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2017年6月18日 (日)

    第193通常国会の暗と明

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共謀罪成立と公明党の醜い姿

 

193国会は安倍内閣による、国民への監視を強め、内心の自由を侵す共謀罪法の成立という歴史的な汚点を残して終わった。

参議院ではさらに、委員会採決を省略して本会議採決を行う中間報告の暴挙まで行った。理由は、同法案審議している法務委員会委員長が秋野公造・公明党参議院議員であり、公明党委員長が委員会での強行採決している場面をテレビで放映されたくない、という身勝手なもの。自分の党の醜悪さをかくすために国会の民主的ルールを踏みにじって恥じないのが公明党なのだ。

私の知る限り(現役時代)公明党は野党の時も含めて参議院法務委員長のポストを独占してきた。自民党は、派閥華やかなりし時は法務大臣ポストは主流派が必ず占めてきた。法務大臣はいざという時に警察、検察に影響力行使できる?からである。

法務大臣が取れない公明党には、法務委員長を確保する必要があった(理由は公然と囁かれていた)。公明党は今回も自民党と手を組んで共謀罪の成立に乱暴な国会運営を行ってきたのに、強行採決はしていない、という体裁を整えとの見え透いた行為である。しかし国民がこの事をよく知れば同党の謀略性は一層焼き付けられるであろう。

 

 110年ぶりの刑法改正

 

通常国会の最終盤で、以下の内容で明治時代の刑法の性犯罪に関する罰条が大幅に改正された。

  一、強姦罪の名称を「強制性交等罪」に変更し、被害者に男性も含

     めて、性交類似行為も対象にする

 

  二、強姦罪の法定刑の下限を懲役3年から5年に引き上げる。強姦致死

    傷罪は懲役5年から6年に引き上げる。

 

  三、強姦罪や強制わいせつ罪の親告罪規定を削除する。これによって

    被害届がなくとも犯罪として捜査を開始できる。

 

四、父親の18歳未満の娘に対する性的暴力は暴行、脅迫がなくとも

     罰することができるようになる

 

 

 

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(準強姦の被害に会った女性の記者会見)

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(「加害者」と訴えられた男性のフェイスブックより)

 性暴力被害を告発する女性の勇気

今回の改正で単純強姦罪から親告罪の規定を外した結果、これまで被害届のない事をいいことにはびこった強姦罪常習犯を減少させることが期待される。今回改正の陰には被疑者(団体)の奮闘が大きな力になったと思う。

この事件もその一つであるが、TBS元記者の女性に対する準強姦罪疑惑について、検察審査会で審査中と報じられている。この件で、所轄の警察が逮捕状まで取ったのに警視庁からストップがかけられ、逮捕状が執行されなかった(「その記者は安倍総理と親しい」などと週刊誌で報道された)。

しかし、被害女性が記者会見して加害者の男性を厳しく告発した。その姿に、私は性暴力被害に会った女性たちの変化に注目した。女性が泣き寝入りする時代を終わらせ、性暴力は当然加害者が悪いのであって、「女性に隙があった」、「(強姦について)強く拒否しないから合意があった」などの言い訳をさせる余地をなくす必要がある。当事者が声を上げる、そのことが法律を変え、社会を変えるのだ。3年後の見直し規定があるので今回不十分な点は次の改正に期待したい。

 

 13才からの父親の性暴力を告発した

 

 今回の刑法改正で私が特に印象深かったことは、父親による幼い娘への性暴力が処罰されることになった点である。父親の幼い娘に対する性暴力がかなり多いが、公然と問題にされることは少なかった。であるから、参議院の委員会で参考人として発言した山本潤さんのカミングアウトを初めてテレビで見て、私は衝撃を受けた。

彼女は20才で実家を出て独立して、やっと父親からの暴力からのがれた。母親に告げたが助けてもらえなかった。こんなことはどの家庭でも起きていることだと思っていたのだという。

DV(家庭内暴力)と呼ぶべきか「児童虐待」というべきか、あるいは両方の要素が入った複合型というべきか。戦前の家父長制の影をここでも引きずっている。

山本さんは2014年に性犯罪厳罰化の検討がスタートしたことに合わせて、15年「性暴力と警報を考える当事者の会」を設立し法制審議会に意見書を出し、与野党議員にも働きかけた。

「性暴力の本質は、人を者として扱う事、私たちは(被害者)心を、魂を殺される」と訴えた。

当事者の運動が岩盤に穴をあけた。

 

  尊属殺の規定を廃止したきっかけも、児童虐待

 

尊属殺人(刑法200条)が削除されきっかけも児童虐待であった。その女性は14才の時に父親から強姦されそ、の後も父親は妻(女性の母親)の目を盗んで娘に肉体関係を強要し続けた。母親に訴えてもその行為はやまず彼女は親戚の手を借りながら父親からの脱出を図ったが失敗し相次いで5人の子をもうけ、世間的には夫婦と異なる所のない生活を15年間送った。彼女が職場の同僚と愛し合い結婚を訳し、父親に結婚話を打ち明けたが父親は「相手をぶっ殺してやる」と怒鳴り、彼女は結婚をあきらめるが…女性は父親を殺害に及んだ…」

この殺人罪には尊属殺が適用され、情状酌量されても執行猶予がつかないどころか死刑と無期懲役しか言い渡せないという不合理についに頑迷固陋な最高裁も「この規定は憲法14条違反で無効」と判示した。(197344日)

「この判決のあった1973年は、第1回世界女性会議(1975年、メキシコシティ)の前で国連が女性への暴力撤廃宣言を行う20年も前です。女性の人権の中でも、女性への暴力撤廃について日本は夜明け前でした」(吉川春子著『翔びたて女性達――美しい性のレボリューション』20031130日ケイアイメディア)

今回の刑法改正に親が18歳未満の娘への性暴力処罰規定が入ったことは画期的なことと言える。

 

    26回ゼミナールのテーマに

 

「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール、1126日のテーマは「『慰安婦』問題と現代の性暴力」で110年ぶりの刑法改正を取り上げる予定で、講師を選考中である。

2017年6月 3日 (土)

山形出身の日本人「慰安婦」調査②  

     日本人の「慰安婦」は遊郭から送られた

 

私たち一行は南陽市赤湯温泉に宿泊した。ここは有名な温泉地で戦前には遊廓があった。そして調査2日目、23日(火)は、かつての赤湯遊郭と宮内遊郭の跡を訪ねた。

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(山形県の調査のメンバー)

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 (熊野神社の大鳥居の右側がかつては遊郭街だった)

 

日本は人身売買禁止条約に加入していたので、多数の日本人の「慰安婦」は成人(21歳以上)で醜業に従事している女性が多かった。山形の「慰安婦」も遊郭から送られたのではないか、と想像した。

ものの本によると、赤湯遊郭は「山形県東置賜郡赤湯町にあって…町は温泉地であるため相当活気のある街であり、当時客の出入りも相当多い様である。遊郭の妓楼約三軒、娼妓約十三人居」た。割合のんびりして遊べる處だ。娼妓は主に同県人の女が多い。付近の名勝として烏帽子山と白龍湖であらふ。丘上には県社の八幡神社があり傍らに県下第一の桜の名勝偕楽園がある。白龍湖は古の置賜太湖の遺物で中には浮島があって鮒、鯉海老等が採れ、赤湯の宝庫である。湖畔には弁財天がある。」

