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2018年5月 1日 (火)

まぶしい!若きマルクス・エンゲルス~映画「「マルクス・エンゲルス(THE YOUNG KARL MARX)」を見る~

 

 

この映画は1818年生まれのマルクス、6歳年長の妻イェニ-(貴族階級出身)、マルクスより2年若いエンゲルス。3人の若者が社会変革を目指しかの有名な「共産党宣言」を著すまでの物語である。

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 産業革命による生活の糧を奪われた農民の姿

 

映画の冒頭、ドイツ・ライン州、薄暗い森の中で落ちた枯れ枝を拾う貧しい服装の農民たち。彼らを騎馬警察官が容赦なく蹴散らし暴力的に排除するシーン。産業革命で資本家、地主も肥え太り貧富の格差は広がるばかり。落ちた枯れ枝を薪として使い生計の足しにする人々に初期資本主義の過酷な姿を見る。

 入会権は日本の民法でも認められているが戦後も20世紀後半山林地主との長い戦いがあった。

1843年プロイセン政府はそれまで慣習によって認められていた地域の農民の木材採取(落ちた枯れ枝等)を禁じる「木材窃盗取締法」が施行される。森林の枯れ枝も地主の財産と主張し入会権を認めない州議会議員達に対し、マルクスは貧しい人たちの慣習的権利を奪うこの法律を厳しく批判する記事を「ライン新聞」に書く。

 

     暴利を貪る資本家を仮借なく追及するマルクス

 

マルクスが健筆を奮った「ライン新聞」は官憲によって発禁処分となり、ここへの記事の執筆を生活の糧としていたマルクスも生活の糧を失った。

それに加えて、マルクスの仮借ない鋭い資本家批判の論文に対し、仕事を奪われ、資本家の手先である官権はマルクス一家に対し居住するフランスから24時間以内の国外退去を命じられる。幼子と、妊娠中の妻イェニ―とともに途方に暮れるマルクス。ベルギーに生活の拠点を移すが個々にも居られなくなり,一家でイギリスに渡る。

「彼等は裕福な家庭に育ったものの当時の不公平、不平等、出版物などの検閲を受け入れることができず、そんな窮屈な世界を変えようとしたのだ」(ラウルペック監督)。社会に妥協する道を選ばず、貧困に負けず、変革の困難な道を歩む3人の姿に感動した。

 

マルクスの父親はユダヤ人で弁護士である。マルクスもボン大学からベルリン大学に学ぶ知識階級である。この映画のもう一つの見所はエンゲルスである。(映画の原題は「若きマルクス」となっていてマルクスの方に焦点を当ているが…)

 

    階級を超えた恋が、

「家族私有財産国家の起源」に結実?エンゲルス

 

エンゲルスはイギリス・マンチェスターの紡績工場を共同経営する父親を持つ、いわば社長の“お坊ちゃま”である。彼と父親との確執を映画は描く。

映画では、エンゲルスの父親が経営する紡績工場の過酷な労働条件の下で働く状態に不満を述べる女子工員が解雇され、啖呵を切って工場を飛び出すシーンがある。若きエンゲルスがこの女工を追って貧民窟へと足を踏み入れる。これがきっかけで階級を超えた恋に陥り二人は結ばれる。

エンゲルスの著す数々の著作から非常に温かいものが感じられるのもこうした貧しい労働者の生活に目を向け、実態を知っているエンゲルスならではといえるかもしれない。

貧しい女工を愛したエンゲルスが後に女性解放の書『家族私有財産国家の起源』(『起源』)を書き上げるのも、女工との恋で、女性の置かれているあまりに過酷な状態からその淵源をさかのぼったのではなかろうか。

マルクス理論はジェンダーの視点に欠ける」と批判を受けることがある。しかし、エンゲルスは女性解放のバイブルともいえる書をなし、また女性差別開始時期について「女性の世界史的敗北」にあると喝破した。今日の女性への暴力の淵源を突き止めている。

私はその昔、『起源』について各地で講師活動をして勉強し、階級社会をなくすことが男性による女性への暴力支配の廃絶の道であり、それ以外ない事を学んだ。(いわゆる一元論)。こうした提起の根底!に階級を超えた恋が、あったのではないか。

 

     若者にこの映画を薦める

 

私の人生を変えた重要人物、マルクスとエンゲルスの映画ということもあり、上映2日目、岩波ホールへ駆けつけた。上映時間30分前に行ったのに切符売り場は長蛇の列で、私の整理券番号は122番。30年も岩波ホールに通って映画を見ているがこんなに観客が多い場面には初めて出くわした。マルクス、エンゲルスは遠からず、の感がした。

しかし、「本作は若者のために制作し、(ドイツ、フランスなど)その反応も素晴らしいものだった」(ラウル・ペック監督)との言葉に反して、日本では行列の中心が私を含めて高齢者で、若干の中年世代が混じり、若者の姿は殆どなかった。

6月中旬まで上映されるので、ぜひ若者に多く足を運んでほしい。社会の矛盾に切り込み社会を変革者の姿にぜひ接してほしいものである。(了・吉川春子)

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Photo_3 (文京区・近所のお宅のバラ)

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2018年4月 7日 (土)

第6回総会と第26回ゼミナール開く

 

 

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(写真・夕日を浴びて…枝垂桜、東京都六義園)

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(写真。会場ぎっしり埋めた参加者)

『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール・会員の皆さまへ。201841日(日)、東京都千代田区駿河台の中央大学記念館で第6回の総会を開きました。以下要旨をお知らせします。

 

1回運営委員会

 

まず、午前10時~1210 第1回運営委員会が開かれた。出席は運営委員22名中18名、欠席は4名。理由は仕事、介護、病気、娘の出産です。司会・報告事項は特別報告者がないものは吉川代表が行った。議題、内容は以下の通り。

 

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(JR四ツ谷駅線路に咲く紫金草、日中友好の花。笠原先生が講演の中で「四ツ谷駅に咲いていたと言われ、翌日通ったら咲いていた)

             第1部 報告

 

Ⅰ 会員数と財政状況について(報告財政担当・原)

 

会員数

2017年度末在籍会員数 569名

2018年度期首会員 573

 

2017年度

入会者:35名

退会者:89名(規約退会者68名、自主退会者21名)

 

予算・規模 2,160,000円、

収入 

会費 878,000円、ゼミナール参加費 150,000円、繰越金≒910,000

支出

会報発送日240,000円、会報製作費 400,000円、旅費交通費178,000円等

 

Ⅱ 2018年度の活動計画

 

⑴ ゼミナール

 

☆第27回ゼミナール 201878日(日)

テーマ:日本人「慰安婦」供給元だった遊郭と、売春婦は「慰安婦」にされてもかまわないという奥に潜む女性差別思想

講 師:藤目ゆき 大阪大学大学院人間科学研究科教授 

著書『「慰安婦」問題の本質 公娼制と日本人「慰安婦」の不可視化』(白澤社20152月)、

『ある日本軍「慰安婦」の回想』マリア・ロサL・ヘンソン著、藤目ゆき・訳199512月岩波書店)

☆第28回ゼミナール(文京区男女平等祭り参加)20181027日・予定、テーマ未定

 

⑵ フィールドワーク(報告・吉村)

 

群馬県へ、1028日(日)~1029日(月)

高崎駅集合でみなかみ(月夜野)如意寺参拝でスタートし、高崎群馬の森(朝鮮人追悼碑)、栗生楽泉園(ハンセン病患者施設)の重監房、八ッ場ダム等…歴史、人権、無駄な公共施設見学します。宿泊は、「一つの病以外はすべてに効く」と言われる草津の湯に浸かって…

 

⑶ 議事整理委員会

 

常任運営委員会に提案する議題を整理・検討する委員会として2017年に発足しました。2018年度は財政担当の原さんを加えて、小林、後藤、棚橋、吉川の5人で担当し、定例的に開催されます。

