フォト

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

緊急集会 朝鮮半島と日本の未来を考える

 

 コロナで久しく集会もない東京都内でしたが、久しぶりに刺激的な講演会がありました。以下に、和田春樹東大名誉教授の講演要旨をお知らせします。

 

    集会の全体の構成

 

朝鮮戦半島と日本列島は、過去、現在、未来によっても結ばれておりこの結びつきを真剣に考えない限り日本の平和も安全もない。横田滋氏が亡くなられた。北朝鮮が南北共同連絡事務所を爆破し我々を驚かせたが北朝鮮は制裁とコロナウイルスの感染脅威で窮地に立っている。

時あたかも朝鮮戦争開戦70周年の記念日(625日)にあたり戦争を本当に終わらせるためにふさわしい時期である。

 

2020年629日(月)午後2時半~5

場所:衆議院第1議員会館地下大会議室

主催:朝鮮半島と日本の未来を考える会(連絡先 練馬区大泉学園町 和田方)

 弁士は

  • 北朝鮮はどうなっているのか 

発題 平井久志(ジャーナリスト)

  • 在日コリアンはこの国でどのように扱われているか

発題 田中 宏 一橋大学名誉教授

  • 私の知る横田滋さん、ウンギョンさん

 発題 小坂浩彰(NGOレインボーブリッジ事務局長)

 

 和田春樹氏の提起

  • 今どうすることが必要なのか、何ができるのか

 発題:和田春樹(東京大学名誉教授)

(以下は和田春樹先生のレジュメの引用である)

  • 朝鮮半島・日本列島では安全保障・平和の問題が第1の問題である

2017年の米朝戦争の危機は回避されたが、米朝の平和プロセスが進まないことが現在の問題である。

「米朝が戦うときには日本は米国を支援する」と安倍総理はいうが、「米朝戦争になれば日本の米軍基地を攻撃する」と北朝鮮は言う。

こうした情勢の下、いま必要なのは日本が北との関係を改善すること、「日本に向かって撃つな」と北を説得すること、撃ちそうになったら米軍が先制攻撃し、日本は米朝戦争に巻き込まれて日本は終わりになる。

 

  • 新型コロナ・ウイルス蔓延で隣国北朝鮮は危機にある

制裁が緩められないうえにコロナ対策で自己封鎖して、苦しさは極限化しているはず。

そして、思い出すのは3.11(東日本大震災=吉川注)の時の2011316日の労働新聞の報道である。

曰く「日本政府は10万名以上救助隊を派遣し災難救助に総力を挙げている。国際社会も日本で発生した自然災害について深甚なる憂慮と同情を表しており、その救助事業に協力してゆこうとしている。国連事務総長は緊急記者会見を開き可能なすべての支援を提供するつもりだと述べた。現在、中露など40余か国の緊急救助団が派遣されるか、派遣待機状態にあり、様々な人道主義的救助物資を送っている。すぐる14日わが国の赤十字会中央委員会委員長は日本赤十字社社長に慰問電文を送り、地震及び津波被害を受けた数多くの被害者に深い同情と慰問を表明した。今差し迫っていることは地震、津波に被害に直面した人々を救助し、災害防止対策を立てることである」と。 

北の義援金10万ドル(日本円810万円)が25日伝達された。

しかし日本の外務省のリストに入れられなかった。(外交に“礼”があるか知らないが、礼を欠く対応ではないか)

 

4月5日、日本は3.11の混乱のさなかでも、日本政府(菅直人内閣=吉川注)は、北朝鮮制裁継続を発表した。

朝鮮中央通信は48日の評論で、「日本政府は現在のような混乱時に北朝鮮制裁などを演じて、時を過ごすのではなく、被災地の人民の生活を安定させ、放射能被害を防ぐ体策を講じるべきだ」と評論した。和田教授は「隣国が安全でなければ自国も安全ではない。コロナの世界で学んだことではないのか、とコメントした。

 

<吉川コメント>

北朝鮮の隣国日本の311の津波地震災害に寄せた同情と見舞いの言葉、そして寄せられた義援金をリストに載せないという「国際的礼儀」(という言葉があるかは知らないが…)に欠ける態度。この点の朝鮮中央通信の見解に私は同感する

 

  • 日本と北朝鮮は清算すべき歴史的過去を持っている

75年前に植民地支配は終わったが、日本と北とは清算はなされていない。平壌宣言に明記されている。

朝鮮戦争は70年前に起こり67年前に停戦になった。当時日本は米国に占領されており独立国ではなかった。 米国は北から攻められた韓国を助けるために日本占領軍を韓国に送り、横田と嘉手納から飛び立ったB29 は北人民軍と北朝鮮全土を攻撃した。日本経由で出動した米精鋭部隊が北人民軍を破ると今度は韓国軍が米軍とともに北へ攻め込み平壌を占領した。

元山上陸のため海上保安庁の掃海艇が北の機雷を撤去した。日本は自分の意志で韓国を助け北朝鮮を攻撃したのではなく、GHQの命令でそうしたのだが、事実上この戦争の準参戦国となり、米軍の最重要基地、司令部の所在地だった。だから戦後長く50年間日朝関係は敵対関係にあった。その中で、拉致事件、工作船侵入がなされた。最後は2001年12月の奄美大島沖の工作船沈没、15人死亡である。

2002年平壌宣言でこの関係の停止は宣言された。以後、拉致も工作船侵入も起こっていない。

 

「日朝平壌宣言」抄 2002(平成14)年9月17日

⒉日本側は過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。(以下略)

⒊…また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は日朝が不正常な関係である中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

 

4 拉致問題は日朝交渉を止め、国交正常化を阻むために利用されてきた

“拉致”は王様の新しい着物!

拉致問題は北朝鮮の犯罪的行為で解決されなければならない。

 

2006年に国策として安倍内閣が打ち出した3原則が障害、行き詰りの原因である

  • 拉致問題はわが国の最重要の課題である。…最重要でないことを最重要ということですべてを固定化する。金縛りにする(王様の新しい着物)
  • 拉致問題の解決なくして国交正常化なし…小泉方式(唯一の前進例)の否定
  • 拉致被害者は全員生存している、即時全員帰還させよ、それが解決

「一三人中五人生存、八人死亡」、はじめ通告があった時の家族会の悲しみ横田滋氏の涙を見た。家族会は「証拠隠滅のために殺された可能性が大だ」という意見に傾いた。死んだという証拠はない、生きている可能性が高いと言い出したのは「救う会全国協議会」だった。家族会がこれにすがったのは自然。(生きているから返せ、といえば永遠に運動できる)

しかし、これが安倍内閣の方針となる。北朝鮮側が死亡していると言っているのに、日本政府が生きている、と主張し保証し(何の証拠もなく)これで国論を統一して異論を許さないのである。この3原則は交渉決裂、最後通帳の原則。交渉する気がないということである。

 

 交渉するためには、安倍3原則を放棄しなければならない

まず、ストックホルム合意でなされた北の再調査委員会の報告を受けとるべきである。検討し、意見を表明し交渉する。

  死亡を通告された人について →死亡の状況について説得的説明を要求する

  入境していないと通告された人→船上で殺害したのではないかと問いただす

  生きている人がいれば   →返してもらいたいと要求する

・・・

 

5 拉致問題の交渉を行うためには、無条件日朝国交正常化を行うことが必要

  20187月 田中均氏が平壌に連絡事務所を置くことを提案

  20189月 石破茂氏が総裁選で公約として東京、平壌に連絡事務所を開くことを掲げた

田中、石破提案も悪くないが・・・

  和田春樹氏~北朝鮮に後戻りしない実利を与える提案をすべきだ。オバマの無条件キューバ国交樹立の例にならい、無条件国交樹立、大使館開設、以後4つのテーブル(核ミサイル、拉致、経済協力、制裁解除)で交渉開始を提案する。

 

和田春樹氏らの講演を聞いて考えたこと~吉川

  拉致問題解決の最大の障害は安倍首相

拉致問題について、安倍内閣は解決しない(できない)3原則を掲げて、外交交渉ではなく政治的に利用してきた。また米朝会談に際しては、トランプ大統領に拉致問題の仲介を頼む等、政治的パフォーマンスをもてあそんでいる。

横田滋さんが亡くなった。私はかつて国会の「拉致問題対策委員会」(この名前は不正確かも…)メンバーとして調査で新潟を訪れ横田めぐみさんの通っていた学校から拉致された現場の海岸迄を歩いた。日本海に面した殺風景な海岸から娘を拉致された母親がわが娘の名を呼び、探し回った場所に立ち胸がつぶれる思いがした。めぐみさんの死亡が伝えられお孫さんの映像がTVで公開された時も、いろんな思いが胸にあふれた。

父親の滋さんが交渉を求め孫娘のヘギョンさん会いにゆくために訪朝することを求めたが抑えられた由。横田夫妻の心中を察するに余りある。拉致問題の政治的利用はやめて、拉致問題解決のためにも日朝国交回復の方向へ舵を切る時である。

2002年、小泉内閣で前進が見えかけた拉致問題を解決不可能の方向にかじを切ったのが安倍首相であったことがこの講演で明らかにされた。

拉致問題以外も、モリ・カケ、桜を見る会、検察庁法改悪、オリンピックのためにコロナ対策後回し…何一ついいことをしなかった自民党・安倍内閣の一刻も早い退陣が日本のためである。

 

 韓国人「慰安婦」の問題を日朝の歴史の中で考える必要

 

日本は北のみならず韓国との関係も現在大きな困難を抱えており、日韓関係はよくない状態にある。

思えば1990年代には「慰安婦」問題に対して同情と反省の気持ちを多くの日本人が持ち、解決しなければとの機運も盛り上がり、幅広い文化知識人も結集された。それに押されて政権党も一定の努力をした。(韓国の人々が受け入れたかは別としても…)

あれから30年間『慰安婦』問題についてはNGO、とりわけ女性たちが奮闘して今日に至っているが解決とは言えない状態にある。世論の多くは「『慰安婦』問題は、解決済み」と捉えている。

 