また、宮内遊郭は「山形県東置賜郡宮内町にあって、鉄道は東北線赤湯駅で永井線に乗り換え宮内町で下車する。養蚕地として昔から知られているので製糸工場が多い。遊郭の貸座敷は約三軒娼妓は約十二名居る。…町の後ろに今雙松公園があって相当大規模な公園だ。風景の良い公園であって熊野神社がある。

(「全國遊郭案内」昭和五年七月五日発行、日本遊覧社 20081月コレクション・モダン都市文化第34巻 遊郭と買春)

旧社格の一つ。県から奉幣した神社。国弊社の下、郷社の上に位する。幣帛=神に奉献するものの総称、ぬさ(「広辞苑」)。

 

神社の鳥居近くに遊郭がある!驚き

 

2個所の元遊郭とも立派な神社の大きな鳥居に隣接してあった。これまでの調査で私は男性の集まる場所、例えば港、交易の船着き場、鉱山、工場等に遊郭は付物という事は理解していたが、神社は男女とも参拝に訪れる所であり、男だけが集うわけではない。家族連れを含めて、老若男女が各地から集う場所であろう。

事実、人間の本性むき出しの遊郭が神社に隣接して存在していたのだ。神様はそうした事にも寛容なのか。他の土地でも神社と遊郭がセットのように存在する例もある。山形県特有ということでもないのだ。そこまで男の思うまま女性を支配する社会が続いてきた。遊郭はそのシンボルのように思える。こうした“文化”が戦場に持ち込まれ、無数の「慰安所」になったという事を私は認識した。

 

   Yさんのご親戚との遭遇

 

昨日訪ね当てた、Yさんの本籍地の地番に建物はなかった。でも何らかの手がかりを求めて同じ部落にあるYさんと同じ苗字の2のお宅を訪問することにした。

日中はお留守だったので家人にお会いできたのは私たちの帰りの新幹線の時間が迫った夕刻だった。来意を告げるとその方は快く私たちを招き入れてくれた。そしてその方は幸運にもYさんのご親戚筋の方であった。

溢れる思いで失礼をかえりみず、私たちは矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。Yさんが最近までご存命だったが、亡くなられた事、それは関西の地であったことが判明した。Yさんは遊郭から「慰安婦」にされたのではない事もはっきりした。

しかし短時間では聞けなかった事も多い。またYさんよりはるかに若いこの家の主が、Yさんがビルマに行ったか否か等の戦前の生活については知る由もなかった。

Yさんがこの地に実際に住んでいたのか、両親のお名前、戦後はどんな生活をされていたのか、判明できないまま後ろ髪引かれる思いで、この地を後にした。今後の調査を引き続き行い少しでも、このご苦労されたと思われる女性の軌跡をたどりたいと思う。

 

    日本人「慰安婦」の調査の今後について

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(八幡宮の大鳥居、この崖下は遊郭だった)

 

私達はビルマ(現・ミャンマー)従軍の元軍人の笠置慧眼氏(故人)から日本人「慰安婦」の名簿を入手した。名簿には日本人「慰安婦」の名前と本籍地、現住所の他に戸主の名前が記されていた。

これに基づいて、201637日から11日まで、熊本県、大分県、福岡県、佐賀県の4県の出身7人の本籍地と現住所を訪ねた。同年10月は再度天草に行った。20171月にはこの調査とは別のメンバーによって和歌山県出身「慰安婦」の調査を行った。

これら事は、「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールニュース(21号~28号)とこのブログ(3月と5月)にすでに掲載した。

私たちは日本人の「慰安婦」を訪ねて、県都から車で3時間以上離れた場所にも行った。また港町、河の船着き場、遊郭の町の跡にも足を運んだ。山奥、あるいは大都会からかなり離れた場所に戦前(1943年~44年頃)の現住所と本籍地(複数)の住所を訪ね当てる事ができた女性もいた。戦後に建てられたものではあろうが、家もあった。そこには親戚(戸主の長男、あるいは甥)が住んでいた。一人の方の親戚の方とは言葉を交わすことができた。もう一人の方は留守だったが近所の方の証言で、この住所所で間違いない事が判明した。

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(宿泊した赤池温泉の古い旅館)

 

私たちが入手したこの名簿は、海外渡航の許可を売るために、本人の氏名と共に戸主の名前、本籍地をその筋に届け出たものなので非常に正確であった。しかし本籍地に行っては見たが全く手掛かりがつかめない人もいた。空襲で焼けて全く新しい街に変わっていたところもあった。福岡、北九州はその例である。また、「現住所」が遊郭の中にあった女性は、遊郭が戦後のGHQによる「廃娼」の命令、米の占領終了後は売春防止法の成立、赤線禁止で昭和33年ころ遊郭の名残も赤線も、公然とした売春施設は廃止された。遊郭の建物は跡形もなくなっている所が多く新しい街並みになっていた。住人もその後引っ越してきた人々なので、手掛かりをつかめなかった。

 

  女性への暴力なくす社会へ

            ~100年ぶり刑法改正

 

 

戦前の家族制度の下では醜業(娼妓、芸妓等の売春)に従事する場合も戸主の承諾が必要だった。逆に言うと、戸主(親)が親権を行使して金(前借金)を受け取って娘を遊郭に売る事を政府は許していた。女性が自立して働くことが認められない時代、遊郭しか働く場のない悲惨な時代が具体的な姿で私に迫って来た。

この様は悲惨な一人一人の「慰安婦」の苦労を聞く機会を私は永久に失った。あと10年早く調査に行っていれば1人か2人は、或は行き会えたか、否、それも無理だったかもしれない。性暴力被害者が名乗りを上げられる社会を何としても作らなければならない。

今国会で100年を経てようやく刑法改正が行われ、強姦罪の非親告罪化等が実現される運びである。女性への暴力がなくなる日本社会を形成するためにも、日本人「慰安婦」の調査を続ける。

 

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東置賜郡高畠町出身童話作家・浜田広助の記念館敷地内の胸像)

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(国語の教科書に載っていた浜田広助作「泣いた赤鬼」)

 

2017年5月29日 (月)

長野県伊那市で「慰安婦」問題について講演~感想

Photo_4写真・主催者挨拶)

 

5月13日(土)国際女性デー記念講演会で私(吉川春子)は、「「慰安婦」問題から考えるジェンダー平等*女性の人権」と題して、今日の「慰安婦」問題について講演した。

長野県は私の故郷であり、かつての選挙区でもあるが、「慰安婦」問題をテーマとした講演はほとんどしたことはない(数年前に上田市と、真田町の「らいてうの家」で其々講演した)。参議院議員引退後、私が「慰安婦」問題に特化して活動していることについて選挙区と言えども知る人ぞ知る、状態である。

 

私は議員リタイア後、各地で「慰安婦」問題の講演を続けてきた(百回程度?)が、最近自分の講演内容を多少見直している。心境の変化のきっかけは日韓政府合意である。

 

 

   日韓合意は「慰安婦」に取り組むNGOに混乱 

 

日韓請求権協定50年の201512月、「慰安婦」問題について衝撃的に「日韓合意」が行われた。日本の世論はこの合意をもって日韓の「慰安婦」問題の一応の決着と受け止めた。しかし、挺身隊問題対策協議会(「挺対協」)や運動の先頭に立ってきた韓国人「慰安婦」は「日韓合意」無効を主張する。韓国国民の多数からも受け入れられていない。どんなに努力しても日本を許す気持ちにはなれなない程、韓国の人々は傷ついている。日韓合意は「慰安婦」問題解決を目指す運動に混乱をもたらした。