 

⑷ 役員体制

 

常任運営委員12名(代表・吉川春子、副代表・大森典子、事務局長・棚橋昌代、事務局次長・岩下弘、後藤ひろみ、原康長)。運営委員12名、計24名、監事 2

なお、水野磯子さんは副代表を辞任し地元愛知県での活動に専念することになった。常任運営委員には留まる。また、監事の池田靖子さんは家族の介護のため交替することになった。

 

⑸ 日本人「慰安婦」問題

 

チームとして、ビルマ従軍軍人から入手した日本人「慰安婦」名簿9人全てについて2016年、2017年の2年で調査行い、201710月にその結果を文京区男女平等祭りに際してのワークショップで発表した。この問題に対してメディアからも関心が寄せられている。

 

           第2部 議論の部

 

Ⅰ 慰安婦問題解決のために、当ゼミナールは何をなすべきか

 

ニュース第31号(2018220日発行)の2018年活動方針では「署名活動の提唱」を行いました。しかし3月の常任運営委員会で署名の具体的項目で一致せず引き続き議論を継続します。運営委員からは以下の意見が出た

               記

署名活動を進めてほしい、署名用紙を持って帰れるかと思った。署名はいつまでにやるのか、期限を切ってほしい

署名で『慰安婦』問題が解決できるとは思わない、地域会員の活動の手段に署名を行うのは本末転倒、

◎署名とDVD上映、小集会を合わせて行ってはどうか。地域で沢山の集会、ミニ学習会を持ってこの問題を深めたい

◎日本人「慰安婦」問題を署名項目にぜひ入れてほしい

◎日本人「慰安婦」を署名項目に入れることは早い。この問題をわかる人いるか?

◎他の女性団体では7種類も署名を行っている。署名をするなら何のためするかわかって署名すべきだ。「慰安婦」問題は終わったでしょう、まだやっているの、みたいに言う人もいる

全県でゼミナールをすれば地元での(世論を)堀起こしができるのではないか

 

Ⅱ 『日本軍「慰安婦」慰安婦問題解決全国行動 声明』に、大森典子副代表より説明があり、賛否について議論した。次の常任運営委員会で決める事とする

 

記念講演13時~15

(写真・中央大学駿河台記念館の比較的大きな会場を確保したが、73名集り超満員の盛況だった。)

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講 師:笠原十九司・都留文科大学名誉教授

テーマ:南京事件80周年を経て=中国における日本軍の大虐殺、大強姦を考える

 

 笠原先生には当ゼミナール第1回総会の時も、講師として南京事件について講演していただいた。今回は昨年秋のフィールドワークを踏まえ、特に女性への性暴力に焦点を当てて話していただいた。

詳細は当ゼミナールニュース第32号に講演要旨を掲載する。

 

総会 1515分~1630

 

まず、棚橋事務局長から2017年度の活動について総括を行った。

続いて吉川代表が当ゼミナールニュース第31号に掲載されている2018年度の活動方針を読み上げる方法で提案した。その中の6 署名活動の提起については常任運営委員会で意見の一致を見なかったとして撤回した。併せて「2 署名活動を進めるために他団体との協力関係を進める」点も修正した。

財政問題については原事務局次長から決算、予算について報告した。2017年度の決算の監査については佐藤龍雄、池田靖子両監事より監査報告書が提出された。

以上の点について質疑、意見表明が行われた。

吉川代表から新年度の役員の提案があった。

最後に以上の点について一括承認された。

 

全てを終了し会場を移して懇親会がもたれた。

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(写真・会場正面左手に貼ったこのブログの”コピー”、場所が場所だけに近づいて読む人はいない)

2018年3月28日 (水)

金子兜太氏とトラック島の「慰安所」、そして男性のセクシャリティ

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(金子兜太氏の熊谷市の自宅にて2011年4月、兜太氏の右・吉川、後ろ大森典子弁護士)

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(写真・金子兜太氏からいただいた著書『荒凡夫 一茶』白水社2012年)

 

     一茶に似た句風?の兜太氏

 

220日、俳人の金子兜太氏が誤嚥性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため98歳で亡くなった。朝日新聞の俳句の選者として、また近年は東京新聞平和の句の選者として90歳を過ぎてなお活躍をされていた。心からご冥福をお祈りする。

私は「議員をや止めたら暇で時間を持て余す」と一時期知人から俳句の手ほどきを受け、我が郷土の俳人一茶も何冊か読んだが、兜太氏の句風はどこか、一茶に似ていると感じることがある。一茶がエルや、スズメなど小さい生き物に共感し、兜太氏は反権力を貫いているからかもしれない。兜太氏は戦後日銀に復職しても労働運動に関わり出世街道を歩まなかった。

金子兜太氏が太い筆で「安倍政治を許さない」と揮毫しそのコピーをプラカードに掲げ、カバンに括り付けて多くの人々が、安倍内閣の戦争へと暴走する政治へ抗議の意思を表明していた。

 

金子さんは熊谷市在住だったので、埼玉県から国政選挙に出馬した私は自宅にご挨拶に伺ったことがある。私が30歳代の頃である。

二度目の自宅訪問は2007年に参議院議員をリタイアした後に、金子さんの熊谷高校のずっと後輩にあたる、秩父市在住の藤元勝夫さんに案内していただいて、大森典子弁護士と一緒に熊谷市のお宅を訪問した。

 

    「慰安所」に通わなかった兜太氏

 

きっかけは、私が参議院議員会館で、元軍属の松原勝氏の講演を聞いて金子さんもトラック島にいた事を知った。松原氏はご自身の「南国寮出入證」(「慰安所」の入所カード)を示し勇気をもって「慰安所」の体験を証言した時に、金子兜太さんにも言及されたからである。

金子さんは大学を出てすぐ、太平洋の真ん中のミクロネシアのトラック島に海軍中尉として赴任していたが、「自分は慰安所には通わなかった」と著書(『二度生きる』)に書かれている。

どこでも「慰安所」の前には日本軍将兵が列をなしたと聞いていたので、そこへ行かなかった軍人がいた事に驚いた。

 

金子氏は人なつこく、政治の話しもお好きで、ちょうど3.11の福島原発の大事故の直後、総理大臣だった官直人氏に対する厳しい批判と、官降ろしが民主党内からも、野党自民党からも撒き送っている時だったので私にこんな質問をされた。

「福島原発のメルトダウン事故に対して菅総理はとても頑張って居ろと思うが吉川さんはどう思うか」と。

「私も同感です。原発事故は自民党が推進してきた原発政策の結果で、民主党の責任ではない。誰が対応してもこんな事故に有効に対応できない。自民党もよく言う、と思います」

私は率直に、トラック島の責任者で、「慰安所」の責任者でもあった金子さんが、何故「慰安所」に行かなかったのか、と伺った。

金子さんは、「自分は絶対に「慰安所」には行かないと決めて、赴任した。人間はそう決意するとできるものです。慰安婦の性病検査には立ち会いました」と言われた。

そしてご自分の著書でも次のように記している。「次の二つの事柄に関しては、戒めに近いものを戦地で自分に課しました。それは女性と食い物に関してです。トラック島には従軍慰安婦が大勢いましたがサイパン陥落後は、彼女たちは本国に返され島からは慰安婦の姿は消えました。すると兵隊や工員の中からは島のカナカ族の女性のところに忍び込んで欲望を遂げようとするものが現われ始めました。」士官という特権を利用してカナカ族の女性と夫婦関係をもったり、あるいは忍び込んで通っていたのです。」(「二度生きる」金子兜太著2005

 

トラック島の「慰安婦」~『流人島にて』(窪田精)より

 

それではトラック島にはどのくらい「慰安所」があったのか。作家の窪田精氏の小説から拾ってみる。高級軍人も、下士官も、兵士も、工員も、軍属に至るまでそれ用の「慰安所」があり、日本と朝鮮女性の「慰安婦」がいたという。1992年 新日本出版)