私たち「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」は、「慰安婦」問題解決の運動を2010年から10年続けてきた。「慰安婦」問題を通じて日韓(日朝)が友好的関係を築き、平和を共有する関係になることを目指したがその道は半ばである。「慰安婦」たちが高齢化し姿を消した後、運動はどんな方法で行われるべきか具体的方策を模索中でもある。

 

和田先生が指摘されるように、万が一、米朝戦わば日本にある米軍基地から米戦闘機は飛び立ち朝鮮領土・人民を攻撃するであろう。そしてその逆(報復)もある。その時、日本はひとたまりもない…ことを考えれば、朝鮮半島の平和こそ日本の平和の絶対条件である。

「米中戦うときは米軍を支援する」(安倍首相)などとの発言はどこの国の首相の言葉なのか、と首をかしげたくなる。日米安保という難解な問題が横たわるが、朝鮮半島との友好関係を築くことが最優先の政治課題であることは間違いない。

「慰安婦」問題は女性の人権、歴史認識、戦争反省の3側面がある。加えて日朝、日韓の平和構築の課題であり、近現代の歴史に位置付けてみると、日本の平和のためにも最重要課題であることを痛感した講演であった。(吉川春子)

2020年3月23日 (月)

第8回総会と記念講演の延期のお知らせ

 

日頃、一方ならぬご協力を賜り心よりお礼を申し上げます。

 このたび45日(日)に予定しておりました第8回総会と能川元一氏の記念講演は諸般の事情を考慮し、以下の日程に延期することになりましたのでお知らせします。

          記

 開催日時:2020年7月12日(日)午後1時~

 会 場:未定(追ってお知らせします)

 講 師:能川元一大阪国際大学非常勤講師

 テーマ:浸透する歴史修正主義

「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表・吉川春子

〒 113:0021 東京都文京区本駒込6-14-8-605

☎ 03-5976-5188 090 6505-3500

メール:haruko1945@nifty.com   

 

Photo_20200323090601

六義園の枝垂桜2019年3月撮影、今年2020年は新型コロナウイルスの肺炎流行のためライトアップ中止。しかし、昼間はかなりりぎわっている。

2020年3月16日 (月)

性暴力のない社会を目指して

     ハリウッド女優のレイプ犯に懲役23年禁固刑

                ~#MeToo(ミーツー)が世界に拡散~

 

   世界中を楽しませているハリウッド映画。ここも男性支配の殿堂だったのだ。華やかなスターの座を獲得するために多くの女性が大物プロデューサーの性暴力に泣いていた事実は私達を驚かせた。彼女たちがようやく声を上げ告発した。物証が乏しい中、弁護団も「同意があった」等と主張し有罪になるか否か予断が許されなかった。

   しかし陪審員は有罪の評決を下し、2020年3月12日、ニューヨークの裁判所はハリウッドの元大物プロデュ―サー、ハーベイワインスタイン被告(67才)に女性へのレイプ等の罪で禁固23年を言い渡した。彼に対し90人以上が被害を訴えており、これをきっかけに「#MeToo」(ハッシュタグ・ミーツー)の運動は世界に拡散した。

   日本でも伊藤詩織さんに対する元TBS記者の準強姦行為に検察が不起訴の中、果敢に戦い、昨年12月に民事裁判で勝訴している。また、父親の性暴力に対し娘達も立ち上がっている。しかし岡崎の事例では1審無罪。裁判官は女性の味方ではないとつくずく思う。この事件を契機にフラワーデモが各地に広がり、性暴力の被害者が名乗りを上げ始めている

Photo_20200316202201

写真・東京はソメイヨシノの開花宣言がされた(2020年3月14日)が、六義園名物の枝垂桜は未だ2分咲き(3月15日撮影)

    

   実の父親の娘に対する常習的レイプ

 

性暴力の中でも被害者が声をあげる事がさらに困難な事例は父親によるわが娘への性暴力ではないか。

2020年3月12日、名古屋高裁で実の娘に対する準強制性交罪に問われた被告の父親(50才)に対して控訴審判決で懲役10年の逆転有罪判決が言い渡された。被害者は中学2年生の頃から父親である被告人から性的虐待を繰り返し受けた。

控訴審では「準強制性交罪の要件として「抗拒不能」は…「相手方に於いて物理的又は心理的に抵抗することが著しく困難な状態であれば足りると解すべきだ」とする。当然の論であろう。 ところが1審では「逆らうことが全くできないような強い支配服従関係」といった厳しい成立範囲を要求している」と批判する。また、性的虐待が行われている一方で普通の日常生活が展開されているという事は虐待のある家庭では普通の事であるとされる」とする

 これに対して1審判決の父親無罪の根拠は「被害者(娘)は日常生活の中で被告人(父親)の言いなりに必ずしもなっていなかった」と言う点である。「日常生活では被害者は被告人の意にそわない行動をとっている」ことが「抗拒不能状態を否定する事情だ」とし「娘は逆らうことが全くできないような強い支配服従関係にはなかった」と結論付ける。

また、「被害者が弟らの協力を得て被告人からの性交の求めを断念させたことがある」事も抗拒不能でない理由とした。加害者(父親)に無罪判決を下した一審の名古屋地裁岡崎支部の裁判官の感覚に驚く。

 これは岡崎支部の裁判官に限らない裁判所一般の感覚である。強姦罪が親告罪であった一昨年までは被害者が意を決して被害届を出しても裁判官が加害者の男性を無罪にしてしまう判決は枚挙にいとまがない。男性側の主張を取り入れて、性交に合意があったと認定してしまうのだ。長年の父親による虐待が抵抗する気力を娘から奪ってしまう事を裁判官は見逃している。合意なき性交は強姦、との判決を下すために刑法改正が必要である。全国に展開するフラワーデモの参加者もそれを求めている。

 

 <判決後被害女性は次のようなコメントを出した>

 

「(父親に対する)逆転有罪の判決が出てやっと少しホッとできるような気持ちです」と被害女性は弁護士を通じてコメントを出した

〇「逃げようと思えば逃げられたんじゃないか」と言われるがそれができなかった理由は幼少期に暴力を振るわれたからです。一人っ子だったらもっと早く訴えられたかもしれない…でも弟たちの事が心配だった。弟たちと離れなくてはいけなくなること、生活が大変になるかもしれない事を考えてじっと我慢するしかできませんでした」

〇 次第に私の感情もなくなってまるで人形のようでした。被害を受けるたびに私は泣きました。

〇 父親に対しては「もう私と弟たちの前に二度と姿を現さないでほしい」

*父親は、2審の有罪判決を不服として上告した(2020年3月16日)。父親には娘に対する行為について恥じる気持ちや反省がないのだろうか。最高裁まで争って裁判官の封建的感覚に期待を寄せるのか。 

 

           ~栃木実父殺害事件 ~

 

 男性の女性に対する暴力支配は、エンゲルスの「家族私有財産国家の起源」によれば少なくとも数千年の歴史がある。日本国憲法下でも第2次世界大戦前の国家思想・家父長制の名残が民法に残っていて何度か改正を重ねたが、夫婦同姓の強制等の名残を払しょくできないでいる。 

今を去る50余年まえ、1968年栃木県矢板市で当時29歳の女性による実父絞殺事件が起きた。直接的には、殺害の日迄女性は父親によって10日間にわたり自宅に監禁状態にあり最終的には口論の末殺害したものである。

 しかし事件に至る14年間、女性には地獄のような生活があったのだ。宇都宮地方裁判所で明らかになった事実は驚くべきものである。被告人の女性は14才から父親によって性的虐待を受けており近親相姦を強いられた結果、父親との間に5人の子供を出産し夫婦同様の生活を強いられてきた。

 そうした中、女性が働きに出た職場で7歳下の相思相愛の恋人が現れ正常な結婚をする機会が巡ってきた。その男性と結婚したい旨を父親に打ち明けたところ激怒し監禁したものである。当時の『下野新聞』等の報道機関は「親子喧嘩の果ての殺人」と報じて、父親が娘を長期にわたって強姦していた事実を報道しなかった。「女性への暴力撤廃」という女性の人権思想に乏しい、世相におけるメディアの報道姿勢だった。

 

     日本国憲法下でも家父長制思想残る、尊属殺人罪

 

 この事件は最終的に最高裁大法廷で裁かれた。当時刑法には尊属殺(刑法2百条)があった。直系尊属(父母、祖父母等)を殺した場合、通常の殺人罪(刑法199条、死刑、無期、5年以上の懲役)より重く、死刑と無期懲役のみだった。法律に沿って2度の情状酌量をしても刑の執行猶予は付けられない実刑判決になる。

 長幼の序(ちょうようのじょ)を重んじる家父長制はかくも厳しい事を女性に要求する制度である。しかし実父から14年にわたり夫婦同様の生活を強いられ5人の子どもを産まされた地獄のような生活から抜けるチャンスが巡ってきたのに、これを父親から潰される…この同情すべき事例に実刑を以て処断する事は最高裁と言えども躊躇を感じる事件であった。

 一審宇都宮地方裁判所は刑法200条を違憲とし、情状を考慮し過剰防衛として刑を免除、2審東京高裁は同条を合憲とし懲役3年6月の実刑を言い渡した。これを受けて、最高裁は従来の判例を変更して刑法200条を違憲と判断したうえで、刑法199条を適用して懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡した。

 

         裁判官の意識にも家父長的思想

 

 「栃木実父殺し事件の判決」は「尊属殺重罰規定違憲判決」と呼ばれているが尊属殺の思想を違憲としたものではない。つまり最高裁は通常の殺人よりも目上の親族殺害を重く罰すること自体を肯定しつつ、違憲としていない。情状酌量しても執行猶予が付けられないのは余りに刑のバランスを欠くという刑事政策上のものである。曰く

  「尊属殺人を定めた刑法第200条は尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度をはるかに超え、普段殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な取り扱いをするものと認められ憲法第14条1項に違反して無効である。*憲法14条1項 全て国民は法の下に平等であって…社会的身分又は門地により…社会的関係に於いて差別されない。