 

 日韓世論の隔たりに苦しむ日々…

 

「慰安婦」問題解決を目指してきた日本のNGOとして私は、迷い苦しんだ。講演内容もこれまで以上に試行錯誤を繰り返した。それまで私の講演は(韓国)「慰安婦」問題の解決のために日本政府はどう変わらなければならないかとの内容で日本政府に向けての批判が中心だった。

しかし現政府の歴史認識、対韓政策は国民の高い支持に支えられている。国民の意識が変化しない限り、韓国に対する対応は変わらないのだ。「将を射んとすれば馬を射よ」。世論をどう変えてゆくかが私のテーマとなった。

 

また、これまであまり注目されなかった日本人「慰安婦」問題に時間を割くことにした。同胞の女性も朝鮮半島の女性達と同じように性奴隷として苦しんできた事実をお話しすることで日本の人々が「慰安婦」問題を身近に感じ、世論が変化するのではと考えるからだ。何より「慰安婦」問題は韓国との関係がよくなれば終わりではない、という点を意識して盛り込んでいる。

こうした葛藤が続いている中…私は伊那市の講演会に臨んだ

 

主催者のお許しを得て、以下に講演を聞いてくださった方々の感想を、掲載させていただく。  

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(写真・吉川の経歴等紹介する)

 

参加者感想まとめ 18

 

・きちんと聞いたことがなかった問題だったので、(新聞の記事を読んで心を痛めていたことではあったのですが)話しが聞けたこと、お話の内容、とても心からのことばでよかったです。

 

・吉川先生 ありがとうございました。 性の問題や慰安婦の問題もわかりやすく話してくださって(あまり詳しいことを知らなかったので)びっくりする程でした。

 今までにいろいろなところで断片的に聞いた話が一本につながった様に思います。

最後は本当に憲法ですね。今の政府のやり方にちゃんと反対して行きたいと思います。

 

・久しぶりに吉川さんにお会いでき、良かったです。

 国会当時のご活躍に増して、女性の平等、慰安婦問題などで研究実践されていて、有り難いです。私たちも、学び、歴史を忘れず、次世代にも伝えて行かなくてはと、痛切に思いました。

 

・とても分りやすくお話しをしていただき、ありがとうございました。

 私も40歳の頃 中国への侵略戦争について勉強する機会があり、従軍慰安婦についても学びました。戦争という最大の人権侵害の行為の中で、人として扱われることなく、女性が人格を否定されたことに、怒りを感じます。そして、そうした被害にあった女性たちの思いに寄り添う取組みが、私たち女性の人権を守る闘いだろうと思っています。頑張ってください。

 

・「慰安婦」の問題は、人権問題であると常々思っていても、本日吉川さんの話の中で、女性自身が立ち上がり、歴史に学び、知ることの大切さを強く思いました。

 

・今日はありがとうございました。また機会を計画してくださいますようにお願いします。 

 

・吉川さんの話し方も とても分りやすく、ききやすかったです。知らないことばかりでした……。 今、人権とはなにか。深いところの勉強を、もっとしっかりして、自分のものとしてまわりにも訴えていき、よりよい社会になる様に頑張りたいです。

 知らせていくことが大切!!

 

・慰安婦問題は、完全に女性差別 女性の人権を守るべく学習有り

 

・私の町にも「慰安婦」にさせられた方がいるかも知れない。先の戦争の加害部分の知らない、かくされた部分を、全国的に調査し、今後に活かすべきと思いました。

 

10・慰安婦問題を日本人として、より多くの人が真相を知り、学ぶ必要があると感じました。これは女性だけでなく、男性をも理解して、共に運動していくことだと思います。

何よりも関ったのは男性ですから、男性自身も知る必要があると思います。

 

11・今日は夫と2人で参加しました。何も力になれず歯がゆいですが、「知らなかった」では済まさぬよう努力したいと思っています。ありがとうございました。

吉川先生のお話も伺えてよかったです!!

 

12・とてもショッキングなお話しでした「慰安婦問題」は正に、たち一人一人の問題です。日々の生活の中でも、人権意識 大切にしたいと思います。

 

13・戦後生まれで、父親も戦争に(体調悪くて)行かなかったため、詳しい事を今日、勉強させていただきました。日本の人たちの中に 日本の慰安婦は、金欲しさに、自ら喜んで行ったと行った人がいて、疑問に思っていた。

 歴史の勉強で、子ども達に過去の戦争の誤り、事実をしっかり教える必要が、何としてもあると思う。分りやすい話しで、大変良かったです。

 

14・慰安婦問題 戦争中の事だったのに、事実が明らかになって、いろいろな動きになったのはここ30年くらいのこと。まだまだ完全な解決には時間がかかる新しい問題なんだと思いました。日本人慰安婦の事も分っていない事が多く、何の補償も決まっていないのだし。夕食会の時にお聞きした中国人慰安婦の事も、中国が国として何も言わないからいろいろな数字など出てこないそれでいいのかしら?と疑問が残りました。自分でも調べてみたいと思います。先生、遠くまで ありがとうございました!!

 

15・慰安婦問題についてこれほど詳しく聞いたのは初めてでした。日本人の方の中にも方用な方がいたことも初めて知り、勉強になりました。 過去を反省せずにまた、同じ様な方向にどんどん向かっている今の政権のやり方。今日の話をきいて、もっともっと一人ひとりが賢くならなければとつくづく思いました。

 

16・家族制度がどれほど女性を苦しめてきたのかが判りました。自民党の24条改悪について、より深く判ったように思いました。

 

17・「慰安婦」内容は日本の方ということで、少し話がやさしい様な以前 阿智のコミュニティーホールで、講師「金 富子」先生の話は、講演の後 みなさん顔を上げる事ができなかった。吉川先生の話 大変参考になったんですが?

 

18・慰安婦問題を深く捉えることができた。憲法との関係まで踏み込んだ内容で、よくわかりました。人権を尊重する思想が社会的にうすれているように思います。人と人とのつながりを広げて話し合っていくことが大切だと思いました。

 開会行事の最中、プロジェクターで映る「六義園のつつじ」、私にとっては懐かしい思い出のある六義園のつつじです。思いがけず目にして嬉しかったです。

 

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上・東京都豊島区の住宅の塀にに咲くバラ

下・ラジオ体操の公園の入り口の小花

 

2017年5月28日 (日)

日本人「慰安婦」を探す旅①

 

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写真は南陽市赤池温泉近くの、白竜湖を見下ろすブドウ畑

 

522日(月)23日(火)の2日間、山形県出身の日本人「慰安婦」を訪ねて高畠町と南陽市(赤池)へ行く。メンバーは私(吉川)のほか、福岡市、羽曳野市、川崎市、東京都、青森県弘前市から6人のメンバーで行った。一人を除いて東京駅に集合し山形新幹線でまず高畠駅に向かう。2時間少しで目的地に着くのだから新幹線はありがたい。

この日山形は東京よりも暑い摂氏31度。ここは盆地なので気温は高くなる。学生時代に遊説で山形市に泊まった時は、8月だったが、37度あったことを覚えている。従って果物がおいしい。山のかなり高いところまでブドウ畑のビニールハウスが遠目にもかなり見える。