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(窪田精著『流人島にて』)

 

☆外交屋の行き先は、陸上基地の金剛山―コブ山の裏側にあるメッチテニ村という元島民部落であった。そこには海軍施設部の軍夫達の宿舎があった。日本人や朝鮮人の女たちがいる慰安所などもあった。

 

☆夏島には、海軍の高級軍人用の料亭が、いっぱいあるんじゃ。1軒や2軒じゃねえ。10軒近くもあるそうじゃ。一応民間業者の経営という事になっておるが、海軍の直営みたいなものじゃ。日本から連れてきた芸者がおおぜいおるらしい。ここには水兵や下士官は一切近寄れねえ。割烹料理―などと言っても、実際は慰安所じゃ。高級軍人専用の酒池肉林の社交場じゃ。

 

☆「夏島には一般水兵や下士官、軍属などの専用の慰安所もあるんじゃ。」

・・・・

「うちの部隊の看守たちの話によると、南星寮とか南国寮とかよばれる、ハーモニカ長屋のようなバラックが何列も立ち並んで、おおぜいの女たちがいるそうじゃ。」

・・・

「そこも士官用、水兵や下士官、軍属工員用などの分かれているそうじゃ」

「慰安所も、階級別になっているんですか」

「そのとうりじゃ。前者の方は日本人女性が主じゃが、後者の方は朝鮮人女性が多いという話だな」

「日本人女性の多くは本土の各地で芸者置屋や遊郭などにいた女性が、溜まっている借金を海軍に払ってもらうという条件で連れてこられているんじゃ。海軍が業者の親方を使って、女の売り買い―女衒をやっておるんじゃ。もとをさぐれば、みんな貧しい農村や漁村の子女じゃ。親の事情でそういうところに身を沈めた女たちが多いんじゃ」…

「朝鮮人女性の中にはひどいやり方で連行されてきているものもいるそうですね」

「そのとうりじゃ。朝鮮の奥地の村から女子愛国奉仕隊募集とか、特志看護婦などの名で騙されて強制連行された娘などもいるらしいのう」…

☆「春島の南風寮の方は日本の女が7割、朝鮮の女が3割といったところらしいのう。ここも、士官用、水兵や、下士官用、軍夫用と別れているそうじゃ」…

 

まだまだ記述は続く。日本の軍隊は中国、東南アジアの諸国のみならず太平洋のミクロネシアの島々にも「慰安所」をつくっていた。金子氏によると女性達は戦争が激しくなる前に日本へ送り返されたという。しかし城田すず子さん以外は名乗り出ていない。

何故日本の軍隊は「慰安婦」を必要としたのか。「慰安婦」制度解明のためには男性のセクシャリティの面からも迫る必要があると思う。(吉川春子記)

2018年3月 4日 (日)

憲法から「慰安婦」問題を考える~神奈川県相模原市での集会に多勢の方が集まる

集会テーマ

「憲法から『慰安婦』問題を考えてみませんか~憲法24条改悪による国の『家族』『性』への介入」 

2018217日(土) 於:ソレイユさがみ(相模原市立男女共同参画推進センター)

講師:吉川春子「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表

主催:「慰安婦」問題を考える市民の会 

 京王線橋本駅に降り立つと、目の前に大きな相原高校の建物がみえた。相原高校はリニア駅の設置予定(平成39年)を目途に、この学校の用地を中心とした「優先的に土地利用を図る地区」においてまちづくりをするという相模原市の方針で、移転させられている。駅前の農業高校ということで人気もあり、評判のよい高校だ。今回の会の主催団体の責任者櫻井さんは、リニア駅設置反対運動もされている方だ。

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(相模原市”ソレイユ・さがみ”セミナールーム1で講演する吉川)

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(「慰安婦問題を考える市民の会・代表・桜井真理さん挨拶。後は同会の桜井裕司さん)

 「女性の政治参加の遅れ、貧困、性暴力、性売買などの日本の現状、なぜ日本では女性の地位が低く、女性の人権意識が定着しないのか。今こそ、憲法に立ち返り、憲法から「慰安婦」問題を考えてみよう」というこの会呼びかけが多くの方々の胸に響いたのか、62名の参加だった。 当ゼミナール作成DVD「15のときは戻らない・ナヌムの家のハルモニたち」上映の後、パワーポイントで写真や資料を豊富に示し、「慰安婦」制度の歴史から現代の問題まで幅広く吉川春子代表が講演し、大変好評だった。

 

◆吉川春子さんの講演内容

1戦争と「慰安婦」として「慰安婦」制度の歴史

 

1928年不戦条約で戦争禁止ルールの登場で、日本は宣戦布告なしの「満州事変」(1931)、「上海事件」(1932)を起こす。上海に第1号「慰安所」、大一サロンを設置。現存するその建物の外観を当ゼミの昨年秋の上海・南京へのフィールドワークで見てきた。吉川さんが参議院議員当時、政府から提出させた内務省資料によると、明らかに軍が関与して、醜業(売春)を営む女性が4千人を日本から上海に送られた。以後アジア諸国侵略地に次々に1千か所(吉川の大まかな推計)設置。南京では、当時の慰安所の建物を改修した南京利済歳巷慰安所旧址陳列館では、日本人「慰安婦」と朝鮮や中国の「慰安婦」たちが収容されていた現実をまのあたりにした。慰安所設置の動機は、兵士の性病予防、強姦防止、ストレス解消だった。究極の女性蔑視である「慰安婦」の存在は戦争だから仕方がないという考えは許せない。先日亡くなった金子兜太さんは自分は絶対に慰安所に行かないと決めていたので行かなかったと私に話した。戦争では女性の性が痛めつけられる。太平洋戦争の反省から憲法9条を制定。戦争放棄する(交戦権を含めて)という9条に最も感動しているが、9条こそまさに女性の人権規定である。

 

2 戦後の「慰安婦」問題と日本の対応

 

1991年金学順さんが名乗りで、12月東京地裁に提訴した。戦後、日本人は、満蒙開拓団や空襲など戦争の被害者であることは認識していたが、初めて加害者であることを突き付けられたのが「慰安婦」問題である。日本軍兵士は慰安所利用したことをほとんど口をつぐんでいる。韓国で次々と「慰安婦」たちが名乗りで、1993年の「河野談話」で軍の関与、強制連行を認め、全ての国籍の「慰安婦」に謝罪、教育をすすめることを表明。1995年村山談話、97年には全ての歴史教科書に「慰安婦」が記述された。それに反発したのが今の安倍首相。今は1社の教科書しか「慰安婦」の記述はない。アジア女性基金事業を2007年まで行った。アジア女性基金では被害者に「償い金」「福祉支援金」を一人当たり5百万円支払い、総理大臣のお詫びの手紙を渡した。これを受取るか拒否するかで、韓国では被害者が二分された。吉川さんなど野党議員が立法解決のために努力。1999年は共産党の単独法案、2000年から2008年まで共産、民主、社会の野党3党が「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」8回提出。

20151228日「日韓合意」では、日韓外相が「最終的不可逆的解決」を「確認」。日本は政府の責任を認め、以前1995年の「償い金」が日本国民のカンパによるものであったことが強い反発をうけたので、政府の資金で韓国の財団に10億円拠出。しかしこれで最終的解決とは当然いかない。韓国政府はソウル日本大使館前の少女像問題解決に努力するとしたが、現在文大統領が合意交渉では解決できないと表明している(注・日本政府はウイーン条約をたてに「少女像」撤去を求めるが、それが一層韓国国民の感情を逆なでしている)。

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(写真・セミナールームの会場風景)

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(写真・素晴らしい設備の会場でパワーポイントで説明する吉川)

3 「慰安婦」制度を可能にした戦前の家父長制。それを崩壊させた日本国憲法24条~自民党改憲草案、24条変更をねらう

 