 

 細やかに歴史的1歩を踏み出したがこの時代の最高裁判事には女性への人権感覚は乏しい。尊属殺人罪の規定(刑法2百条)が廃止され刑法より削除されたのは1995(平成7)年である。刑法が歴史的仮名使いから現代的仮名使いに変更される刑法改正の時に同条は削除された。日本国憲法の価値観と相いれない尊属殺規定が戦後50年にわたって存在し続けた事実は日本の後進性を示すほか何物でもない。

 また父親の娘強姦事件を加害者無罪にした岡崎支部判決は戸主が一族の女性の生殺与奪の権を握る家父長思想の片りんを残している。

 #MeTooの流れ、フラワーデモがこの古い上着を脱がせるきっかけになるか注目したい。

 

 

 

2020年3月11日 (水)

会員の皆様へ、緊急のお知らせ

 

ご  連  絡     

                                                                                                2020年3月10日

                                                                        「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表 吉川春子

会員のみなさま、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

ニュース第39号をお届けします。この号は総会議案を掲載してあります。ご意見等をお寄せください。

 

3月は日本にとって一番輝く季節、であるはずですが疫病の流行で陰鬱な空気が漂っています。加えて安倍総理の一声で小中高校の一斉休業が「疫学的根拠も、科学的根拠もなく、政治判断で」(参議院予算委員会の総理答弁)、準備期間もなく行われた結果社会はパニック状態です。とりわけ子ども達、非正規労働者、フリーランスの方々、中小零細業者等の弱者に大きな負担が強いられて心が痛みます。この危機を国民の知恵と勇気で乗り切らねばなりませんね。

 

当ゼミナールは4月5日(日)に東京で第8回総会と記念講演を予定しています。この計画をどうするかについて各方面からお問い合わせをいただいていますが今のところ決めかねています。

政府の方針でも4月6日(月)からは春休みが終わり、小中高校は一斉に授業が再開される予定です。

3月16日(月)に常任運営委員会がもたれますのでここで情勢判断をして決めたいと思います。

万が一中止の場合には首都圏の皆様には直ちに連絡します。

 

皆さまには健康に留意されてご健勝にてお過ごしください。社会的危機ともいうべき今日の事態を積極的に乗り越えて、平和で民主的なジェンダー平等社会へ確かな歩みで前進しようではありませんか。今後とも当ゼミナールへのご支援を心からお願いします。

                                                                                                                                                  ― 了 ―

                             

第8回総会議案

「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール第8回総会議案を掲載します。会員の皆様には2020年3月10日発行のニュース第39号に掲載し、3月10日発送しました。

 

*略称 「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」⇒「当ゼミナール」

2019年度の情勢

「慰安婦」、植民地支配、戦争加害責任の暦代政府のささやかな「反省」すら踏みにじってきた安倍政権は“モリカケ問題”に続き総理の桜を見る会の「公的行事」の私物化、首相後援会前夜祭の政治資金規正法違反疑惑、招待者名簿廃棄等で国会答弁不能に陥り「政権の命、旦夕に迫る」状況である。

「慰安婦」「徴用工」日韓関係-文在寅大統領は2018年11月日韓合意(2015年12月)で設立した「和解・癒し財団」解散した。拠出金10億円は元「慰安婦」47人中34人、遺族199人中58人が受け取り、元「慰安婦」2人と遺族13人が審査待ち(朝日2019.1.28)で宙に浮き、これに対し日本は強く反発し日韓関係は最悪になった。

また2018年10月、韓国の大法院で過酷な労働現場で労働させられた元徴用工の損害賠償訴訟の判決が出された。安倍政権は、「解決済み」を声高に述べ韓国側で解決するように要求し続けているが、あの戦争中の日本政府の政策として行い隣国の市民に多大の損害を与えた事件として日本国と加害企業とで解決すべき事件である。いたずらに 感情的な対立があおられている状況のもとで、日本の市民として植民地支配の歴史をきちんと共有し、日本の市民の側から政府と企業の態度を変えていく努力が求められている。

表現の自由の危機―8月1日開幕の「あいちトリエンナーレ」企画展の韓国人「慰安婦」を彷彿させる「少女像」展示等に不当な脅迫が殺到し名古屋市長や右翼も同調し3日で中止、また文科省の補助金不交付の決定は憲法の禁じる「検閲」の疑いがある。「慰安婦」をテーマにした映画『主戦場』自主上映への妨害・自粛も起きた。しかし市民の運動で上記企画展は大会最終日1週間前に再開、『主戦場』も春日部市等各地で上映を勝ち取っている。

女性の人権―性暴力被害者の名乗り出の運動・アメリカ発#MeToo(ミーツー)の広がりー2019年12月東京地裁は伊藤詩織さんの訴えを認め山口・元TBS記者の準強姦行為に対し330万円の損害賠償を言い渡した。これに力を得た性暴力被害者の各地で性暴力に抗議する「フラワーデモ」はさらに広がって刑法の強制性交等罪(強姦罪)の構成要件の改正等を訴えている。

2018年に女性議員を増やすため『政治分野の男女共同参画法』が施行され2019年初めての一斉地方選挙では各級地方議員の女性の当選者は各1%程度の微増にとどまり見るべき成果はなかった。6月の参議院通常選挙は女性議員の当選者数は28名(22.5%)で3年前と同じに留まった。世界経済フォーラムの2019年のジェンダーギャップ指数が153か国中121位の日本で、当ゼミナールの更なる奮闘が求められる。

 

Ⅰ 2019年度の当ゼミナールの活動

  • ゼミナールの地方開催

「ゼミナールの開催を各地で」の方針により青森県ではゼミナールと共催の「出前講演会」を開催できた。915日青森市は青森県母親実行委員会、大森典子副代表が「戦争と人権」、23日弘前市で憲法9条つがる女性の会で吉川代表が「『慰安婦』問題から考える女性の人権」、で講演。参加者は2会場で212名。八戸、むつ市、五所川原市、平川市、黒石市など遠くからの参加、さらに現職の地方議員の参加もあった。

開催できた要因と成果~

⒈東京からの講師の交通費や謝礼などの経費をゼミナール側が負担、会場を公共施設で安く借りられた

⒉ニュースを読むだけの会員にとって、ゼミナールの代表、副代表がやってきて学べるいい機会だと受け止められたこと。

⒊参加者にとってよくわからなかった「慰安婦」問題――もう終わった問題、または日本の過去の歴史問題だと考えられてもいた。講演を通して、「慰安婦」問題は日本社会に通底する根深い女性差別問題であり、現代に通じるジェンダー問題だと理解されたことは大きな成果である。

今後、各地での「出前講演会」開催は、被害者が生存している間に解決ができなくても、私たち日本人がきちんと「戦後責任」を果たす重要な歴史的取り組みであり、全国に組織する会員を活かす活動となる。

また、7月27日、大田区新婦人のキャッロト班との共催による具島順子運営委員の講演会には72名参加、9月23日、婦選会館での東京AALAとの共催で行った大森典子副代表の講演会には参加者は44名だった。

 

  • 「連帯のつどい㏌春日部」(映画『主戦場』上映会)

11月2日、当ゼミナールと「埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会」(埼玉AALA)との共催で「2019連帯のつどい㏌県春日部 映画とお話」を実施した(前年度の加須市「連帯のつどい」に続き2度目)。映画は『主戦場』(デザキ監督)、講演は関原正裕・日朝協会埼玉県連合会会長。会場の埼玉県春日部市文化会館小ホールは満席(400席)となり、「慰安婦」問題を市民に広く知らせることができた。これは1990年代から『慰安婦』問題解決について政府へ請願を出し続けている埼玉AALAが組織を挙げて取り組んだ結果でもある。(なお春日部市は吉川代表の国会議員以前の活動地域)。

あいちトリエンナーレ中止、政府の補助金不交付等表現の自由が脅かされる情勢や、『主戦場』の一部出演者の提訴で上映自粛の動きが広がる中で成功した意味は大きい。

当ゼミナールは5回の実行委員会にメンバーを送り大量のビラの宣伝を行った。他方チケット販売数は全体の1割強に止まり、開催地が首都圏にもかかわらず当日参加の役員は数名に留まる等反省点がある。2020年度も『主戦場』の上映を予定しているので教訓としたい。

 

  • フィールドワーク

11月19日~20日、今年のテーマは「毒ガス、風船爆弾製造の大久野島と軍港呉の旅」。現地では学徒動員で風船爆弾製造、毒ガス運搬に携わり現在も語り部として国際的に活動を展開する岡田黎子さんの1時間超の講演を聞き、『大久野島平和学習ガイドブック』の著者で大久野島戦争遺跡の研究者山内正之さんの案内で大久野島をめぐった。

平和のメッセージを世界に発信するヒロシマから20キロの呉市ではかつての軍港復活が生々しく伝わり日米軍事基地群や軍需産業の実態を奥田和夫・日本共産党呉市議の案内で学んだ。なお21日、「埼玉AALA」会員7名と当ゼミナール会員3名は広島原爆資料館見学のオブショナルツアーで2泊した。

事前学習会(105日)では中国人毒ガス被害訴訟の南弁護士の講演とDVD『苦い涙の大地から』を鑑賞した。毒ガス製造とその後の海洋投棄を県民に隠蔽し、また敗戦後日本軍が中国に遺棄した毒ガスが今も中国人民を苦しめており、政府の責任の取り方が極めて不十分な実態を知った。フィールドワークの内容は8ページのコンパクトな冊子にまとめて全会員に配布する。

 

⑷ゼミナール

331日第29回ゼミナール(総会記念講演)のテーマは「歴史認識と加害責任~『慰安婦』問題に触れて」山田朗・明治大学教授が講演。侵略戦争反省の「宮沢談話」「河野談話」「村山談話」を排斥しこれらは21世紀にふさわしくないとする安倍政権がなお40%の支持を得ている問題点を指摘した。脱亜入欧路線を辿りアジアを格下とみる差別意識の克服が歴史認識問題の入り口、と結んだ。参加者は当ゼミナール最高の95名。