 

   ビルマ従軍軍医作成の日本人「慰安婦」名簿に山形県出身の女性

 

私たちはビルマ従軍軍医・笠置慧眼氏の著書『ああ 策はやて隊』(1970720日初版発行 西部読売開発出版社)末尾の表3「第二八軍傭人隊一覧表」(傭人隊々長 東京都葛飾区新小岩 五十嵐信一作成)に掲載されている「本籍地 山形県 芸名セツ子、本名 島● 淑子」の調査である。

赤旗記者の片桐春一氏が事前に地番を突き止めておいたのですぐに行きつくことができた。しかし建物はなく、その地番は隣地の地主に売却されていて別人の所有になっていた。空き地には芍薬が一株、沢山の蕾を付けて今にも花が咲きそうな姿をしていた。それがあるだけだった。

高畠町には「女郎屋」が2軒あった。1軒は現在旅館を営業しており、もう1軒は元医者の所有だそうで、河のすぐそばに民家が建っていた。この土地は大きな製糸工場があり女工が500人も働いていた。その製糸工場は1997年まで続いた。

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写真・訪れた元「慰安婦」の女性の本籍地。建物はなく芍薬の花が咲きそうな株があった。

 

   不況と凶作、女子の人身売買、「女郎屋」

 

1929(昭和4)年の世界大恐慌の影響と、昭和9年の東北地方の凶作で農家経済の破たんの結果、小作争議の頻発、婦女子の身売り、小学児童の欠食…社会的な惨事が続出した。婦女子の身売りの状況は警視庁で昭和7年末と同9年6月末に調査した次の「警視庁管下の芸娼妓雇女出生府県別調」によると、本件は合計一四六六人で、全国総計一九三五七人に対し、七・六%の割合を占め、この割合は、東北六県では第1位になっている(「山形県警察史」P654655)。

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写真・元「女郎屋」は現在旅館

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写真・もう一軒の「女郎屋」は個人の住宅。その前は川が流れて、交易で賑った。男性の集まるところ女郎屋、遊郭があった

 

「娘身売りの場合は当相談所へ御出で下さい 伊佐澤相談所」

 

教科書にこの写真が載っていたことを記憶されている方がいるかもしれない。この看板を掛けた村役場は、今回私たちの調査の自治体の戦前(町村合併以前)の姿である。娘の身売りについて役場があっせんした、という驚くべき事実、戦前の日本はここまで女性を踏みつけにしたのか、と唖然とする。

また、山形県は農家次三男の就労対策のため、1位の長野県に次いで多くの満蒙開拓団を中国大陸に送り出しているので、女性達も一旗揚げようとの雰囲気で「慰安婦」としても大陸に渡ったのではないか、という推測もした。

いずれにしても女性が「慰安婦」にされる条件がある、その具体例を掴みたい、と想像して、私は当地を訪れたのであった。

    農村の少女が「慰安婦」にさせられた経緯とは?

私は一つの仮説を立てた。即ち、山形に本籍地があり、現住所が満州国奉天となっている元日本人「慰安婦」Yさんは、貧しい小作人の娘で冷害の年、父親にこの地方に多数ある遊郭(あるいは「女郎屋」)に売られ芸娼妓として働かされていた。

当時、軍隊が醜業に就く女性を「慰安婦」にするについては5百円~1千円の遊郭から足抜け金を支払う(警保局通牒)ので、Yさんは遊郭を抜けて満州にわたった。本人の意思か親の意向か。後者とみることが順当か。

当時山形県民の満蒙開拓団派遣人数は長野県に次ぐ第2位であった。少年義勇軍も全国第2位であった。また、敗戦時に満州にいた日本人は満蒙開拓団とは別に、150万人と言われている。彼女の知人、親戚も満州に行っていたはずであり、満州の土地への何らかの縁があっても不思議はない。

満州の遊郭で働いているうちに、今度は太平洋戦争となり「慰安婦」の需要が高まった。満州の売春宿の主の誘いに乗って、はるばるビルマに行くことになった。

日本人「慰安婦」の供給源は遊郭である。背景は農村の凶作、世界恐慌による貧困と、法律上も女の子の人身売買を禁止せず、社会的にはこれを当然視する人権思想の欠如、女性への差別意識であった。

Y女に対して以上の推測をして、私は当地の調査に出かけたのであった。(以下続く)

 

2017年5月14日 (日)

第62回埼玉県母親大会分科会

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「女性の人権から考える「慰安婦」問題」講演

 

 2017年5月7日、第62回埼玉母親大会が越谷サンシティで開催された。午前中は「青い空は青いままで 子どもらに伝えたい」と題して詩人小森香子さんの記念講演があった。

     アットホームな雰囲気

午後からは10の分科会が開かれ、第1分科会は「女性の人権から考える『慰安婦』問題」で、私は助言者を務めた。司会は大貫法子(埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会=AALA)、川村勝子(年金者組合)、記録・柴田広子(AALA)でパワーポイントのセットは佐藤龍雄(AALA)の皆さんでスタッフは知り合いばかり。

会場は定員が36人の狭い場所に46人が参加した中に知っている顔が十数人はいた。アットホームな雰囲気で進められたが内容は充実したものだった。

 

まず50分間講演…大学生の性暴力、日本人慰安婦」、各地にあった遊郭、博物館・・・

私は新聞記事を見るとDV犯罪、有名大学学生の性暴力事件が頻発している。ジェンダー平等を妨げているものは「女性への暴力」で、代表的な的なものが日本軍「慰安婦」である。「女性への暴力」撤廃が国連を中心にジェンダー平等を目指す世界的なテーマである事、また、「慰安婦」問題とは何?というそもそも論を丁寧に話した。

加えて多数存在した日本人「慰安婦」の調査をして、ほとんどが遊郭から送られていった事がわかった。日本各地に遊郭があり、男性はここで「遊ぶ」ことが戦前の日本の国の「文化」であったことを知って衝撃を受けた。その延長として戦場の「慰安所」に発展した事についても言及した。

 

意見交流の中で出た、衝撃的事実

講演の後、会場の皆さんから、以下のような活発な意見が寄せられた。

 

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(写真・母親大会終了後は南越谷駅まで参加者が行進した)

「姪が、中国に留学した時、相手の国の学生から「ジャパニーズは戦争の反省をしていないからダメ」と言われた。学校で日本の戦争中の事を教えられていないので彼女はとまどった」

 

「地域おこしで花魁道中をやり吉原を売り出そうとしている。しかし、女性が遊女にならざるを得なかったことに心が痛む」

 

「『慰安婦』問題の署名を集める活動をしているが、ある女性から「テレビを見ているとこの問題は解決している。韓国の中でお金が届いていないことが問題だ」と署名を拒否された」

 

「日韓合意後2か月の時韓国で水曜デモに参加した。「日本が戦争にきっちり反省しないと許せない」と言われた。草の根から声を上げてゆかないとならないと日本のNGOは頑張っている。マスメディアの責任が重い」

 

「南京の大虐殺記念館、万人抗を見て日本はなんてひどい事をしたのかと思った。中国人が大勢家族と一緒に見学に来ていた。吉川の話に「日本には戦争博物館がない」と言われたが日本人のやったことは忘れることはできない。未来に向かって知らせてゆかねば」

