の軍人により「軍隊の淫楽の供した」、「原住民婦人の強制売淫」、「娼家(「慰安所」吉川注)」、「婦女子に売淫行為を強制された」との戦争犯罪の記述がある

 

またBC級裁判(戦場で実際に残虐行為を行った戦争犯罪人を裁く裁判。夫々連合国が単独で日本の将兵を裁判で裁いた)判決等では、次のように記されている

例えば、「被告は婦人等に買淫を強制するため慰安所として知られている建物に閉じ込めた」、「被告は慰安所に於いて強制買淫させる目的で婦女子を誘拐した」、「被告は前記軍人及び市民に十分な監督を行うことを怠り、怠慢の結果、婦人を慰安所に宿泊させて買淫を強制した」の記述がある。

 

これらは裁判記録は公文書である。安倍内閣の「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と、「慰安婦」の強制連行を否定する文書回答は全く事実に反することが明らかである。

 

この期に及んでなお

 

この文書移管に対して内閣官房副長官補室の鳥井陽一参事官は「個別の資料の評価はしていない。全体として見ると、強制連行を直接示すような記述は見当たらない」と話した、という(2017.4.17東京新聞夕刊)。「個々に見ると強制連行はあるが全体としてはない」というようにも取れる詭弁の、意味不明なコメントではないか。

 

2007326日、私は参議院予算委員会で強制連行について安倍総理を追及した。「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と文書質問に答弁した10日後である。ドイツ在住のジャーナリスト梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』にオランダ軍法会議資料に基づく詳しい解説書があり、それを読む気さえあればこんな答弁はできるはずもない。

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(梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』2008年6月・今回移管のバタビア臨時軍法会議資料を詳述する)

議事録を紹介する。

 

 

  ~~~~~~~参議院予算委員会議事録から 2007.3.26 ~~~~~~

 

吉川春子君 「強制収容所にオランダ人を収容し、その中から若い女性だけを選んで拉致して慰安所に連れて行った。…これは強制性に当たらないんですか。総理大臣」 

内閣総理大臣(安倍晋三君)このオランダ人の女性も含めてこの官房長官談話は出されているわけであります。ちなみに、軍がその事実を知って、直ちに慰安所を閉鎖したと、こういう事実関係があるわけであります。

 吉川春子君 軍が関与し、強制されて慰安婦にされたんですね

 内閣総理大臣(安倍晋三君) これは、つまりその事実を知って軍がその慰安所を閉鎖をしたと、こういう事実関係がございます。

   (中略)

 吉川春子君 甘言であれ、強制連行、拉致であれ、慰安所は日本軍管理の下、逃げられず、慰安婦とされた女性達は毎日レイプされたんです。ワシントンポストによれば、身の毛 がよだつような体験の証言をしたと、こう言っているんです。(*米議会での被害者3人(オランダの「慰安婦」含めて)の女性の証言)。これをもって強制性はなかったと強制性はなかったとそれでも総理はおっしゃるのですか。そのことを端的にあなたの考えを言ってください。

 内閣総理大臣(安倍晋三君)すでに私の考えは申し上げているとおりでありまして、河野官房長官談話で述べられている通りでございまして、この考え方を継承してゆくという事でございます。

吉川春子君 兵士による拉致、連行も河野官房長官談話の中に含まれているという事でいいですね。

(中略)

 

 吉川春子君 …オランダの事案も挙げました。どうですか      

内閣総理大臣(安倍晋三君)オランダの事案につきましては河野官房長官談話で述べられたとおりであります。

 吉川春子君 オランダの事案は、日本軍による拉致、連行によって慰安婦にさせられた事案です。それを安倍総理はお認めになったという事ですが、安倍総理、慰安婦の被害者の女性達が今何を一番望んでいるとあなたはお考えですか。

 内閣総理大臣(安倍晋三君)…常々申し上げておりますように慰安婦の方々が辛酸をなめられたわけでありご同情申し上げますしそういう状況に置かれた事につきましてはお詫びを申し上げている通りであります。

 吉川春子君 今日までまだPTSDで苦しんでいるんですよ。日本政府に公式に謝ってほしいと思っているんですよ。総理、公式に謝る必要があるとは思いませんか。 内閣総理大臣(安倍晋三君)今、私はここでおわびを申し上げているわけでありますし、河野官防長官談話で申し上げている通りであります。(この後私は「河野官長官談話」の閣議決定を要求したが総理は拒否、また慰安婦一人一人に直接謝罪を求めたが、予算委員長は「吉川君の質問時間は終わった」と総理を指名しなかった)~~~~~~  引用終わり  ~~~~~

 

今後の活動について

 

 この議事録からも安倍内閣の強制連行否定論は、当時から破たんしていたことは明らかだが、法務省の公文書が、国立公文書館から内閣官房に移管された事で、国民は改めて強制連行の証拠に目を触れることになる。

 

 (よく知られている物もあるのだが)今回移管された文書の一つ一つの公開を政府に請求して、国民に宣伝して、「強制連行を示す記述は見当たらない」とは言えない事実を国会質問や、草の根の運動で追い詰めてゆかなくてはならないと思う。

 森友疑惑や多数の議員&大臣の不祥事。大臣や、議員の資格もないにもかかわらず見過ごされ、それでも安倍内閣の支持率は高い。それをいいことにますます危険な方向へ日本を引っ張って行きかねない。

 

「慰安婦」問題にきちんと決着を付けさせることが戦争を回避し、女性の人権を守る道であると確信をもって。(吉川記)

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