○第30回ゼミナール(728日)はテーマ:「RAA(特殊慰安施設協会)と米進駐軍の

ための『慰安所』」で平井和子・桜美林大学非常勤講師が講演。敗戦直後に政府は米進駐軍

用『慰安所』を全国に作り米兵がその前に列をなした。日本国憲法24条に両性の本質的平

等を書き込む一方で数万人の日本女性に性を提供させた米占領政策をジェンダーの視点で

分析した。平井氏はこのテーマでの一般の講演は初めてとの事。画期的内容だった。夏休み

で参議院選の翌週だったにもかかわらず70名が参加。

 

⑸文京区男女平等センターまつり参加「ワーク・ショップ」第4回目(第38号ニュース中の今回3回目は間違い)

☆テーマ=日本軍による性暴力の実態と中国の『慰安婦』問題。講師:大森典子副代表。中国人「慰安婦」訴訟弁護団長として40回以上訪中し調査の結果で明らかになった貴重な事実を報告し、被害者のDVDを上映した。なお具島順子運営委員の中国・拉孟訪問の特別報告を行った。まとめは吉川春子代表。

☆当ゼミナールはこのワーク・ショップを重視し年3回開催ゼミナールの中の1回をこれに当ててきた。2019年度は直前になって「参加団体の増加」との理由でこれ迄の約半分の2時間に時間制限がされた。当ゼミナールの棚橋委員が欠席した実行委員会で決められたので「従来どおり」の時間枠を再度お願いしたが受け入れられなかった。その結果、企画内容を縮小して行った。

 

⑹ 「あいちトリエンナーレ2019」企画展中止問題

当ゼミナールは89日付で「あいちトリエンナーレ」企画展の「表現の不自由展その後」に対する河村名古屋市長など公権力の介入に厳重に抗議し、企画展の即時再開を求める」要請文を送った。企画展は市民の抗議で「あいちトリエンナーレ」閉会1週間前にかろうじて再開された。

政府は926日「あいちトリエンナーレ」の補助金7,800万円全額不交付の決定を行った。さらに政府は1030日付でオーストリアと日本の国交150年事業としてウイーンで始まった芸術祭の日本の表現の自由の限界をテーマにした「ジャパン・アンリミテッド」の展示の内容を審査し公認を取り消した。

11月11日付で当ゼミナールは「表現の自由への挑戦、『あいちトリエンナーレ』に対する補助金の不交付と芸術に対する不寛容な政府に抗議する」とのアピールを発表した。

 

2020年度のあゆみ(方針)>

<当ゼミナールが発足10年>

「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」が発足して20205月で満10年になる。経緯は2008年、「『慰安婦』問題と女性の人権を考える会」(吉川春子ら7人)は定期的に集まって「慰安婦」問題を勉強し、200911月にはブックレット『「慰安婦」問題と女性の人権』(かもがわ出版)を出版し4000部普及した。これが「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」に発展したものである。

私達は、1991年に韓国人「慰安婦」金学順が名乗り出て20年後のスタートなのでかなり後発の団体である。すでに多くのNGOが結成されて活動が活発化していた。結果、政府は「河野官房長談話」を出し、それを受けて「アジア女性基金」を創設した。国会に野党三党の「戦時性的強制被害者(=慰安婦)問題解決促進法案」が8回提案された(2001年~20008年)。

国際的には国連の諸機関とILO(国際労働機関)が日本に勧告を行いまた、米国下院、EU,オランダ、カナダ等諸外国の議会も日本への批判決議を採択していた(2007年)。

韓国の性暴力被害者が困難を押して名乗り出て日本の責任を追及して長い歳月を経て未だ日本の国政上大きな未解決課題である。民主的な人々の間にも「慰安婦」問題は十分認識されておらず「慰安婦問題って何?」という疑問が度々寄せられた。

こうした中、『慰安婦』問題解決とジェンダー平等をめざして当ゼミナールは誕生した。この間、戦争責任、歴史認識、女性の人権等に関する各分野の専門家を講師に招きゼミナールを30回開催し勉強を重ねた。フィールドワークは9回(海外は2回、国内は7回)行った。当ゼミナールの活動を会員に知らせ各地の会員を結び、当ゼミナールの見解表明の場である「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナールニュース」は20107月以降38号まで発行した。韓国人『慰安婦』のDVD2本作製した。会員が「慰安婦」等女性の人権問題や「徴用工問題」に関する講演を各地で行ってきた。

当ゼミナールの活動の特徴の一つは日本人「慰安婦」に関する取り組みである。ビルマ従軍軍医・笠置慧眼氏により提供された日本人「慰安婦」名簿にもとづき9人の本籍地調査を行った。

以上の当ゼミナールの歩みを綴った『10年史』を編集中である。当ゼミナールがどんな役割を果たし行動したかを振り返り、今後どんな課題に取り組むべきか考える材料としたい。

 

<具体的方針>

○会員~当初数十人でスタートし現在が20201月現在5百50名を超え、この数字は数年維持している。年会費2千円と篤志家のカンパで財政規模は年間2百数十万円で健全に推移している。当ゼミナール活動の土台となる会員の拡大が課題である。(詳細は第8回総会で口頭報告)

 ○「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールの『10年史』誌の作成

7月にブックレット(80頁)を発行する。1千部を印刷し会員に配布する。一般販売価格は500円。

〇地方講演会について

埼玉県飯能市、山口県で計画が検討されている。また、人数ありきでなく小さい集会でも各地域で気軽に行う事が必要との意見もある

○ゼミナールと他団体との共催

8回総会の記念講演(第29回ゼミナール・講師検討中)は歴史認識に関するテーマで行う。また第30回ゼミナール(712日)は映画『主戦場』の上映と映画の内容が分かる講演を組み合わせて実施する(東京AALAとの共催を検討する)

○ワーク・ショップ

2020年度も文京区男女共同センター祭りに参加する。2時間枠の制約の可能性大である。会場が狭く(満員で30名超)、通常のゼミナールのように外部の講師による講演会は難しいので過去4回は当会の会員の講師でフィールドワークや調査活動で得たことを取り上げてきた。文京区という公の企画に参加し地域の活動の中に当会が位置づくことは意義は大きい。

  • 他団体に委員派遣し活動に参加

 従来から母親大会実行委員会(棚橋)、文京区男女平等センター(棚橋)に委員を派遣していたが2019年から「国際婦人年連絡会」への加盟が認められた。其々の活動の様子を常任運営委員会に定期的に報告を受け役割を果たす。

「国際婦人年連絡会」は1995年第4回世界女性会議を受けて結成された日本の女性団体として最大のもの。当ゼミナールも他の女性組織と共にジェンダー平等社会を目指す運動に参画する意義は大きい。

○役員体制と会議の運営について―ニュース発送作業等、ゼミナールへのおさそい、諸行事成功の日常業務をこなす人手が不足している。また会の継続・発展のためにも新しい活動家の獲得は当ゼミナールの重要課題である。なお、常任運営委員会準備の事務局会議を廃止する。

                                =以上=

2020年1月14日 (火)

映画「リンドングレー」~北欧・スエーデンのシングルマザー描く

    「長くつ下のピッピ」のように強い女の子

Photo_20200114212001

(写真・アストリット・リンドングレーン著「長靴下のピッピ」岩波少年文庫)

 

 三省堂等の書店の児童書コーナーで必ず目にする「長くつ下のピッピ」。しかし私は1度も手に取らなかったし子どもに買い与える事もなかった。今回の映画「リンドグレーン」(ペアニレ・フィシャー・クリステンセン監督 2018年スエーデン=デンマーク)が一気に私とこの本の距離を縮め私は初めてこの本を買って読んでみた。そして「ピッピ・ナガクツシタ」こそリンドグレーその人ではないか、と私は思う。

 

     ジェンダー先進国スエーデン…百年前の女性

Photo_20200114212002

(写真・映画「リンドングレーン」のジャケット 東京の岩波ホールで上映中)

 

 アストリッド・リンドグレーは1907年(明治40年)にスエーデンに生まれた。家族総出で農場の仕事をする映画のシーンでは豊かな自然と家族の愛情に囲まれて、無邪気で自由奔放に育つ様が描かれる。しかし恋をして妊娠、出産、19歳でシングルマザーになった途端、彼女の環境は激変する。幸せな子ども時代とはあまりにもちがう女性、母としての環境は北欧のスエーデンも例外ではなかった。その萌芽は子ども時代に体験する。兄と町のダンスパーティに行き帰宅し門限を破ったが彼女だけが両親から叱られる。抗議しても「男と女は違う」との反応が両親から帰ってくる。聖書には「男も女も同じ」と書いてあると、彼女は納得しなかったが。

私自身小学生時代は信州の自然の中で遊びまわり、中学・高校は東京で図書館、映画館他文化施設をめぐり「勉強せよ」とは言われず、思う存分羽を伸ばした幸せな時代だった。

しかし、敗戦後日本国憲法も施行されて十余年というのになお成人後の女子には親・社会が準備した道があり、進路について自分の意思を表示した途端幸せな子ども時代は終わりを告げた。そんな自分の来し方と重ねながらこの映画を見た。

 

      幸せな少女時代、自立する女性へ…環境は激変

 

 映画の舞台はおよそ百年前、今やジェンダー平等の国として知られるスエーデンでも自立しようとすれば、女性なるが故の困難がふりかかる。中学を卒業したアストリッドは地方の新聞社の助手に就職するチャンスに恵まれ、編集長に知性と文才を見込まれ秘書兼助手になる。編集長と恋に落ち妊娠し19才で未婚の母になってしまう。相手の男は彼女よりかなり年長で子沢山、妻とは離婚協議中ですぐには結婚できない。信心深いアストリットの両親は彼と結ばれることに反対する。

妊娠中のアストリッドは自立するために故郷を離れて首都ストックホルムに行き秘書学校に通う。相手の男性は「妻から不逞を訴えられて姦通罪で刑務所に入れられるかもしれない」とアストリッドに伝え彼女の心痛は高まる。