 

「家族制度が勉強になった。からゆきさん等、底辺の女性達のことが心にあった。頭の中が整理された。叔母は従軍「慰安婦」だった。体を売っていたが更に売られて「慰安婦」として働かされた。結婚しても子どもは産れなかった。貧乏で子どもを売らねばならなかった。今後もこういうことは起こりうる」

 

「中国に従軍していた父から戦争体験を聞いた。「慰安婦」については、「休みの日にズラリと兵隊がズボンを下げて待っていたよ」と話してくれた。吉川のスライドの写真と同じ景色だ」

 

「美容院で「韓国問題は解決済み」と言われ、また、ヨガの先生は「女性達はお金を稼ぐために慰安婦になった」と言われたがきちんと話せない自分がいた。今日の話ですっきりした」

 

 

 

最後に参加者で申し合わせ事項をまとめた。

「『埼玉ピースミュージアム』(平和資料館)に加害の事実を展示させよう」

「憲法24条の問題をに学ぼう」、「地域に『慰安婦』問題の学習の場を広げよう」

 

2017年4月23日 (日)

公文書館が内閣官房へ、慰安婦「連行」文書など19件182点提出

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(東京都文京区グリーンコートの八重桜は今満開) 

 

417日、国立公文書館が日本軍「慰安婦」関連資料19182点を内閣官房に移管したと報じられた。

安倍内閣は衆議院議員の文書質問に答えて「政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007316日)としているので、今回の公文書館の資料移管によって政府が嘘をついていることを明確に示すものとして注目を集めた。

 

軍隊の享楽に供した…売淫行為を強制された…

 

今回の資料とは、A級裁判(先の大戦で日本を破滅に導いた総理大臣とか軍の大将や幹部等の指導的軍人・政治家を東京で裁判にかけた)の「A級国際軍事裁判記録」には、以下のような女性への性暴力に関する記述が何点もある。

「モア島原住民殺戮、女性への強制売淫」、「中央ジャワ島」、「ポルトガル領チモール」等において、単数または複数の軍人により「軍隊の淫楽の供した」、「原住民婦人の強制売淫」、「娼家(「慰安所」吉川注)」、「婦女子に売淫行為を強制された」との戦争犯罪の記述がある

 

またBC級裁判(戦場で実際に残虐行為を行った戦争犯罪人を裁く裁判。夫々連合国が単独で日本の将兵を裁判で裁いた)判決等では、次のように記されている

例えば、「被告は婦人等に買淫を強制するため慰安所として知られている建物に閉じ込めた」、「被告は慰安所に於いて強制買淫させる目的で婦女子を誘拐した」、「被告は前記軍人及び市民に十分な監督を行うことを怠り、怠慢の結果、婦人を慰安所に宿泊させて買淫を強制した」の記述がある。

 

これらは裁判記録は公文書である。安倍内閣の「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と、「慰安婦」の強制連行を否定する文書回答は全く事実に反することが明らかである。

 

この期に及んでなお

 

この文書移管に対して内閣官房副長官補室の鳥井陽一参事官は「個別の資料の評価はしていない。全体として見ると、強制連行を直接示すような記述は見当たらない」と話した、という(2017.4.17東京新聞夕刊)。「個々に見ると強制連行はあるが全体としてはない」というようにも取れる詭弁の、意味不明なコメントではないか。

 

2007326日、私は参議院予算委員会で強制連行について安倍総理を追及した。「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と文書質問に答弁した10日後である。ドイツ在住のジャーナリスト梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』にオランダ軍法会議資料に基づく詳しい解説書があり、それを読む気さえあればこんな答弁はできるはずもない。

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(梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』2008年6月・今回移管のバタビア臨時軍法会議資料を詳述する)

議事録を紹介する。

 