戸主が女性の殺生与奪の権を握るシステムである戦前の家父長制が、「慰安婦」制度を可能にした。貧困から親に少女たちが遊郭に売られ、その遊郭から海外に「慰安婦」に送られた。憲法24条は婚姻の自由を認め、憲法14条の両性の本質的平等の原則を夫婦関係に適用している。自民党改憲草案では、現行の憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」の「個人」を「人」に、24条については家族を社会に基礎的な単位とし、「家族は互いに助け合わなくてはならない」と追加し、個人より家族を尊重し、家族のこと(育児、介護等)は家族間で解決しろと突き放し憲法25条とも矛盾する規定となっている。24条改憲に力をいれているのが右翼的民間団体・日本会議。婚姻は「両性の合意のみ」を「両性の合意に基づいて」に変更し、本人以外の他人の同意を必要とできる余地を残す。

 

4 日本人「慰安婦」調査~ビルマ従軍軍医作成名簿による日本人「慰安婦」調査

 

吉川さんは当ゼミナールで2 0163月~201710月とりくんできた日本人「慰安婦」調査について報告。(詳細はこのブログですでに掲載)。 吉川さんに託された「名簿」上のビルマの9人の日本人「慰安婦」女性たちの本籍地に到達したのは4人。女性たち全員が遊郭出身とみられる。家族たちは女性たちがビルマに行っていたことは知らないという。当ゼミナールの「日本人『慰安婦』調査チーム」の訪問地の近隣、男性が集まるところには必ず遊郭があった。韓国ではたくさんの方が名乗り出ているのに、日本人「慰安婦」はなぜ名乗り出られないのか、それが日本の大変遅れている部分だ。

 

5 性暴力被害者が名乗り出られる日本社会へ

 

 今海外で“#Me Too”運動(私も性被害にあった)が広がっているが、日本では性暴力被害者が名乗りをあげられない典型が「慰安婦」である。現在、伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長から刑法准強姦被害をうけ、逮捕状が裁判所からでたのに安倍首相の友達だからか執行されなかったため、民事裁判を闘っている。刑法改正で強姦罪が親告罪でなくなり、父親の性的暴力も犯罪とされた。性暴力の被害者がなのりでられるような社会にしていくことが、「慰安婦」も名乗り出られる社会だと考えている。

 日本政府はもちろんだが、まず国会が立法解決をしなくてはならない。憲法24条と“#Me Too”運動、「慰安婦」問題をセットにして日本の女性の人権が守られる社会にしていくように頑張っていきたい。  (まとめ 事務局長/棚橋昌代)

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(東大付属・小石川植物園の梅は満開)

2018年2月28日 (水)

映画「否定と肯定]―文句なく面白い、上等な娯楽映画

 

 

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(イギリス・アメリカ合作 110分 原題・DENIAL(否定))

ユダヤ人歴史学者と、ホロコースト否定論者の対決の映画化

 

最近私の見た映画の中では、間違いなく最高に楽しめた映画である。

「あったことをなかったことにはできない」とは前川文科省元事務次官の名セリフだが、この種の企みは当の東西を問わず繰り返し起きるものらしい。明々白々の歴史的事実を否定し、これに反論されると裁判に名誉棄損で訴えた「学者」がいた。実話の映画化である。

 

映画のストーリィ

 

イギリス歴史学者デイヴィッド・アーヴィングは「大量虐殺はなかった」とする”ホロコースト否定論”を展開していた。ユダヤ系アメリカ人女性歴史学者、デボラ・E・リップシュタットは、これを看過できず著書「ホロコーストの真実」で、アーヴィングを「ナチスの擁護者、事実を曲げたヒトラーの崇拝者でホロコーストはなかったという主張を裏付けるため証拠を捏造した」と非難した。

これに対しアーヴィングは、199695日英国高等法院に、「この本が彼の動機と能力を攻撃し、歴史家としての彼の評価を貶めるのに一役買った」として、名誉棄損でリップシュタットを提訴した。イギリスでは名誉棄損は原告がその事実を指摘するだけでよく、名誉棄損の事実を否定する責任が被告の側にあるというのだ。

裁判は2000111日に開始され、32日間続いた。判決は2000411日に下った。裁判を担当したチャールズグレイ判事は334頁の判決文でアーヴィングが第2次世界大戦に関する歴史的記録を体系的に歪曲したとのべて被告を支持(勝訴)している。

アーヴィングはこの判決に対し、控訴院民事部に上訴したが2001720日に棄却された。彼は2002年に破産宣告をした。

 

私の興味を引いたイギリスの裁判・法廷制度

 

私の母校は前身がイギリス法律学校だった。大学では英米法の授業が必須で、英米法の教授とも個人的付き合いがあったので、この映画が私の興味を引いたという面がある。

まず第1、この裁判は開始までに3年3か月を要しているが、開始されてしまうと32日間で審議を終えて判決がだされている。日本の延々と何年も続く裁判に慣れていると判決までの速さに驚く。

第2、イギリスでは訴えた側ではなく、訴えられた側がその事由の正当性を立証しなければならない。リップシュタットがホロコーストが真実だということを法廷で立証しなければホロコースト否定論者が起こした名誉棄損の裁判に負けてしまうということだ。

第3、さらに弁護士の役割、戦術が興味深い。イギリスの弁護士制度は分業制で、事務弁護士(ソリシター)が戦略を策定し、交渉を行い、法的文書の下書きをする。法廷弁護士(バリスター)は法廷で個人及び組織を代表し弁論する。それぞれの弁護士の俳優が名演技だったが、法廷における弁護士の役割分担が十分機能を果たしたことが本裁判勝利の原因であり、興味深い。例えば、訴えられた女性学者のリップシュタットには法廷では証人として証言することも、相手・アーヴィングに語り掛けることもさせない。ホロコーストの生き残りの生々しい証言をさせることもしないという戦術をとる。熟練の弁護士の法廷弁論が原告を着実に追い詰めてゆく展開である。

第4、弁護団は、裁判は陪審員によるものではなく、一人の判事に委ねる選択をした。これには私も強く同感した。陪審員には必ず相手方の意向を受けた人物が(買収されて)入り混じってくることを警戒したのだという

日本にもイギリスにはるかに遅れて国民が裁判に参加する、裁判員裁判が導入された。アマチュア感覚を判決に取り入れるという裁判の民主化として必要な制度ではある。

しかし私の印象では一般的に裁判員裁判は情に流されやすく、重い判決になりがちで、死刑判決を簡単に出して例もあり恐ろしい思いがする。素朴な国民感情は「悪いやつを許さない」というものであろう。

どうしても勝ちたい、理屈で勝つ自信があるときに職業的な裁判官を選ぶ動機は十分ある。しかし日本において選択の余地があったとしても、裁判所に行政権力への“忖度”がまかりとおる(残念ながら)とすれば、プロの裁判官に任せるという選択がよし、とは言いにくい。イギリスのほうが三権分立は機能していると思われる。

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(写真・リップシュタットが弁護団とともに調査に訪れたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所・2013年吉川撮影)

 

シナリオが映画・「愛をよむ人」と同一人物だった事

 

脚本は映画「愛を読む人」(2008年)でアカデミー賞脚本賞にノミネートされたデヴィット・ヘアに白羽の矢が立った。

市電の車掌だった女性は、第2次大戦も終わった平和な生活の中である日突如逮捕され裁判にかけられた結果、戦争中強制収容所の看守であった罪で終身刑を言い渡された。長い刑期満了の日、年下の恋人が出所を出迎えに行くと彼女の自死を知らされるという、戦争犯罪を訴追処罰したドイツならではの心にしみる映画だった。

ヘアがこの企画に参加を決めたのは客観的な歴史的事実を弁護するという考えに興味をひかれたからだった。「…本作における敵であるアーヴィングに同意した人々に私に非難するような隙を与えないために、法定シーンを描くのに公式記録を隅々まで読み込んだ…1日分の裁判記録を読むのに45時間かかった」(「肯定と否定」プログラム PRODUCTION NOTES