この時代、日本では姦通罪は女子のみ罰せられ男子が罰せられることはなかった。スエーデンは男性にも姦通罪が適用されている。当たり前のことに私は新鮮な驚きを感じた。日本が如何に徹底した男性優位の家父長制社会の国だったか痛感させられる。

 

    晴れて整う結婚の条件ーしかし男性と別れたリンドングレーの心理

 

 アストリッドは敬虔なクリスチャンの両親の意向で彼女の妊娠は徹底的に周囲に隠す。結果、出産に際して父親を明かさずに済む隣国デンマークのコペンハーゲンに行く。ここで里親マリーに見守られて男の子ラッセを出産する。ラッセを里親のマリーに預け実家に帰宅するが両親から「男と結婚せず、子どもの事も忘れろ」といわれアストリットは実家を飛び出す。

子どもを引き取りたいが父親の離婚調停は進まず、加えて密会を目撃され裁判も窮地に立たされる。我が子に会うためコペンハーゲンに通う苦しい日々、1年後ようやく離婚調停は解決した。「姦通罪で有罪になったが罰金を払うだけで済んだ」と晴れ晴れとした顔で夫となるべき人が指輪をもってアストリッドに正式に求婚する。しかし彼への怒りがこみ上げ指輪を返し立ち去る。

 映画ではこの時のアストリットの心理が私に理解できない。編集長の男に、両親にそむいてまで、未婚の母になって愛を貫こうとしたアストリッドではなかったのか。両親から彼と別れるように言われ実家も飛び出した。ようやく子どもを引き取り結婚できる条件が整ったにもかかわらず、何故それを拒否して立ち去るのか。結婚しない事で新たな経済的困難が襲ってくる、祖国への帰還旅費もないというのに。

 

    里親になついた息子に”ママ”と呼ばれるまで

 

もしかし、出産を経験し子どもへの愛情が芽生え生活の困難に立ち向かい切り抜けてきた自信…そうしたものが男性を見る目を肥やし初恋の人物の本質を見抜きともに人生を築く相手ではないとの評価に至ったのか?

明確に言えることは、この決断が後に彼女をして児童文学の巨匠に押し上げる分岐点になったという事である。

一方、里親になついた息子ラッセは、容易にアストリットを“ママ”とは呼ばない。一緒に連れて帰ることも拒否されてアストリットは失意に沈む。ようやくわが手に息子を取り戻したのは里親が病気でラッセを育てられなくなったからである。

息子と心通うまでに要した才月、苦しみの日々…これが彼女をして「子どもの心がよくわかる」児童文学者と評価される作品を生み出す土壌となったのではないか。才能が元々あったとして、この苦しみの歳月がさらに磨きをかけた、と評価されている。私も同感する。

 

   樋口一葉、リンドグレーン…同時代作家の育ち方 

   

このストーリーの舞台がもし日本だったら、アストリットは偉大な作家にはなれなかったであろう。アンデルセン、グリム兄弟に次ぐ多くの作品が翻訳された児童文学作家、との評価も得られなかったであろう。もし日本なら彼女は、封建性の残滓と家父長制に押しつぶされていたかもしれない。

日本にも明治時代に樋口一葉という女性の文学者がいた。彼女は当時の社会を鋭く描き女性の苦しみにも寄り添った。男性文学者に勝りこそすれ劣らない堂々とした女性の作家であった。国際的に比較しても見劣りしない優れた作品を残している。

同時に彼女は当時の日本では珍しい女性の戸主であった。母や妹の生活を支える義務を負っていた。女性ながら社会的に認められる地位にあった。彼女が一介の女性(妻・母)であれば、或はシングルマザー的立場であれば明治初期において作家という仕事には成し遂げられなかったであろう、と私は考える。

その点でアストリット・リンドングレーはまさにスエーデンが生み育てた文学者である。スエーデンは日本とは女性に対する社会的条件が違っていた。当時のスエーデンも女性は経済的、社会的に低い地位におかれていたが、彼女の延びる目を奪ってしまうことはなかった。彼我の差を感じた映画であった。(吉川春子)

2020年1月 3日 (金)

年頭所感~安倍一強体制は1990年代に準備された

    今の日本に「政治」はあるのか

Photo_20200103071301

(写真・六義園の雪つり)

 

 安倍内閣の行動を日々見ているとわが国に政治が存在するのだろうか?という疑問が生じる。ものの本によると「政治とは、公共の利益を目的とする活動である。私的な利益を追求するのではなく政治共同体の構成員にとっての共通の利益を目指す所に政治という活動が持つ特徴がある」(前田健太郎『女性のいない民主主義』岩波新書)これが政治の理想であるとの事である。

モリ・カケ問題、自衛隊の活動日誌の隠ぺい、昨年は毎月勤労統計の偽装、大臣の辞任、元副大臣の逮捕、「桜を見る会」で暴露された政治の私物化、繰り返される公文書廃棄、等々安倍内閣の不祥事が次々明らかになる。追及しようにも総理は逃げ回っていて国会に出てこない。とりわけ一問一答形式の質問戦は逃げまくっている。

一方、外交・外遊はお好きのようで世界あちこちを「旅行」(政府専用機で)して回り税金を無駄使いし、また各国首脳と日本を代表して会談し、テレビ局・とりわけNHKはことさらに、総理が何か国民のためにいい事でもしているかのように、放映する。国会で野党の質問にもまともに対応できない人物、自分の選挙基盤堅めに“お友達”にばかり便宜を図る、しかも多額の税金を使って。この程度の人格識見の人物が史上最長の首相在任を記録する。国民はストレスはたまるばかりである。

中野晃一・上智大教授は「安倍首相には中身がない。あるのは単に「支配したい」「屈服させたい」で、屈服させて何がしたいのか彼らなりのポジティブなビジョンがない。サッチャーリズムを掲げたサッチャー首相とも違うし、ナショナリストでもないと指摘している(202011日「しんぶん赤旗])。

 

    行政改革・省庁再編の名で国会が弱体化 

 

 「国会は国権の最高機関」(憲法第41条)とうたわれている。しかし特に昨年の国会を見て国民はそうは思わないだろう。内閣が最高機関であり、国会を意のままに動かしている。

最近は私の在職した2007年までの国会とは大きくかけ離れて、様変わりしている。

しかし、これほど内閣が強力になったのは1990年代の内閣機能強化の内閣法改正と省庁再編による。

議院内閣制をとる我が国において国会がある程度の制約を受けることが予想されている。国会議員から20名は大臣として行政府のメンバーとなることは憲法が予想している。しかし、省庁再編で大臣、副大臣、大臣政務官が合わせて数十名程度、立法府メンバーが行政府に移ってしまう。加えて内閣官房の充実と内閣府の創設等が首相に大きな権限を与えた。(具体例は、森功『官邸官僚』文芸春秋社に詳しい)

ジャーナリストの伊藤詩織さんに対する元TBS記者(安倍総理のお友達)の準強姦被害容疑の逮捕状の執行を停止したのも官邸筋ではないかと推測されている。

内閣機能強化から20年を経た今日、行政府と立法府、司法府は対立関係にありそれで権力のバランスをとるという憲法の予想する三権分立機能が弱るゆゆしき事態に遭遇している。

ついでながら党首討論も90年代に導入された。導入当初から国会の規則が大政党優遇で民主的とは言えなかったが、少なくとも当初は国会日程との関係で持てない時以外は毎週のように行われるのが例であった。それがいまや、年に12回になっていることも驚きである。総理の「都合の悪い時」は党首討論は開かれない。内閣のペースになっている。

 

   小選挙区制の弊害 

 

 安倍自民党総裁が党内で権力を集中させ選挙の候補者決定、政党助成金の使用など全権を掌握し、反対勢力を押さえつけることを可能にしている背景に小選挙区制がある。これは1994年政治改革の鳴り物入りで導入された。政治改革特別委員会理事であった私は文字どおり体を張って対抗した。

それまでの中選挙区制という選挙制度は比例代表制に近く、国民の民意をかなり正確に議席に反映できる制度である。これを細川内閣時代に小選挙区制を導入し1選挙区で一人しか当選できず死票が大量に出る制度に変えた。

小選挙区制が成立した背景にはメディアの政権による取り込みがある。戦後、自民党がくり返し主張してきた小選挙区制だがメディアはずっと反対してきた。いかなる事情が背景にあったのか、細川内閣の時にほとんどのメディアが賛成に回った。

国民の反対は強く、また当時は野党であった自民党が形式的には反対に回ったので、参議院ではこの法案は否決された。この時に憲法上廃案になるほかない法案を息を吹き返させたのは当時の衆議院議長土井たか子氏、細川政権の重鎮だった小沢一郎氏、野党自民党党首の河野洋平氏が密談し一夜のうちにクーデター的手法で甦らせた。

その時政治改革委委員会理事だった私はこの悔しさを終生忘れない。小選挙区制が安部一強を可能にしたほか弊害はとてつもなく大きい。河野氏の小選挙区復活について反省の弁を聞いたことがあるが他の二氏は語っていない。

 

   結論として…

 

安倍政治にひどさについて追及し首相をやめさせてゆく事が今年の最大の課題である。同時にここへ導いてきた90年代の政治についての洞察も欠かせない。国権の最高機関である国会を復権させる事、憲法に基づく国会運営を行う事が求められる。(吉川春子)

 

 

2019年12月30日 (月)

アニメ映画『この世界の片隅に』の描いた,広島県呉市(くれし)の、いま

「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」のフィールドワーク その3 軍港・呉市 

 私達のフィールドワークの3日目は広島県呉市である。呉市を描いて大ヒットした映画『この世界の片隅に』(片瀬須直監督)は主人公・北条すず(旧姓・浦野)を通じて戦争が打ちのめした庶民の暮らしを描く。この映画の舞台になった広島県呉(くれ)は原爆投下の広島市とは20Kの距離。アジア太平洋戦争当時の軍港、軍事産業の街・呉は戦災でさんざんな目に遭った。それから74年後、これに懲りて平和都市になっているかと思いきや、今も自衛隊の護衛艦、潜水艦がどっかりと居座り、「活気」に満ち、また戦争ミュージアムに多くの旅行者が訪れて新たな“活況”を呈していた。   