 

  ~~~~~~~参議院予算委員会議事録から 2007.3.26 ~~~~~~

 

吉川春子君 「強制収容所にオランダ人を収容し、その中から若い女性だけを選んで拉致して慰安所に連れて行った。…これは強制性に当たらないんですか。総理大臣」 

内閣総理大臣(安倍晋三君)このオランダ人の女性も含めてこの官房長官談話は出されているわけであります。ちなみに、軍がその事実を知って、直ちに慰安所を閉鎖したと、こういう事実関係があるわけであります。

 吉川春子君 軍が関与し、強制されて慰安婦にされたんですね

 内閣総理大臣(安倍晋三君) これは、つまりその事実を知って軍がその慰安所を閉鎖をしたと、こういう事実関係がございます。

   (中略)

 吉川春子君 甘言であれ、強制連行、拉致であれ、慰安所は日本軍管理の下、逃げられず、慰安婦とされた女性達は毎日レイプされたんです。ワシントンポストによれば、身の毛 がよだつような体験の証言をしたと、こう言っているんです。(*米議会での被害者3人(オランダの「慰安婦」含めて)の女性の証言)。これをもって強制性はなかったと強制性はなかったとそれでも総理はおっしゃるのですか。そのことを端的にあなたの考えを言ってください。

 内閣総理大臣(安倍晋三君)すでに私の考えは申し上げているとおりでありまして、河野官房長官談話で述べられている通りでございまして、この考え方を継承してゆくという事でございます。

吉川春子君 兵士による拉致、連行も河野官房長官談話の中に含まれているという事でいいですね。

(中略)

 

 吉川春子君 …オランダの事案も挙げました。どうですか      

内閣総理大臣(安倍晋三君)オランダの事案につきましては河野官房長官談話で述べられたとおりであります。

 吉川春子君 オランダの事案は、日本軍による拉致、連行によって慰安婦にさせられた事案です。それを安倍総理はお認めになったという事ですが、安倍総理、慰安婦の被害者の女性達が今何を一番望んでいるとあなたはお考えですか。

 内閣総理大臣(安倍晋三君)…常々申し上げておりますように慰安婦の方々が辛酸をなめられたわけでありご同情申し上げますしそういう状況に置かれた事につきましてはお詫びを申し上げている通りであります。

 吉川春子君 今日までまだPTSDで苦しんでいるんですよ。日本政府に公式に謝ってほしいと思っているんですよ。総理、公式に謝る必要があるとは思いませんか。 内閣総理大臣(安倍晋三君)今、私はここでおわびを申し上げているわけでありますし、河野官防長官談話で申し上げている通りであります。(この後私は「河野官長官談話」の閣議決定を要求したが総理は拒否、また慰安婦一人一人に直接謝罪を求めたが、予算委員長は「吉川君の質問時間は終わった」と総理を指名しなかった)~~~~~~  引用終わり  ~~~~~

 

今後の活動について

 

 この議事録からも安倍内閣の強制連行否定論は、当時から破たんしていたことは明らかだが、法務省の公文書が、国立公文書館から内閣官房に移管された事で、国民は改めて強制連行の証拠に目を触れることになる。

 

 (よく知られている物もあるのだが)今回移管された文書の一つ一つの公開を政府に請求して、国民に宣伝して、「強制連行を示す記述は見当たらない」とは言えない事実を国会質問や、草の根の運動で追い詰めてゆかなくてはならないと思う。

 森友疑惑や多数の議員&大臣の不祥事。大臣や、議員の資格もないにもかかわらず見過ごされ、それでも安倍内閣の支持率は高い。それをいいことにますます危険な方向へ日本を引っ張って行きかねない。

 

「慰安婦」問題にきちんと決着を付けさせることが戦争を回避し、女性の人権を守る道であると確信をもって。(吉川記)

2017年4月11日 (火)

日本軍「慰安婦」博物館会議に思う

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(釜山の「民族の歴史資料館」と下関判決について語る、写真下・各国から来た報告者たち)

 

201741日(土)、東京水道橋の在日韓国YMCA地下ホール・スペースで第1回日本軍「慰安婦」博物館会議が開かれた。博物館に関するシンポジュームはこれまでも開かれているが、「慰安婦」問題に特化した会議は初めてで、“第1回”と銘打っていることからも分かる。「慰安婦」当事者たちがこの世から徐々に姿を消して、証言を聞く機会は皆無になっても歴史を語り継ぐ博物館の役割は、さらに重大になる事だろう。

 

参加し報告したのは、①ナヌムの家 日本軍「慰安婦」資料館、②釜山の「民族と歴史資料館」、アクティブミュジアム「女たちの戦争と平和資料館」(文書報告)、➃南京利済港慰安所旧址陳列館、➄中国「慰安所」歴史博物館、⑥ヒウム日本軍「慰安所」歴史館、⑦台湾の「阿藦(アマ)の家平和と女性人権館」等である。

 

 「慰安婦」へ謝罪と補償を求める運動から生まれる

 

韓国で、中国で、台湾で、フィリッピンで、東チモールで性奴隷とされた女性達が名乗りを上げ責任と補償を求める運動の中で「慰安婦」博物館は生まれた。国など行政がその権威を誇り、あるいは自己の正当化のために建立された博物館とは一味違う。日本政府が認めたがらない旧日本軍の戦争犯罪、残酷に女性の人権、尊厳を踏みにじった事実を被害者の勇気ある告発を写真などでリアルに展示する。規模に於いては小さくともドイツの如くナチスの犯罪を後世に伝えるための資料館(国立)に目的は似ている。

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(台湾「アマの家」建設について報告する人々)

 

 

 韓国の女性運動に脱帽

 

私は数回「ナヌムの家」の博物館に行った。リラ・ピリピーナのロラの家も行っている。また、「ヒウム歴史館」は、東学農民党のフィールドワークで大邱の街を歩いている時に建築中のこの「慰安婦」博物館の前を通り、翌年もう一度大邱に行き主催者にささやかなカンパを一行の気持ちとしてお渡しした。20151月に美しい日本家屋の町屋を改築して立派な建物が完成したとの報道をうれしく思った。

 

また釜山にある「日本軍『慰安婦』ハルモニたちのための民族と歴史館」の運動は、山口地裁下関支部判決として数ある「慰安婦」裁判で唯一勝利判決を勝ち取った。この判決に強く背中を押され私は「慰安婦」問題解決の立法の決意をして、他の野党とも連携して参議院に法案を提出した。もう韓国に行くことはない、と考えていたがとつとつと女性の語る釜山の博物館の運動を聞いてこの博物館には是非行ってみたいと思う。

 

こうした地道な博物館建立に取り組み成果を上げてきた韓国の女性運動に脱帽する。

今回も日本女性の運動への反省を迫られた会議だった。また抗して運動をしてきた韓国の被害者、女性達は、日韓合意の日本政府の中途半端な「反省」を到底許せないだろうとも考えた。

 

    日本女性の苦しみの歴史を掘り起こす運動を

 

この会議を主催したアクティブミュジアム「女たちの戦争と平和資料館」が日本においては唯一の「慰安婦」博物館である。松井やよりさんの遺産で10年は財政的にフォローできるがその後はむつかしい、と当初聞いていた。この博物館が末永く続いてほしいと願うのは私一人ではないと思う。私は「慰安婦」運動に携わってからNGOの運営する資料館、博物館へも補助金制度が必要と痛感しているが、今や立法府に居ない我身にとってなす術はない。

宗教法人への多額の国費が投入されている靖国神社の遊就館、税金で運営されている超豪華な建物の昭和館は、歴史認識と加害責任展示なしの重大な欠陥がある。強い矛盾を感じる。

自治体運営の博物館・資料館をウオッチして加害の歴史をきちんと展示させる事、できれば民間の力で地域にミニ博物館建立の運動を具体化できたらいいと思う。(吉川春子記)

 

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(アメリカに何故少女像を建てるのか、報告する在米韓国の女性)

 

2017年4月 9日 (日)

第5回「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール総会開く

 

当ゼミナール第5回総会が2017年4月2日(日)3時より東京都文京区民センター2階会議室で行われた。

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(六義園の枝垂桜はまだ5分咲き、2017年3月31日撮影)

   活動方針の承認

20151228日の日韓合意を経て日本の「慰安婦」問題に関する運動が一部混乱・停滞とも取れる局面の中、運動方針案は当ゼミナールとしては異例の1月の合宿を行って詳しく議論した結果、決められた(当ゼミナール第27号・2017年2月20日付に掲載)。総会でこれを報告し討論の結果、承認された。主な内容は「朝鮮半島のみならず、すべての国の『慰安婦』を視野に問題の解決を目指す」「『河野官房長官談話』の実施を政府に求めてゆく」「他団体との共同行動を行う」「会員の力を結集して地域でミニ集会を行う」「日本人『慰安婦』の調査を引き続き行う」というものである。