法廷劇でありながら映画が非常にドラマチックに展開するのも実際の法廷でのやり取りがドラマに満ちていたからというるかもしれない。

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(写真・日本でも公開されてヒットした映画「愛をよむ人」(The Reader)のジャケット)

 

 

被告と弁護団、心が解け合うとき

 

チームを組んで資料の検証、アーヴィングの日記・著作を詳細にチェックする大弁護団。衆知を集めて戦術を決めて後はぶれない。依頼人がどういおうとはね付ける、この辺がイギリス的というか、興味深い。これに対し、法廷で証言できない、ホロコーストの生き残りの人物から証言を採用しない弁護団の方針と対立し、リップシュタットは蚊帳の外に置かれた感がある。しかし裁判が進むにつれて弁護団の戦略の意味をリップシュタットも理解するようになる。彼女と弁護士が心を通わせてゆくシーン、法廷弁護士がある夜、極上のワインを片手に彼女の部屋を訪ねる場面はしみじみとした感情の交流があり、映画を堪能できるシーンでもある。

 

裁判所勝訴の背景 

 

私はアイヒマン裁判は記憶に強烈にあるが、この裁判を知らなかった。国会議員としてかなり多忙だった時期と重なってはいるが…知らなかったことが悔やまれる。

この裁判に勝利した真の原因は、弁護団の戦術でも、リップシュタットの著作が優れているからでも、裁判官の見識でもない。

ホロコーストを許さないという断固とした世論がイギリスを含むヨーロッパでは形成されているからではなかろうか。

百歩譲って、日本で南京事件、裁判があっても真実が勝利するだろうか。「慰安婦」裁判はすべて原告が負けた。弁護士の戦略、力量云々ではないことは最近の吉見裁判が好例である。(吉川春子)

2018年2月22日 (木)

「女政のえん」に招かれて

 

 

私が女性政治家になった意味!

 

2018 2 10 (土)133015:30東京大学駒場キャンパス ファカルティハウス (京王井の頭線・駒場東大前駅下車すぐ)で、<女政のえん>の第24回のリレートークのゲストスピーカーとして講演した。

この会のキャッチフレーズは、

●何かを生み出してゆく事に向かって街に出よう!大きな希望と小さくても確かな風を●

 

 私は24回目のスピーカーで、第1回は2004年で元衆議院議長・土井たか子さん、第2回は元文部大臣・赤松良子さん、第3回は、総理夫人の三木睦子さん…というように初めの頃は有名女性が講師に招かれている。超党派女性の国会議員が一番多いが、女性の知事、市長など自治体の長、地方議会議員、カミングアウトした性的マイノリティの方等々、多様に活動している女性達である。ちなみに共産党は私が初めてとの事。

 

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(写真上・参議院議員OBの会機関誌『参風』第161号の表紙

写真下・「会員登壇」の吉川の24年間の議員生活と、当選迄の経緯がインタビューで紹介)

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私に要請したのは<女政のえん>の世話人の黒岩秩子さんで、彼女は現在は参議院協会で一緒に研究会等に参加されている。きっかけはおそらく参議院協会(参議院議員のOB/OGで組織する)の機関誌・「参風」で「会員登壇」に私が掲載された事ではないか。第161号に、私の24年間の議員生活について中島啓雄・元自民党参議院議員のインタビュー記事が40ページにわたって掲載されている(写真上)

 

話のテーマとして<女政のえん>から私に要請されたのは、私が参議院議員になった経緯、DV法の立法活動、「慰安婦」問題、女性国会、小選挙区制そして共産党の子育て支援と多岐にわたる。オムニバスにならないように1つのストーリーとして私はレジュメや、パワーポイントをつくった。

 

参議院創設50周年記念行事の「女性国会」

 

「参議院50周年記念行事」として開かれた女性国会は、女性の政治参加を進めるNGOには注目された企画だったと思う。北京女性会議(1995年)の熱気も冷めやらぬ1997104日~5日、超党派「女性議員懇談会(女議懇)」が提案しておこなわれた。参議院の本会議場と委員会室を使用し職員を総動員し取り組み、参議院議長も「女性国会」の本会議で歓迎挨拶し、夜のレセプションには橋本総理も来賓あいさつした。その日、本会議場は華やかな色彩の服装の女性で埋まった。

私は企画と運営に中心的に携わり、この女性国会が全国の女性にどんな影響を与えたか知りたいと思っていた。それから10年経つが、女性の国会議員が飛躍的に増えたという事は、残念ながらない。しかし、「女政のえん」参加者によると、女性国会に参加した人々が各地で同じ企画を行い、また参加者から地方議員が誕生した等の話を聞いて私はとてもうれしかった。女性の政策決定の場への参加を促進するきっかけになっていれば嬉しい。

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(写真は一般公募した「女性国会」宣伝ポスター)

 

   共産党の子育て支援について

 

次男が0才の時に市議会議員として政治家としてのスタートをして、衆議院選、参議院選に数回出馬し、その後、参議院議員として24年間私が勤められた背景には、核家族であったわが家に共産党が家事手伝い、子供の面倒を見てくれる人を派遣してくれたからである。市議当選時は次男が生後5か月、長男は保育園児だった。1983年に参議院議員に当選するまで共産党が家事手伝いの人の給料をずっと払ってくれた」と話した。このような共産党組織の援助と、また市議会議員時代には同じ団地に住む女性達の友情溢れる応援なしには、政治家と母親の両立はできなかっただろう。しかし肝心の子どもには淋しい思いをさせてしまったという思いはぬぐえない。

参加者からは「共産党に女性議員が多いのはそうした党の子育て支援があったからなのですね」と感嘆の声が上がった。

また、「女性が立候補することに夫が反対して政治家になれない、という事をよく聞くが吉川さんの場合はどうだったのか」との質問がでた。

私の場合は、市議選に出馬要請のあった時は次男が生まれたばかりなので断り続けたが、共産党が諦めず何カ月もわが家に説得に通ったので、夫から「あまり断るのは悪いよ」と背中を押された話をした。

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(写真・共産党から説得されて埼玉県八潮市議選に立候補)

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(写真・次男と。母親の不在がちの家庭で幼かった子供たちは寂しかったのでは?)

 

「慰安婦」問題に取り組むのも女性ならでは?

 

これまで自分が何故、「慰安婦」問題にこだわるのかについて考えたことはあまりない。しかし被害者達の話を沢山聞いて絶対に許せないと強い気持ちを持ち続けているのは、自分が被害者になりうる女性だからではないか、と思い当たる。こんな目に自分があったらと思うと、考えただけで涙が出て来る。男性でもこの問題に取り組む学者・弁護士や活動家はいるが、「慰安婦」にこだわって活動しているのは、女性が圧倒的に多い。

女性の性暴力を根絶するためにも、被害者の気持ちがよりわかる、女性の政治家を沢山誕生させなくてはならないとおもう。

「女政のえん」のみなさんが女性の政治参加に取り組み、女性の社会的リーダーから学ぼうとして、繰り返し講演会を開いている活動に意義を認め、敬意を表したい。

2018年1月15日 (月)

カズオ・イシグロ著『私を離さないで』~守るべき命と差し出す命の矛盾~

 

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写真・共産党埼玉県委員会旗開きでもらった花

 

十数年前、著者のイギリス貴族の使用人である執事を主人公とした『日の名残り』という映画を見てビデオを買って本も読んだ。イギリス貴族の執事という職業と歴史に精通した内容なので、カズオ・イシグロはずっとイギリスの作家と思い込んでいた。その後日系イギリス人で長崎で生まれ幼いころは日本で育ったと知った。今回『日の名残り』を再読し別の作品をと思って『私を離さないで』を読んだ。

 