アニメ映画『この世界の片隅に』ストーリーPhoto_20191230112901 

1933(昭和8)年広島市に住む絵を描くことが好きな少女すずは18才で20キロ離れた軍港・呉市の海軍の文官・北条周作に嫁ぐ。結婚式の翌朝から、足の不自由な姑に仕え家事全般を任せられる。夫を亡くした周作の姉がすずにつらく当たる。戦前のお嫁さんはこんな立場だったのだろうな、とうなずく。呉市郊外の自然は豊かさ、中流家庭の日々の営みが懐かしく描かれている。しかし戦争がはげしくなり日常生活が日々圧迫され、出征した男性の死が次々に伝えられる。

1945(昭和20)年6月入院中の舅を病院に見舞った帰り空襲で連れていた兄嫁の娘は爆死、すずは右手を失い、絵を描くことはおろか家事もできなくなる。軍港のある呉は連日激しい空襲に晒され、また障害者となったすずは家庭内で居場所を失う。この時期広島はまったく空襲がない。原爆投下を計画していた米は温存していたのだろう。婚家の辛さにすずは実家の広島に帰る決心をする。その時まさに広島に原爆が投下される。すずの実家の人々も大きな被害を受ける。この映画は市井の人が戦争でどんな被害を受けるか淡々と描き、見た人の心に反戦を深く刻み付ける。(写真・アニメ映画『この世界の片隅に」の主人公・すず)

 

  『戦艦大和」の建造技術を誇る展示の大和ミュージアムPhoto_20191230113107 

私は呉市がこんなに激しい空襲に晒され人も物も大きな被害を出したことは『世界の片隅に』で初めて知った。

呉には海軍鎮守府、海軍工廠があり江田島に海軍兵学校があり、戦艦大和が建造された海軍の拠点・呉であれば徹底的に米軍の空襲にあったのも当然であろう。

いま、原爆投下の広島が平和都市として世界に反核を訴える象徴的都市となっている一方で、壊滅的な戦争の被害を受けた呉市民は何を学び、社会(世界)に何を発信しているのだろうか?

  『戦艦大和』という映画が私の小学生の頃信州の田舎町の映画館にもかかり私は父にせがんで映画を見に行った。映画の大和沈没の悲劇的な最後が心に焼き付いている。

 

1120日午前は呉市立・海軍歴史科学館「大和ミュージアム」に行く。1Fには「戦艦大和」の10分の1の模型が威容を誇って展示されている。「大和」建設の日本の技術が如何に素晴らしかったかが強調されている。

技術の粋を尽くした戦艦がなぜ簡単に撃沈されたのか。「既に制空権を失い、大和を守るべき航空機が1機もないまま沖縄特攻という無謀な作戦で出撃し徳之島西方20マイルの洋上で轟沈させられた」と説明された。

特攻という言葉どおり敵艦に艦もろとも突っ込んで体当たり=玉砕である。国民の多額の血税を注ぎ込み建設した戦艦と多くの人命(3000人―奥田和夫氏)を犠牲にして、撃沈されるための出撃である。こんなバカげた作戦について責任を問われた軍人、政治家はいなかった。70年以上を経て展示するのだからその事への言及(批判)はあってしかるべきだろう。しかしこのミュージアムの展示には見当たらなかった。何のためのミュージアムか。回顧?今度は失敗しない決意?まさか!命を落とした一般兵士、その家族こそあわれである。(写真上・「大和ミュージアム」の建物、下・戦艦大和の模型)

Photo_20191230113104

 

     非人間的兵器の極み、「回転」

Photo_20191230113103

 

また同ミュージアムには呉で建造された人間魚雷「回転」の実物大模型も展示されている。狭いハッチに兵士が入って蓋をすると蓋は中からは絶対に開かないという。ハッチのふたを閉められると後は自分で敵艦の方向を目指して突っ込む他ない仕掛けであるとのこと。航空機による特攻はエンジン不調等で引き返すこともあったが、回転は乗り込んでハッチを閉めれば敵に体当たりするほかないという悲惨極まる兵器である。

「『大和ミュージアム』は靖国神社の遊就館ほど露骨ではないけれど、大東亜戦争史観に基づく展示がなされており遊就館に次ぐものである」と案内の呉市会議員の奥田和夫氏の説明があった。

たしかに、「こんなにも素晴らしい戦艦があった」という点に来館者の目が奪われるような展示であることも確かだ。かの戦争についての批判的視点を養える内容にはなっていない。

『戦艦大和』建造、軍事産業の拠点であったため徹底的に無残な空襲被害を被った呉市として、ここからどんな教訓を汲むべきか、あるいは汲んだのかという観点の資料の展示は皆無だ。税金を投入して建てる市立のミュージアムなら、なおさらこの点の配慮があってしかるべきではないか。(写真下・人間魚雷「回天」の実物大模型)

 

   海自の宣伝・鉄のクジラ館

 

潜水艦とクジラの「鳴き声」が似ている。かつてソ連の潜水艦を題材にした『レットオクトーバーを追え』という小説や映画があった。クジラと敵の潜水艦の音を聞き分けて判別する事が重要な仕事だった時代があった。

「鉄のクジラ館」には海上自衛隊の潜水艦の内部の展示がされている。説明員は自衛隊のOBが当たっているという。私は興味深く潜水艦内部を見た。

かつて海上自衛隊(海自)の潜水艦「なだしお」が、船舶入り乱れるラッシュの東京湾入り口で釣り船に衝突した。海難審判でも回避義務は海自側にあった。潜水艦と釣り船では、月とスッポン、釣舩の乗船者が海に投げ出されたが潜水艦乗組員はブイも投げず救助しなかったため多くの犠牲者が出た。

その時、内閣委員だった私は国会で自衛隊の責任を追及した。当時の瓦防衛大臣は責任を取って辞職した。最近麻生財務大臣が個人的興味からか潜水艦に乗船し非番の自衛隊員に案内させて批判されて事件が起きた。

当時自衛隊基地の視察はずいぶん行き護衛艦にも乗ったが、潜水艦に乗った事のない私は興味を惹かれ丁寧に見た。 

所々に立っている説明員に「なだしお」事件の事を質問したが「そんなことはありません」の防戦一点張りだった。ミュージアムには海自の潜水艦について客観的に説明できる人物を配置すべきだと思った。全部税金で運営されている以上、海上自衛隊の宣伝用のミュージアムであってはならないのだから。

 

   港の見える丘、日米安保のわかる丘

 Photo_20191231131901

 1120日午後は日本共産党呉市議会議員の奥田和夫さんから呉市を案内していただいた。初めに港が見える丘に登る。ここからは市内が一望できる。港にはガントリークレーンが林立し、戦艦大和建造工場の屋根、米軍秋月弾薬庫、海軍兵学校のあった江田島、自衛隊と共に大きくなった火薬製造、中国化薬、米軍と一体の貯油所等々が見える。(写真・港の見える丘から、呉港をバックに記念撮影)

呉基地の中心は海上自衛隊で艦艇保有数は全国の海上自衛隊中最大で護衛艦、潜水艦、掃海艇を保有している。私たち一行は護衛艦と共に潜水艦が浮上している姿をすぐ傍で確認できた。私は内閣委員を長く務めた関係で各地で自衛隊艦船を見てきたが、浮上している潜水艦を見たのはここ呉が初めてだった。潜水艦はめったに浮上しないものと思っていた。呉市民は日常的にこのように護衛艦、潜水艦を目の当たりにして生活しているのだ。

Photo_20191230113106

そして、奥田市議の説明で、岩国市の米海兵隊基地、広島市の八本松川上弾薬庫、等々米軍基地とも一体化して存在している事も改めて目の当りにした。(写真上・浮上停泊する海上自衛隊の潜水艦)

「核と人類は共存できない」「核戦争阻止」のメッセージを世界に向けた発信し続けて平和のイメージが強い広島県で、「これに挑戦するようにヒロシマを取り囲む日米の軍事基地軍が存在しアジア太平洋地域はもとより世界に槍を向けているのです」(「呉基地ガイドブック」奥田和夫)

呉市の「大和ミュージアム」「鉄のクジラ館」は、広島市の原爆投下の悲惨さを訴える「原爆資料館」とは相対立するかのようだ。戦争当時の日本の造船技術がいかに優れていたか、今もそれを受け継いで発展させている、また「大和」の乗組員たちは如何に勇敢に死んでいったか」日常的に市民を教育しかねない「社会教育施設」ではある。加えて今回は行かなかったが江田島の旧海軍士官学校もかなり密度の濃いミュージアムとなっている。それはそれとして興味深い展示であっても、こうした情報に日常的にさらされて呉市民及び国民に対して、これらが何を引き起こしたか、将来の国民に何をくみ取り何を受け継いでほしいか、日本国憲法を理念とする展示であってほしい。

Photo_20191230113105(写真・潜水艦をバックに旅行参加者の記念撮影

 

      遊郭と『この世界の片隅で』 

               ~遊郭の街から女性の人権を守る街に

 

呉市の見学の最後に遊郭のあった街を観光バスで通った。『この世界の片隅で』には主人公すずと遊女の出会いがワンシーンだが描かれている。現在2019年年末から上映されている『この世界の片隅で』の続編(新作)はすずと遊郭の女性リンとの交流が挿入されているという(朝日・夕刊)

明治時代以降、軍隊は遊郭と共にあった。あいまって発展した。従って大本営の昔から海軍鎮守府の呉はまた、多くの女性の悲惨な人生も数限りなくあった街である。現在は遊郭の跡形もないが、戦争というもの、軍隊というものは女性の敵であることは否めない。

激しい空襲を受け隣の広島市とはまた別の意味で、壊滅的な戦争被害を受けた呉市がここから何を学んだのか。

それが今回つかめなかった私は、74年後の呉市、平和都市広島と対照的…戦争放棄の憲法がないがしろにされているただならぬ危険を感じた。(文責・吉川春子)(写真下・呉市を襲う米軍航空隊―「この世界の片隅に」プログラムから)