  財政報告と、規約改正

財政報告は財政担当原氏より、➀2016年度より会議参加の若干の補助金支給を開始した、➁2017年度の会員数はくしくも2016年度当初と同数である。2016年度は大口カンパのあったおかげで黒字を維持しているが、毎年、会費未払い、死去、転居先不明で一定の会員数の減が見込まれるので会員拡大は喫緊の課題であるとの報告があった。会計監事の池田氏からは「領収書等段ボール1杯膨大な資料を点検したが実に几帳面に正確に処理されている」との監査報告があり、財政報告は総会で承認された。

 

規約改正は大森副代表が行い、事務局会議とスタッフ会議を会編・廃止し、月1回定例化される常任運営委員会が当面の活動を執行すること等の内容を承認した。

 

 役員氏名をブログに掲載しない理由

役員選考の結果、運営委員22名(新人9名)、その中、常任運営委員11名(新人1名)、監事2名(新人1名)が選出された。氏名はニュース第28号(520日発行)に掲載する。米映画『スノーデン』に見るように権力はあらゆる個人情報を集め、監視社会が進行している。国会では共謀罪の審議が始まっている。日本は国民の抵抗力の点からは米国以上に危険の状態にあるともいえる。インターネットに個人名は極力掲載しない事とする。

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(パワーポイントを使って講演する馬先生)

 

 馬暁華先生の記念講演

~中国、アメリカ、日本の博物館比較

総会に先立ち13時から、馬暁華・大阪教育大学准教授による記念講演が行われた。テーマは「博物館の中の戦争 被害と加害を後世にどう引き継ぐか」である。ゼミナールのテーマとして博物館を選んだのは初めてである。理由の1は、「慰安婦」とされた女性達が高齢化し或は亡くなり直接被害者の証言を聞く機会は少なくなるだろう。彼女たちの体験をどう後世に伝えるか、教科書で子どもたちに教える事とともに社会教育の場として博物館の役割は大きくなる、との思がある。その2は、立教大学で数年前、博物館についてのシンポジュームがあり馬暁華先生が、中国、アメリカ、日本の博物館に足を運び綿密に比較調査している内容に非常に学んだからである。

 

 日中関係の蜜月時代、博物館はなかった

 ~戦争責任は日本の軍国主義者、国民に罪はない

馬先生は戦中、戦後の日中関係、共産党政権樹立等の歴史をたどりながら、その中に博物館を位置づける。1973年の平頂山殉難同胞記念碑が建立されたが、中国には1980年代以前には博物館はなかった。1980年代は博物館に於いて共産党政権の正当性を主張し、1990年代以降は大国主義教育の場として博物館を利用してきたと指摘する。

 

1970年~80年、中国政府は日本に対する戦争賠償の放棄を行った。戦争責任があるのは日本の一部の軍国主義者の指導者であると中国国民を教育した。

 

しかし、教科書問題を契機に日中関係の再編が起こり、抗日戦争に関わった戦争体験者の生きている時代に、1985815日、日本軍南京大虐殺「避難同胞博物館」が建てられた。731部隊、「万人坑遺跡」を残す等中国人民の受難の歴史が語られた。

 

馬先生の語ることを日本人は知っているのか?

即ち「撫順戦犯管理記念館」(1986年)にみられるように、中国は寛大な対日政策を強調し戦後の日中関係と和解への模索が行われた。日本人はサンフランシスコ条約は寛大だと受け止めているが、BC級裁判で中国は死刑ゼロ、懲役刑もゼロで、連合国のどの裁判より寛大であった(一番被害を受けているのに―吉川注)。」

 

中国の戦争観変容の引き金は「教科書問題」

 ~加害意識なき日本人、戦争なき戦争博物館

しかし1990年代以降中国の戦争観の変容があった。1997918日の歴史博物館には「国辱」という文字があるという。そして、今日の日中関係、両国人民の意識は私が触れるまでもないだろう。

また、馬先生は「日本人の戦争の記憶には被害のみしかなく加害はない」と指摘する。

典型は靖国神社の遊就館とその向かいにある昭和館であろう。遊就館については触れたくもない程ひどい「歴史博物館」(これは「博物館」と呼ぶにふさわしくない)である。

また「昭和館」は税金で運営されている政府機関である。馬先生は「戦争なき戦争博物館」と痛烈に指摘する。「戦争中の国民の苦労だけを扱っている」と。中国人から見た日本の博物館について厳しい目が光る。

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(講演する馬暁華先生)

  冷戦終結と国際情勢の激変が戦争展示にも影響

 ソ連崩壊後、「慰安婦」問題で歴史問題が再燃した。戦争責任論、戦争加害が問題となる。

馬先生は、「ピース大阪」、「立命館大学国際平和ミュージアム」 、「女たちの戦争と平和記念館」「岡まさはる記念長崎平和資料館」等について語る。

他方日本と中国の国民感情悪化し、中国で反日デモが起きる。かつての戦争について、日本は消してゆき、中国は強調してゆくというその典型が南京大虐殺であると指摘、日中における戦争観の相克を指摘、その結果ギャップの拡大になる。

  戦争をどのように展示するか。加害と被害をどう展示するか、被害を見るか、加害を見るかと問いかける。

 

以上、私の感想を交えて紹介したが、講演内容はニュース第28号でテープ起こしして掲載する予定である。

そして当ゼミナールは10月に行う中国の南京、上海のフィールドワークで引き続きこの問題を考えることとなる(吉川春子記)

2017年3月27日 (月)

新婦人の埼玉県三郷支部学習会

    地元中の地元で

 

 冷たい雨の日曜日、3月26日(日)、三郷民主商工会の2階会議室で10時~12時、新婦人三郷支部大会が開かれました。続いて午後1時より3時まで学習会が行われ、吉川春子当ゼミナール代表・元参議院議員が講演しました。

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(写真・三郷市部学習会で質問に答える吉川)

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(会場風景)

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(写真・新婦人の方がつくった素敵な布の花)

 

 

埼玉県三郷市は吉川が八潮市で市議会議員に当選し政治家としてのデビューしたその隣町です。選挙の度に大勢の方が応援に駆け付けて下さった町です。それだけに古くからの支持者や、当時吉川春子候補者カーにアナウンサーとして乗った文教女子大の元学生等が参加し、和気あいあいの雰囲気でした。参加者は40人でした。

 

 「慰安婦」問題の学習会は初めてとあって、キムハクスンさん(韓国人)、ソンシンドさん(在日朝鮮人)、城田すず子さん(日本人)の3人の元「慰安婦」の過酷な体験を話し、日本兵が1日に10人も、時には50人もの相手を強制された事等の話には驚きの喚声が何度も上がりました。

講演を何回もしている私は「慰安婦」の過酷な体験についても繰り返し同じ話をしているように思うこともありますが、まだまだ知られていないという事を実感しました。もっともっと多くの人々に歴史的事実を語る必要を感じました。

 

  多方面の問題について質問に答えて

 

 講演はパワーポイントを用いて90分行い、残り30分の質問の時間には4人の方が挙手をしました。私が女性の経済的自立についてもお話ししましたので労基法の質問も出ました。

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(写真・三郷支部の新婦人幹部の皆さんと)

 

 

➀『慰安婦』は売春婦と同じと思っている人が多い。また、戦争の時はそうした女性への暴力が起きても仕方がないという男性が多い

 

②(最近話題になった労基法の繁忙期の残業時間の上限に関し)100時間も働かせないと企業はやってゆけないのか。逆に非正規の労働者は仕事を2つも3つも掛け持ちで働いている現状である。

 

➂安倍総理の女性観について。国会で奥さんの事を追及されるとかっとする。「証人喚問させない」と言っている。また、子どもがいないので戦争に行かせなくて済むと考えて戦争法を通しているのか。またなぜあんなに安倍総理は元気がいいのか?

 

➃子どもを産んでいっぱい増やせ、2人、3人目は保育料を安くすると言って、女性を引きずり込もうとしている。腹が立って仕方がない・・・

 