主人公はキャッシー・Hという女性で、優秀な「提供者」の介護人である。彼女は「「ヘールシャム」という施設で生まれ育ち教育を受けて社会に送り出される。障害者か老人の介護がテーマではない。「提供者」とは臓器提供のために作られたクローン人間である。彼らは成人して何回かの「提供」を行い「使命を終える」のだ。

 

    愛し会うカップルには「提供」を猶予する、制度の真偽 

 

キャシーたちは「ヘールシャム」では絵画などの作品制策の授業が熱心に行われていた。生徒たちは「本当に愛し合っているカップルには「『提供』が猶予される」といううわさを信じそれに希望を託す。生徒たちは熱心に作品制作にとり組む。作品は「展示館」に保管されて本当に愛し合うカップルか否かの判断の証明となると信じられていた。

 

「ヘールシャム」を出て介護人となったキャシーと「提供者」となったトミーは愛し合うカップルと認定されたい一心で「展示館」のマダムを探し当てる。そこで彼らは「提供が猶予される」事実はなく、単なる噂であったという残酷な事実を告げられる。しかしキャシーはこの日のために多くのエネルギーを割いてきた。恋人のトミーはすでに四回目の提供に直面しているのだ。あきらめきれないでマダムを問い詰める。

 

  クローン人間にも魂はある、と確かめたかった

 

「そもそも何のための作品制作だったのか。何故、教え、励ましあれだけのものをつくら得たのですか。どのみち提供を終えて死ぬだけならあの授業は一体なぜ?読書や討論は何故だったのです」と。

マダムにこの事を行わせた仕掛人、エミリークロード先生は答える。「私たちが作品を持って行ったのはあなたがたにも魂が―心が―あることがそこに見えると思ったのです」

「なぜそんな証明が必要なのか自分たちに魂がないとでも誰かが思っていたのか」とキャッシーは問い詰める。

「ある意味感動ですよ。…あなたが言うとおり、魂があるのかなんて疑う方がおかしい。…運動を始めた当初は決して自明のことではなかった」と先生は答える。「試験管の中で得体のしれない存在、それがあなた方」。しかし「生徒たちを人道的で文化的な環境で育てれば、普通の人間と同じように感受性豊かで理知的な人間に育ちうる事を世界にしめした」と、自分がしてきた業績が決して無駄ではなかったと証明しに来てくれた、キャシーとトミーに感謝さえする。

 

しかし、「でもあなた方のその夢、提供を猶予してもらうという夢は私たちの力の及ばない事です」ときっぱり。「気の毒に思います。でも落胆ばかりしないでほしい…振りかえってごらんなさい。あなた方はいい人生を送ってきました。教育も受けました」こんな先生の言葉がキャシーとトミーの何の慰めになるだろう。二人は絶望してマダムとエミリー先生の居所を辞す。トミーは四回目の提供で使命を終る。

 

 癌は治るものと知ってしまった人に、

不治の時代に戻れとは言えない

 

エミリ先生は言う。「突然、目の前にさまざまな可能性が出現しそれまで不治とされていた病にも治癒の可能性が出て来ました…でもそういう治療に使われる臓器はどこから?真空に育ち無から生まれる…と人々は信じた、…世間があなた方生徒の事を気にかけはじめ、どう育てられているのか、そもそもこの世に生まれるべきだったのかどうか考え始めた時はもうおそすぎました」「…癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?そう逆戻りはあり得ないのです」。

 

 私は臓器移植法案が国会にかかった時の息苦しさを思い出した。政治的イデオロギーだけではなく宗教観、倫理観が問われ結論は簡単には出ない。幾つかの党は党議拘束を外すという例外措置を取り法案は可決された。私はこの法案に反対した。

カズオ・イシグロのSF小説が投げかけている問題はとてつもなく大きく難しい。科学技術の進歩によって人権のかけらもない「人間」を作り出す事を認めてはならない。「わたし提供を受ける人、あなた提供する人」という線引きは絶対に認められない。

 

  「守るべき性」と、「差し出す性」

 

日本政府は敗戦後米軍の日本上陸に備えて「良家の子女を守るため」全国に「慰安所」をつくった。慰安所で働かせる女性を集めたのは各県警察である。

良家の子女を守るるために別の女性を犠牲にした。戦争中には遊郭から大勢の醜業に携わる女性をかき集めて中国、ビルマ等の「慰安所」に送った。

戦後、特に一九九〇年代以降「慰安婦」問題が女性の人権侵害と認識され解決を求められている。その中で日本人「慰安婦」がクローズアップされない理由は、彼女たちはもともと売春婦だったから、仕方がないのではないかとの考えにある。しかし、遊郭の女性だから「慰安所」で性奴隷とされてもいいとの理屈は成り立たない。

「慰安婦」のイメージとして性的経験のない少女・女性を強制連行して軍の「慰安婦」にしたことが許されないのだ、との考えがある。その裏に遊女は別という思想がありはしないか。しかし遊女はそもそも親から遊郭に売られた少女達である。彼女たちなら「慰安婦」にしてもいい、という理屈は絶対に成り立たない。

 

女性を二分して一方を犠牲にして他方を守る考え方は、カズオイシグロのSF小説『私を離さないで』で強く告発している問題につながるのではないか。心の中に潜む差別意識が現実の悲劇を引き起こすとの警告として受け止めたい(吉川記)

 

 

2018年1月 4日 (木)

仕事始め

新年おめでとうございます。今日から仕事始めです。

東京でこんなに寒いのですから、雪の多い地域や凍みる地域など、仕事も生活も大変でしょうね。お見舞い申し上げます。

 

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<六義園の冬の七草>

 

今日の東京新聞に全原発を速やかに廃止する「原発ゼロ法案」を、立憲民主党が通常国会に提出する予定、というニュースが報じられました。うれしいニュースです。通常国会では脱原発、再稼働の問題点などについて大いに論戦をしてほしいものです。

国会は立法機関なので、掲げた政策を法律として提案することは当然の仕事ですが、民進党では電力会社から資金援助を受けて当選させてもらっている議員がいるのでこうした立法提案は不可能だったのでしょう。

 

『慰安婦』問題解決も立法によるのです。政府の時々の政策より国会の意思を反映した『慰安婦』問題処理が最終解決につながると思います。かつて野党3党が『戦時性的強制問題解決促進法案』を提案したのもその意図からです。法案は廃案になってもなっても8回も息を吹き返した(再提案)のですから、立法提案はそのくらい生命力があるのです。

 

 

安倍総理は伊勢神宮に参拝して三重県で記者会見し、自衛隊員が国民を守るために24時間重要な任務に就いていると持ち上げました。人々の命を守るために夜も寝ずに頑張っている人々はたくさんいるのに、何故自衛隊員だけに言及するのでしょうか。

また、憲法改悪、北朝鮮の脅威と圧力をかけるといつもながらの言及をしています。

私が総理に問いたいのは、トランプ大統領に追従して圧力をかけ続ける結果何が起きるのか。窮鼠猫を噛む、で万一武力衝突があった時、日本はどのようなリスクを負い被害が出ると試算しているのか。それを覚悟で追い詰めているのか。

アメリカ本土の攻撃より日本の米軍基地を打つ場合も考えられます。アメリカの国際政治学者は武力衝突の危険は高まっていると警告し、その際は数百万人犠牲が出ると予測しています。総理はまさか自衛隊の防衛システムでミサイルを打ち落とせるとでも?

メディアもこの問題をもっと分析、報道するべきではないのか。年末年始の報道が、相撲協会の暴力問題に偏り過ぎていると感じるのは私だけでしょうか。現実に地球を滅ぼしかねない大きな暴力の可能性が、今問題になっているのですから。

 

私は年末は長野県に滞在しました。例年ほとんどない雪が今年はあり、とても寒くて夜中に目覚めました。でも空は真っ青で空気もおいしい、食べ物もおいしい、長寿県ではあります。

上田城の真田神社でおみくじを引いたら大吉でした。私はおみくじは好きでよく引きます。吉か大吉しか出ないので、凶は入っていないのかと思っていましたが,浅草寺は凶ばかり出るとの評判とか!