Photo_20191230113102

 

2019年12月19日 (木)

フィールドワーク2日目 大久野島へ~旧日本軍毒ガス遺棄の調査に~

 私(吉川春子)と大久野島の関わり Photo_20191219160501

(写真・船上から大久野島を望む(鉄塔が建つ島)

2019年10月、「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」のフィールドワークの事前学習会を開き中国人毒ガス被害者の裁判の代理人である南弁護士から「遺棄化学兵器に被害問題」について話を聞きまた、映画「苦い涙の大地から」を見てその実態について勉強した。

私がこの問題を初めて知ったのは2005年頃である。日本が中国に遺棄した毒ガスに触れて被害にあった中国の人々が裁判をおこし公判の度に来日して議院会議室等で訴えたので実態を知った。Sany0194

(写真・毒ガスを含む土が公共事業に使用された現場にて―2006年チチハルで、右端・吉川)

Sany0237

(写真・少女が被害に。母親からき取り―チチハル市で―2006年吉川)

私は2006年8月にモンゴルでの公務の帰途、ウランバートルから北京経由で旧満州のチチハルに行った。市の郊外の広大な原野の上をタンチョウ鶴が乱舞する姿は壮観だった。それ以上に心に残ったのは、日本が敗戦時に遺棄した毒ガスをそれと知らず接触して健康被害にあった人々から直接聞いた話である。旧日本軍が遺棄した化学兵器(=毒ガス)で3年前にも44人が被害に遭い1人は死亡した。私は8人の被害者から直接話を聞き、遺棄された毒ガスが発見された現場の調査を行った。

戦争中に日本軍から三光作戦で膨大な被害を受けただけでなく、今日未だ被害者が出て、裁判で争わねばならぬとは。こんな割に合わない話があるだろうか。

日本政府はかつての侵略戦争の加害責任について終始消極的である。国民もまた、自分は戦争被害者であるとの意識は強いが加害者意識は薄いといわねばならない。今回の当ゼミナールの調査の旅はこうした事にメスを入れる目的で行った

 

 いざ、大久野島へ

Photo_20191219160206

(写真・人懐こく兎は餌を求めて近づいてくる)

 

2019年11月19日(火)広島空港からバスで竹原市忠海へ、そこからフェリーで15分程度乗って大久野島に渡った。島に着くと私達を迎えてくれたのはかわいい兎たちである。大久野島は今は国民休暇村として外国人を含めて多くの観光客が押し寄せる。きれいなホテルがあり温泉もわく。兎たちはかつての毒ガスの製造の島という歴史を覆い隠すために観光大使の役割を担わされているかのようだ。

<周囲4キロの大久野島でなにが?>

Photo_20191219160202

(写真・説明する山内氏、この島の案内人としてボランティアで何十年も活動している)

私達は「大久野島から平和と環境を考える会」の山内正之さんの案内で、いくつかの毒ガス製造をほうふつさせる建物・遺構と、毒ガス資料館を見学した。

1929年から大久野島で生産された毒ガスは⑴イペリット、⑵ルイサイト・⑶青酸ガス・⑷ジフェニ―ルシアン(くしゃみ性ガス)、⑸クロロアセトフェノン(催涙ガス)の5種類。島には数十棟の毒ガス清浄工場が立ち並んだ。

毒ガス製造は24時間体制で、工員は交代制、昼夜の勤務になっていた。防毒面と防毒服着用で毒ガス製造に当たったがその影響から免れることはできない。多くの人が死亡しまた工員、学徒全員が毒ガスの後遺症に一生苦しむことになった。資料館には着用の服と様子が分かる展示を見て心痛んだ。

 

このガスを人に向かって使用するとどんなことが起きるか。日本人以上に被害を受けたのは中国の人々である。日本は山西省を中心に中国人にこの毒ガスを大量に使用した。化学兵器禁止機関執行理事会での中国外務省劉穀仁氏の発言によると「日本は戦前中国で毒ガスを大量に使用、被害状況は1241例、死亡した中国人は20万人。敗戦時に日本軍は大量の毒ガスを地下に埋め河川や湖に投棄した。日本政府は1997年から条約を締結し毒ガスの処理を行っているが遅々として進んでいない)』」(「吉川春子国会レポート2007年」)

 

15年間毒ガス製造し工場は1945年まで存在したが、毒ガス製造は1944年7月、アジア太平洋戦争末期に中止している。理由はアメリカに毒ガス製造が知られると報復として日本に対して使用されることを恐れたためだという。

<発電所跡>

Photo_20191219160502

(写真・発電所跡の建物跡、ここで風船爆弾も組み立てられた)

フェリーの船着き場から歩いても遠くない場所の土手にトンネルがある。それをくぐった奥には毒ガス製造時代の発電所の建物があった。海から建物をかくすために築かれた土手(壁)に木々がうっそうと茂っている。トンネルをくぐると向こうに大きな建物がある。中は天井は高く七.八〇年の間、全く手の入らない荒れ果てた不気味な姿をさらしている。

この発電所は毒ガス製造中止以降は風船爆弾の製造の場として使われ、大久野島に学徒として動員された岡田さんらはここで寒さをこらえて手にべたつくのりと闘って風船を作らされた、という。(岡田黎子さんの講演参照)

山内氏によると1990年環境庁(当時)には発電所跡の建物取り壊す計画があったが、大久野島毒ガス被害者から建物を残してほしいという声が上がり10万人を超える署名が集まった結果解体を免れたという。

毒ガス資料館には、「中国山西省で毒ガスを使用するように命令した旧日本軍の文書」、「青酸ガスを入れるための容器」通称「チビ」、工員たちが着用した防毒面、防毒服など貴重な現物、資料が陳列されている。

Photo_20191219160203

(「毒ガス資料館」は竹原市の運営、毒ガス製造に関する貴重な資料が保管されている)

参考文献:『フィールドワークと教材化のための資料 おおくのしま平和学習ガイドブック』

「大久野島から平和と環境を考える会」編 山之内正之・監修

 

   参議院・行政監視委員会で麻生外相に質す

 

かつて日本軍が遺棄した毒ガスが今日も中国人民を健康被害、生活苦に追い込んでいる。

私は中国までいってみて、こんな悲惨な兵器が日本のどこで生産されたのか!と調査して、大久野島を知った。早速2006年10月10日広島県大久野島へ調査に行き、毒ガス資料館研究所・山内正之氏の説明をうけた。また、2008年『大久野島・動員学徒の語り』を出版した岡田黎子さんとも知り合い、その後出版した私の著書『アジアの花たちへ』(あゆみ出版2008年)に岡田さんとの対談を収録した。

私は中国の北京で政府からのレクチャーを受け、現地のチチハル市で被害者との面談、現地調査、帰国して広島県大久野島の調査を経て2006年10月3日、国会でこの問題を追及した。私の質問に対して麻生大臣は「持ち込んだ毒ガスの量も使用した量も極めて断片的な数字しかない。化学兵器禁止条約に基づき出来るだけ早く処理する」と抽象的な答弁だった。日本国内に遺棄した毒ガスについては詳細なマップを作り被害が出ないように注意を払っている政府であるが、対中国に対しては全く無責任な態度に終始している。

 

   戦後も、ひた隠しにされた大久野島の歴史

 

原爆投下の広島市から80Kしか離れていない大久野島。広島の原爆は超有名だが毒ガス製造の大久野島はなぜ知られていないのか?

1946年の極東軍事裁判(東京裁判)でアメリカの意向で日本の毒ガス問題は裁判にかけられず、日本政府も国民にも県民にも隠してきたからだ。

「大久野島は地図から消されその部分は真っ白。海岸を走る呉線は大久野島が見えないように窓に鎧戸を下ろして走った。島の事は家族にも言ってはならぬと注意を受けた。その秘密ぶりは発煙筒の製造時に大爆発が起き火災になった。生徒2人が重態になったが両親にも会わせず大病院にも運ばず島の診療所で治療した」というほどである(岡田黎子さんの講演)。

 大久野島については戦争中のみならず、戦後も隠し続けた。私の夫は広島県生まれで高校卒業まで広島で育つが今回の旅行まで大久野島については知らなかったという。学徒を動員して軍属として武器を作らせていた事実を、学校の授業で生徒に教えることもなかったのだ。

(ついでながら長野県の小学校で戦後、満蒙開拓団の歴史を教えなかった事と共通している。学童を満州に送り出すために教師たちは授業を使ったが戦後はこの悲劇を教育の題材にしなかった)

当時広島を代表する国会議員であり後の総理大臣にもなった池田勇人は毒ガス島のイメージを消すために大久野島を国民休暇村にしたのだという。島に上陸すると兎が人懐こく寄ってくる。今日兎の島として観光客にもしられ、人気の島である。

広島の原爆については広島県人がどんなに被害を被ったか如何に許しがたい兵器であるか大宣伝しているにもかかわらず、大久野島で毒ガスを製造し中国で大量に使用しておいて「持ち込んだ量も使用した量もはっきり知らない」と大臣はうそぶくほどである。

 また、戦争被害については敏感な日本人も加害者としての自覚はすくない。岡田藜子さんのように自分は加害者であると企画して謝罪行動を一人でも行う人物はめったにいない。(前回ブログ「岡田藜子さん講演・参照)

Sany0092

(写真・2006年、チチハルのホテルで、毒ガスに知らずにふてれ後遺症に苦しみ提訴した事情を吉川に語る被害者)

 

 

2019年12月 3日 (火)

毒ガス製造の大久野島へ、フィールドワーク

大久野島(広島県)と軍都・呉市への旅 その1 ⒉日間2019年11月19日~20日

 

今年度のフィールドワークは「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」の1泊2日の企画に、「埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会」(埼玉AALA)がオプショナルツアーでもう1泊してリニューアルなった広島市の原爆資料館、平和公園と広島城(最初の大本営を設置)を見学するコースが加わった。28名参加。天気も良く充実した旅であった。