 なかなか私の力に余る質問も出ました。売春婦なら「慰安婦」にしていいのか?そもそも遊郭に売られた少女も性奴隷であった事等「慰安婦」問題だけではなく、正規、非正規労働者等の雇用労働問題、リプロダクティブヘルスライツ、保育の規制緩和、小選挙区制の結果で自民党が多数議席を占める現国会、選挙制度を変える必要のsる事等々の問題にお答えしました。(吉川春子記)

 

 

2017年3月23日 (木)

映画「スノーデン」と共謀罪

 

 

 監視カメラの危険性に鈍感?の日本~我がマンションも例外ではなく…

 私の住む築40数年のマンションはほぼ10年間の話し合いを経て全員一致で建て替えを承認、3年前に完成し快適な居住環境にはなった。しかしいい事ばかりではない。新築なったマンションの入口3か所には夫々監視カメラが仕掛けられ常時住人を監視するようになった。

「何のために監視カメラが必要なのか?」。マンションに入るには2回のチェックポイントがあり住人といえども鍵をかざして入らねばならない。不審人物が入る余地はほとんどない。私は途中、何回かの総会で、或は理事長である夫を通じて「監視カメラ設置に反対」の意見を述べたが受け入れられなかった。

ではこのカメラは誰をチェックしているのか?居住者の行動を24時間監視するためのものと言わざるを得ない。費用は住民の自己負担である。情報関連企業の収入のプラスにはなるだろうし警察は喜ぶかもしれないが。

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「日本には世界に類を見ない警察の監視カメラ網がある」と指摘するのはジャーナリストの小笠原みどり氏である。曰く、「国会議事堂の外周をぐるりと取り囲む43台のカメラは、議員面会所の前、デモ隊や個人が議員に請願書を渡していく場所も撮影している。国会は請願権、集会、表現の自由といった市民的自由が生き生きと行使され議員と市民の交流が民主主義の現場として確保されなければならない空間のはずだ。ここにも『抑止』が忍び込んでいる(小笠原みどり著「スノーデン、監視社会の恐怖を語る」P2327写真上)。

無数にあるコンビニエンス・ストアにも歌舞伎町にも住宅街、商店街等のいたるところに仕掛けられている監視カメラ。これのネットワーク化を、警察は「研究中」だという。恐ろしい限りだ。

 

 史上最大の内部告発“スノーデン事件”

 2013年、アメリカ政府が秘密裏に構築した国際的な監視プログラムの存在をイギリスのガーディアン紙が報じた。それを暴露したのが元CIA((アメリカ中央情報局即ち米国のスパイ機関)職員の若者だったという事実にも驚愕したが、今回映画化された「スノーデン」(オリバー・ストーン監督、2016年アメリカ・ドイツ・フランス 35分、有楽町スバル座で上映中)を見て彼の勇気に心より感動した。同時に権力組織の恐ろしさに身のすくむ思いがした。私は映画の上映を「官邸筋から1週間で上映を打ち切るように圧力がかかっている」と聞き絶対見なくてはと有楽町のスバル座に行った。

 <ストーリー>(写真下・映画「スノーデン」のジャケット)

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 スノーデンは9.11同時多発テロに危機感を感じて国家の役に立ちたいと軍隊に志願兵として入る。しかし特殊部隊の訓練は想像を絶する過酷さで彼は大怪我をし長期に松葉杖の生活となる。担当医から「他の方法で国家に尽くせ」と除隊を宣告される。

 そこで彼が選んだ道は優秀な頭脳を生かせるCIAに入る事であった。9.11後つぎのテロとの戦いの主戦場はサイバー空間にあると捉えているCIA は通信網を自在に操れるスペシャリストを必要としていた。

スノーデンはCIA訓練センターでサイバーセキュリティのノウハウを学び、そこで類い稀なるコンビューターの知識を発揮して上司から一目置かれる存在になる。そこで彼は恐ろしい国家の管理体制の存在を知る。一方プライベートではワシントンンD.C.のカフェで権力に批判的なリベラル派の女性リンゼイ・ミルズと知り合い2人の交際が始まる。

ジュネーブのアメリカ国連代表部に派遣されたスノーデンはCIAのネットワークセキュリティの維持を任された。そして非公開のはずの一般市民のメール、チャット、SMSからあらゆる情報を収集し、当該者のパソコンで盗撮まで可能なNSA(ナサ・米国国家安全保障局)の極秘検索システムの存在と、それを利用してテロ活動と無関係の人物までスパイとして抱き込むCIAの汚い手口を知ることになる。

・・・・

スノーデンはかつて自分が構築したシステムがドローン攻撃など想定外の目的に使用されている事実を知りショックを受ける。アメリカ政府の監視プログラムが拡大の一途をたどり自分と、恋人リンゼイの私生活までもCIAに筒抜けになっていることを知り、祖国アメリカを告発するとの挙に出る。

    ロシアに亡命中のスノーデン

職場から重大な国家機密を持ち出して米国を脱出する若者に対して、政府発行のパスポートを無効にするという手段に出たオバマ政府。その結果、彼はロシアより先に進めなくなり、同政府に亡命を申し出て、3年間は留まる許可を得た。しかし今後、ロシア政府が米国政府へスノーデンを引き渡さない保証はなにもない、という。

元諜報部員なら「彼が米国に捕まれば裁判にかけられ諜報活動取締法違反で告発され、陪審員なしの非公開の裁判で、死刑だってありうる(「スノーデン」ジャケット・PRODUCTION NOTE)という恐ろしい運命が待っている。

元CIA職員であり、NSA(米国国家安全保障局)の職員であったエドワード・スノーデンは語る。

「僕は自分の行動によって、この人生が台無しになることをよくわかっています。けれど、僕の愛するこの世界を支配している秘密の法と不公平な免罪符そして抵抗出来ないほどの強力な行政権が一体となったものを一瞬でも世に明らかにできるなら、それで満足です。(自分の仕事や収入、安置して暮らし)すべてを手放すことに迷いはありません。なぜなら米国政府が秘密の中に構築した世界中の人々のプライバシー、インターネットの自由、そして基本的な人権を破壊するのを許せば良心が穏やかではいられないからです」と。

使命感に燃えて国家機密を持ち出した若者の前には想像を絶する困難な人生がある。

 

日本国民の個人情報を集めたがる政府と、共謀罪

日本には1945年の敗戦前までは治安維持法という稀代の悪法があって共産党だけでなく学者であれ、宗教であれ政府の都合悪いと見なされた思想は処罰されて内心の自由はなかった。捕まれば小林多喜二のように裁判を待たずに虐殺された者もいる。

その反省もあって戦後の大学で私は近代刑法の大原則は「犯罪は実行行為があって初めて処罰される」と法学部で学んだ。

321日閣議決定された「共謀罪」は3度廃案になりながら復活させようとしている。この法律は、行為でなくその前段階を処罰の対象にする。思想を処罰する戦前に逆戻りしかねない危険な法律である。

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しかも政府は他方で、国民の個人情報を集める国民総背番号制実現に向けて失敗しても何度でもチャレンジしてくる。私が参議院議員に在職中は「住基ネット」の実施に金と労力を惜しげもなくつぎ込んだ。

「住基カードを持てば住民票が簡単に取得できる」と宣伝したが住民基本台帳が人生の中で何回必要になるか。相続とか、引っ越しとか限られた時しかとらない。住基ネットは2002年当時、一時稼働したが数百億の巨費を投じたまま失敗に終わり、情報関連企業は潤ったが税金の無駄使いに終わった。

今、マイナンバーの登録(カードの作成)を呼びかけている。一昨年までは税の申告に不必要だったのに昨年からマイナンバーの記載を要求している。でも、カードは作らない

方がいい。 

(写真・町のカメラ屋さんに張り出された「マイナンバー申請用の顔写真撮影のおすすめ」)

免許証のない私はしばしば顔写真のついた身分証明書を要求されパスポートのコピーを持ってゆく。「マイナンバーカードは顔写真入りなので便利」とか誘惑される。

政府は公文書には秘密保護法をもうけて黒塗りのものしか出さず、一方国民の個人情報をひとまとめにネットワークにして掴もうと必死である。

 公文書は隠し、個人のプライバシーは侵害する政府に物申す

公文書の秘密扱い(は止めよ、国民の個人情報を掴むな!と私は叫びたい。

アメリカ政府だけが個人情報を大量に集めて権力の恣意的利用を行っているから危険、なのではない。日本政府も膨大な個人情報を集め、ことあれば共謀罪で国民を縛る可能性は大いにある。

こうした権力に立ち向かうスノーデンよ、日本でも出でよ!何よりも、国民よかしこく、政府の意図を見破ろう!(吉川春子)

 

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