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長和町学者村Ⅲ期にて

 

社会の吉も凶も人間が作り出すものではないでしょうか。安倍に負けない、トランプに負けない。私はラジオ体操もスイミングも続けて、オペラ映画もしっかり楽しんで、「吉川さんもう代表をやめて」と言われるまで頑張ります。

今年もよろしくご指導ください。

 

201814日               

「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表・吉川春子

2018年1月 1日 (月)

映画「沈黙 立ち上がる慰安婦」と朴壽南(ぱくすなむ)監督の事

 

1994

 

(「生きてたたかう―ハルモニたちの11日間」ハルモニ達を迎える集い・編1994年7月28日発行)

 

朴壽南(ぱくすなむ)

監督の映画「『沈黙』立ち上がる慰安婦」のチケットが同監督から私のもとに届けられたのは201711月初めころだった。私は12月3日、渋谷の映画館アップリンクで同映画を観た。

 

アップリンクは力作を上映する映画館として知られている。この日、映画館の数十ほどの座席は満員だった。上映2日目で沖縄の映画の終了後にトークショウが行われるので監督の朴さんも見えていた。映画館で私も紹介されて観客の皆さんに一言挨拶した。朴さんとは私の著書『翔びたて女性たち』の出版記念会(2003年)以来14年ぶりに再会した。

 

 

 

   「慰安婦」達の戦う姿を生き生きと描く

 

 

 

この映画は朴監督がこれまで撮りためた「慰安婦」達の映像を再編集したドキュメンタリーである。

 

その昔、私も参加した集会シーンが映画に映し出されて懐かしく思い出した。一つは衆議院第2議員会館前の路上に座り込む、白いチマチョゴリ姿の女性たちを私は同僚女性議員と一緒に激励に行った。背の高いイー・ヨンスさんとハグした。一人一人と握手を交わす私の姿がチラッと映画に写った。

 

また参議院議員会館の会議室で、「民間基金構想反対」と大きく書いた看板の前に数人のハルモニ(韓国人慰安婦)と、フィリッピンのマリア・ロサ・ヘンソンさんも座っている。私はこの集会にも駆けつけてアジア女性基金構想を批判する激励挨拶を行った。

 

銀座でのパレードも華々しく行われた。ヘイトスピーチや右翼の集団攻撃が未だなかった時代なので、ハルモニたちは太鼓をたたいて、銀座で堂々とデモンストレーションしている。

 

圧巻はアジア女性基金のメンバーとの交渉場面である。東大教授の横田洋三先生の若い姿も登場する。ハルモニ達はアジア女性基金の幹部を相手にして堂々と要求を突き付けており、さすがの横田先生もたじたじとなっている。

 

このシーンを見ても当時の政府は未だ、「慰安婦」の声に耳を傾ける姿勢があった事が窺われる。こうした交渉を繰り返し、『償い金』支払いが国民のカンパだけでは足りなくなって政府資金も支出させるところまで追い詰められれば良かったのに!残念ながら戦いはそこまではゆかなかった。

また、この映画でぺポンギさんの生き生きとした映像を初めて私は見た。1944年沖縄の渡嘉敷に騙されて強制連行された経緯を告白して、やっと沖縄に留まることができた。キムハクソンさんより10年早く名乗り出た日本軍「慰安婦」である。朴壽南監督の『アリランの歌―沖縄からの証言』(1991年)に出演している。1991年10月14日、那覇市のアパートで息を引き取った。きしくもこの年は韓国でキムハクソンが名乗り出た年である

 

 彼女の死をきっかけに渡嘉敷島に「アリラン慰霊碑のモニュメント」が建立された。朴さんから話を聞いていたが、『沈黙』で初めてこの碑を見て高さも数メートルありとても立派でびっくりした。当時、寄付金が4000万円も集まったと今回朴さんから聞いた。97年の碑の除幕式に遺族が招待されぺポンギさんは死後数年たって韓国の肉親に遺骨が引き取られていった。このもようも映画は映している。宮古島の「女達へ」「アリランの碑」は有名だが、渡嘉敷の「慰安婦」慰霊碑はほとんど知られていない、と思う。

 

 

     アジア女性基金を受け取ってよいか、質問されて

 

 

 

1995年村山内閣が河野官房長官談話(1993年)の具体化として『慰安婦』被害女性にアジア女性基金を設立して「償い金」「医療福祉事業費」支払事業を開始した。この基金を受け取るか否かで「慰安婦」同士の間と、運動団体間にも激しい賛否の議論が巻き起こっていた。その時に、朴壽南さんは親しい何人かのハルモニを代表して「基金」を受け取っていいか否かを参議院会館の私の事務所に相談に見えたのだった。

 

これは私にとっても大変難しい質問だった。考えた挙句私は「受け取るべきだとか、絶対に受け取るなとか言える立場にない。自分の意思で決めていいのではないか」と申し上げた。貧困で、病気に苦しむ高齢の被害女性たちがこの基金を受け取ることを批判することは誰にもできないと考えたし、受け取ったら「公娼を自認した事になる」(映画「沈黙」の字幕)とか、「セカンドレイプだ」とは考えなかった。

 

アジア女性基金について私は政府を度々批判する質問を行い、民主党、社民党議員と一緒にインドネシアにまでこの事業について調査にも行った。但しアジア女性基金を全面的に否定でいいのか、については自問自答し続けている。

 

 

 

   韓国人「慰安婦」が基金を受け取った経緯

 

 

 

私は朴壽南さんに「基金」受け取りについてそのように申し上げた経緯もあり、運動が対立し、また受け取った「慰安婦」が苦しい立場に置かれた報道に接するたび心が痛んだ。その経緯について今回の映画「沈黙」が詳しく伝える。

 

「『被害者の会』のハルモニたちの大勢が「基金」受け取りへ動き出したのは昨年(一九九六年)八月、(日本)政府が初めて道義的責任を認め、その責任を果たすため被害者一人に三百万円『医療福祉事業費』として出資するという事が明らかになってからである。

 

「やっと半分の責任は認めるようになったか、私らが勝ったんだね!今死にかけているんだ、日本政府からの出資金を一括現金で支払うならば、とりあえず国民から集めた『償い金』と一緒に堂々と受け取ろうじゃないか。そして闘い続けるんだ」(パンフレット『沈黙立ち上がる慰安婦』 2017122日発行 アリランの歌制作委員会)

 

しかし韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は基金の受け取りには強く反対した。この金をもらったらハルモニたちは自分の名誉を売り渡し、公娼だと認めたことになる」との理由である。(同上)

 

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写真・アジア女性基金構想に反対する韓国人「慰安婦」の記者会見で挨拶する吉川・1994年・参議院会館

 

 

   「基金」受け取り、朴監督の苦悩

 

 

 

これに対して朴さんは言った「見てのとおり80代のハルモニが2人死にかけている。ハルモニの中には幼い孫や甥達を養育している人が3人もいる。独り身でも生きてゆくのがギリギリなのだ。そのハルモニたちがこれで闘いを止めると言っていない。とりあえず受け取って法的責任による国家補償の要求を戦い続けると言っているのだ。当事者の意思を尊重しよう。そして受け取ったハルモ二を切り捨てずに団結して戦ってゆこうじゃないか。相手は日本政府なのだ」と。

 

しかし、朴さんは運動団体から厳しく批判されることになる。「被害者を訪ね歩き国民基金を受け取れと説得していた。挺対協は朴氏の入国禁止措置を政府当局に要請し…た」(「聯合通信199797日)等と報じられた。

 

しかし彼女は「私が韓国内のハルモニ7名が「国民基金」を受け取るように主導的役割を果たしたという国内の報道は事実ではない」とし私は国民基金とは正反対の立場にあり被害者達が日本政府からの補償を受け取ることができるように支援していると語った」(「聯合通信19971123日)と弁明している。