Photo_20191203211102

(写真・忠海から大久野島を臨む(鉄塔が建つ島)

 

第1日目 11月19日(火)

首都圏からの参加者18人は朝7時20分羽田空港に集合。ANA673便8時15分発広島へ向かう。広島空港からはバスで大久野島へのフェリーの船着き場のある竹原市忠海に向かう。途中三原駅で九州、山口、名古屋からの参加者10人と合流した。

船着き場の近くの公民館では学徒動員の体験者・岡田藜子さん(90才)から瀬戸内海に浮かぶ美しい島・大久野島のとんでもない過去について聞く

 

<岡田藜子さんの学徒動員の話しを聞く>

Photo_20191203211101

(写真1時間30分熱弁をふるった岡田藜子さん)

経歴:

岡田さんは1929年広島に生まれ90才。1944年11月から1945年の敗戦まで県立忠海高等女学校から毒ガスの運搬、風船爆弾製造のため大久野島に学徒動員。中学3年生の時、被爆直後の広島に救護活動に入る。1952年京都芸大卒。中学、高校の美術教師。「自分は戦争の加害者である」と自分の体験『大久野島・動員学徒の語り』(1989年12月15日 毒ガス島歴史研究所)出版(写真下)。中国の他欧米のミュージアムに寄贈し、謝罪活動を行っている。Photo_20191203205503

出会い;

私(吉川春子)は、2005年参議院議員の時、中国人の毒ガス被害者の要請で中国東北地方のチチハルに旧日本軍の遺棄した毒ガス被害の調査に行く。そして「毒ガスは日本のどこで生産されたのか」と調査した結果、大久野島を知り岡田藜子さん、山内正之さんに出会う。著書『アジアの花たちへ』【(2008年3月かもがわ出版)で岡田さんとの対談掲載】

 

~岡田藜子さんの話し~

(正確なテープ起こしをして何らかの形で皆様にお届けする予定です。これは第1稿です)

 

私は、「殺されることは名誉である」と国に命を捧げる学校教育を受けた。学徒は準軍属という身分にされて大久野島に動員された。

島では毎朝皇居に向かって敬礼させられ、軍人(ぐんじん)勅諭(ちょくゆ)を暗唱させられた。岡田さんはこうした生活になじめず周囲から孤立し2カ月くらいは鬱状態だった、という。島では体が弱いと馬鹿にされた。インフルエンザに罹った後は軍人の処に報告に行った。男子は病気をすると国賊と言われ、無理して島へ行った生徒は死亡した。朝7時呉線(くれせん)で忠海に来て大久野島へ渡り、夕方5時の汽車に乗り帰った。

 

(毒ガス島の特異性)

大久野島は地図から消されその部分は真っ白。海岸を走る呉線は大久野島が見えないように窓に鎧戸を下ろして走った。島の事は家族にも言ってはならぬと注意を受けた。

発煙筒の製造時に大爆発が起き火災になった。生徒2人が重態になったが両親にも会わせず大病院にも運ばず島の診療所で治療した。

義務教育を終えた子どもを大久野島に送った。エリート意識をもって大久野島に送られたが、やめたいと思ってもやめさせない。やめるには兵隊か兵器学校に行かされた。大久野島をやめた人は3か月目に赤紙(軍隊への召集令状)が来た!

Photo_20191203205502

(写真・鎧戸を下ろし大久野島が見えないようにして呉線は走った)

 

パイプの中は硫酸が流れていた。その下で生徒は作業していた。防空壕の土を運ぶ途中、後ろの子に硫酸が5センチ落ちる⇒生涯傷になって残った。

楽しい語らいの時…松葉を取って爪楊枝代わりにしたら、歯茎がはれ上がった。(下の挿絵)

敗戦前に毒ガス製造が中止された*⇒建物撤去作業中に、下級生がホコリを吸い込んで肺癌になった。

Photo_20191203205501

 

*毒ガス製造・使用がアメリカにばれると、今度は報復にアメリカ軍が日本軍に毒ガス使用することを恐れたため、中止した(1944年)

 

(作業の内容)

①  発煙筒つくり発射を実験行い、対岸が見えないくらい煙が上がった。これは人権兵器、という説明を受けた

②  学童の手で爆弾作り

直径10Mの紙風船の下に爆弾を吊るし米本土に送り爆発させる。千葉、茨城、福島の勿来など太平洋側から風船を米本土に飛ばした。

神風特攻隊のよう人間爆弾と違い人(日本兵)は死なないが、相手が死ぬ。アリューシャン9300個、メキシコ285個回収。自分はこのような爆弾では実害は出ないと思っていたが1986年ミシガン大学の先生から、ワシントン州で、オレゴン州でピクニックに来ていた6人が死亡、と聞き自分が加害者であると知った

Photo_20191203205505

(写真は風船爆弾を制作する高女の学徒)

 

③  毒ガス運搬

大三島が大久野島と間違えて爆撃された。大久野島が爆撃されたら広範囲に毒物に侵されるので大三島に毒ガスを疎開させることになり、作業に学徒が充てられた。ドラム缶に入った毒物を桟橋まで運ぶ役目が岡田さんの忠海高女低学年の役目だった。敗戦直前の20日間。

大久野島保管庫から港まで1日13往復させられた。軍手をはめて。毒物に触れた軍手で肌に触ってはいけない。ドラム缶の中に何が入っていたか知らされなかった。(写真はドラム缶を運ぶ学徒)

Photo_20191203205504

「1945年7月、大三島に渡って忠海高女高学年がドラム缶を転がして芋畑に運んだ。水泡ができたり視力が低下した人がいた。これらのドラム缶は戦後堀り出されて船ごと土佐沖に捨てられた(「大久野島動員学徒の語り」より)

 

<大久野島の戦後>

イペリットが多い。致死性で肌に着いたら1滴でもものすごくあつくて熱が出る。大久野島に行った人は全員呼吸器癌にかかる。皮膚、聴覚、知覚障害を起こして家庭崩壊。学徒の癌死亡者1%。大人の工場従業員は癌患者全国の2倍。染色体異常も。

戦後10年は大蔵省で、その後40年は厚生省が補償した。

加害が多く、しかし戦争被害は訴えるが加害行為についてはひた隠しにしてきた。

毒ガスは貧者の核兵器、と言われてきた。北朝鮮、ベトナム、イラン、イラク…従業員は自らの被害は訴えたが加害について語ったのは3人のみ。1994年サリン事件起きた。事件まで広島の人さえ大久野島に言及しなかった。NHKが初めて報じた。「消された毒ガス島=大久野島」。

 米国が戦後日本の毒ガス製造について裁かなかった。理由は、①米国自身が原爆を投下した、②将来米国も毒ガス使用するので731部隊の資料を日本から受け取っている、③進駐軍が3000トンを海に捨てた、➃1963年に大久野島を国民休暇村にして兎を飼った。なぜ兎か?戦争中から軍人の防寒服のため日本中で兎を飼わされていた。それが戦後の兎の島との関連

 

Ⅳ 私の戦後

Photo_20191203212101

(写真・最初の日程、岡田さんの講演に引き込まれる旅行参加者。「涙が止まらなかった」との感想も)

 

アウシュビッツはよく知っていた。日本はドイツのようなそんなひどい事はしていない、日本人でよかったと思っていた。20年後加害の歴史、南京大虐殺の写真見て、3光作戦を知った。戦争は人間性が破壊される。原爆以上に酷い事をやっている。

自分自身、1989年天皇が死の床に居た時加害者である事を知った。戦犯責任を免れて、死ぬ時まで輸血だ、下血だと騒がれた。戦争はやらされただけでなく、国民みんながやった。

大久野島へ、500億ドル中国への賠償金免れた。戦争の謝罪をしていない。1990年日本に生まれた人間として、1994年韓国独立記念館に、よくぞ独立してくださいましたとお詫びのメッセージを送った。

一人ではなく他の人も誘ったがその人は「自分は加害者ではない。岡田さんが(そう考えるのなら)個人でやってほしい」と断られたので私個人としてやった。日本を恨んでいた人たちが「日本人の見方が変わった」と沢山のプレゼントが送られてきた。「岡田さんのやったことは素晴らしい」と。南京からは河原の血のにじんだ石。(秦の始皇帝の)兵馬俑の飾りと手紙が沢山来た。

撫順戦犯管理所所長。憎むべき行為をした人(日本兵)が働いていた。遠くから取り寄せて調べさせた。中国帰還者連絡会として日本で戦争反省の活動をしている。

上海産婦人科医師から「(自分の家族は)南京で幸せな暮らしをしていた。日本軍の侵略から逃れた。…姉は亡くなった。あれ以来一家団欒はない」と。24年間付き合い84歳で死亡した。

アメリカでは風船爆弾でなくなった方へ手紙を書いた。日本中で24カ所の女学校で風船爆弾を作った。山口では風船爆弾製造の女学校で血判押させた。結果、米国の11歳から14才の少年少女が犠牲になった。

1996年70才近い年に謝罪に14人で米国へ行った。「(お会いした米国の方は)日系人収容所へ放火したいと思ったが、日本人の心に触れて恥ずかしいと思った」と言われた。

国家権力の向こう側にいる人はみんな同じ人間。相手の側に身を置いて考える。戦争する国家が加害者である。加害に苦しむ戦争世代。原爆を投下した米兵が加害者として苦しんでいると。広島は戦後生まれが(多数)。加害者は生き証人である。右翼は戦争を正当化する。

<平和への思い>

平和な時代に命を全うする事。戦力不保持の憲法―安保があったにもかかわらず平和が保たれてきた、最大の国際貢献

日大のアメフトの選手が「やれと言われてもやらなければよかった。私が弱かった」と語った。

有名な映画監督・オリバーストーンが2014年に来日(広島原爆の悲惨さを世界に伝えるため活動・吉川注)。「日本は食べ物がおいしい。映画もいい。ただ日本はノーと言わなかった」原爆。力は正義。エゴイズムを超えて普遍的な人間愛を。(吉川春子・記)

 

«撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部 第8次訪中団