 

 

 

     おわりに

 

 

 

「アジア女性基金」を受け取るか、拒否するかで運動団体の間に深刻な対立が生じ、受け取った慰安婦は仲間から批判された。「フィリッピンの『慰安婦』運動で指導的役割を果たした日本でも有名なマリア・ロサ・ヘンソンさんも「国民基金」を受け取り日本の支援団体からも顰蹙を買」った(同書)

 

日本政府は何度質問しても「アジア女性基金」の受け取り人数を公表しない。私が韓国では60人の「慰安婦」がアジア女性基金を受け取ったと知ったのは議員を辞めて数年経ってから産経新聞のリークで知った。政府がその数さえ言えない事業とは何だったのか。

 

戦争責任に対する日本の中途半端な態度が「慰安婦」被害女性たちをさらに苦しめた。しかも日本でアジア女性基金についての研究は当事者以外にはほとんどない。

 

 

 

この映画では挺対協批判が激しく表現されている。日本の「慰安婦」運動になれている人々にとっては違和感を持つ映画であろうと思う。

 

また、「沈黙」での朴監督の主張(挺対協批判)に対して「挺対協の反論は全く出ていない・・・」(「沈黙 立ち上がる慰安婦」パンフレット201710月 特別寄稿 尹明淑)日本近代史・日韓関係史(韓国)とも指摘されている。

 

それでも私が、この映画の紹介記事をブログに載せるのは、こうした問題についても日本でもっと議論が必要ではないかと考えるからである。

 

 

 

20171231 吉川記>

 

2017年12月 6日 (水)

日本・キューバ合作映画『エルネスト』

 

 

      ボリビア山中に散る若き命

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(写真・映画「エルネスト」のジャケット)

48年ぶりの日本・キューバ合作映画、坂本順治監督。この映画はオダギリジョーの演じる、日系人青年、実在のフレディ前村の物語である。

キューバ革命の英雄、余りにも有名なチェ・ゲバラと共にボリビア戦線に身を投じたフィレディ前村という若き日系ボリビア人がいた。“エルネスト”はゲバラから授けられた前村のファーストネームである。

 

     革命ではなく、医師を輸出したキューバ

 

フレディ・前村・ウルタード(19411967)は日系ボリビア人。鹿児島県出身、日本移民前村純吉とボリビア女性ロサウルタードの2男として生まれる。ボリビア共産党青年部所属。父親死去のため首都ラバスに引っ越し医師を目指す。しかし共産党青年部に所属していたこと等から医学部への門戸は閉ざされた彼に希望の扉を開いたのが、革命後3年しかたっていなかった社会主義国家キューバである。彼はハバナ大学の入学の前に、キューバのフィデルカストロが設立したヒロン浜勝利基礎・前臨床化学学校で予科過程を学ぶことになる。

 

キューバは1960年代初めから今日まで諸外国、主としてアジア、アフリカの開発途上国出身の若者に無償の奨学金を与え、多数の若者を向かい入れ、医学を学ばせ医者を大量に養成したことは有名である。超大国アメリカの経済封鎖に会いながらどうやって経済的にそれが可能になったか不思議なくらい、多くの医師を育て送り出している。

映画の中でも留学生たちのこざっぱりした寮生活の様子、死体への尊厳を踏まえた解剖の実習など医学講義、そしてゲバラや、カストロも大学を訪れ学生たちと「いかに生きるか」等親しく会話する様子が映し出される。

 

フレディ・前村がひそかに思いを寄せる女子学生が、彼の友人に妊娠させられる。そして彼は「自信がない」と言って卑怯にも女性から逃げる。彼女は子どもを産み学業を続けながら一人で赤ん坊を育てることになる。その時彼女は今までの寮を出て、家族で住める広い部屋が与えられ引っ越しする。子どもは保育所に入る。そうしたことをキューバ政府が保証している様子がさりげなく、映画に描かれている。

 

    ゲバラ…医師であり革命家に共通するもの

 

アルゼンチン人のチェ・ゲバラ(19281967)は2歳で小児喘息にかり生涯この病気に苦しむことになる。彼は様々な病気に苦しむ人を救おうと医者になる決意をする。ブエノスアイレス大学医学部生だった1952年、彼は南米を旅行し先住民、農民、鉱山労働者ら無数の人々が極貧の底で苦悩する現実を見て富裕層の白人のゲバラは衝撃を受ける。隣国ボリビアは19524月に鉱山労働者革命を経験していた。

53726日、キューバでは若き弁護士フィデルと弟ラウール(現国家協議会議長)のカストロ兄弟が革命の狼煙を上げるが失敗する。当時ボリビアにいたゲバラは2年後、フィデル・カストロに会い、その革命思想に共鳴する。

そしてゲバラは13年後、新しい革命を起こすためにフレディ・前村とともにボリビアにわたることになる。

 

 

    チェ・ゲバラと広島

 

映画のシーンは、革命直後のキューバから日本への特使として派遣されたチェ・ゲバラが広島の原爆公園を訪問するところから始まる。キューバ革命の立役者が日本に来ていたことさえ知らなかった私はまずこの設定にびっくりした。

映画は中国新聞社の記者の取材等、ゲバラの広島滞在の部分は日本語で、この後は総てスペイン語で、という作りになっていて、主演のオダギリジョーのセリフは見事なスペイン語である(と、言っても私はスペイン語はできない)。

 

「安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませんから」という原爆ドームの原爆死没者慰霊碑」の碑文について「この主語は誰だ?」と問い、資料館を見て「君たちはアメリカにこんなひどい目にあわされて、どうして怒らないんだ」と述べるゲバラの言葉が印象的だ。

ゲバラはこのときのことを「平和のために断固戦うにはこの地を訪れるのがいい」と妻に書き送ったはがきもキューバで見つかっている。彼が撮影した原爆公園の写真(ゲバラは写真の腕もよかった!)とともに没後50年を記念して「広島・キューバ展」で公開された。(201792日毎日新聞)

ゲバラが広島を見学し原爆の恐ろしさを実感したこのシーンによって、私がはるか遠い南米の国キューバやボリビアの物語にぐいぐい引き込まれたのかもしれない。

 

 

      懐かしくも遠い青春

 

フレディ前村と私は同世代。南米大陸西海岸のボリビアと日本と離れてはいるが、同時期に青春を送った。前村はゲバラ率いる「ボリビア民族解放軍」兵士として19678月にとらえられ処刑され、ゲバラも同年10月に処刑されている。

米政府は「ラテンアメリカで第2のキューバは許さない」という方針で、ボリビア政府軍を指揮してゲリラ部隊を破った(伊高浩昭「なけなしの命を捧げたフレディとゲバラ―映画『エルネスト』の時代と背景」)。アメリカは革命へ干渉し有能な2人の若者を葬り去り、国家の民主化を遅らせた。医者となり、兵士となってひたすら祖国の解放の夢に向かっていった日系ボリビア人・前村の青春がまぶしい。

同じ時期、日本は60年安保の高揚が収まりかけ高度経済成長時代に入ろうとしていたが、私自身は人生の目標が定まっていたわけではない。あの当時の自分の思い、現代の若者たちの熱い情熱は何処に向かうのか、考えさせられる映画である。

 

NHKニュースによると、80年前にかかれた「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)がマンガとなって70万部も売れているという。生き方を模索することは時代を問わない。如何に生き如何に死すか.戦争が迫り来る時代に生きた昭和初期の知性は現代人にそうしたヒントを与えてくれるかもしれない。

(写真下・吉野源三郎著」「君たちはどう生きるか」がマンガ化されて、現代人に呼びかける)

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(写真上・参議院議員会館、12月は日暮れが早いまだ5時なのに。日本の針路を握る国会)

«中国南京上海の旅 その3  2017年10月23日(月)